579話 そして闇迫りし世界の対応策 2
「ルスラウス大陸はこの数日の間で飛躍的な進化を遂げた言っても過分ではないはず。それもおそらくは単一種族だけでは決して届かない天上の如き遥か高みへと到達しつつある」
空いた座席についた少年は幼気ながらも利発そうな眼をペンタゴンへと巡らす。
少年が少年の域をでることは一生ない。なにせ彼にとってはソコが上限なのである。
身の丈だって同じ男性のドギナやカラムと比べれば、まるで赤子同然。卓からようやく肩がでるくらい。細っこい足もぶらぶらと地面からほど遠い。
「プロジェクト840機構の発達と発展。これによって魔機による兵たちの補強が完了しつつある。さらにドワーフ族の技巧とヒューム族のひらめきを相乗することでエルフ族の得意とする木製兵器を進化させる計画も、ほぼ同時に進行しているんだ。これなら大陸での闘争は間違いなく次世代へと移り変わるはず」
傍らに仙狐を携えればいくら幼くても、一丁前。
それになにより彼は王者の風格とカリスマ性を生まれもっていた。だからこそ夢現を惑う実現困難な計画をこうして一任されている。
彼の種族は総じて幼い。それでも周囲から反対の声を黙らせるだけの知性すら兼ね備えていた。
「そしてつい先ほど伝令によってすべてが整ったという報告を伝え聞くことができた。異端種族との本格的な接敵をする準備が整ったということでもある」
少年は油汚れのついた頬を革手で拭う。
卓に置かれたレンチは彼が先程まで作戦の指揮に務めていたことが起因している。
「今ここに――妖精王ディアナ・L・ルセーユ・シェバーハは全作戦行程の始まりを宣言しする!」
会議室の四方から感嘆の息が次々と漏れた。それほどまでに見事な仕切りであった。
王としての初仕事とするなら満点の位を与えても良い。証明するかの如く彼の凛とした眼差しを捉え、拍手が巻き起こった。
その威光は重鎮や家臣らだけにとどまらず。王にすら威厳を示せるほど。それほどまでにディアナは輝かしく、猛々しい。
「うぇへへぇ……ダーリン超かっこいいじゃーん……マジ惚れ直すしぃ……」
ただ彼の威厳を損なうものがあるとするならただひとつ。隣にいる黒狐が骨抜きにされていることくらいか。
ナコは、ディアナの一言一句が紡がれるたび、帯で締めた腰をくねらせた。頭に生やした三角耳がアンテナのように動いて彼の声のみ拾っている。
「な、ナコ! こういう場ではしっかりしなきゃダメじゃないか! み、みんな見てるんだからちゃんと服も着てよ!」
「えー? だってダーリンってば超かっこかわゆいんだもんっ☆ これはもう反則級だし色々耐えられるわきゃないしぃ♪」
それにしてもデレデレである。先程まで爪を削って時間を浪費していた者とは思えぬ変わりっぷりだった。
年齢差の顕著な少年の座る椅子へ、しなだれかかるようにし、乱した喪服の如き黒い着物から白い肩を覗かせている。
「おい発情狐! 狐族の顔役である貴様がそんなことでどうする! 場を弁えた言動と態度を教育しなおしてやろうか!」
これにはカラムも毛を逆立てて叱りつけざるを得ず。
神聖な会議の場での狼藉。もともと固い性格をしていることもあって我慢の限界を迎えたようだ。
しかしナコはわざとらしく怖がりながら、こぶりなディアナへひしっとしがみついた。
「きゃんダーリンこわ~い! 年老いたコブつき狼が若くてぴちぴちした生娘の貞操を奪おうとしてくるんだけどぉ♪」
稜線によって幼子ていどの頭がほぼ埋まりきってしまう。
山なりになった7尾がわさわさ揺れて波のような音をご機嫌に奏でる。
しかし肉の間に捉えられたディアナはあくまで無垢。
「きむすめ? それと……てーそう、ってなんだい?」
あどけない年端のいかぬ純真そのもの。
穢れなき瞳は穢れているものを清められるか、否。ナコは垂涎とばかり唇をイタズラに歪ませる。
「うぇへっ、うぇへへへ……! そーいうところもダーリンってばマジ最強ぉ……!」
場が混雑してきた。オカマの次は色情魔の降臨である。
動物的な意味で言うなら狐より雌猫と称したほうが合っているだろう。それほどまでにナコは幼き頃に確約した許婚にゾッコンだった。
意中の彼は晴れて仙狐の許婚であり、王であった兄の跡を継ぐ。さらにはLクラスという名誉まで欲しいものとした。
2代目妖精王ディアナ・L・ルセーユ・シェバーハが玉座を手にする。兄ディクラ・L・ルセーユ・シェバーハの後釜として新たにピクシー国玉座へ就任した。
「雨降って地固まる、か。愚兄の犯した過ちを弟が背負って立つとは因果なものだ。はてさて子供の教育が子供にできるか見ものだな」
血色の眼が騒然とする方角をどこか満足そうに眺めていた。
ディアナとナコ。両名を祝福するようなヘルメリルだったが、唐突にフンと筋の通った鼻を吹く。
すでに愛らしいぬいぐるみを抱いた少女が、彼女の傍らに待機している。
「で、首尾はほうはどうだ?」
「んっ。セリーヌとモッフェカルティーヌの相性は抜群。だからもう手足も同然」
ゴシックロリータ調の服を身に帯びた彼女の名は、エリーゼ・コレット・ティール。元継ぎ接ぎの救済の導だった。
そしてもう片側にもひとり。盲目を意味する布で目を覆い隠し、上等な肢体を神聖な衣服で沿わせた魚族がいる。
「愛を歌うことに種族の壁はありませんし音を楽しむだけのこと。調律されたあの子たちはもう愛を紡ぐ伝道師と言えます」
こちらも元救済の導。酔狂なる愛の化身である。
アルティー・メル・ランディーは甘くとろけるような声で歌うみたいに応じた。
両名の報告を聞いたヘルメリルは僅かに頬を緩ませる。
「ご苦労であったな。モッフェカルティーヌの使用と仕様の解析、聖歌隊の募集と教育。どちらも首尾よく進んでいるようでなによりだ」
「はじめは大変だった。でもドワーフ族は私を受け入れてくれた。……嬉しかった」
「これは使命なのです。そして居場所を作ってくださった他の皆様へ捧ぐ僅かばかりの感謝の気持ち」
覆水盆に返らず。とはいえ腐っていて良いことなんてない。
それがたとえ大陸に死の蔓延を望んでいた救済の導の面々だとしても、見返すチャンスは如何様にもある。
「準備は入念にしておけよ。これも罪滅ぼしの一環として捉えておくがいいさ」
だからヘルメリルは、ふたりに駒としての役を与えた。
捨てた命と同数を救う。それが出来て初めて彼女たち救済の導だった者たちは贖罪のテーブルにつく権利を得る。
たとえ償いきれるとまではいかなくても、だ。やらぬより偽善のほうがマシなことは常識である。
するとエリーゼにも友の思いが届いたか。抱いたぬいぐるみの頭部が潰れるくらい力強く胸に押しつけた。
「わかってる、それにこっちも本気。こんな私を信じてくれたドワーフたちに恩を返す」
継ぎ接ぎだらけのワーキャットがモノクロ調のゴシックなドレスのなかで苦しそうにシワを作る。
そしてメルティーすらも返しに迷いなく。
「この身はすでに愛の奴隷です。あの報われぬ子たちのためならば自身の魂を捧げてでも成し遂げてみせましょう」
修道服に似つかわない薙刀を手に、軽く床を叩いた。
与えられた使命。ふたりの返事には成し遂げられるだけの意思が宿っている。
そしてどちらも、永遠を生きる種族たちとは違って、寿命を賜っていた。
そんなふたりを導くのは、女王であり、友。
「各自やれることだけを成してみせよ。己の分を弁え己のもっとも得意とする方法を用いて奮起しろ。なにせ未知を相手するのだから手札は多いに越したことはない」
意向、というよりただの気遣いだろう。
受けたふたりは無言のままコクリと小さく頷いてみせた。
ヘルメリルは自前の両房の下へ細い両腕を滑り込ませる。
「多くが巻き込まれた戦争で救えなかった命と救えた命がある。神へ魂を返還するという信仰をもった救済の導。そのお前たちが生き残れたのはなんらかの因果律が働いたと見るべきだろうよ」
くっく、という聞く者のによっては恐怖を覚える高圧的で押し殺すような笑み。
漆黒の魔装に覆われた肩が震え、腕に支えられた巨毬がたわんで弾む。
そして彼女はエルフ国女王でありながら、誰よりも優しい。
「せいぜい楽しんでみせろ。貴様らが生を謳歌する姿を、惑った救済の導どもが羨むほどに」
生きていることを喜べ、償いたいのなら償いの舞台はこちらが整えてやる。
どうせそんな感じだろう。
回りくどく言いつけたヘルメリルは、やや大きめに手を打ち鳴らす。
ゆっくりと2回ほど。乾いた音色が乾ききる前に会議室の全員が彼女のことを見据えていた。
「さあ小競り合いもほどほどにしておけ!」
すべてが整った。それも大陸創造史上最高の状態と豪語する者すらいるほどまでに。
ただ1人という新種族によとてもたらされた結束――ここに至れり。
ヒューム、エルフ、ドワーフ、複合、ピクシー、エーテル、そして龍。7種族が1つとなるとき世界は次なる階層へと進化を遂げる。
「クククッ! 今日の良き日に乾杯といこうではないか! 7種族すべての特性を集いに集わせ創造した超兵器がどこまで闇に通用するのか! この目でしかと見届けてやろう!」
椅子から立ち上がったヘルメリルは闇を抱えあげるように両腕を開く。
そして異世界種族の功績を信じ称えるのは、彼女だけではない。
この部屋にいる全員の誰ひとり余すことなく、示された覚悟の上に生かされているということを体現している。
新なる大陸の兵器が完成した。《840機構》とは、彼の者の名を称えるために種族が贈ったもの。
彼はそこに関与していない。ついに天使との約束を違えることはなかった。
だから生みだしたのはkレの救ったルスラウス世界の種族たちである。
「《840機構》によって生みだされた偉大なる《魔機》の力! 愚かしくも迫る異業種族へ見舞う時までもう僅かである!」
一瞬のうちに大渦の如き喝采が会議室を満たした。
「メリーってばいつになく張り切ってますねっ! でもその気持ちわかっちゃいますっ!」
大陸種族は生きている。つまり死んでいない。
息吹いている。ならば進むことに躊躇はない。
種族たちは結束する。7つの色がとりどりの音を重ねて次に繋ぐ。
「もうこの大陸は死に飽きたのよ……ドワーフだけじゃなくて世界中が、ね? なら……そろそろぉ――聖戦の準備にも入らなねぇといけねぇよなぁ?」
「ならば常勝目指すのみだドワーフの王よ。これからは道を違えず突き進む。さすればいずれ光明が我らを照らしてくれるはずだ」
「妾たち龍もその野望に加担させてもらうとしよう。まるで宝石箱のような世界と口にした龍のようにな」
そこからもう迷う者はいなかった。来る闇への備えを講じ、そして論じるのみ。
対応するは大陸中の戦士を集結させた、『イージス決死軍』。またの名を『盾の軍勢』である。
攻めるのではなく守るため。それは大陸に流れ込んだただ1人が世界を救った方法だった。
そして主の帰りを待つ空席が1つほどあった。
最後にその席に着いたのはミゼル・ファマナウ・ディールとして生きた神より賜りし宝物。
ただ1種族だけ未だ代表が決まっていない。ヒュームだけはそれだけの力を蓄えられていない。
会議が白熱しだして間もなく。
格式高い扉が何者かによって無礼に開け放たれる。
「か、会議中に失礼しますッ!! 天空の亀裂が資料通りの予兆を開始しましたッ!!」
終わらない世界がある。
終わってしまった蒼の世界とは別の、縁の世界。
繋がらぬはずだった世界と世界が今1つに結びつく。
「空に瞳が、ッ! ――空が割れようとしていますッ!!」
銀の三つ編みをした伝令が叫ぶ。
これははじまりの歌である。
きっと終わらない未来への――謳。
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