537話 そして色褪せぬ記憶、宝物
一党らは忙しなく移動する。
本日のツアーガイドは聖都を遊園地か何かと勘違いしているフシがあった。
膝を晒す短なスカートを蹴りつけよく伸びる足を高くあげる。
「さあ次の目的地はランジェリーショップよ! 龍族に履く身につけるという文化をしこたま教えてあげるんだから!」
ユエラの提案に「おー!」と景気よく乗るのはスードラだ。
「やっぱり脱がす楽しみってあるもんねっ! そのへんの駆け引きは是非とりいれるべきだっ!」
彼がもっとも履く、身につける、という文化を軽視している。ということをいまさら攻める者はすでにいない。
しかもどうやら次の目的地は決まっているようだ。ユエラもがむしゃらに案内役を勤めているわけではらしい。いちおうは龍族の文化の潤いも思慮に加えている。
「ん~? あれはなにをやってるのかなぁ、ちんどんちんどん?」
「わぷっ!? 急に止まらないでよ!? あいかわらずデッカくて良いお尻だなぁ、もう!」
するとネラグァの巨体が一党の行く道を塞ぐ。後につづくスードラが彼女の尻に鼻をぶつけてむくれた。
ぴーひゃら聞こえてくる愉快な音。つられるように全員が立ち止まる。
見れば道すがらに目さきの変わった離れ技を披露する者たちがいた。
足を止めたのは一党らだけではないようだ。その一帯が通りすがりざま振りむきざまに披露される芸に目を奪われていた。
おおこれは奇遇ですな。レィガリアは歴戦の刻まれた頬をフフ、と緩ます。
「フム、あれは曲芸です。近ごろは他種族の出入りもあるため我々のものと毛色が異なっていてこれまた面白いものですよ」
珍しい技にネラグァはすっかり夢中である。長い尾っぽが天をむいてピンと伸びきっている。
「おおおー! 炎がぐるぐるしてるぅ! なんか音に合わせて水がぴゅーぴゅー!」
曲芸師たちが一芸披露するたび踵が石畳を叩いた。
どれも魔法を使わない肉体だよりの技だ。立ち止まった龍たちはそれを理解してもう1度大盛り上がりする。
このように道すがらですらいくらでも暇が潰れるのだ。自然と時間がすぎるのも早い。いったいどれほど予定を消化できるのかと心配になるくらい鈍足となっている。
しかも楽しんでいるのは龍たちだけでは決してない。
「あっ! できたてモフモフが売ってるから買ってくるわね!」
「は、はっ! ま、まだ食べるの? さきほどあちらのお店で食べたばかりでは?」
これにはミルマですらついていくのに息を切らせていた。
運動不足ということもあるだろうが、ユエラに議論する余地はない。すでに走りだしている。
「さっきのあれはおやつよ! それでこっちは別腹なんだから! 乙女の常識ってやつね!」
「ど、どっちも同じ意味ではないのでして? なにかにかこつけて食べ物ばかりを漁っているような気もするのですが?」
「ふふん、女の子には使える言い訳が多いのよ! おっじさーん! モフモフすごく甘くて大きいやつちょうだーい!」
丸く収めるというかぞんざいである。そうやってミルマを丸め込んで黙らせるのだ。
ユエラは白綿の袋詰を飾る露店へ駆け込んでいってしまう。
のんびりと後につづくネラグァとディナヴィアも、若干意外そうに目を丸くした。
「お~お見事ぉ。口先で龍族を転がす邪龍が逆に丸め込まれてるぅ、めずらしぃ~」
「アレはアレで気に入っているのだろう。邪龍が他者に己の手綱を渡すはずがない」
ここまでですでにユエラに引きずられるよう数件の店やらアトラクションを回っている。
なのに張り回されながらも、ミルマは多少口をはさむていど。逆らうこともなければ嫌がるような素振りすら見せない。
しかも先ほど立ち寄った魔法射的なんかが良い例だろう。
出来ない、やったことがない、恥ずかしい。ミルマがそう言って参加を拒否するも、結局はユエラと周囲の同調によってやらされる。
「これ……どのように扱うべきものなのかしら……?」
結果、彼女の放った魔法の矢は当たりのクジへ的中していた。
ミルマは抱いたワーキャットのぬいぐるみを大切そうに抱えつつ困ったように眉を寄せる。
――当たったのが1等のワダツミ旅行券じゃない辺り現実的だよなぁ。
明人の目からしても、ミルマの魔法は、見事と評すべきものだった。
周囲から降り注ぐ期待に満ちた視線をもろともせず。それでいて微かに照れを孕んだ、《マジックアロー》。
放たれた魔法の矢は吸いこまれるようにして的へと刺さり、賞品獲得の鐘が響き渡ったのだった。
『天賦の才、もしくはビギナーズラックというものかもしれないんですのよ。邪龍様が意外そうにしつつもちょっと嬉しそうにはにかんでたのが印象的ですのよっ』
これには天使のお墨もついてくる始末。エルエルはミルマの功績を己の喜びのように称える。
的があったのは遠的競技に匹敵する60mメートルはあろうかという所。それを1撃で仕留めたのだから僥倖だ。
ミルマのなかに隠れた狙撃手としての才能が眠っていたと言われても納得がいく。
――オレとディナヴィアさんの決闘中に狙撃とかされてたらヤバかったんじゃ……。
もしそれが決闘中の人間を狙っていたら……――もう終わった話だ、忘れよう。
明人だけエルエルのようには素直に喜べず、しこたま肝を冷やすのだった。
現状、龍族を楽しませるという点においては成功していると言っていいだろう。少なくともミルマもユエラ相手に退屈や変なことを考える暇もない。墓前で還らぬものを待つよりずっと健康的な旅となっていた。
あちらではようやく出来たての綿菓子が完成したらしい。店主の太く逞しい手からユエラへ差しだされる。
「はいよ! お嬢ちゃんは元気がいいからサービスだ!」
受けとったユエラは、まず綿の端へぱくりとかぶりつく。
それから店主へ軽いウィンクを送った。
「おじさんありがとっ! じゃあ私もせっかくだしサービスとして美味しくいただくわねっ!」
「あっはっはっ! こりゃあ1本とられたな!」
なんとも気さくな感じ。日常の1ページを切りとったかのような風景だ。
きっと誰に対しても店主はそうであって、きっとユエラも同じなのである。
その間ミルマは、ぬいぐるみをまじまじと見つめたまま。そちらに気すらむけず。
「……」
にらめっこでもしているのだろうか。濡れた紫陽花色の瞳とくりくりの丸ボタンが、じっと見つめ合っている。
両手でワーキャットの頭をもち、感情の読めぬ顔でたたずんでいるだけ。
――おい……まさかいきなり千切ったりとかしないだろうな。嫌だぞ、そんなヴァイオレンスな楽しみかたは。
『いやいやそんなまさかですのよ。さすがの邪龍様だってそんなことなさらない……はずですのよ?』
――なんで疑問形なんだよ……自信持ちなさいよ。へちゃくても天使だろ。
遠目に眺める明人とエルエルもハラハラしながら彼女の動向に気を配る。
『あんなキャワイらしいぬいぐるみ様を千切るなんて呪われちゃうんですのよよよ』
――でもオレが前戦ったツインテのパンモロエーテル族は普通にやってたなぁ。
『あれは詠唱と魔法の効果を現界させる媒介。エリーゼ様のエピックマジックは例外ですのよ』
懐かしい記憶である。エリーゼ・コレット・ティールはぬいぐるみのセリーヌを躊躇なく引きちぎっていた。
それと同じことをミルマにされては、明人もたまらない。なによりユエラがショックを受けかねないし、ぬいぐるみが可愛そうだからだ。
そんな明人の心配をよそに、件の彼女は――双頭で――はにかんだ。
「……ふふっ、愛らしい子……」
「……んっ、可愛い……」
どうやらぬいぐるみとのにらめっこに負けたらしい、というわけではない。
彼女はソレを受け入れるようにぎゅっと抱きしめる。
「…………」
瞼を閉じる。しっかと抱き、ぬいぐるみの頭を優しく撫でた。
ぬいぐるみが似合うというのも女性としての権利だろう。なんというか……彼女がそうしていると、とても絵になった。
身に帯びるドレスの奥で柔和な突起が主張する。子を生んでるにしては体型がまったく崩れていない。抱かれたぬいぐるみが埋もれるようにして三角耳をぴょこんと覗かせている。
すると唐突に天使が調子に乗りだす。
『ねー! ほれ見たことですのよ! 邪龍様はワタクシのご期待通りのお優しい御方だったんですのよぉ!』
――なにが、ねーだよ! いきなり刃先を変えてマウントとか天使としてのプライドはないのか!
エルエルは反抗する明人をあざ笑う。
愉快愉快と腹を抱え、口元を抑えながら、臆病者と繰り返す。
『うぷぷっ! ふにゅう様は臆病様だから邪龍様を危険視しすぎなところがあるんですのよよよ! くすくすくぅー!』
――オマエ……マジで1回ルスラウスさん召喚して説教させるからな。覚えとけよ。
だが、明人がミルマの暴走に注意するのはアタリマエのことだった。
なにせ彼女の存在そのものがあまりに希薄すぎる。
薄氷の上に置かれた刺激物。僅かな衝撃で発破するかもわからない爆弾というイメージ。
精神病患者特有の危うさ。いつ何時も目が離せず、いかなる場面で凶暴を起こすか検討もつかない。
だから明人は彼女を観察する。常に、一挙手一投足すら見落とさぬよう、蒼い瞳が注意深く見届ける。
彼女が暴走せぬよう、今日という日を思い返して笑えるように出来るよう。
「あーきーとーすわぁん!」
そのための抗生物質。
そのための抑止力が、白裾をなびかせ、明人の努力そっちのけでやってくるのだ。
「これっ! この白いドレス華やかで可愛いと思いませんか!?」
「なんか静かだと思ったら……そうかリリティアがいなかったのかぁ」
どうやらリリティアはどこぞの服飾店に潜り込んでいたようだ。
嬉々として滑り込んでくる。そちて手にした女性用の服をじゃじゃーん、と見せびらかす。
「これならユエラにとーっても似合うはずです! これは買うっきゃないですよ! むしろ買う以外の選択肢がないんです!」
「自分用じゃないのね? あとユエラはロングスカートとか選ばないと思うよ」
「ちっちっちっ、ですよ? だからこそのギャップという栄えがあるんです! さらにコレを着たユエラが私と並んで歩けばさながら優しい姉とちょっと手のかかる妹感がでるはずです!」
手にしているのはリリティアが普段着ているものより高級感のあるパーティドレスだった。
こういうときデザインではなく値札に注目してしまうのが男の悲しい性質である。しかし歯牙にかけぬというのも礼を欠く。
値札に書かれているのは約3万ラウスというパーディドレスにしてはなかなかのお値打ちである。
はしゃぐリリティアを前に、明人は心を消去して「インジャナイカナー」と、投げやりになることにした。
「やっぱりそうですよねっ! じゃあ思い切って購入してきちゃいますっ!」
するとリリティアはここぞとばかりに三つ編みを翻らせる。
ドゥ家には金の使い道が少ない。そのくせ意外と高収入なのだ。こういうときくらい財布の紐を緩めても財政難には至らぬはず。
ただ、買った物を無駄にするのは日本人としての血が許さぬ。
「でもそれだと胸のサイズがリリティアと一緒だからユエラは着れないかんねー」
「っ……」
念の為に付け加えると、リリティアは軽やかな足どりを重くした。
そしてこちらへ振り返ることなく立ち止まる。
「しかもそれってチュートップタイプだからちゃんと採寸しようなー。小さいと苦しいし跡つくし、大きいとかなり危険なことになっかんねー」
茨城弁は2度刺す。
現実的でもあるのだ。現実とは受け入れてようやく前に進む。
「…………」
ぷるぷると白いドレスに包まれた華奢な肩が震えているのがわかる。
小さくなる背、はためくことをやめた青いリボンが哀愁を物語る。
すると唐突にネラグァの常人より長い足が動きだす。
「白りゅー? 元気だしてぇ?」
リリティアの横に並び立ち、力なくたたずむ彼女の背に、そっと手を添えた。
その後ろ姿の対比と言ったら残酷を通り越す。ふたりの身長は目測で1,5倍ほど。そしてホモサピエンス型の女性として色気をつかさどる箇所の大きさも倍は異なっている。
ネラグァは優しく歌うような音色でリリティアヘと囁く。
「ねらぐぁはね、狭いところに入れないから羨ましいよう? シャープでコンパクトは精錬され切った結果だよう?」
3度目の正直――否、直撃。
それに対してのリリティアは音よりも早かった。
ぐるん、と振り返る。ネラグァを見つめる瞳にはすでに涙が滲んでいる。
「私の身体は精錬済みと言いたいんですかあ!? 叩かれつづけて真っ平らになった!? 巨龍はそう言いたいんですかあ!?」
打てば響くような心からの叫び。
しかしネラグァはなにを勘違いしたのか怒れるリリティアを優しく抱きしめる。
「いい子いい子ぉ。白りゅーはちっちゃくて可愛くて良いねぇ、小型薄型ぁ」
「んむーっ! んむむむーっ! んんんんーっ!」
抱擁、というより監獄への束縛だった。
その大食らいな谷間はリリティアの小さな頭如きすっぽりと飲み込んでしまう。
さらに巨龍ネラグァの剛力を前にしては、かの剣聖とて容易に脱出は不可能のようだ。あの岩すら握りつぶすリリティアが力負けして脱出できず、もがいている。
想像を絶する光景を目の当たりにした明人は、戦々恐々と恐れ慄くのだ。
「い、生き地獄だ……! どれほどの業を背負えばあんな目に……! そしてどうしてネラグァさんはあんな残酷なマネが出来るっていうんだ……!」
「ま、半分以上はキミのせいだけどねぇ。それにしてもあれはトラウマになるだろうなぁ」
「オレっちもそう思うぜ。巨龍のやつ、白龍が兄弟いじめられてると勘違いして助けに入ったっぽいしなー」
スードラをタグマフも合流して虐待現場に若干、引く。
男たちにはわからぬ苦悩というものが世の中には多くあるのだろう。リリティアの場合はコンプレックスということもあって、特にか?
とにかく平和だった。戦争と比べたらあのていどの小競り合いなんて喧嘩のうちにも入りはしない。
若々しい生命力にあふれた少女に連れられ、種の織りなす聖なる都を巡る。龍たちもまた進んで後につづく。
「さーじゃれ合ってないで次の目的地にいくわよー!」
「誰を待ってたと思ってるんだかな。あとネラグァさんはそろそろリリティアを離してあげてもらっていいかい?」
「んんんーっ!? むぐっ――ぷはあっ! その傲慢極まりない駄肉を捻り潰してやりますッ!」
「わあ、白龍が起こったぁー! あはははは!」
きっと今日は思い出に残る日になるのだろう。どれほど時間が経っても色褪せぬ素敵な記憶――宝物。
少なくともここにいる全員が、そう。堪えきれぬ微笑みで幸福を描いていたのだ。
「……フフッ。ほんと、愛らしいわぁ……狂おしいほどに……」
ぶち、ぶちぶち。
なにかがほつれる音がする。1人だけがそのままならぬ気配を聞き逃さない。
可能性としてはあったのだ。ただ願わくばそうでなくあってほしいと、心で願っていた。
だから傍観という立場で研ぎ澄ませていた。
――やっぱりもう……か。
もう修理できぬほどに壊れてしまっている。
ダメだったか。そんな気がしてならなかった。
……………




