552話 【VS.】混淆の監獄 時の女神の迷宮
夜な夜なの出来事である。
もはや不快とも思わぬ、記憶の欠片。まだ世のなかや常識が物語のように綺羅びやかだと勘違いしていたころの記憶だった。
人はいずれ英雄にだって英傑にだってなれると信じていた幼きころの一幕。
『貴様らは特別でもなんでもない! 使えるからといって自分が優れていると勘違いをするなよ!』
肥え太った男が、集められた資格者たちへ、唾を撒く。
小汚い男だった。そのくせこうして大人であるという理由のみで、えばり散らすのだ。
胸には幾らか功績が飾られている。どうせ皆勤賞やら努力賞やら、これといって才を称えるものではないのだろう。年功序列、エスカレーター式というやつ。
それなのに男は己の誇りのように飾っている。己が影で笑いものにされていると自覚がないのも幸せだ。
『貴様らが唯一役に立つのは死ぬことだ! だから死んでいるものと同義であり死体に自由は許されない! これからは我々の言葉のみに従い、そして朽ちろ!』
セリフの端々で教壇の如き机を叩く。
集められているのは年端も行かぬ少年少女だけ。使えてしまう資格者たち。
そして廃校の1室で使えぬ人間が教鞭をとる。
『聞いているのか!? なんどもなんども同じことを言わせるな!?』
癇癪のようにまた叩く。それも最前列の子供の頬を平手で打った。
か弱き者の前くらいでしか己を誇示できぬのであろう。自分の立場は変わらないが、自分より低い位置にあるモノを見下すことが得意。弱さの象徴みたいなもの。
普段は大人しいが車に乗っていると気性が荒くなる連中と同じ。車両という便利かつ殺しに利用できる武器を手に入れて自分が強くなったと勘違いしてしまうのだ。人としての格が弱ければ弱いほど、その兆候が顕著に現れる。
『我々の手足となれ! 口答えはするな! 貴様らはすでに操縦士なのだからなァ!』
なんど聞かされたことか。男は口癖のように同じことを繰り返す。
昨日言ったということも忘れているのかもしれない。あるいは脳が貧困なのだ。
だか、子供たちは言い返すことや逆らうことをとうの浮かしに諦めていた。いつ頃かと聞かれれば母体のなかにいた頃とだけ言っておこう。右へ左へ受け流し暴力の的にならぬよう耐え忍ぶことを生まれながらに死して覚えている。
さきほど殴られてしまった彼は運が悪かった。口内が切れて食事のときにしかめっ面をしないのなら幸運だ。
しかし椅子から転げ落ちた少年はなかなか立ち上がらず。どうやら本日は虫の居所が悪いらしい。
『――ッ、な、なんだその目はァ!? ゴミである貴様に楯突く権利はないぞ!? なんとか言ったらどうだゴミがぁ!?』
男は露骨にたじろぎつつ、罵声を飛ばすだけ。
子供相手だというのに立ち向かうことすら出来ない。一方的に蔑むことに慣れているクセにだ。
すると少年は倒れた椅子を起こし、どっかと尻落とす。
『‥‥いえ、なにも?』
頬が赤く腫れ口端から血が滴るも、決してへつらいはしない。眼だけは死してなお生命力にあふれている。
それが資格を手にした彼にとって最後の欠片である。みじめに生きて、ちょっとだけ残った己の意思なのだ。
『使い捨てのティッシュペーパー以下の貴様らをこれからも教育しつづけてやる! だから貴様らは我々に感謝して死ね! 貴様らを育ててやっている我々に貴様らは感謝し媚びへつらうべきなのだからなァ!』
必死そうな形相を残して男はたちどころに去っていく。
この教室のなかで与えられた立場を求めたものはいない。ただ使えてしまっただけ。
しかしこうやって食う、働く、寝る、殴られる生活を繰り返していくうちにそれが当たり前だと思い込まされていくのだ。
『馬鹿野郎。無駄な労力を使うんじゃねぇよ。あんなヤツに血の1滴でもくれてやるな』
『今日のオジちゃん指人形劇場はいつもより白熱してたさなぁ。必死の形相で怒鳴ってっから笑いこらえんの大変だったべや。くくくっ、いい歳こいてバッカみてぇ』
2人の少年が揃って殴られた少年の肩へ手を置いた。
どうやら本日のお勤めは以上らしい。
そろそろ起きるべき時間のようだ。
‥‥‥‥‥
「…………っ」
夢から覚めると、とても不思議な光景が視界に広がった。
波打つようにして光が屈折し、覚醒しきっていない目の奥のほうをチクチクと刺してくる。かなり眩しい。
まるで水のなかで仰向けになっているかのような。そんなまだ夢のなかにいるのかと思うが如き光景が広がっていた。
「よーやく起きたですか。吹っ飛ばされただけで気絶するとかある意味才能ってやつです」
揺らぐ水面の向こう側になにかがいる。
それもおそらくひょっこりとこちらを覗き込んでいるらしいのだ。逆しまの顔。
表情はニヤニヤとはまた違った感じ。整った顔立ちだが整いすぎているというか、まるで仮面のような笑みが1枚貼りついているかのよう。
頭の位置が高く、柔らかいなにかの上に乗っているらしい。寝心地は快適そのもの。どうやらタストニアに膝枕をされているらしかった。
明人はとりあえず「……おはよ」挨拶をしておくことにした。
「おはようです。っていうか挨拶とかしてる場合じゃねーです」
律儀な返しの挨拶を聞き流し、仰向けの姿勢のまま5体満足であることを確認する。
「ここは……?」
「とりま、あれやこれやを聞く前に自分で状況を把握をしておけです。あんまし良い状況とはいえねーですが」
「……了解」
天使に促されて起き上がると、ざぶり。水音がする。それから髪先からひたひたと水滴が零れ落ちた。
どうやら水面の向こう側にいたのはあちらではなくこちらのほうだったらしい。明人は顔についた透明で感触のない液体を豪快に手で拭う。
拭い終わって目を開けてみる。
「これは……聖水か」
言ってみて、ぞくりと嫌な予感がした。
恐る恐る周囲の状況を確認してみれば、なるほどどうして、大当たりだ。
こういうときの予感はたいてい大当たりするもの決まっていた。
「それが聖水って知ってるんなら1度はきたことがあるってことですね、なら話ははえーです。さてさてこの状況どうやって打開したもんですかね」
タストニアはおざなりな感じで明人へ、そう伝えた。
小さな肩をすくませうんざり気味に首を横に振る。
「オレはどれくらい寝てたんだい?」
「5分くらいです」
「で、この悍ましい場所は混淆の祠だと?」
「正解です」
短なやりとりで十分だった。
タストニアの表情は硬い笑顔のまま。表情筋が固まっているのかピクリとも変わらない。
よくよく見れば地肌を透かすほど薄手の白衣は肩部分が血塗れている。どうやら傷は塞がっているようだが、血の赤というのは男にとって戦々恐々たるものだ。
明人は目逸らしついでに顎をしゃくりながら改めて周囲観察をはじめる。
「ここがあの混淆の祠とはねぇ。ずいぶんド派手なリフォームをしたもんだよ」
「改築ってーか改悪です。いちおう天界でも絶景とされる観光スポットだったです」
赤い空、赤い水面。ざっと見た限り禍々という言葉がとても良く似合う。
空から降り注ぐ光を黒い霧を透かしているせいか、夕日よりも幾分濃い目のオレンジ、または紫色をしていた。
明人の記憶とは比べ物にならぬほど混淆の祠は穢れている。
本来ならば聖水によって上下を対象に映す鏡面の如き美しい風景が広がっていたはず。なのに今は美しさや神々しさよりも毒々しい印象のほうが強い。
その延々とつづく一面の水面のなかにぽつんと1つほど、よろしくなさそうなものがたたずんでいた。
明人は苦笑気味にそれ指差し、横に佇むタストニアへ尋ねた。
「で、あの……あれはなんだい?」
「神具です」
まるであらかじめそう答えようとしていたかような模範解答である。
だからといってソレが明人に通じるかは「……は?」また別の話だ。
「だから神具です。時の牢獄です。それ以上でも以下でもねーです」
けんもほろろにタストニアは手にした弓のこをびょうと振って風を刈った。
あまりに説明がなさすぎる。これには明人も「神具と言われてもねぇ……」酸っぱい感じで眉をしかめるしかない。
『OHMA!! OHMAAA! OHMAOHMAAAAAEE!!』
あれをなんと称すべきか。少なくとも明人の人生で出会いたいと願うような代物ではない。
しかし知らないわけではないのだ。あの猛り狂いつつ黒煙をもうもうと吐く存在を。
『OHMA!! OHMAAAAAAAAAAAA!! EEEEE!!』
脳を揺らがすが如き重低音が聖水の水面を撫でるように渡り響く。
珊瑚のように分岐した複数が連なる巨大な2足。それで足元の透明な水を掻き混ぜるように踏み散らす。
化け物は全体的に見れば丸い体をしているのだが、そうではない。攻撃的形状とでも言うべきか。石灰化したような白い表面がゴツゴツと刺立っている。
亡者の如く低い叫びを繰り返しながら空へ黒く濁った煙を延々と吐く。
『OHMAAAAEE! OHMAEEE! OHMAAAAA!』
なんという醜悪さか。見た目のみならず声まで汚らしい。
明人は、その醜悪な声と姿にわけも分からず、「……うわぁ」より一層眉をしかめるのだった。
そうやって嫌がっていると、化け物のいる方角からこ細身の影がこちらへむかってきている。
「おや? お目覚めですか。ずいぶんとお早い起床でなによりです」
レィガリアだった。
紳士的で格式張った一礼、几帳面な朝の挨拶をひとつ。
それからグリーブでざぶりざぶりと聖水を割りながら近づいてくる。
「タストニア様。ご予想通りの事態に陥っております」
膝をついて天使へ銀の頭を垂れた。
軽装鎧を着込んでいることもあってか忠臣のよう。中世絵画の一幕のように見えなくもない。
「それでどんな感じだったです?」
「混淆の祠の偵察を行ないましたが先に想定していた通りです。祠は粉微塵に破壊され天界へと至る道が瘴気によって侵されておりました。1歩たりとも踏み入れば制約結界によって身体の自由が奪われてしまいます」
「つまり最悪の状況ってこってすか。どおりで先輩が呼んだはずの援軍がまったくこねーわけです」
なにやら小難しい話だった。
いちおうレィガリアとタストニアの小耳に挟みつつ、明人はぼんやりとした記憶を辿りなおす。
まずもってどのような展開でこのふたりと一緒なのか。残る面々はいったいどこぞへいってしまったのか。あのクロノスとともにあったはずの丸く巨大な物体は、なにをしているのか。
考えれば考えただけ頭が酔っ払った感じで、くらくらしてくる。意味不明なことが多すぎた。
しかしそのなかでも1つだけハッキリとしていることがある。
――帰らなきゃ。
微かに触れた指先に残った温もりが、明人の身体を反転させた。
「どこいくです?」
「リリティアのところに戻るんだ」
明人は振り向きもせずタストニアに応じた。
そのまま足を止めず、ざぶり、ざぶりとふたりから遠ざかっていく。
帰ってなにが出来るか、ではなく、なにも出来ずとも帰らねばならない。リリティアの元へ戻って無事だということを伝える義務があるのだ。
するとタストニアが後ろ手を組みつつ小走りに駆け寄り、明人の横にぴったりと並んで歩く。
「おーい。ずいぶんと余裕ぶっこいてるじゃねーですか」
「今のオレに余裕があると思うか? なんならいい眼科を紹介するぞ?」
「目医者にいくならアンタさんのほうです。よく前を見てみろです」
なにわけのわからないことを、なんて。言われて前を見れば急ぎ足がはたと停止した。
蒼い瞳で帰り道が閉ざされているという事実を確認する。
赤黒い水平線のむこう。棺の間へ通ずるはずのバカでかい扉が口をとじるかのように閉ざされているのだ。
「なん、で……あれじゃ帰れないじゃないか」
「なんでもクソもねーです。ウチらはこの空間に閉じ込められちまってんです」
説明しなさいよ。言いつつも明人は怯えるような眼差しをレィガリアへ投げた。
すると彼もまたコクリと重々しく頷いて事態を肯定する。
「アナタが気絶している間に確認を済ませました。どうやら我々はアナタを引く引力につられてこちらへ飛ばされてきてしまったようです。そして道を塞がれ迷走を強いられているという状況で違いありません」
レィガリアは腰に履いた剣鞘へ手を添えながら淡々と説明を加えた。
簡潔明瞭とはまさにだ。短時間で誰かを絶望させる才能でもあるのかもしれない。
明人は肺を大きく膨らませるようにして特大のため息を吐く。
「あぁぁ……たまったもんじゃないなぁ。帰る方法は見つかっていないのかい?」
つられるようにタストニアも微かに膨れた胸を上下させ吐息を零す。
「あるにはあるです。でもぉ……」
「少々手順を踏まねば事は成せぬかと、我々もそう危惧していたところです」
天使に瞳をむけられたレィガリアが敬礼とともに話を繋ぐ。
つまり方法はあるということ。そしてそれは楽ではないということ。この2つがわかれば話は早い。
「じゃあとっととアレを倒して天使の援軍を呼び込んで扉を開けようか」
明人が大扉が背にくるよう身体のむきを反転させた。
それをレィガリアは満足そうな微笑で応じる。
「ご明察、お見事です。やはり我々の守護する聖都を単身乗り込んで崩しただけの頭脳はおもちのようだ」
普段の明人であれば戦いを避けていただろう。しかし今は状況が逼迫しきっていた。
ユエラの行方もわからず、リリティアと離れ離れとなっている。どちらか1つならまだしも2つ重なるのであれば急ぐに越したことはない。
さらに天使の存在も大きい。強大な力をもつ天使が味方についてくれるのなら百人力を遥かに超えうる戦力となるだろう。
そしてそれはレィガリアもまた明人と同様の考えかたをしているらしい。
「彼の者の分類は、神具。確か、聖都に伝わる文献の通りならば名をヴィーナス・アンジョーマ。時の女神を封ずるために虚脱状態を作りだす結界を秘めているとか」
「なら少なくともオレたちは関係がない。どころか天界側の失態ってことになるな」
天界は大陸との過剰な干渉を良しとしない。転じて言うならば、天界が大陸に危害を及ぼすことを嫌っているとういうことにもなりうる。
男2名、凛とした眼差しに信頼を籠めつつ、天使を流し見るのだった。
「ま、先輩からの依頼ですししゃーなしです。こちとらアンタさんを守れって言われてんです。ひと踏ん張りしてくっとするです」
受けたタストニアは気だるげに肩を回す。
肩甲骨が動くのと同期して背の羽も円を描く。
「でも剣を刺された肩の調子が完全じゃねーです。なんつーかこーう……さっきから右手がエラく鈍くて武器を握りつづけらんねーです」
難癖をつけながらちゃぷちゃぷと時の牢獄のほうへ波紋を連ねていった。
天使の文句だが、どうやら嘘というわけではないらしく右手をグーパーしながら不調を訴えている。
治療魔法をかけたレィガリアとしては、うだつが上がらない。
「あれは応急処置だったししょうがないよ。AEDとかを使っても救急車は呼ぶもんだしさ。距離を開けつつオレたちもタストニアにつづこうか」
「承知しました。それと、なにを言っているのか不明ですが慰めのお気持ちだけは汲めました。ご厚意感謝致します」
中等部女子ほどの後に男2名が慰め、慰められて、ついていく。
その間にも時の牢獄は噴火前の火山の如く黒雲を吐きつづけている。
空間を染め上げるだけのおびただしい量だ。しかもおそらくそれらが向かう先は天界。援軍の足止めとしてあの鈍重をまとわせる結界を張り巡らせているのだろう。
――……オレたちはそういう役回りってわけか。エルエルのやつなに企んでやがるんだか。
ざぶり、ざぶり。音だけで抵抗や感覚のない水を割りながら考える。
明人はこの状況が偶発的なものだと思えないでいる。なにもかもが川の流れのように1方向へ流れつづけている気さえした。
「おっと。アンタさんは……というかふたりはこっから先に進むんじゃねーです」
突如としてタストニアは弓のこを水平にしながら行く手を遮る。
明人は首をひねりながら足を止めた。
「どうしてだい? そんなにとてつもない技とかを使うってことか?」
確かタストニアは味方すら巻き込むと先ほど豪語していた。
もし本当ならばかなりの高火力が期待できる。その、神具というわけのわからぬものすら1撃で粉微塵にしてくれることだろう。
しかし明人の期待とは裏腹に、タストニアは別の理由を口にする。
「時の牢獄はルスラウス様の魂を受け継いでいないアンタさんだけを喰らおうと躍起になってんです。今は熱心に命令をまっとうしてるみてーですが、優先度が変わったらアンタさんまた吸い込まれちまうです」
それを聞いて前に進もうとは思うまい。
明人は止めた足で3歩下がって直立した。
「フッ。先ほどはタストニア様がアナタに蹴りを入れることで吹き飛ばし、救助したのですよ」
「あ~通りでね。開口一番に吹っ飛ばされて気絶したって言ってたもんね。普通だったら吸い込まれてたっていうもんね。っていうかオレが気絶してたのってアイツの蹴りのせいってことね」
「ですから膝枕をして身を案じておられたのです。天使様の清き膝を頭に敷くとはまったくもって羨ましいことです」
なにが面白いのか。レィガリアは上品に口元を抑えながらくっくと喉を鳴らした。
これから舞い起こるのは天使の1撃だ。もしかしたら彼も少々はしゃいでいるという感覚なのかもしれない。リリティアの剣技を見たときと同じく高揚しているのだろう。
当然、明人も日本男児である。絶大な攻撃というものにロマンを覚えざるをえず。ゲームで言うところの超必殺的な技を期待してやまないのだ。
「ったく、ルスラウス様の創造なさった神具をこの手で破壊することになるとは……です。思ってもみなかった事態にも関わらず先輩は姿を見せねーですし。帰ったらグルドリー様に職務怠慢の報告をしてやるです」
間もなくか、タストニアは白いスカートを広げるように半歩づつ両足を開く。
両手で構えた弓のこを紅の空へかざす。袖のない首で止めるような白い服のためか白い脇が艶めかしくさらされる。
「《我断罪の化身、罪裁き雷の担い手なり。神より賜りし天なる星は万物をも砕き魂を滅す浄化の炎――」
そして詠唱がはじまった。
美しい声に清冷さが交わると清き歌のよう。まさに天使のような歌声。コーラスを重ねていないのに高音と低音が不思議と聞こえてくる。
タストニアを中心に高貴な風が舞い踊る。足元に広がる聖水がばしゃばしゃと拍手喝采を模して彼女の回りで棘だった。
「聖なる光は御霊を救いし槍となるか、あるいは御霊を滅ぼす剣となるか。定めるべくは汝にありて我にあらず》」
かざした弓のこへ光が満ちる。光源となって周囲に立ち込めた闇を払う。
明人とレイガリアは喉を唸らせることすら忘れて天使の顕現を見惚れた。
天使の威光を目の前に、瞬きと呼吸すらせず。ただ立ち尽くして終わりを待つだけの木偶と成り果てた。
「いざいざやってやんですッ!! 《不退転の判ぅぅ――……おぉん?」
そして天へ怒張した左右交互の乱立するあさり刃が、時の牢獄へと振られようとしている。
なのだが、なかなか振り下ろされようとはしない。なぜなら邪魔が入ったからである。
「あああああ!? チョット待って待って!? お願いですからその凄い攻撃をするの待ってくださーい!?」
そこへ身体を張って割り込み止めに入る影がひとつほどあった。
聞き覚えのある声だった。
それから明人はまず己の目を疑った。
「あのなかには主様が捕獲されちゃってるんです!? その凄いヤツで斬ったらなかの子もだいぶんまずいですよね!?」
バトラーを彷彿とさせる白いワイシャツとベストに黒のタイだった。
一見して正装ではある。しかし慌てふためきようが服装の畏まった箇所を帳消しにしてしまっている。
割り込んだ青年は立ったまま大の字になるよう、タストニアと牢獄の狭間へ滑り込み、懇願した。
「ああ……オレが良い眼科にかかるべきかな? 見えちゃいけないものが見える……」
明人は目頭を摘みつつ疲れ目を案じた。
そしてもう1度。《防衛戦争》にて幸福な終焉を迎えたはずの青年を、視界に収める。
「ゾンビの僕なら別に大丈夫なんですけどね!? 冥府の巫女様は1回死んじゃったら復活とかしないんですよぉ!?」
灰になって成仏したはずのハリム・E・フォルセト・ジャールが技を制したのだった。
……………




