561話 【自然女王VS.】届かぬ声 双頭のミルマ・ジュリナ・ハルクレート
2匹の大山が衝突する。
「RORORORORORO!!」
かたや巨大な翼の龍だ。
龍であるのだから重量級であることは言わずもがな。その身だけでも町如き容易に滅ぼせる実力を秘めている。
空想上の絵巻に描かれる龍が空想であることを思い知らされよう。真の覇者は種の思い描くソレを遥かに凌駕し狂瀾怒濤を模倣している。
「VERGOOOOOOOOOOOO!!」
相対するのもまた龍であった。
岩壁と見紛う巨大だ。翼をもった4足歩行で正当な龍よりも蜥蜴に形は近いか。
鱗の1枚1枚が棘であるかのよう。しかしその実、すべてが頑強なる岩で構成された自然の鎧である。
「ROROROROROOOOO!!」
「VEROOOOOOOOOOO!!」
再度、激突する。
咆哮とともに巨躯と巨躯が、もう幾度目かの組み合いを再開する。
2匹がぶつかり合うたび衝撃が波動のように広がった。心象風景である白と黒の画廊が丸ごと揺ぐ。2匹ともに形態を移行して己の力を誇示し、せめぎ合う。
先に手をだしたのがどちらかという問題ではない。岩龍タグマフも、飛龍にも、たとえ同種であれども、戦うべき理由が存在していた。
「なんでみんなアタクシのことをいじめるの! どうして誰も手を差し伸べてくれようとしないの!」
原因となっているのは追突し合う龍同士と比べれば豆粒ほどだ。
組み合う2匹を背景に絹を裂くような悲鳴がキンキンと響き渡る。
「救ってくれない友だちなんてもういらない! いらないいらないいらない!」
ミルマは髪を乱しながら幼き少女のように叫ぶ。
己の麗しい肌を両手で抱きながら悲痛めいた大粒な涙を零す。
「アタクシはアタクシを認めてくれる子と一緒にいたかっただけ! それなのに誰もアタクシと心で繋がろうとしてくれなかった! もう飛龍だけがアタクシのことを受け入れてくれた最初で最後のお友だちなのよ!」
もはや感情に秩序はない。狂乱の渦中で悲劇を訴えるのみ。
どれほど1つの心が壊れかかっても、2つの首が表面に浮かぶことはない。すべてを失った母が落ちたのは、孤独の井戸の底なのだ。
井戸の底は冷水に満たされ、彼女を冷やし、心を凍らせた。這いでる力すらもう残されていないのかもしれない。
しかしそれではツマラナイ。甲斐がない。救いがなさすぎるではないか。
心なる音が泣きじゃくるミルマへがなりたてる。
『ザッケンなテメェよぉ! 誰もオメェのことを拒絶なんてしてねぇ! オメェが勝手にオレっちらから距離をとってただけだろうがァ!』
タグマフは殴ることにむいていない平たい前足で飛龍の頬面を蹴りつけた。
長首がぐぉんと鞭のようにしなって衝撃を逃がす。それでも勢いを殺しきれず、飛龍は覚束ぬ足を翼の浮力で立て直す。
「ROROROROOOOOOOOOOO!!」
よくもやったなコノヤロウ。
そうとでも叫ばんばかりに飛龍は息荒く喉を唸らせた。
今度は逆に仕返しの拳をタグマフへ叩き込む。
「ッ、VEEEERAAAAAAAAAA!!」
頑強なる岩の鱗は龍の拳を容易に跳ね除けてしまう。
隆起する岩の奥は厚い肉となっているのか。それが緩衝材代わりになって衝撃を打ち消す。
龍と龍。すなわち最強と最強。どちらの攻撃が直撃したとして決定打にならない、平行線を辿るのみ。
『オレっちと違ってアイツラはオメェを許してやってたじゃねぇか! にも関わらずオメェはこっちを見ようともしやがらねぇ!』
「嘘よッ!! だってアタクシたちは毎日あんなに怯えていたもの! みんなの冷めた視線にずっと! いつ復讐されるか怯えて震えて日が昇るのを待っていたんだから!」
ミルマは負けじとドレスフリルを乱れさせながらタグマフへ反抗した。
ここで語られるアタクシというのは、おそらく眠りについてしまった双頭――ミルマ自身の心だろう。
ならば復讐に怯えて見えたのは、浮上した第3の首から見た彼女たちということになる。
『それがオメェの勘違いだって言ってんだろうがァ! 勝手に怯えて勝手に震えて面倒くせえ女だぜ!』
「嘘つき嘘つき嘘つきィ!! そんなことは絶対にありえないのよォ!! 誰もアタクシを救ってなんてくれなかったんだから!!」
両者の言い分、果たしてどうだろうか。
極論ではある。が、どちらかの言い分に不備があることだけは間違いないだろう。少なくともここにいる第3者にとっては判別がつくものではない。
だからただ「…………」長耳を揺らして沈黙を答えとする。友の本当の声を胸の奥に響かせるだけ。
「もうどこかいってしまえ! このアタクシの世界から! それも遠く! 声も聞こえないほど遠く! 視界の隅にすら映らないほどにどこか彼方へ!」
すると友は両耳を塞いですべてを拒絶する。
首を激しく横に振り、ゆるく波打つ紫煙の髪を振り乱した。
「飛龍!」
「RGOOOOOOOOOOOOOO!!!」
「もうアタクシにはアナタだけなの! だからもうアタクシはアナタしかいらない! なにかに縋り求めることをオシマイよ!」
妻からの訴えに呼応するよう、飛龍の翼がバサリと開かれた。
発狂した彼女に、説得の声は、もう届いていない。
聞こえているが心を震わせるには至らないのだ。もう幾度目の孤独に蝕まれた感情は、それほどまでに凍ってしまっている。
そして飛龍は己の身ほどもある翼を奮ってタグマフを風と翼力で煽る。
『――チィッ!?』
風の力に押し負けていく。
岩の巨体の前足が地面からふわりと離れたのだ。
そのままタグマフは亀が裏返るように容易くひっくり返されてしまう。
「ROROROOOOOO!!」
その隙を敵が見逃すわけがない。
飛龍は裏返ったタグマフの上にのしかかって動きを封じにかかる。
『このっ、むさ苦しい男がオレっちに触ってんじゃねぇ!』
岩の鱗が大理石によく似たパステル模様の床を削った。
もがけどもがけど上から覆いかぶさられてしまっているため、なかなか起き上がれず。その間にも飛龍は容赦のない拳をタグマフの腹部目掛けて撃ちこんでいく。
岩と言えど龍の膂力に撃たれつづければ徐々に薄くなっていった。しだいに衝撃を殺しきれなくなってタグマフの鱗の隙間からとぷりと鮮血が溢れだす。
風色が変わった。瞼奥に閉まった新緑の瞳と琥珀色の瞳が、開眼する。
「《デュアル・グリーンローズウィップ》」
白椿の如き開かれた手が打たれて命を呼ぶ。
ミルマの心象世界に生を司る魔力の緑が介入をはじめる。
命の生まれるはずがない平たい石床から、無数の蔦が生え伸びる。
絡み合う蔦と蔦。絢爛と咲き誇る赤き花弁の数々。白と黒のみが許された空間に美しくも鮮血に似た彩りが加わっていった。
「RORORO! ッ、OOOO!?」
三つ編みの如く編まれた薔薇の腕は飛龍の巨体を覆い尽くしてしまう。
そしてそのまま棘の牢獄へ。編まれた蔦の柱のなかからくぐもった雄叫びが聞こえてくるのみとなった。
タグマフは、すかさず種の姿に形態を移行する。
「すまねぇユエラっち! だせーとこ見せちまったぜ!」
あんがとよ! 礼を言いつつも膝をついて痛みを堪えるよう目端がすぼまっていた。
集中した攻撃をされたからか衣服の腹部分が丸く削げてしまっている。龍の鱗と衣服の鱗が同じ役目を果たしているのだろう。
手で抑えられたナチュラルスキンの肌も薄く赤く腫れてしまっていた。
ユエラはタグマフが軽症であることを目視で確認する。
「……っ」
彩色異なる瞳は薔薇の廊から抜けだす影を見落とさない。
飛龍もまた龍の姿では脱出出来ぬと踏んだのか、棘で肌を削りながら捨て鉢に這いだしてくる。
安心もつかの間だった。あのていどの魔法で龍を捕縛できるほど世の中は甘くないということ。
そして巨漢は狙いを変えて地を蹴った。それだけで龍という種族は滑空飛行を始めてしまう。恵まれた身体能力である。
むかうさきは1咆哮のみ、支援役を先に潰す。
それは戦いにおいて常套手段というものだろう。たとえ理性や感情がなくてもきっと本能的に攻略法を理解しているのだ。
「そうはさせるかよォ!」
察知したタグマフが即座に妨害する。
疾風の如く急速に間合いを詰める飛龍へと、横から容赦のない蹴りを見舞った。
男は脇腹に刺さったタグマフの足をじろりと睨む。口の端からつぅ、と血の筋が伝い落ちる。
「――チッ! 痛覚すらもねぇってか! 死体は死体らしく寝てろっつーの!」
タグマフは男の繰りだした裏打ち寸でのところでしゃがみ、躱す。
そこから長身痩躯のタグマフと筋骨隆々な飛龍は、殴り合いに発展した。
龍と龍による生身での近接格闘戦である。別種族同士の喧嘩とは比べ物にならぬ、桁違いの剛力と剛速の激しい応酬だった。
男と男の殴り合いを挟んでユエラはミルマへ静かに問う。
「ねえ……まだでてこないつもり? 男の影に隠れるだけじゃなくて自分の心とさえ対話をしないのね?」
熱い戦いの反面、その声は清流の如く清らかだった。
そして問いかけた先は心のなかの真のミルマである。
「なにを呼びかけてももう無駄だと言っているでしょう! それにあの子たちをアナタたちに合わせるものですか! そして安寧のうちに新世界を迎えるだけよ!」
しかし答えるのは偽物だ。
せっかく新たにめかしこんだ紫陽花色のドレスは、とうに錯乱で乱れてしまっている。
麗しき白い肌、呼気に上下する濡れた肩、スリットを越えて晒される筋肉とは別の肉をふんだんにつけた艶めかしい太もも。
それでも着衣を正そうとすらせず。淫らさをそのままに、ミルマは前髪を手で掻き上げながら紅の瞳を光らせた。
「そう。そう……なのね。これだけ語りかけてもアナタの耳には……まだ、聞こえないのね」
「アナタの話なんて聞く必要がないのよ! あの子たちを裏切った裏切り者に耳を貸すはずがないじゃない!」
「…………」
ユエラは変わり果ててなお美しい友を尊ぶ。
同じ顔、同じ声。友に侮蔑され胸の奥がぎゅうう、と締めつけられる思いだった。
それでも彼女から2色の瞳が逸らされることはない。なにせここで見捨てたら――……もうミルマさんを救えなくなってしまうもの。
――……こんなのって残酷すぎる。
瞳の奥がじわりと痛んだ気がした。
しかしここで涙を流す資格はないと、己を奮起させて浮いた熱を引っ込める。
――私は……アナタは本当にもう諦めちゃったの? もし諦めてないのならお願い……もう1度だけでいいから起きて……。
ミルマの心を呼び戻す方法は、2つあった。
1つは友としての優しい手段。こうして諦めず訴えかけ、世界にもう敵はいないと時間をかけながら説得する方法である。
もう1つは、大切だからこそユエラを戸惑わせる残酷な方法だった。残酷な手段をとれば冷えて固まった心を救うどころか破壊しかねなかった。
打ちひしがれる思いで衣囊に隠した小瓶を握り、奥歯を強く噛む。
「……これ以上アナタを苦しめたくないだけなのにっ!」
この身はなんて無力なのだろうか。友ひとりとして救えないとは。
――共有する記録が少なすぎる……! せめてもっとずっと一緒にいられたら救えたはず……!
ユエラは、ミルマに笑うという処置を施そうとした。
聖都を巡り、心を重ね、微笑みを交じ合わせるだけでよかったのだ。
それこそが心を病んだミルマにとっての特効薬だったから。
「もっと……もっと早く出会えてたら……違ったのに、っ!」
堪えきれぬ悲しみが頬を伝う。
それは我儘だと理解していても、渇望してしまう。同居人が命を賭してくれねばこうして時を共有することすら不可能だったのだから。
混血エルフと双頭龍の物語が、巡り合わぬはずの種と種が、こうして生きて出会えたこと自体奇跡なのである。それ以上を望むのは傲慢が過ぎてしまう。
「――ッ、テ、メェ! こっちが黙ってりゃあなにも話しもしねぇしヒスりやがるだけかよ!」
しかしここにはもう1匹いる。
よりミルマという龍を、しかも生まれながらにして巡り合った1匹の龍がいる。
「オメェがオレっちを育てたんじゃねぇのかよォ!?」
飛龍と拳闘するタグマフが、動いた。
地面を蹴りつけ、飛びながら大きく後退する。そして後退から即座に飛龍へむかって突っ込んでいく。さらに繋ぐ、真っ直ぐ飛龍へと飛びかかる。
「オレっちだけじゃねぇ! オメェに育てられたヤツラなんてのはクレーターにはゴロゴロいやがんだ!」
廻る。飛龍の太い首周りを全身を使ってぐるん、ぐるん、と回りだす。
技と呼んでよいのだろうか。その行動は非常に奇っ怪、異常でしかない。
回りだしてちょうど2周半のところ。飛龍の後頭部らへんまで回りかけたところで、タグマフの両足がある部分をハサミのように固定する。
「なら少なくともオメェはオレっちらの母ちゃんってやつだろうが! ガキの声すら聞かねぇで、聞こえもしねぇ声に震えてビビってんじゃねぇぞ!」
そしてタグマフは飛龍の巨体を引っこ抜いた。
飛龍の頭を後ろから両足で挟み、回転の勢いを乗せて、硬いモノクロの地面へと頭頂部から落下させる。
「オレっちの声……聞こえてねぇのか? おいこら……母ちゃんよぉ?」
タグマフがゆっくりと細足で立ち上がる。
痙攣しながら横たわる巨漢を残し、1歩1歩ミルマの元へ歩を進めていく。
「生贄にするためかもしれねぇけど何10匹の龍を、オレっちらを、オメェが母ちゃんとして育てたんじゃねぇか。そんな母ちゃんを許すやつがいてなにがオカシイってんだ」
首をほぼ真横に傾げ「テメェの声で言ってみろよ?」紅の瞳で問いを投げた。




