573話 そしてこのとっておきの宝物を 1
ようやく意識が覚醒をはじめる。
「…………」
純白で身体が沈み込むほどにふかふかのベッド。他人――?――の家なのに他人感のしないホテルに泊まったときのような朝の匂い。
そして日光が赤い瞼の裏を透かして、脳にむかって起きろという指令を送ってくる。
「っ、朝かぁ」
寝起きというものは不思議なことに2種類に分けられる。
うだうだするか、潔く上体を起こすか。前日の疲労によってその加減が発生するというもの。
だが今日はちょっとだけいつもの気だるさとはまた別のだるさがある。
なにせ明人は前日になかなかヒドイ思いをさせられた。
寝癖で頭部を爆発させながらも、天蓋付きのベッドの天板を無機質な目でぼんやり眺めた。
「……ヤバい。……昨日の飲み会の途中から記憶がない」
この場合記憶ないのではなく、ヤバい記憶のみあるという意味。
聖城に戻ったところまでは、まだ通常だったと記憶している。しかしその後が少々よろしくないことと相成った。
「はしゃぎすぎたかぁ……」
がっくりと目を覆う。
後悔先に立たずとはまさにこのことである。
あれからミルマに生きるという約束をさせて聖城に戻ったのだ。すると待ってましたと言わんげに各地の王族がわらわらと群がってくるわけである。しかも酒でベロベロに酔った阿呆どもが、だ。
そこからはもう語るに及ばず。恥という概念をアルコールに滅された酔っ払い共の祭りがはじまったというだけの話である。
他国の王たちも、側近も、大陸北西ピクシー国での長き遠征を終えたばかり。それも相まって若干ネジを外しぎみだったということもあってか、それはもう酔に酔われ酔に酔ったわけである。
そこからはもう宴会なわけだ。飲めや歌えや、踊れや飲めや。老若男女7種構わず肩を組んでへべれけに、聖なる城を大騒ぎの酒乱会場へ化かしたというだけなのだ。
なんてことはない。ただバカどもがバカなりにバカをやっていただけなのだから。
喧嘩にさえならなければ世は事もなしなのである。ただ楽しく飲み食いして酔いつぶれただけ。
「しょうがない起きるか」
明人は観念して上体を起こした。
すると唐突に朝日へ視界を奪われた。眉寄せ目を細め、瞳孔が正常に稼働しているとう幸せを網膜で感じとる。
朝の日差しが柔らかいと言ったのはどこの誰か。これほど充血した眼に優しくない日差しも珍しい。
「んっ……んんぅ……」
それと、どうやら1日を始めるにはまずやることがあるらしかった。
慣れている、というより慣らされている。失敗した朝はコレで3度目なのだから。
とりあえず明人は右横へ寝起きながらの全力を鋭く振り下ろす。
「フンッ!!」
「ん、ぁん――ふぎゅっ!?」
横ですやすや、と。マリンブルーの瞳を覗かせ気を照らう、不届き者へ罰を加える。
イカサマ臭く、まだ男でも女でもなさそうな若い面にむかって横一線。それはもう見事な手刀が直撃する。
「いだぁい……朝はもっと優しく揺り起こしてよぉ……」
不意打ちをもろに食らったスードラは目を押さえてむっくり起き上がった。
どうやら彼も寝起きらしい。その証拠に喉がいつもよりガラついている。
「オマエら龍族はなんだ? 朝になると布団から発生するのか? どうすれば湧きを潰せるのか後学のために教えてくれよ?」
明人はスードラを横目にじっとり湿っぽく睨んだ。
寝起きの眼光は普段より鋭い。
しかしあちらはなんのそのといった感じ。最強種族は伊達ではない。
「そんなこと言ってふにゅうくんってば嬉しいくせにぃ、このこのぉ。よっ、色男」
そしてその白く清らかな肌が窓から差し込む陽光を浴び、反射させていた。
ひとしきり明人をからかったスードラは寝起きに目をぐしぐしとこする。
「んむぅ? なんか肌ざむぃ……――ひあっ!?」
そして唐突に覚醒し、慌てだす。
ガバっ、と両手で。一切の衣類が身に着けられていない裸体を隠しだした。
パイロットスーツを着ている明人と違い、彼の上半身には布ひとつ着用していない。
細腕で隠しきれない微かな隙間から胸板と色素の薄い箇所がちらりと日光に晒されている。
「やだもー! また酔っ払ってる時に誰かが僕にヒドイことしたんだ! ヒドくてエッチなことをしたに違いないんだぁ!」
乙女の悲鳴が朝の個室に木霊した。
しかし彼はあくまで彼である。
スードラは少年であって、少女でもなければ両性ですらではない。
「……だからなんだよ。まさに今酷い目にあってるオレの身にもなってくれよ……」
男と同衾。これ以上最悪の朝があるだろうか。
否。どこぞの痴女龍が隣にいるときより――若干だが――明人は冷静でいられている。
それでもしかめっ面であることにかわりはない。平穏な寝起きとは程遠い光景が繰り広げられていた。
するとそんな反応が気に入らなかったのか。スードラは胸を隠し、隠し、不満そうに白桜色の唇を尖らせる。
「ヒドイってなにさぁ? ちょっとは得したとか思ってるんでしょ?」
「得じゃなくて毒だよ。正直な話毒でもないし。今くらい感情が動いてないっていうのも珍しいよ」
「目の毒ってこと? ほうらえっちだ、ふにゅうくんってばぁ……にししっ」
スードラは鬼の首をとったように、ニヤリ。小生意気な笑みである。
しかし今度は互いに上体を起こした体勢だ。明人は迷わず腰をぐぐ、と捻りを加え、水平チョップを見舞う。
「ぐぇっ――……きゅぅぅ~」
圧倒的な暴力によりなにかを絞るような汚い音が漏れでた。
喉に。フルスイングで。
さしもの龍とてこれには無傷というわけにもいくまい。つまり決着だった。
どうやら龍族でも急所は人と変わらぬらしい。海龍である少年は己の鱗と同色の顔色で純白のベッドへと沈む。
悪鬼を討伐した。明人は、凝り固まった身体に血を流すようにしてんんっ、と伸びをくれる。
「さて、いよいよだ。ユエラはミルマさんとディナヴィアさんやらを連れて旅行のやり直しって言ってたし。丁度いいかな」
気合を入れるため強めに頬を2度も張ってみた。
熱さに似た痛みがチリチリとして、鈍い四肢へ活力を巡らす。
両手が生えてて、両足も揃って、天気が良い。それだけあれば1日の始まりとしては上出来である。
なんのために龍族を外へ連れだしたのか。なんのためにミルマを助けたのか。それすべて言わずもがな、今日という日のためなのだ。
「すぅぅ……はぁぁ……」
明人はパイロットスーツに沿われた大柄な肩を上下させ、いつもの癖で体から緊張を追いだす。
やるべきことはずいぶん前から綿密かつ緻密に練り上げていた。あとは僅かな勇気と気力さえあればそれで事足りる……と思う、たぶん。
「よしっ! いよいよ今日こそ2人っきりで…………とぉ?」
起き上がろうとした矢先に事件が起こる。
同時に嫌な予感と嫌な悪寒を同時に発症する。
なぜならこのパターンは非常に、かつ異常によろしくないのだ。なにせこの状況は前に――しかも遠くない過去に――2回ほど経験したことなのだから。
感触は、大きな成人男性の手におさまるほどの大きさをしている。指が触れただけで沈む柔らかさ、それでいてやはり柔らかく、暖かい。
「……あんです?」
「……さ、さんみゃく」
明人の首がそちらをむくことを拒否した。
見れば、笑顔とはここまで凶暴なものになることがあるのだろうかと戸惑うほど。左で横たわっている天使が、般若面を装着している見えた。
白いワンピース越しでもあると伝わってくるツンと尖り気のある部位。薄いながらもきちんと女性的な部位が主張を張り巡らせている。
明人は、タストニアの胸部を鷲掴みにしている。なおかつ顔色を海龍の鱗を貼りつけたように変色させた。
「鷲掴みにして山脈ってのはどういう了見なんです? 言い訳くらいは い ち お う 聞いておいてやるです?」
タストニアの頭部が、ぎ、ぎぎ、ぎと軋みながら斜めに傾げられた。
「い、いやぁ……これっぽっちじゃあ山脈って言えるほどえっがぐねぇでしょ?」
「よしです。なに言ってるのかわかんねぇですけど、とりあえず罪は断たなきゃならないです」
目覚めるには十二分な刺激を受けた明人は、スードラを引いて部屋から飛びだした。
それもう脱兎の如く逃げる。微かに左手に残る甘き柔さを握りしめ、なるべく気配の多いところへと走りだす。
「エルエル助けくれェ!! 今のは完全にオレが悪いから謝るために間をとりもってくれ!! あとなんでタストニアが横で寝てるんだよおおお!!」
壮麗な聖城の朝に、天使と人間の鬼ごっこが始まった。
どうやら茨城弁は異世界で通じないらしい。
「待つでーす。逃亡すると罪がどんどん重くなるでーす。おとなしく首を差しだすでーす」
「どっちにしろ死罪だろソレ!? 3回までならOKです、とか昨日言ってなかったっけか!?」
僅かにタストニアの頬が赤らんでいるのは、両性ながらに胸を弄ばれた怒りか?
とにかく明人は――気絶したスードラを引きずりながら――、一心不乱に逃げの1手を選択する。
天使が弓のこを振りかざしながら滑空してくるのだ。朝の気だるさなんぞとうに感じる暇もなくなっていた。
「寝込みを襲う性根が気に食わねぇです。あと、アンタさんの横にこっちが寝てたんじゃないです。昨晩アンタさんが酔っ払ってこっちの部屋に押し入ってきたんです」
「そうだったんだ!? じゃあマジでごめん!? あとでお詫びするからオレにチャンスをくれないかな!?」
「んんー……ダメってことにしとくです。こっちだってただじゃねーですし、そっちにも対価を支払ってもらうです」
「なんでぇ!? っていうかそれ昨日オレがミルマさんに言ったやつのパクリじゃんか!?」
後学のために学ぶ。酒は飲んでも飲まれるな。
こうして人間は天使に追い回されながらルスラウス大陸の常識を少しずつ学んでいくのだった。
今日は特別な日である。
そのはずだったのだが、なかなかに白熱したスタートダッシュを決めることとなってしまった。
運命を閉ざされた操縦士として生まれ、兄として役目を果たした人間の出涸らしが、ここにいる。
どんな運命の悪戯があったのか。ルスラウス大陸なんていう過酷な異世界に飛ばされても、生きている。
これは生まれてはじめて挑む路。
必死に生きたために夢にも見なかった、生きこととは違った、別の路。
1人の男として奮起する日の話。暗雲立ちこめた幸先の悪い約束の朝である。
……………




