581話 決戦前夜の眠らない夢 2
行きつけにむかう間だって街は喧しい。
納期の迫った職人連中が鬼気迫る表情で次々に武器やら防具をこしらえていく。
眺めているほうだって気分は工業団地さながら。4トントラックが出入りする人手にあふれた騒音に、自然と声のボリュームが大きくなった。
山颪の街イェレスタムは今や大陸工業の中心地といっても過言ではないほどの成長を果たす。戦争を辛くも生き残った技巧あふるるドワーフたちは実力で成り上がったのだった。
そしてその頂点に君臨するのは、双腕。ドワーフ族にとっても憧れの存在となる老兵がいた。
「……ちかごろおじいちゃんの顔がなんか怖いのじゃあ」
そんな名実ともに伝説と名高い双腕の孫は、ちょっぴりブルーである。
腰をがっくりと曲げて足どりも覚束ず。むぅ、と唇をへの字にしながら行く先を恨みがましく睨む。
前を歩くラキラキの尻を眺める明人とクロトは、一瞬互いの目を見合う。
「あの面だしパッシブスキルかってくらいずっと怖いだろう?」
「ですね。僕もようやく慣れてきましたが、それでもやっぱり怖いですもん」
異口同音。声を揃えて客観的感想を孫に突きつける。
あの枯木の老父が優しそうに見えるのならば盲目であると言わんばかり。
それもそのはず。双腕の弟子である明人だってはじめはビビりちらしていたし、クロトなんて出会った直後に涙を浮かべて腰から崩れ落ちるという経験をしている。
2メートル近い背丈に筋肉の大岩だ。白髪の髷もいかついし、眼差しなんて鬼である。
「しかも両腕が鉄だし鉄砲構えたヤクザよりたち悪いな」
「てっぽう? ああでもはじめ僕もなにかの冗談かと思いましたねぇ……」
2人して過去をたどる。黒目が4つとも遠くを眺めてしまう。
気の良い親父なのだ。見た目が非常におっかないだけで。
「そういう話じゃないのじゃあ! おじいちゃんはワシが生まれたころはなかなかのベビーフェイスだったのじゃあ!」
ラキラキは肉親を悪く言われて地団駄を踏む。
それを明人とクロトは鼻で笑う。
「ベビーフェイスって童顔って意味だぞ。あの頑固親父顔のどこに若さの成分があるんだよ」
「……はははっ。だとしたらベビーフェイスっていうよりヘヴィーフェイスの言い間違いですよね」
「んにぃー!! おじいちゃんは若いころイケメンのバリ渋じゃったのじゃあ!! あと誰が鉄なのじゃ誰があ!?」
どこをとっても未成熟。丸い膝にストンと落ちるような腰回り。幼児体形の女性ドワーフに女らしさを求める者は多くない。
そんな幼いラキラキが半泣きになってしまうと、こちらはいじめっ子の気分である。
「ま、そのうち顔も合わせるだろうし色々聞きだしておくさ。孫がぐずってるってな」
明人は暴れる姉弟子をひょいと小脇に抱え込む。
永遠に若い肌もぷっくりとした質感で、体重も非常に軽い。しかも仕事上がりだからか体も火照っており作業着もやや汗ばんでいる。
ラキラキは不満そうに焦げ色の片頬を黒まんじゅうのようにぷっくりと膨らす。
「ほ、本当なのじゃあ? またおじいちゃんがどこか遠くにいっちゃうのはもう嫌なのじゃあ……」
「死に顔を孫へ見せるのが年寄りの最後にやるべきことだって教えてある。それにラキラキだって前に親方とそう約束したじゃないか」
ぱちん、と。明人が慣れないウィンクを小さな先輩にくれてやる。
するとラキラキは眉をしょげさせながら「……のじゃあ」両手両足をだらりと垂らす。
少しは落ち着いたようだ。悩みの種がかいしょうできたわけではないが。
この幼子の心を蝕んでいるのは魅了魔法の件である。
あの事件は生きる年月関係なくドワーフたちの心に深い傷を与えた。
言ってみれば種族まるごと操り人形である。そうやってエルフ国を貶める『山岳級特攻要塞モッフェカルティーヌ』を意思なく完成させてしまった。
元凶となった狂信――救済の導は、いまや完全に駆逐されている。人の残虐な企てと、Lクラスたちの勇猛な活躍によって壊滅した。
明人はラキラキを小脇に抱えながらのんびり歩く。
「猫は死期を悟ると飼い主の元を離れるらしい。でも親方は猫って面じゃないだろう。ありゃあ猪か鬼の生まれ変わりだよ」
「慰めてくれてるのはわかるんじゃが……それはそれで複雑なのじゃ。というかそれ……ワシは猪か鬼の孫ということになるのじゃ」
どうやらラキラキも下手な説得により――酸っぱい顔をしているが――もち直してくれたらしい。
ようやくいつも通り。晴れた日に湿った話をしていてはせっかく覗いてくれている太陽に申し訳ない。
クロトも満足そうに口角をにんまりもちあげる。
「師匠もココ最近お忙しかったみたいですし、今度僕らで慰労してあげましょうよ。お世話になっているサナとルナにも声をかけてみます。なんだったら僕もひと肌脱いじゃいますから」
そう言って骨の浮くほど細っこい腕をまくるような動きをした。
夏服だからか着ている服のシースルー部分が増えている。風通しの良い透け色部分から見える白い肌が不思議と色を香らせていた。
「お、お主がひと肌脱ぐのは止めておいたほうが良いと思うのじゃ~? それはそれでおじいちゃんの悩みの種らしいのじゃ~?」
「はえ? それってどういう意味です?」
「意味もなんも見たままじゃろがい! なぜ奴隷街とか言う場所からきたころより日々女々しくなっちょるんじゃ!」
「あー……食べ物が良くなったから、ですかね? 草とかを食べなくなったおかげで僕もサナルナ結構お肌つやつやですよ?」
んなこた知らんのじゃあ! ラキラキの憤慨する声が工業の街に響き渡った。
近ごろラキラキはクロトの住まう家に同居しているのだとか。だからかヒュームとドワーフという間柄でも変に壁がない。
家に帰ればサナルナの双子、デカイ物好きの同種、そして白い狼がいる。きっとラキラキもそこまで寂しいというわけではないのだ。
明人は、そんな2人のやりとりを微笑ましく眺めている。
――親方のやつ……早まらないようキツく言っとかないとな。
決戦が近い。
それだけでもう笑顔を作るのが難しい。
「そういえば師匠の好きな食べ物ってなんですかね? 僕が作ってあげようと思うんですけど?」
クロトが背の低いラキラキを見下ろしながら問う。
スカートがたなびくたび十字に腰へ帯びた長くない双剣が鉄擦る高い音を奏でている。
ラキラキは明人の腕からするりと地面へ着地した。
「なぜ双子じゃなくてクロ坊が作るのじゃ? まあおじいちゃんは基本岩以外ならなんでも食うのじゃ。とくに干した甘じょっぽいクラーケンとかを好むのじゃ」
ぺたり、ぺたり、と。細長い脚が伸びるたび小麦色の肌が照って輝いて見えた。
こうして2人が歩いていると種族差なんてあまり感じさせない。姉妹、あるいはどこか別の繋がりさえチラついて思えてくる。
「なら今度師匠のためにクラーケン狩りにでもでかけますか。さすがに僕だけだと危ないかもなんで、うちの迷惑娘も引きずって連れて行くとします」
「い、いや……あれはあれでいちおう伝説級の阿呆なのじゃ。そんな軽い気持ちで連れだす娘ではないのじゃ」
師の異変という気配に引っかかりを覚えながらも、一行はそれほど長くない街路を徒歩で移動する。
街にいるのは仕事に追われる職人たち。あるいは最小限の兵くらいなもの。一般市民の避難はおおよそ完了していると考えてよいだろう。
残りは日がな魔物狩りに勤しむ冒険者たちくらいがのんべんだらりと群がる。
大槌、大剣、革鎧、鋸刃、短弓。彼ら冒険者にとっては危険こそ日常。周囲がピリついていても求めるのは首級、功績、あと路銀なのだ。ある意味で孤高の存在と言える。
「んー……? 近ごろ冒険者のかたがたが多い気がしますね?」
クロトは、うちひとりのエルフとすれ違いざまに長身の背を目で追った。
どうやら彼はパーティを組まぬタイプの冒険者らしい。
背には剣、腰にナイフ、そして肩には弓まで備えている。役割分担を担わない者によくある装備一式である。
「確かピクシー国でなにか大捕物があるとの噂を耳にしました。でもなんでこんな半端な場所にたむろしてるんでしょうか」
「そりゃあ戦場から近からず遠からずが生きる術じゃろうて。狩場の真っ只中でも、狩場から遠すぎても、食いっぱぐれるってものなのじゃ」
しかしラキラキは別段気にした様子もない。
冒険者の動向に気を揉んでも仕方がないことを知っているのだろう。
根無し草は風に吹かれて気ままに動くものなのだから気にするだけ無駄と言うだけの話。
「そうなのでしょうか? 街中でも帯剣を推奨する御布令が掲示されているようですし。僕なんだか胸騒ぎがしてならないんですよね」
クロトが平坦な胸板辺りに手を添える。
するとラキラキは鈴を振るように喉を鳴らす。
「まま! なにかあったらなんとかするのがワシらなのじゃ! なにかあるまでしくしくしていても疲れるだけなのじゃ!」
小さいなりになかなか良い肝の座りかたしている幼女だ。
年の功というやつか。12、3歳幾ばくの身なりでも、軽く100は生きているだけのことはある。
「うーん? そういうものなんですかねぇ?」
それでも納得はいかぬようで。クロトは歯がゆそうに冒険者達を見送った。
これ以上会話から成果を得ることも諦めたか。不満ながらもなにかを問い詰めるようなマネはしないで首を捻るだけ。
一般市民たちへ公害の情報は封殺されている。クロトのように多少の気配を察しているものはいるだろうが、それまで。
だいいち闇が空を割って攻めてくるなんて誰がすんなり信じるものか。また知らせれば混乱を招く恐れがあるし、それらを逆手にとって悪い情報を吹聴する輩も現れかねない。そのため国からの処置が世界全体へ施されていた。
知っているからこそだ。じっさいに経験した人間がいるから対応できることもある。
「…………」
地球がそうだったように。
手遅れになるまで自分だけは生きていられると高を括った連中を見てきた。
そして最後は全員平等に引きずり込まれ、蒼によって四散した。これが人の目指した平等とは笑えるではないか。
「どうしたんです? 今日のフニーキさんなんだか寡黙でちょっと怖いですよ?」
ひょいと覗き込んでくる。目のパッチリと開いた愛らしい尊顔。
明人は、視界へ割り込むクロトに心臓を跳ね上げるも、冷静を装う。
「ラキラキの言う通りにしておけば間違いはないよ。最低限の警戒だけしておけばいざというときも動きやすい」
「そうれワシが言うたろう! ふにゅ~もドワーフに揉まれてちょっとは男前に考えられるようになったのじゃあ! かっかっか!」
明人は、ちょうどよい位置にある茶色の毛並みをわしゃわしゃにしてやる。
すると撫でられたラキラキはくすぐったそうに手をパタパタさせながら「のじゃあ!」と鳴く。まるで触ると高く鳴く玩具のよう。
こちらまで戦火が届くことはないはず。それが希望的観測であることも踏まえてやれるだけのことをやった。
あとはじっと一報を待つだけとなっている。余った時間は現存する神にでも祈っていればそれで良い。
「ところで最近ワーカーさん見ませんよね?」
「――ッ」
埃っぽい騒がしさと冒険者の波をすり抜けるよう少し歩けば目的地の看板が見えてくる。
そここそが斡旋所兼男たちの楽園。フリフリの衣装を半身にまとった少女たちの舞う、とまり木。
店が間近に迫ると、待ってましたとばかりに2人が店のほうへ駆けだす。
「いやっほー! 仕事を頑張ったせいでお腹と背中がくっつきそうなのじゃあ!」
「あ、走ったら危ないですよ! それに僕だってお腹ぺこぺこなんですからあ!」
その後をのっそりのっそり。決してひた走らず、ゆっくり歩く。
最後のクロトの問いかけにだけは答えなかった。
「さて……オレもなにか食べるとするかな」
答えることは出来なかった。
世界を渡った鋼鉄の相棒は今、新しい姿で戦場にいる。
焔龍との決闘で追った傷は、この世界で直せるものではない。重機は、もう兵器ですらない。威風堂々と大地に立つことすら叶わぬ。
「……はあ」
吐いたため息だって重くどんよりと肩にのしかかるかのよう。
遅い歩調だって本当は気が進まないから。そう、まるで階段を踏んで縄へと歩くような気分に近しい。
明人が暗い気持ちを滾らせながら2人の後を追って店へむかう。
「なんでも屋さぁん! 颯爽登じょー!」
と、店の入口のあたりになんかいる。
なんかというか……巨大翼を生やしたこれまた長身の少女が店の前で変な決めポーズをとっている。
「ごちゅーもんの食材をもってきたよー! 迅速参じょー!」
周囲のなにやってんだアイツ的な視線にもろともしない。
ただ肩に大きな――明人にとって見覚えのある――ものを抱えながら店の中へずんずん入っていってしまう。
「クレーターに白りゅ~の探してたお米っていうツブツブあったよー! 五穀豊じょー!」
そして俵を抱えた巨龍ネラグァ・マキス・ハルクレートは、確かにその単語を口にした。
「ッッ!?」
明人の体が、脳より先に動きだしている。
反射的に蒼が目覚め、嵐を呼ぶ。
気づいたときには一陣の風となり矢の如く走っていた。
「わあああ!? か、風でスカートがめくれてぇ!?」
「な、なんじゃあ!? ふにゅ~のやつ唐突に元気になったのじゃあ!?」
先立したクロトとラキラキすら追い抜かすほどの最速だった。
人は人の限界を超える。蒼の力によって限界の少し先に引き上げられる。
「銀シャリィィィ!! お米ェェェ!!」
そして店の扉を破壊する勢いでなかへと突っ込んでいった。
……………




