545話 そして友情の価値は?
交わう巨大な槍を抜けると一党らを待っていたのは老朽化の目立つ回廊だった。
空の色が異なるだけでこうも日常とかけ離れるのか。
手の加わった削り石と自然の融合。時の流れがこの地帯だけ止まっているような。過去に栄光を博し手放した歴史的な崇高さすら滲む1本の道がどこまでもつづいていく。
「天界に至るための試練かぁ。ちょっと受けてみたかったかなぁ」
龍から少年の姿に戻ったスードラは、セミロングヘアー後ろで手を組み脇に風を通す。
ミルマ追跡のひと仕事終えたからか、ややの気の抜けた感じ。高く足を上げて歩きながら肉厚の尾をたらり垂らしている。
タグマフはそんな彼の無防備で白い脇腹へ軽めの肘鉄を打つ。
「ノーリスクで抜けられたってのに滅多なこと言うもんじゃねぇだろ。試練とやらにしくじったら入れねぇどころか閉じ込められちまうらしいじゃねぇか」
「でも1度きたことのあるふにゅうくんたちも大丈夫だったらしいじゃん? そうなると大したことなさそうだよねぇ」
どうやらフリーパスだった理想郷への神槍門へ、ケチがあるようだ。
槍の見せる試練は2つ。理想とする未来と絶望。乗り越えた挑戦者のみ選定の天使との謁見を許される。
今回は火急ともあってか試練はなく素通りだった。特例中の特例。エルエルの力を借りることで神より賜りし宝物の試練はフリーパスである。
どうやらスードラにはそれが不満だったらしい。
「なにより肉体じゃなくて心の試練だって言うじゃないか。僕くらいになると存外楽にクリア出来ちゃうと思うんだよねぇ」
「よく言うねぇ? 海りゅーってば理想の世界に捕まって帰ってこなくなっちゃうかもぉ、音信不通ぅ?」
「それを検証するために受けてみたかったんじゃないか。それに僕の深層にある理想の世界っていうのも体験してみたかったなぁ」
巨大な尾っぽと海色の尾っぽが軽口と歩調に合わせてぶらり、ぶらり。
スードラとネラグァ、その身長差はおよそ倍ほど。彼の頭が彼女の腰辺りなのでもう少しあるかもしれない。小さい者と大きな者が並ぶことでこうも凹凸が顕著に現れる。
それとスードラはさしてミルマのことを気にかけているという様子ではない。使命感でついてきたというより流れでついてきているだけ。
だからか刺激の足りない、相変わらず辛気臭く埃臭い1本道に飽いているようだ。
「ふぁぁ……なにより僕は追いかけるより追いかけられるほうが好みなんだよねぇ。それでわざと捕まってあげて相手の反応とかを楽しみたい派かなぁぁ」
んっ、と。伸びをする。ぽっかり開いた口から長い吐息と呑気を零す。
目端に浮いた涙をぐしぐし。あざとく拭っていると、先頭のディナヴィアが彼へ振り返る。
「同胞の救出なのだ、乗り気ではなくともしゃんとしろ。如何なる場面で時の軍勢が襲撃してくるかもわからん」
「はーいはい、っと。焔龍のお願いなら真面目にやろうかな」
そう言って両肩をぐるりと回してから彼女の隣を陣どった。
スードラは低いところからニンマリとした微笑みをむける。
「えへへっ! なんたって僕はキミのファンだからねっ!」
「ふぁ、ん……なんなのだそれは? 汝は昔からオカシナことを口にするのだな?」
後ろ手に上目遣い。額の宝玉がつぶらな光をまとう。
ディナヴィアは気難しそうに眉をかしげて首を捻るのだった。
しだいに回廊の両側へ棺が並び始め、おどろおどろしい様相を占める。
並ぶ石の棺はまるで焼き窯のような。ざっと見ただけでも数百はくだらない。
それが長く神妙な遺跡の如き回廊に沿って添えられていた。
「……なんかぁ……ここ、怖いなぁ……」
ネラグァが細身ながらの巨体をぷるぷる震わせた。
しかしそれも本当にその時だけ。タグマフが低く「さっさと終わらせんぞ」背を押すと、若干ほど声を潜めながら「……うーん」またゆっくりと歩を進める。
不思議と空気に重く息苦しい緊張感が滲む。一党たちは鬱蒼たる森から棺の間へ進みつづける。
会話が飛び交わぬ代わりに気を抜いていない。
だが、いささか重い。誰も邪龍ミルマが無事であるという確信めいた話題を避けているようにさえ思える。
「……ミルマさんどこにいっちゃったの……」
ユエラひとりを除いて。
ひらひら踊る外套の奥で胸元の布を強く握りしめている。長耳はしゅんとしょげてしまい、いたたまれぬ。
見かねたかリリティアが明人へ目配せしてからコホン。咳で沈黙を払った。
「これから私たちは邪龍を無事に連れ戻すわけですね。再会して、説得して、円満に聖都に戻って遅めの昼飯を食べる。ですが……」
なんだなんだと全員が注目を集めたところで行うべきは、再確認だ。
リリティアは腰に履いた剣鞘を奏で、白細い指を指揮棒のように振る。
「なにより目的は明確なんです。それ以外のことにとらわれぬように注意しなきゃいけません」
ミルマの救出、それ以外のこと。
ここまで聞けば彼女がなにを言いたいのかがわかってくるというもの。
「目的は邪龍の確保と保護、と。そして時の女神の討伐ではない……そう言いたいのだな?」
「そーいうことですっ。余計なことを考えずやることだけをやってさっさと逃げちゃえば万事解決というわけですね」
望んだ答えだったのか、リリティアはピッ、とディナヴィアを仕向けた指で丸を描く。
「ただ目的とひとことで言ってもこれが非常に厄介なわけです。邪龍を安全かつ迅速に連れ戻すことは非常に困難を極めること請け合いです」
と、つづくのもまた対外の者が熟知していること。
逃げたのは3つ首に支配されたミルマなのだから龍族たちにとっては戦々恐々すべき存在である。たった1匹で龍族全体を脅かした魔性がまたも立ちふさがるのだから。
ディナヴィアは僅かな間だけ空に目を泳がせてからルージュに濡れた口を開く。
「死なぬていどの殴打で気絶させ縛り上げて連れ戻す……そう言いたいのだな?」
「そ・こ・でユエラの出番なわけですね。焔龍はなにか言いました?」
「……いや、いい。つづけてくれ」
とてつもなく物騒なワードが飛びだした。が、どうやらリリティアは無視するらしい。
踊るような足どりでユエラの背後に移動し、両の長耳を摘んで上下させる。
「うちのユエラに邪龍説得役を任せてしまっていいんじゃないかと思っているんです!」
「えっ!? わ、私がひとりでミルマさんを説得するの!?」
寝――長――耳に水もいいところ。
ユエラは丸くしていた背を伸び上がらんばかりに反らして飛び上がる。
「だって邪龍と私たちがお話したら余計意固地にさせちゃうじゃないですか。だから私たちはユエラに説得を見守りつつ環境を整え役割に回るだけです」
「そ、そんなこと急にいきなり言われても……自信ないわよ?」
リリティアの主張は滅茶苦茶に聞こえても、おおよそ正しい。
邪龍ミルマの遺恨の対象となっているのは、龍族である。だから同種が雁首揃えて現れては余計警戒させかねない。
対してユエラは混血という種族も含めて特別だった。門外の他種族であり、かつ彼女と境遇を似せているからこそミルマは心を開いていたと考えられる。
これには龍たちにも反対する理由がない。
「それすごくいいね。降りかかる火の粉は僕たちが跳ね除け、それで――」
「ユエラちゃんが邪りゅーを説得するまで時間を稼ぐぅ! 大賛成っ!」
ネラグァとスードラが軽めのハイタッチを交わした。
説得をするのであれば適材適所、その場合ユエラ以外にその任を務められるものはいない。
「はい、賛成多数で決定ですっ。だからユエラは早く帰るためにがんばってください。お腹が空く前に終わらせちゃいましょう」
「け、決定ってそんな簡単に!? なにより私の役目だけ責任重大すぎじゃない!?」
リリティアは抗議しようとするユエラを強引に背後から抱き――拘束した。
四の五の言わせず決定してしまう。とはいえそれだけ信頼しているということの裏返しでもある。
およそ満場一致だ。誰がどう考えてもユエラこそが対ミルマの秘密兵器である。
が、ただ1匹のみ賛成もしないが否定もせず。うつむいたままの龍が混ざっていた。
「なあ? その説得役とやらにオレっちも参加しちゃダメかよ?」
若き龍タグマフだった。
しかもどうやら作戦に参加したいらしい。
「オレっちもアイツに言いてぇことがあんだ。だけども邪魔はしねぇ。せめてユエラっちの説得を横から見学させてくれねぇか」
頼む。そう言ってタグマフは全員の前に早足で移動し、頭を垂らす。
尾も翼もピクリと動かない。ただ握り込まれた手がブルブルと震えている。
「オレっちはアイツのやってきたことをどうしても許せねぇ……! 旅行中ずっと迷ってたが結局は許せねぇんだ……! オメェらみてぇにけろっと忘れることも出来ねぇらしい……!」
そっ、と。鼠色の頭を覆う被り物を外す。
「捧げられていく連中の涙を忘れらんねぇんだ……! そりゃ一切合切を龍玉のせいにして忘れちまえば楽だ……! だが忘れちまったらおめおめ生きている自分がチンケに見えて仕方ねぇ……!」
現れたのは感情的の朱。影の落ちた石畳へと舞い散る紅の燐光である。
その癖、表情が子供ではないのだ。一丁前に背伸びしきった面構え。
「それでもオマエらが成龍共が許せたようにオレっちも許すための努力はヤメたかねぇんだ……! せめてアイツの苦しみやらなんやら余計なことをもっと学んでアイツの立場に立ってからでも遅くねぇ……!」
違うかよ……! 若き龍が年長龍たち相手に真っ向から吠えてみせた。
誰もその瞳から目を反らせぬ。彼の言葉を子供の戯れとのたまうものはいない。
そしてはじめて全員がタグマフの聖都に赴くほどの悩みがミルマのことだったと知る。
暴虐の限りを尽くした悪、それを許すための葛藤。年長たちが龍玉という対象へあえて流していた怒りを、彼だけは消化しきれずにいた。
すると音もなくスードラが前へ歩みでる。
「どうしてもかい?」
「どうしてもアイツとマジな話をしてぇ! こればっかりは引き下がんねぇぞ!」
言葉遣いもまだまだ弁えを知らぬ。しかも感情すら抑えきれていない。
どこまでいっても青いまま。それでも瞳は若さゆえの気力と探求に満ちていた。
「正直、アイツに立ち向かうのは怖くて怖くてしかたがねぇ、ダセェけどオレっちにとっちゃあアイツが恐怖の対象ってやつらしい! それでもここで引いたらなんか知らねぇけど後悔しつづけるような気がしてんだよ!」
大口を叩く割に拳なんて震えっぱなしだ。格好の良いものとは口が裂けても言えぬ。
だが、知った上で――己の弱さを理解し、背伸びしてでも――努力をやめたくないと豪語した。
「だってさ? どうする女帝様?」
教育役が女帝へと判断を仰ぐ。
「是非もない。瞳を見ればわかるが、今の岩龍には妾に挑んだ魂と同じ光を放っている」
結論から言えば、承諾。
スードラがイカサマ臭い微笑むけると、龍族の頂点であるディナヴィアは間髪入れず提案を承諾した。
高い山へ登ろうとする若き龍を見守るのも年長者の役割なのだ。それは人も、龍も、他種も、変わらない。
「至ったと軽んじたとき成長は止まります。年を重ねても成長しない阿呆もいれば年を重ねて年輪を刻むものもおります。その点、若きタグマフ様は後者、悩みづつけることに答えを見たというところでしょうね」
「もし失敗でもしたらユエラがいの一番に危ない目に合う。そういうときに専属で護衛してくれる人員は確保できたってことで結果オーライだ」
「これは感動的青春ストーリーですのよ。こうして若き魂は少しずつ理想とする自分の背中を追うようになるんですのよー」
そしてもっとも安全であろう最後尾では1人と1羽とひとりがほんのり笑う。
明人は小脇に抱えたエルエルを抱え直し、レィガリアもまた腰の剣に手を添え油断ない。
決して他人事という意味で安全地帯に下がっているわけではない。龍族が強すぎるため前にでる理由がないというだけ。つまりこれも適材適所なのだ。
「とはいえ……エルエルもなんか協力してくれたりしないの? よく考えたらがんばってるのオレたちだけじゃない?」
明人は、サイドバッグのように脇へ抱えた温か天使へ渋い視線を送る。
あのクロノスと対面するのであれば助力が欲しいというのが本音だった。臆病者の辞書に備えすぎという言葉は書かれていない。
ブロンドを振り仰いだエルエルは人懐こい顔で唇を尖らす。不満を片頬に押しつけ、ぷくっとむくれた。
「むぅ……ワタクシでは不満ですのよ? こう見えてかなーり強いですのよぅ?」
「不満っていうか不安なんだよ。なんで偉い天使なのに単身できちゃったわけ?」
「ふにゅう様はワタクシの凄さを知らないからそんなこと言えるんですのよー。ですのよね、レィガリア様?」
唐突に振られたレィガリアの行動は早かった。
勢いよく壁のほうへ視線を反らし「……まったくです」上の空に応じる。
「オレ1回もエルエルの凄いところ見たことないんだよなぁ」
「ワタクシは存在自体が凄いんですのよ。立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花とはワタクシのことですのよ」
エルエルは、明人の腕にぶら下がりながら腰に手を添えふんすと威張った。
女性的な実りが動きに合わせてたわわに躍動する。
「……普段から羽で浮いているくせによく言うよ……」
両性という特殊性ありきでもこの天使は愛らしい。まるで頭のなかにお日様でも昇っているのかと思うほど……ノウテンキ。威厳なんてものは微塵も感じられない。
それでも明人にはいちおうだが凄いんだろうなぁ、ていどの認識はある。この状況でもレィガリアのように気安く話しかけるような無礼を働く者はいないのだから。
いつの間にやら前進をはじめた前列につづきながら、やんわりと助力を乞うことにする。
「せめて天界からの援軍とかいないのか。これは大陸種族だけの問題じゃないし、ちょっとくらい凄い天使ってところを見せてほしいわけだ」
「そのへんは抜かりなし子様ですのよ。実はこんなこともあろうかと、あらかじめ部下のひとりを連れてきてるんですのよ」
「本当か? だとしたらかなり助かる!」
ダメ元でお願いしてみるものだ。
こう見えても最上位の天使なのだとか。そんな彼女が連れている部下ならば戦力として期待しないはずがない。
エルエルはしたり顔でなにもないところへ呼びかける。
「ではそろそろおいでませですのよー。透明化の魔法を解いて皆様がたにご挨拶なさいですのよー」
真っ先に明人の脳裏に浮かんだのは、大剣の乙女グルドリー・ヴァルハラ――選定の天使である。
抜剣のひと振りで骨と臓物の化け物を滅却した比類なき強さ。しかも美人となれば万々歳にオマケつきみたいなもの。断る道理なんてありはしない。
「おおっ、言ってみるもんだな! まさか本当に力を貸してもらえるとは思わなかった!」
明人は少年のような瞳で吹き抜けとなっている空を仰ぎ見た。
そこにはすでに光沢と見紛うほどの白い揺らぎがある。
白衣白衣の裾が空気を孕んで波打つ。乾いた石畳へ純白の翼が降り注ぐ。
「おうおうおう。イキナシローアングルからパンツ覗いてくる不届き者がいるじゃねーですか。しかもやることねーし暇すぎてそろっと寝ちまうところでしたわ」
天使。それは天のからの御使いである。
人々から神へ願い望みを神へ、ときには神の心を信仰する人々へ与え授ける。
事実とは奇なり。どうやら人の知る天使とはまやかし。どうやら天の御遣いとは白翼のいたわりぶかき種族はないらしい。
「とりあえずアタしゃあ第3級天使ってやつです。所属は、クソ上司――……おほん、もとい審判直属の断罪ですわ」
徐々に降下してくる天使は一見して少女のようだった。
巨大な篭手に覆われた手には通常の3倍はあろうかという弓のこがもたれている。乱れた刃からは血のようなモノが滴り落ちる。
血塗れの白衣、血塗れの微笑み。凶器と狂気が同居しているかのような悍ましさ。
「ま、知っての通りでさぁ。断罪の天使タストニア・リーシュ・ヴァルハラってやつです」
どうぞご贔屓に。断罪の天使タストニア・リーシュ・ヴァルハラが降臨する。
それからさも面倒くさい言わんばかりに一党へ一礼をくれたのだった。
期待を裏切られた男心は躊躇せず、明人は迷いなく言い放つ。
「チェンジで」




