541話 そして天からの予言(後編)
女帝戦で壊れた痕は深く、溶接機で繋ごうとする試みさえ一瞬で諦めてしまうほどだった。
――4脚部うち1本の全損、右腕肩関節部からの裂断。それ以外の損害箇所を数えだしたらきりがない。
そもそもがオーバーワーク気味だったのだ。造船用の重機にしてはかなりがんばってくれていたと評価すべきである。
河川を越え空を飛翔し野を駆け山を駆けずりまわった。しかし本来与えられた特攻という役割を果たせぬまま眠らせるにはまだ早い。
明人は心にポッカリと穴が空いていることを思いだして苦笑する。
――これが終わったら改装の仕上げにとりかからないとな。せめて……オレの手で。
今、ワーカーは生まれ変わろうとしていた。誰でもない愛機と呼称する操縦士の手によって。
いずれきたる闇の襲来。誘われし密林の奥深くで重機は兵器として時を待ちつづけるのだ。威風堂々と、己が制作された意を世界へ刻むために。
明人がガラにもなく感慨に耽っていると、視界の端で大きな三つ編みがたらりと垂れている。
「……なにさ?」
「なにさと言われればこちらがなにさと言いたいいところなんですよ」
すぐ真隣に目を配れば、リリティアが覗き込むようにしてこちらを眺めていた。
しかもなかなかに愉快な顔をしている。
「なんかまた悩んでるお顔してますよー? 眉間にこーんなシワシワが寄り切っちゃってます」
こーんな。そう言いながら彼女は自分の眉間を指をあてがう。
困っているようなむず痒そうな、とにかく形容し難い変な表情。
「ふっ――ははは! 古くなった白饅頭みたいな顔してるし!」
「あー! 心配してあげてるのに笑いましたね!」
意表を突かれた明人は、思わず吹きだしてしまう。
剣聖という呼び名がかなりもったいない残念な感じの顔だったから。
あちらは頭からふんすこ湯気だたせるも、堰を切ったように笑いがとまらない。真面目な空気を装っているからこそ余計に効いてしまう。
明人は腰からくの字に曲がるように腹を抱えてリリティアを指差す。
「古くなった白饅頭だって怒るときは怒るんですよ! あとちょっと笑い過ぎじゃないです!? 爆笑じゃないですか!?」
「笑わせにきてるんだからそりゃ笑うだろうさ! いまさら後に引けなくなって恥ずかしがるんじゃないよ!」
やって、笑われ、ようやく恥ずかしい顔だと気づいたらしい。
ボッと音がしそうな勢いでリリティアの雪白い頬が春の桜色へ変化した。
「もう知りませんもんっ! 明人さんなんかうじうじしたまま湿っぽくなってればいいんですっ!」
最後はいじけるようにして顔をぷい、背けてしまう。丸い耳が縁どられるくらい真っ赤になっている。
明人は息を絶え絶えに「ごめんごめんありがとう」謝罪と感謝を同時に口にした。
悩んでいるのとか悔やんでいるのとかそのへんがまるっとバカらしくなった。
「たぶん気を使わせた。大丈夫もう踏ん切りはつけてるつもりだからさ。せっかくの旅行なんだしこの話はもうオシマイにしておこう」
「私がはじめた話ってわけじゃないですー。せっかくの旅行中にそっちが勝手におセンチだっただけですー」
リリティアがほんのり血色の良くなった頬をぷっくり膨らす。
どうやらそう簡単に許してもらえぬらしい。だから明人は手を伸ばして金色の髪をわしわしと乱す。
するとはじめはぶすくれていた表情がしだいにほぐれていく。
「ごめんって。あとでちょっとした良い物をプレゼントするから機嫌直してよ」
「んっ、それなら許してあげないこともないです。ただもうちょっと優しく撫でてくれるといい感じですよ」
リリティアはこつんと明人の肩へ寄り添いつつ猫のように目を細めるのだった。
機嫌良さそうに青いリボンが微風に踊る。金箔をまぶしたようなブロンドの髪が木漏れ日を浴びてきらきら照り輝く。
明人にとっては久しぶりの感覚だ。それもずっと昔に手放してしまった、懐かしくて遠い記憶。リリティアの横顔に妹の姿を重ねる。
――守るさ。もう1度だけ守り抜いてみせる。
妹を守り抜いて役目を終えた兄がいた。愛する舟生夕という宝物を方舟へ乗船させることで彼女を救った。
なのだが、手放したはずの宝物が再び手に入ってしまったのである。悔い、迷い、移ろった先で、妹と同様か、それ以上に守るべき者たちと出会ったのだ。
――それに今度はもうしくじらない。絶対にこの世界を守り抜くんだ。
再び兄は生命すらも焚べる。守るべき者を失わぬために。
上等である。守るべき者を見失わぬよう、手のなかにある温もりを失わぬよう、誓いたてる。
――せっかく空と旭が繋いでくれた時間なんだ。ならやることをやってからでも遅くない。
明人は死してなお心にいつづける戦友たちに心で伺い立てた。
世界と世界の狭間に爆ぜた両名の戦友――名を夜船空、そして朝井旭と言う。
2人の英雄が繋いだ奇跡。
――なあそうだろう……ワーカー?
そしてとうとう割れぬはずの空が割れてしまった。それは世界にとってあってはならぬ災厄の訪れ、予兆。
敵は1度目は成功したと嘲笑うか。2度目も蒼き世界と同様に蹂躙できると舐め腐るか。
だが今回の世界には盾が混ざりこんでいる。繋ぎ渡された襷を背負いし蒼き意思が生きて残った。
書物に書き殴られた呪詛の如き懸念。その対応が着々と完成しつつある
7つある諸外国のすべてだ。大陸種族全種――世界が1つとなったのだ。
やがてきたる闇の襲来、『アンレジデントダーク』。
降り落ちた蒼き光の元に集う縁と縁の総称は、『盾の軍』。
敵は文明文化すらも蹂躙する魑魅魍魎である、『受け入れざる存在』。
ヤツらが再び世界を呑まんとするならば、世界は旗揚げとともに1枚の大盾となって団結する。
それこそがたった1人の願い。世界を導く勇敢かつ優しい計画。
果たされぬまま完結しそこねた『Brave Protocol』の再点火だった。
もう間もなくでピクシー領に現れた時空の亀裂を迎え撃つ準備が整うだろう。ルスラウス世界の種族たちが迅速な防衛拠点を築き上げている。
その間お前らはゆっくりしていろというのも足がくすぐられる思いだった。だがエルフ国女王がわざわざむけてくれた親切を踏みにじるわけにもいかない。
だからこうして面々は聖都にてひとときの透明な余暇に興じる。聖女が依頼をだしてきたのも言い訳が立つようにと考えたほうが自然だった。
「それにしてもユエラってば遅いですねぇ」
リリティアは、んっ、と伸びをしつつ控えめな欠伸をする。
そよ風の如き吐息を長く吐いてすとんと薄い胸を撫で下ろす。気の抜けるようなふにゃふにゃ具合だった。
ほどよい気の抜け具合。こうして横に寄り添う明人の意識もやや緩慢になってくるというもの。
「女の買い物は長いってどの世界でも変わらないんだなぁ。下着なんちゃ履ければなんだっていいだろうにさ」
「明人さんってのんびりしてると時々言葉が濁りますね。それと明人さんはパンツ履いてないですから下着とか選ぶ必要ないですもんねぇ」
「ノーパンではないんだよ。パイロットスーツがパンツの代わりを担ってくれてるってだけだからね。だからノーパンっていう変態枠に入れないでね」
1匹と1人による他愛もない雑談である。しかもパンツを履いている履いていないの下世話な会話。
ずっと一緒にいたはずなのに明人は懐かしささえ覚えた。近ごろひた走っていたからか、こういったなにもないがひどくありがたかった。
この旅行の目的としては上々な進捗である。なにせこうなることが目的なのだ。
――これも思い出、か。
幸せだった。時が満たされていた。
乾ききっていたはずの心がじんわりと補修されていくのがわかる。
「なあリリティア」
すぐ横には丸く開かれた金色の瞳がくりくりと揺らぐ。見慣れた瞳があった。
なんとなく、だが少し勇気のいる問い。一息ほど溜めを作りつつ明人はリリティアへ問う。
「リリティアはオレなんかと一緒で本当に……――ッッ!?」
景色が一変した。視覚情報から色が失せたのだ。
直後に圧倒的でいて差別的で最上級の暴力を目の当たりにさせられる。
なにが起こったのかは口で説明できるほど簡単ではなかった。しかし今まで経験したなかでもっとも理解が困難な事態が――再び訪れたということだけは理解できた。
「――!? ――――!?!?」
背骨から恐怖の感情が漏れでるのがわかる。
脳が瞬く間に冷えて痺れるような不快感。それでいて抵抗という反骨心すら直前に折られていた。
明人は一切動かぬ身体を動かそうと努力するもすべてが無駄だった。
――こ、これはまさか!? そういうことだったのか!?
風がとまっただけではない。音も、大気も、日差しも、温度も。あらゆる万物の現象が凍りついたかの如く静止した。
こんな理不尽を可能にするのは人ではない。きっと最上に位置する神によっておこなわれる奇抜な魔法だかくそったれな奇跡でなければならぬのだ。
そして事態は揮発性物質の炸裂の如く爆ぜ狂う。不条理でいて暴風のような大嵐によって平穏という束の間が摩滅していく。
「……ッ!? エルエルッ!!」
秒針が動きだすと同時に明人は天へむかって吠えた。
だが、動きだした秒針はすでに止まることもなければ戻ることもない。
「WOOOOOOOOOOOO!!!」
「GRRRRRAAAA!!!」
視界の奥に巨大な龍が出現したのだ。
建物に阻まれた向こう側。突如現れた鱗の質量によって押しのけられた建造物がガラガラと崩され砂塵をあげる。
双頭の龍。しかもそれはユエラたちのいる方角で間違いない。
「GAROOOOOOOOOO!!!」
さらには身勝手なことに両腕を大きく広げるよう龍は両翼を開く。
まるで地の底から現れた天変地異だ。その咆哮だけで聖都そのものが震撼させられる。
「くっ!? アイツこんな人里で飛ぶつもりか!?」
「明人さん捕まってくださいッ! それと可能であるならば私たちに指示をッ!」
直前まで止まっていた風がこの場の全員の身体を吹き飛ばさんばかりに面で叩いた。
すでに剣を手にしたリリティアが彼の支えとなる。飛んでくる瓦礫などを銀閃によって細断する。
そうこうしている間にも龍となったミルマは聖都の崩壊すら意に介さず。
『ヒヒヒッ! アナタがこの子たちに救いをもたらしてくれるというのね! ならばその誘いに乗ってあげるわ!』
大翼をわがままに振りかざして巨躯を飛翔させた。
大空の覇者である龍はそのまま音や風すら置き去りにし、大空へ飛び立っていく。
汗ばみ硬直する明人とは違って他の面々たちがすでに行動を開始している。
「どうやらあっちではなにかあったぽいね! あそこまで堂々とされちゃったら手のだしようがない!」
「クソッタレがぁ!! 誰か怪我してるやつはいるかぁ!?」
スードラはあの瞬間に水の防壁を張り巡らせ、周囲の種族たちを守護していた。
タグマフも1手ほど遅れたようだが飛来する瓦礫から身を挺して子どもたちを守り抜いている。各々の感情を吐き散らしながらもすでに態勢を整えていた。
まず行うべきは状況の整理である。明人はようやく事態を飲み込んで次の手を巡らす。
「レィガリアさんは聖都の被害状況の確認と救助を頼む! 出来れば人手が多いほうがいい!」
「すでに月下騎士たちに伝令を送ってあります! 我々はミルマ様の追跡を行うべきでしょう!」
さすがは手練。戦場を渡り歩いた明人ですらつけ焼き刃と思えるほどレィガリアは的確だった。
そうなると次は、と。考える暇すらなくユエラたちが一党らの元へ駆け込んでくる。
「なにがあったんだ!? どうしてミルマさんがあんなことになってるんだ!? あと怪我はないよな!?」
「わかんない!! でも急に立ち止まったかと思ったら龍の姿になって飛んでっちゃったのよ!!」
最悪の事態は……防げたと思いたいがどうだろう。ユエラ含め、ディナヴィアとネラグァも無事のようだ。
どちらも龍の翼と尾を生やしながら髪と瞳に炎色を宿し、先ほどの龍とは異なる慎ましい翼で下降してくる。
「皆! 海龍の背に乗れ! 海龍であれば都に被害を与えず追跡にでられる!」
「邪龍の気配がぐんぐん遠くなってちゃうよぉ! 急いで急いでぇ!」
飛び立っていったミルマを追跡するの1手で全員が納得していた。
なぜ、どうして、なんて管を巻く者はどこにもおらず。即座に青い鱗姿に変貌したスードラの背に乗って空を睨む。
動きだした。小さくなっていく双頭の龍の背を眺めながら、誰しもがその目に覚悟を定める。
『……首の告げた予測通りの事象……女神の混入を確認……運命の片翼より天界へのアクセスを開始します……』
風を裂く音に混じって抑揚のない声が、操縦士の鼓膜へ響く。
青き鱗の龍に騎乗した一党らは、乱心したミルマの追跡を開始するのだった。
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