548話 そして再会の狼煙《SMOKE ON LOVER》
「ずいぶんと熱のある歓迎ね! でも暑苦しいのは嫌いなのよ!」
真っ先にユエラが動いた。
勢いの乗った速度をブーツの裏で止め、甲高く両手を打ち鳴らし、淡然と詠唱する。
「《デュアル・グリーンプロテクト》!」
野太く、回廊ほどもある巨大な大蔦が叩かれた壁から怒涛の如く生え伸びた。
迫る炎に対して植物と侮るなかれ。枯れ葉や枯れ枝と違い若々しい青々とした大蔦は簡単に燃えやしない。
槍を構えたスードラは出現した大蔦に目を丸くする。
「わーぉ。このレベルの魔法を長尺の詠唱なしでだせちゃうんだ」
影響力のある魔法を目にしてまさに呆然といった感じ。
ユエラの魔法は所見の者にとって異端でしかない。混血のもたらす発想力と爆発性が並ではないことを意味する。
「掛け合わせか。この魔法は妾の吐く炎と酷似した性質を別の属性でおこなっている。それをあの一瞬でとはな、正味……評価以前に驚きが勝る」
「ピュアな自然精霊を2つ混ぜ合わせたんだね。混血という生まれながらの才がなせる技かぁ、すっごいや」
龍の炎と才の炎を生まれ持つ焔龍。彼女もまた性質の掛け合わせ。
だがユエラの場合は意図的な属性を複合させることが可能だ。純血のディナヴィアを2本のプラスマイナスのみで使いこなす単純直流とするなら、混血のユエラは変圧可能で起点の聞きやすい複合交流といった感じ。
「きなさい! こう見えても私だってLクラスの名誉に負けないくらいがんばってるんだから!」
ユエラは突きだした両の手をさらに押し込んだ。
一党らは万が一に備えて足を止め塞がれた回廊の先を睨む。
直後に大蔦が中央から弾け飛ぶ。
「――くッ、互角ね!」
激しい衝撃とともに熱波が全員の身体を叩いた。
肌を焼くような熱は余波となって髪先をじりじりと焦がす。火球だったと思わしき火の粉がわぁ、と吹き抜けの空へと舞い上がっていく。蔦が破砕する代わりに火炎がぶつかりあって対消滅したのだ。
しばし火球の方角を睨んでいたユエラは、突起する胸部をすとんと撫で下ろす。
「ふぅぅぅ……よしっ。まだマナの籠めかたが甘いけど次に活かしてみせるわ」
次弾がこないことを確認するよう彩色異なる目を細めてから小さくガッツポーズをとった。
そのすぐ横にとん、と。とまり木に止まる鳥のような軽やかさでリリティアが着地する。
「今のはいったいなんです? 獣の群れも潮が引くみたいに襲ってこなくなっちゃいましたよ?」
「あれを自然現象だって言えるほど私もバカじゃないわ。絶対にこの先に誰かがいて私たち目掛けて魔法を撃ったに決まってる」
ユエラはふるふると緩やかに首を振って長耳をぴこりと跳ねさす。
それから剃刀のように鋭い目立ちで回廊の奥をにらみつける。
「それも私のデュアル魔法と張り合えるくらいには超強力な使い手よ。思ったよりずっと厄介なヤツがいるみたい」
「あれほどの炎を打てる魔法使いもそういないはずです。おそらく長く炎に精通している者ですね」
「そうなると限られるわ。エルフ……エーテル……龍って可能性もあるけど……ミルマさんがまさかこっちに攻撃してくるはずがないし……」
気がつけば前にも後ろにもあれだけいたプリズマビーストの群れもおらず。あるのは閑散とした静寂と築かれた屍の山だけ。
誰かがいた気がするのではない。確実にいた。2手2足の人に似た、あるいは種の姿をしたひとりがこちらへ攻撃を行った。そしてそれは魔物という線を消す決定的な証拠でもあった。
少なくとも蒼き双眸は火弾を放つ者の姿を捉えている。
――アレは……まさか、な。
「どうしたんです明人さん? 顔色が優れないみたいですけど……」
「いまのでビビっちゃったってことは流石にないでしょ。前に戦ったディナヴィアさんの炎のほうがよっぽど強かっただろうしね」
ふたりが小首を捻っても、言葉を返さない。
明人はここ最近でもっとも嫌な感情を己のうちに滾らせている。
「……なんだこの得体のしれない不安は。こっちには大陸最強までいるんだぞ……」
それはきっと恐怖や怖気ではない。もっと怒りに繋がる事象。
農夫服の合わせに手を添えてみると微かに胃がもたれるような不快感を覚えた。これは胸糞が悪いとでも言うべき案件か。
するとその時。一党らが呼吸を整えていると、ふとどこやらかの音が響いてくる。
『ふふふっ、今日はずいぶんとお客さんが多いのね。ま、退屈していたからとぉーっても嬉しいわ、なにせ暇つぶしになるもの』
まるで猫でも愛でるような甘く蕩ける女の声だった。
それも聴覚ではなく脳へ直接聞こえてくる。無声会話、それも姿を見せぬ遠距離からのもの。
この声、忘れるものか。
「――クロノスだなッ!?」
明人は飛び跳ねるような速さで誰もいない金色の空を睨みつけた。
あの7色を砕いたステンドグラスの如き瞳の絵が呼び起こされる。クロノス・ノスト・ヴァルハラの音に酷似しすぎている。
天地が繋がる混淆の祠にて聞いた彼女の声でしかない。衝撃がこびりついた記憶、間違えるものか。
『……あら? 覚えていただけているなんて光栄よ。でも、ふふっ、私はアナタが誰なのかすら存じ上げていないのだけれども』
「ああそうかい! 思いださなくていいからそっちにいった龍族の女性を返してくれないか!」
『なら立ち話もなんだしどうぞ奥にいらしてくださるかしら。とても面白い事象がアナタたちを待ちわびているはずよ』
まるで雲を吸い霞を食わされたような気分だった。
姿が見えず実態が感じられない。その上目的までもが不鮮明となると気味が悪すぎる。
『はぁ……なんて愉快な余興なのかしら。久遠の時を牢獄で過ごしていたころとは大違い。待っているだけでこんなにも充足した時を風が運んできてくれる。創造した実験体も失敗作だと判明したことだし、ここからは静観をしつつ楽しませていただくとしましょう』
クロノスの音はしばし笑いを堪えたかと思えば、ぴたりと無声会話を止めた。
招かれている。プリズマビーストたちもクロノスが引かせたと見て考えるべきだろう。
「急ぎましょう!」
リリティアにつづいて全員が目配せをし、誰ともなく駆けだす。
提案を否定する理由はなかった。なにせはじめからアレを相手にするつもりなんて毛頭ない。ミルマを連れ戻すためだけにここにいる。
遮るもののなくなった回廊は快速で、一党たちは注意を払いつつ疾走する。
その横で天使も並んで滑空する。
「気ぃつけたほうがいいです。ヤツがどんな罠を仕込んでるのかわかったもんじゃねーですから」
言われるまでもない。返答せずとも全員の目がそう語っていた。
タストニアは変わらずの機械じみた笑みを貼りつけながら宙を泳ぐ。
「それと時の女神は間違いなく神より賜りし宝物と神具を使ってきやがります。出し渋ってくれるならそれにこしたことはねーですけど、念頭とやらに入れておいて損はねーですよ」
すると明人とユエラがほぼ同時に木霊を返す。
「神より賜りし宝物だけじゃない?」「神具ってなによ?」聞き覚えのあるようなないような。
とにかく天使が――笑みを作りながら――神妙に語るのだ。きっと寝る道具の寝具じゃないはず。
しかし明人とユエラが答えを求めても、展開は待ってくれない。
「なんか見えたぁ! 奥ぅのほう! なんか暗いところがあるよ、目的地到着ぅ!?」
尾をにょろりとくねらせネラグァが長い指でびっ、と回廊の奥を差した。
「とにかくいくら腕っぷしに自信があっても気を抜いた端から食われるか吸われるかです。どっちにしろお陀仏でエンドゲームってなわけです」
もうタストニアの声に耳を傾ける段階ではない。
死者の還る箱が連なって並ぶ。もう幾個ほど並んでいたかなんて数えられるものか。
その奥にあるのは扉もない黒い大口。回廊のつづきを食ってしまったかと思うほどに禍々しい、棺の間への入り口である。
建物があるわけではない。ただ回廊がそこで終わっているだけ。金色の空も、欠けた石畳も、染みついた壁も、なにもかもが1点を境として終わっていた。
「備えろ。どこか得体のしれぬ香を聞いた。嗅いだことのない不穏の香だ」
疾駆する一党らの足音に混じって冷淡な声が鼓膜を揺らがす。
バタバタ暴れまわる赤いドレスの裾から紅の尾がはみだす。高級なベロア調の生地の開けた背中部分、白く細やかな突起の肩甲骨あたりから紅の翼がばさりと広がる。
龍翼と尾を生やしたディナヴィアを筆頭に、一党らは速度そのまま棺の間へと踏み入った。
まず迎えたのは足裏に伝わってくる毛の立った赤い絨毯の感触。そして、闇。
虹彩が網膜に達する光の量を調節して間もなく。巨大な巨人用とでも思わしき大扉を背景に探していた龍が、そこにいる。
「あぁ……ようやくアナタに会えたのね。なんて長く苦しい時間だったの」
さながら梵鐘の如きだ。
撞木で打てば日の出と日の入りを告げそうな厳かしさの大扉。2枚で出来た分厚い扉は中央が2分ほど口を開き、天と地の境――混淆の祠から溢れる神々しい光を漏らしている。
「アタクシたちは無事同じ世界で再会を果たした。これはまるで邂逅、夢のような幸福に満ちた奇跡が現実となってアタクシたちに与えられたの」
光の筋を浴びながら、ミルマはそこにいた。
しかしいるのはミルマだけではない。誰か。体躯に恵まれた男とともにいる。
「アタクシを本当にわかってくれたのはアナタだけ。アタクシの心に開いた穴を埋められるのもアナタだけだったの」
濃密な接触。目端はとろけ血色の良い頬がぼう、と花色を浮かべて微睡む。
相手の足に自分の肉の厚い腿を絡ませ、全身でしなだれ、肌で肌を拭うよう男の逞しい身体へ寄り添う。
「間違っていたの、アナタを失うことで盲目になっていたの。だって開いた穴を1度決めたオス以外に明け渡さない。女とはそうやって操を立てるものでしょう?」
対して襤褸1枚をまとった男のほうは明らかに目が座りきっている。
光すら灯さず、ただぼんやりとミルマのなすがまま。立ち尽くしているだけ。
まるで心神喪失、あるいは――ルスラウス大陸世界での造語――心無人だ。魔法的な精神負荷によって心を患った病の総称である。
それでもなおミルマは男を己の所有物であると言わんげに己の匂いを擦りつける。
「だからもうなにもいらないアナタさえいればアタクシの心と身体は満ちていられる。もう誰にも幸せを壊させはしない。もう誰にもアタシの世界へ入ってくることを許さない」
周囲の目すら意に介さず口と口を繋ぐ。
長く、水音の耐えぬ濃密な接吻を交わしてまぐわう。
しばし佇み、ぴちゃぴちゃという2匹が唾液を交換し合うさまを静寂に響いた。
なおも男の側は動くことすらしない。あれでは精工な木偶だ。存在しているとすら言い難い。
「ありゃあどっちの首よ? あのメスときたらおもしれぇくらいトンでるじゃねぇか?」
「たぶん……どっちでもないかなぁ? あんなオカシナ邪りゅー見たことないよぉ?」
タグマフは軽蔑の眼差しをミルマへ仕向け、ネラグァは戸惑ったように返答する。
地面に落ちた小虫の集る汚物を見るような目つき。たまらずとばかりに足元の赤い絨毯へ唾を吐く。
しかし他の龍たちの様子がオカシイ。主に年長者である龍たちが立ち入ったままの格好で固まっている。
「リリティア……?」
不思議に思った明人が不意に名を呼ぶ。
すると固まっていたリリティアもヒクリと肩を揺らしこちらへゆっくりと目をむける。
「…………」
なのだが、彼女は軋むように首をぎこちなく横に振っただけ。
青ざめ、唇を震わせながら、手にした剣の切っ先もかたかたと震えていた。
明人は、それほどまでに怯えたリリティアの顔を見たことがない。
「ま、まさか……あ、あれって! そ、そんなッ、バカな話がッ!」
辿り着いたのは存在しうる限り最悪のケースだった。
怯えたリリティアを見て明人の脳がまず行ったのは可能性の否定である。
「あ、アレって飛龍じゃないか! 邪龍と一緒にいるのは龍玉の事故で魂をもっていかれたはずの飛龍だよ!」
しかしその否定すらスードラの叫びにより否定されてしまう。
「う、嘘でしょ!? あの男性がミルマさんの旦那さんってこと!? でも奪われたはずの魂がどうしてここに!?」
ミルマの友であるユエラもまた驚きを隠せないようだ。
「わかんないよ! でもアレは確かに飛龍なんだ! あの日、翼龍と一緒に抜け殻になった飛龍で間違いないよ!」
そうだろう!? 問われたディナヴィアは忌々しげに首を縦に揺らす。
死者と生者が再会を果たし失われた幸福をとり戻す、そして賛歌を天に贈る。それならばきっと幸福な幕引き。白い鳩でも飛び立ったことだろう。
だが死者は蘇らないのが世の常である。これは地球世界でも大陸世界でも道理として曲がってはならぬ、異常だった。
「へぇ、支配済みの魂を呼びだしたやがった感じですね。時の女神は龍玉の魂をここまで侵食することに成功してるってことですか」
明人は、ひとり関心するタストニアをするりと躱す。
「……まったくさ、そうやって死んだ生きたって神経衰弱みたいにぺらぺら裏返されたらこっちとしても溜まったもんじゃないんだ……」
たとえ女神が関係していても、やることは変わらない。
唐突な飛龍の復活とミルマの盲目の愛。この状況で龍族たちが正常な判断を下せるとは思えない。だからこそ余計に話がこじれる前に手を打つ必要があった。
明人は、未だ現実を受け入れられていないユエラの肩に、そっと手を触れる。
「頼む」
ひとことで十分だった。それ以上は必要ない。
局面としては最悪だ。ここから勝ちという結果に移行させるには奇跡にでも頼らねばならないほどの苦境であった。
だからこそ信頼する。己で出来ぬのなら信頼できる者へ襷を繋ぐ。
「言われるまでもないわ。縛り上げてでもミルマさんを連れて帰るためにここまできたのよ、とっくに戦うくらいの覚悟は出来てるもの」
ユエラは迷うという素振りすら見せなかった。
長耳をぴんと伸ばしながら明人の蒼い瞳を彩色異なる瞳で真っ直ぐ見つめ返す。
「それにあの子は私の友だちだもの。大切な友だちを時の女神とか言うフザけたヤツの好きになんてさせるはずないでしょ?」
ユエラは1度だけニッと歯を見せて笑う。
それから返しすら待たず外套をばさりと流して颯爽と歩みだした。
闇に堕ちた友を救うため。友として果たすべくミルマの元へ向かう。
『アンッ、駄目よ恋路の邪魔なんてしちゃ。それに……――欲しいのは混ざりモノのアンタじゃない』




