571話 そして龍と天使とバーベキュートゥナイトッ!! 3
黒に彫像を模した扉が棺の間へ現出する。
「ほどなくして聖城に賓客が揃うはずだ。あまり時間をかけるなよ」
うねるような深い闇の奥からひときわ肌の白い女性がフリルを揺らがし現れた。
「おい白銀の舞踊」
リリティアが「はい?」三つ編みを揺らして振り返る。
すると腕組みをしたヘルメリルは、――すでに――見下しがちな視線を彼女へ送っていた。
「なにがあったのかすべてを把握してはおらん。が、私の助力を要する事態か?」
なにやらへの字口で長耳のむきも伏せがち。どうやらエルフ国女王は事態を憂慮しているらしい。
それでもやはり血色の瞳は相手を選ばず高圧的に見下すのだ。
リリティアはしばし柔和な輪郭に白指を添えて思慮の姿勢をとる。
「いえ、大扉を用意してくれただけでも十分だと思いますよ?」
「ふむ。さようか」
たぶんですけど。リリティアの口ぶりはまるで他人事。無関係なヘルメリルのほうが気を揉んでいるまである。
それからカツカツと居丈高なヒールの音を奏でながらリリティアのほうへ距離を詰めていく。
「デュアルソウルが気落ちせぬ結末を迎えられる保証はあるのか。現状のデュアルソウルのしおらしさは同種として正味見てられん」
あのあと化粧室まで付き添った彼女だからこその問いだった。
本当であれば気落ちした彼女の隣にいたかったという文句も籠められているかもしれない。
ユエラは未だ友を死なせてしまったという責任を背負いつづけているのだとか。
「メリーはあの子が関わると親バカみたいな心配症になっちゃうんですね。でもきっと大丈夫ですよ」
対してリリティアはすんとすました表情で大丈夫だと言う。
心配の対象はただひとり。親代わりであり姉代わりであるふたりにとってユエラは娘のようなものだ。
白と黒が身を寄せ合い声を潜めて密談を交わす。
「私もこれからどうなるのか明人さんから聞かされてません。ユエラを元気にしてあげたい気持ちは私にだってもちろんあります。けど、私は邪龍がどうなろうと割りかしどうでもいい――というか興味がないんですよね」
「ずいぶんと薄情なことをぬかすではないか。いつからそれほど冷たいヤツに成り下がったというのだ」
「別に冷たくないですもん。私は、もしユエラが悲しむのなら慰めてあげると決めているだけです。つまり立場を弁えてるんです」
リリティアはむくれ気味に唇をちょんと尖らせた。
それから懐いた猫のように彼女のほうへ。丸い餅のような頬をぐいぐい押しつけ、擦りつける。
いっぽうでヘルメリルは蚊を払うような動きをしながらも、押しつけられる柔らかな感触から逃げもしない。
「とことん他の龍との関係を築きたがらんヤツだな。大陸の端っこに居を構えるボッチ龍めが」
「ボッチじゃないですー。今は明人さんとユエラがいますー。円満なご家庭を築けてますー」
リリティアが子供っぽい言い分を返す。
対してヘルメリルは迷惑そうに細眉を寄せて低く喉を唸らせる。
「この際、軟弱な考えを捨てて因縁にケリをつけてはどうだ。大陸も平和になって安定しつつある。誘いの森をでて融和の光を浴びてみるのも手だぞ」
「いえいえ、私は特定の龍から距離を置いているだけです。信頼できる龍とは仲良くする気満々ですよ」
「……つまりアレは信用に欠く龍ということか?」
ふたりは同時にそちらを見た。
そちらには品あるパーティドレスを召した女性が1匹。感情の読みづらい表情で佇んでいる。
「…………」
ミルマは床や棺を交互に眺めてはうつむいたまま。
顔を上げたと思えば胸元を押さえるようにしてため息を零す。泣き黒子が涙の滲みのよう。見るに耐えぬほど切ない横顔をしている。
どうやら早々にこの場を離れたいようだ。連れてきた当人の背を時折ちらりちらりと覗いているようだった。
「今のところは、ですね。現状の関係性でアレを信用しろというほうが難しいです」
「それに関しては口だしするつもりはない。貴様も苦しめられたうちの1匹だろうしな」
決して直接は口にしない。だがヘルメリルにとってリリティアもまた庇護対象なのだ。
だからユエラを心配しつつ、リリティアにも同時に世話を焼く。今宵、語らずたる女王が饒舌なのもそのせい。
ふたりは、ミルマから目を戻す。そして再び頬を押しつけ合うような近い距離で密談を再開した。
「しかし……母の愛とは難儀なものだな。愛の強さ深さゆえに国すら脅かすとは信じがたいものよな」
「彼女がこれを機にどのようにして変化するかのほうが重要です。私だけならず他龍との円滑な関係を築くことが可能か否かを査定するべきです。このままアレを自由にのさばらせておくのはあまりに危険なんです」
「いちおうはそのへんにも気を使っていたとはな、思慮深くなったことだ。まあ突如斬りかからんだけでも成長と見ておいてやろう」
「ですので少々見物していてください。たぶんですけど、そう悪いことにはならないはずですから」
リリティアがくっつけた頬を離しがてらにチャーミングなウィンクを送る。
するとヘルメリルはやれやれと肩を竦ませる。
「であるならば吉報を待たせてもらうとしよう。そしてその後これからの会議をしようではないか。こちらの準備はとうに整っているのだからな」
そうやってフン、と高い鼻と尖った耳を上にむけた。
そして残されたのは天使と龍と、それから混血と人間である。
「ちょっとこっちに集まってもらえるかな。色々とはっきりさせておかないといけないことが多いんだ」
静かになったことと機が熟したことを気配で読む。
「出来れば深く関わりすぎている連中の耳がないうちに済ませたい」
意味深な呟きを残し薄汚れたスニーカーが飄々と先頭を踏んだ。
颯爽と遠のく肩幅の広い背。異質な空気でも感じたかヘルメリルとリリティアが首を横にひねって瞳を見合わす。
「……フンッ」
なんのこれしきとばかり。ヘルメリルのヒールがコツコツと明人の後を追う。
その後にはミルマが不安さを隠さぬ様子でつづく。その後にも腰に剣を履いたままのリリティアが目を光らせ、そして天使が2匹ほど。薄い暗闇の4つ壁に靴裏を落とす音がこつり、こつり、反響した。
一党は、部屋中いっぱいに並ぶ棺の合間を縫うように避けながら注意して進む。
これだけ石棺が揃えばもう墓所と呼んで差し支えない。それも天に還らぬ魂たちの墓場、あるいは安置所。無機質でひやりとする空気感が異質さを際立たせ物語っていた。
「みんなここで止まってくれ」
そして明人は蓋のされた棺の前で脚を止めた。
彼の目前にあるのは他の棺とは別のもの。埃を被った木机の上にはちょうど1人が入れそうな木の棺が置かれている。
周囲の苔が生すほど歴史を追うものと異なる点はとにかく新しいということ。そして長方形であるという点もどこぞの国の、それもどこぞが崇拝する宗教の棺だった。
「……それは?」
「お棺だよ。遺体を入れて葬るためのいわば三途の川を渡す木製の船ってやつだ」
明人がせつめいしているさなかにも、どうやらミルマはなにかしら思うところがあるのか。
訝しむような素振りで周囲を眺めては情報を探っていく。
「何故わざわざ棺を木製にする?」
ヘルメリルはむむっ、と眉間にうんとシワを寄せ眉尻を吊り上げる。
「どうせ貴様がこしらえたものだろう。だが、埋葬するならば石棺でなくば腐ってしまうではないか」
木製の棺に納得がいかぬといった感情が――ありありと――明け透けなまでに見てとれた。
効率的ではないあるいは冒涜的ととらえたか。ルスラウス大陸の基準で言うならば7種族すべてが同様の否定を口にしたことだろう。
ヘルメリルの不快感は決して間違えではない。埋葬するのであれば木はいずれ腐ってしまう。埋葬された仏が土に侵食され汚されてしまう。
「あっ! 確か明人さんの故郷では遺体を浄化するために火葬という方法を用いるんでしたね!」
リリティアはぽんと白い手を打った。
「その通りだよ。これはあくまでお棺であって埋葬用の棺じゃない」
「火葬……だと? 遺体を……燃やすのか?」
明人が肯定してなおもヘルメリルは酸っぱそうに眉を寄せたまま棺を眺める。
これが文化の差というものだろう。宗教によって供養の方法は異なるのはどこも同じということ。
そしてこの場にて理解を求めるのかは、また別の話であった。なにせしばらく様子を探っていたミルマがようやく口を開こうとしている。
「ここは……」
「そう。このお棺の置かれている位置こそ旦那が龍玉の化身に呑まれていた場所だよ」
「しかも……」
「ミルマさんが化身に呑まれかかっていたのがちょうどその立っている位置になるってわけだ」
明人は先回りして対応する。
ミルマの言動を予測して問われる前に答えてしまう。
「……ッ」
するとミルマは癇にでも障ったか。
意気揚々とした明人のほうをキッ、と睨む。
「死の状況を再現しアタクシたちに嫌がらせでもお企みになっているということですか」
「まだ空っぽのアタシたちからなにかを奪う……! もう肉体すら捨てたアタシたちからも……!」
彼女たち双頭の反感を買うには満点のシチュエーションだろう。己、そして愛する者の死が、この場に再現されてあるのだから。
その証拠に先ほどまで生気の抜けていたミルマの瞳に、僅かながらの活力が芽生えはじめていた。
ミルマの瞳が紅へと変わるのを見て、迷うことなくリリティアは腰に履いた剣に手を添える。
「実力の差は歴然。龍玉なき身では私の敵ですらないと知っているはずです」
剣身が僅かに鞘から覗く。しかもいつでも首を刎ねる事が可能な間合いだった。
リリティアの剣は種の姿をとった龍を容易にねじ伏せられるほどの実力である。それはミルマだって重々承知の上のはず。
龍玉の力を得てなお叶わなかった強者が隣で牙を剥こうとしている。
当然ミルマは睨み合うことすらしなかった。
大きな吐息を吐いて紅がかった瞳の色を元に戻す。己の分を弁え自らの戦意を削ぐ。
「……。それでアナタはアタクシたちになにを命ずるというのです」
「たとえ霊魂であれど雑用雑務の類ならこなせる。無論そちらが望むのであれば夜伽での奉仕も自由」
そう言ってミルマは両手を開く。
身体を開くことで無抵抗という意思を示すのだ。
魅力ある女性の魅力ある誘い。だからといって鼻の下を伸ばすわけにはいかない。なによりリリティアの目が怖い。
「ここがアンタにとってのゴールだ。そしてスタート足り得る場所になるはず」
明人はやれやれと肩をすくめながらうんざり顔で棺をノックする。
出来たてだからか木材特有の香がむんと香って鼻腔をくすぐった。
当前これは手製である。木板で長方形を作ることなんて農具をこしらえるよりも容易だった。
「ゴール? ずいぶんと怪奇なことをおっしゃるのですね」
「すでにこの身は終焉を迎えているの。もうここには肉体も、魂ですら残されていない。そんな儚き龍になにを求む」
ミルマが反撃とばかりに自虐をくれるも、こちらは聞く耳をもたず。
なにせ前もって伝えてある。オマエの生死はどうでもいい、と。
整列する面々にぐるりと黒い瞳が巡る。黒の中心には白々しいほどの蒼が宿されている。
「迷子になって道を間違えた龍に新しい道を示してやる。そして終わりなき旅に幸福な結末の楔を打とう」
明人は波長を乱さずにそう言って、台に置かれた棺の蓋をそっと開放した。
赤い絨毯の上へ軽く湿り気の多い板を寝かせる。それから手招くと、ミルマは露骨に不審そうな表情を作った。
「と、おっしゃっておられるのですが……よろしくて?」
見張り役のリリティアへ様子を伺い立てる。
するとひしめくほどの警戒が解かれ、「冗談ですよ」とすんなり剣に添える手が外れた。
「殺気を感じた瞬間で私はアナタを斬ることが可能です。アナタが明人さんの優しさに助長せぬよう警告していただけに過ぎません」
「そう、ならば白龍のご厚意に甘えさせていただくとしましょう」
互いに戦闘の意思がないという確認がとれる。
ミルマは尾をゆるく揺らがしながら明人の待つほうへ、むかう。
「……いまさらなにを見せようというのでしょう?」
「素敵なものさ。いわば天使からの贈り物ってやつだよ」
少しづつ、少しづつ階段を登る。
紫陽花色をした長尺のスカートを膝で持ち上げるようにしながら1歩、1歩を。
上へ、上へ登っていく。
3段ほどの階段である。上に位置するのは玉座と、聳えるは混淆の祠へとつづく巨大な異界への門だ。
その棺は、彼女の到着を待ちつづけていた。
霊となった彼女が訪れる日をずっと待っていたかのように、そこにあった。
そしてそれこそが明人が天使に頼んで――半ば命令して手に入れた――手向けの花束である。
(区切りなし)




