546話 そして運命の回廊に蠢く7色の軍勢
「はあ? ウチのパンツ覗いておいてでてくる言葉が普通――あああん?」
欠け割れた石の回廊に降り立ったタストニアはガン垂れる。
外見は幼いというより若い。10代中頃かそれ以上といったところ。彼女自身の髪は肩にかかるくらいだが、流れ落ちるような金翼はまるで長さを追加するウィッグのよう。
「こちとらやることあるってのに無理やり連れてこられて気が立ってんですよ。このクソがつくほど忙しいさなかに指名での命令ってマジやってらんねーです」
清楚な出で立ちにも関わらず口調は疎かでやけに高圧的だ。エルエルやグルドリーとはまた違ったタイプに位置する天使である。
とはいえ明人も頑なに帰らせようと躍起だった。
「いやほんとそういうのいいんで、チェンジ料金も払うんで、グリドリーさんを指名でお願いします」
「なんでコイツは素のツラで最上位天使を指名できると思ってんです? 不敬ってより傲慢すぎてへそで茶が沸かせんじゃねーです?」
明人は低いところから飛んでくるタストニア――輩の眼光を手のひらで押し返す。
見たか見てないかで言えばしっかりと見た。バッチリ白黒レースのちょっぴり背伸びした薄布を網膜と海馬に焼きつけてある。
しかし登場が上空なのだから不可抗力というものだ。だいいち空を飛べるのにそんな膝丈のひらひらスカートなんて履くほうが悪い。見られたくないなら隠すのが道理であろう。
「あとウチはチャンジとかそういういかがわしいシステムとかやってねーです。ところで先輩なんなんすかこのムカつくヤローは?」
タストニアはうんざりと青い瞳を明人から反らす。
それから手にした弓のこで肩を叩きながらエルエルを睨む。
「ヤローじゃなくてふにゅー様ですのよ。貴方の役目はこの御方を全力で護衛することですのよ」
「はぁぁ? なんでウチがそんな面倒くさいことしなきゃなんねーです? あとなんなんですそのイカれた胸と喋りかたは?」
タストニアは、明人にしたときと同様に、エルエルへだってガンくれる。
どうやら審判と断罪で上下関係がハッキリしているというわけではないらしい。言うことを聞くどころか反抗的な態度を崩そうとしない。
よいしょ、ですのよ。するとエルエルは身体をくねらせながら明人の腕からスポン、と抜けでた。
「たとえ3級天使といえど禍つ運命の分岐点くらいはご存知ですね。それが今現在この時間軸にあると、ルスラウス様は睨んでいるのです」
いつになく真面目な、天使然とした語りだった。
すると華奢な肩をピクリと跳ね、タストニアの白目の多い眼がぎょっと見開く。同時に下向きの翼が密かに開いて羽を散らす。
「……マジで言ってんです、それ。だとしたら先輩にしか伝えられていない超機密ってことになるじゃねーですか……」
タストニアが険しげに細眉をひそめた。
エルエルへ声低く問う。
「このままじゃあ戦力がぜんぜん、まったく、桁違いに、足りてねーですよ?」
三白眼を一党らに巡らせ、それからまたエルエルを睨みつけた。
「もうすでにコネクトは済ませてあります。あとは報を受けた天界がどのような判断を下すか。ワタクシたちはとにかく最善の手を尽くしつつ天命を待つだけです」
「そーういうこと……――ちっ! 荷が重すぎて背負いきれねーですよ」
天使たちがこそこそと密談を交わす。
なにやら物々しい空気である。そうでなくても天使なのだ、とてもではないが部外者が立ち入れるような気楽なものではない。
エルエル曰く、天界は大陸との過剰な接触をなるべく避けていると言っていた。それを種族たちも弁えている。だから先ほどの明人もダメ元で彼女に支援を要請したのだ。
なのにこの場にはどういうわけか天使がふたりもいる。つまり異常事態。
さらにはミルマを追うことに助力までしてくれるのだとか。これを過剰と言わずしてなんと位置づける。
――そういえば予言がどうのって言ってたな。しかも運命やら予告って言うくらいだし予想とはまた異なった区分になるのか?
明人がぼんやりそんなことを脳裏に巡らす。
F.L.E.X.の蒼い光を手に薄く宿しつつ、視線を落とした。
予想と予告の違いはハッキリしている。運命を知るということは終着地点を知った上でレール上を走るようなもの。
――予言は未来予知。来るかもしれないじゃなく、いずれ来るという避けられない未来。
なるほどわからん。そこまで考えてから蒼い光を消失させた手で頭をガリガリ掻きむしった。
思考を閉ざす。考えたところで答えがでないことがわかりきっている。今やるべきことは止まった足を前に進めること。
「話の途中で申し訳ないけどそろそろ前に進もう。なんやかんや言ったけどタストニアさんもよろしくしてくれると嬉しい。戦力は幾らあっても余分になることはないからさ」
そうやって区切りをつけるのは慣れている。諦めることは決死の操縦士にとって1番はじめに学ぶ重要スキルである。
明人は、こちらにむけられた天使の真白い尻へ手を伸ばす。叩いてやればすぐに動くだろう。
「後ろですッ! 後方に不審な影ッ!」
耳を叩く。聞き慣れた声、聞き慣れぬ音。
甲高い悲鳴のような警告。それが両脇の棺の奥に反り立つ壁に反響する。
「なにかがきます! それも今まで感じたことのない強い気配です!」
まずはじめに反応したのは、リリティアだった。
同時に鞘を蹴飛ばすような速さで銀閃が虚空を裂いて抜き放たれた。
弾かれるようにして明人も、身体ごとそちらへ振り返る。
「後ろから!? さっき歩いてきた方角ってことか!?」
反射的に黒い瞳へ蒼き光が灯った。
予想だにしない事態に背にじっとりと汗が浮かぶのがわかった。
「――――KAYi」
遺物めいた染みだらけの通路奥にソレはいる。
囲われた左右の壁の中央で、静かにこちらの様子を伺っている。
明人の視力の良い眼に映りながらも、至らない。範疇を越えていたため理解が追いつかない。
ただその4足の生物がとても嫌なものであると第六感めいた本能が告げている。
「……あれはそっちのお客さんかい?」
人間が大陸世界にやってきて1年少し2年未満といったところ。
ほどほどに修羅場は潜ってきたがあのような魔物を見たことがなかった。
明人は瞳を動かさず、すぐ隣の天使たちへ、問う。
「時の女神の生みだした創生物。近ごろ天界を悪い意味で賑わせている時の軍勢……と、思われます」
「しかも超最近見つかったプリズマ種の獣型じゃねーですか。はじめは無骨な結晶体でしたけど、どんどん生命体に形を近づけてきてやがりますね」
天使たちが彼の者の名、らしきを口にする。
時の軍勢。当然の如く耳にしたことはない。
そしてリリティア含む大陸種族の全員が明人と同じ疑問を呈す。
「……油断大敵です。見たところ獣型であるということくらいしか今のところ判別がつきません」
すでに剣の切っ先は4足の敵へ仕向けられていた。
あれほど余裕ぶっていたスードラすら、すでに笑みを捨てている。
「物凄い気持ち悪い感じがするねぇ。まるで精工な作り物のようだけど、そこはかとない悪意を秘めてる」
彼の手にもいつの間にやら三叉の槍がもたれていた。
均衡状態で有りながらもそれぞれが追撃する準備を整えている。
ユエラも魔種を口に含み、レィガリアも腰の剣をスラリと引き抜く。獲物をもたぬ者は徒手を構えて敵の動向を探る。
「――――」
睨む、と言うべきなのか。なにせ目はない。尖鋭な鼻先がこちらへ弓引くようにむいていた。
形状はさながら7色の硝子細工のよう。大きさも大型犬ほどで化け物じみているわけではない。プリズマビーストが足を踏むとカチャカチャと硬いものが触れる音がする。
そして緊張状態の深い呼吸を2度するほどの猶予があった。
「O――KIYYYYYYYYYYY!!」
そのさなかに7色の光が先行して動く。
しかも最後尾で高を括っていた明人の元へ、一直線にむかってくるのだ。
即座にレィガリアが敵との間に割って入った。
「月下騎士団団長レィガリア・アル・ティールが迎え撃つッ!」
瞬速の刃と獣が衝突した。
赤き火花が散り、プリズマビーストの断片と思わしき欠片が舞う。
「ぬッ、硬い! 並の刃では断ち切れませんか! ならば――」
追撃の判断は早かった。
大上段のひと振りが間髪入れず獣の脳天目掛け、放たれる。
「ッ、KYYYY!」
だがすでに体制を整え終えている獣は、軽々と横に飛んで剣閃の打ち筋を外れる。
しかし避けられることすらレィガリアの読み筋だったのか。剣の挙動がグンッ、と真横へシフトした。
「躱すのであれば間合いの外へ向かうべきでしたね! 秘剣月光斬り!」
「――ッッ!?」
まるで三日月の剣。
上段から振られた怒涛の勢いそのままに、弧を描いて敵の横腹を掻っ捌く。
「Kyaッ!?」
裂かれた部分からねろりと漏れでるのは臓物ではない。赤く黒い瘴気のような霧のみ。
皮1枚を残して繋がったプリズマビーストは倒れ、4足でもがき、やがて沈むように動くことをやめる。
レィガリアは身体に染みついたような所作で血振りをくれた。
「やってやれぬわけではなさそうです。しかし両断を狙って皮1枚残したことが気がかりですがね」
剣身には油も血もついておらず。まるで霞でも切ったかのように清流の如き銀が煌めく。
「おー、お見事! さすが騎士様かっちょいいね!」
槍を抱えたスードラが感心したように手を叩いて称賛した。
が、レィガリアは鞘を納める手を中途半端に止めたまま。残心の動きで停止する。
「これは……少々な厄介事ですね。どうやら先ほどのは偵察か、ずいぶんと後が詰まっておられるようで」
剣色の瞳が死骸の向こう側を睨んだ。
通路の石畳に次々と赤い渦が生まれていく。なかから1匹のみならず10、20といった獣型の7色が這いでてくる。
みるみるうちに帰り道が塞がれていった。棺の並んだ路が美しくも悍ましい獣の群れに覆われてしまう。
「ならば私も踊るとしましょう。先ほどの戦闘でレィガリアさんは信頼に値すると見極めました。退屈かもしれませんが明人さんとユエラの護衛に注力してくださると私も動きやすいのでお願いします」
白裾たなびかせ金の三編みを揺らしながらリリティアが前へ歩みでた。
合わせてレィガリアが「承知致しました」と頷き、2歩ほど下がって戦場を譲った。
「またとない機会に恵まれ、ご光栄とはまさにこのこと。剣聖様の剣技を特等席で拝見させていただきます」
「では」、と。聞こえたときにはすでにリリティアの姿がなくなっている。
飛翔んだのだ。ただひとり剣を片手に携えて敵の群れに猛攻を仕掛けた。
「あーあー……結局こうなるのかぁ……やだなぁ……」
「文句垂れてる場合じゃねぇだろ。こうなったら溜まった鬱憤晴らすのにとことんつき合って貰おうじゃねぇか」
「妾を何と心得るか。獣の類に宝石の価値を推し量れというほうが無意味ではあるがな」
「千客万らぁい! 邪りゅーのためにネラグァもがんばっちゃうよー! ふんふんふん!」
そしてすでに全員が気づいている。もうすでに安全な場所はどこにもありはしないのだ。
ここは直線につづく1本の回廊である。奇襲を加えるのならばまたとない絶好の狩場だった。後方だけならず、前方までも赤い渦によって阻まれている。
そうなるとやるべきことは限られる。罠にハメられたまま苦戦を強いるか、あるいは……こちらから仕掛けるか。
「明人! どっちにむかえばいいかくらいわかってるわよね!」
ユエラのわかりきっている問いかけに明人は即座に反応を返す。
こちらも数多の戦場を刈った益荒男。生き残った時間がそのまま経験として肉体に宿っている。
「追手連中はリリティアに任せてこのまま奥に押し込むぞ! 前方の敵を突き崩しつつ疾風怒濤の前進をしようじゃないか!」
おう! 龍たちの気勢に満ちた掛け声が頼もしい。
一党たちは波の如く襲い来る敵を押しのけつつ豪快な前進を開始した。
時の女神の元へ向かったミルマを追う。
帰り道を閉ざされたからには、とにかく彼女の無事を祈りつつ前へ進むしかなくなった。
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