535話 そしてトラベルトラブルえんじぇるぅ
早朝。
寝ぼけ眼をこすりながら城をでた一党を迎えたのは、堅苦しい1礼である。
「おはようございます。昨晩はごゆるりとお休みになられたようでなによりにございます」
月下騎士団長のレィガリアが内門を前にすでにスタンバイを完了していた。
「本日も同行するようにと聖女様より仰せつかっております。2日目は聖都観光をつづけるとのことですので龍族様方のエスコートを誠心誠意勤めさせていただく所存にございます」
相変わらず肩肘張っているというか。腰には剣、身には鎧という身なりもあって気さくさの欠片もありはしない。
しかも鱗鎧のチャラチャラという騒音が目覚ましのように聞こえ、耳に五月蝿い。
「……すぴぃ……すぴぷぅ……」
そして本日のリリティアもまた前日と同じ、言うまでもなく、お寝坊である。
「おや? 剣聖様はまだ起床なさっていないようですね?」
「ああ……いつものことだから気にしなくていいよ。本当にいつものことだから……」
穏やかな寝顔だった。明人の硬い背で頬を潰しながら朝の夢でも見ているらしい。
レイガリアは「左様で」と短く返し、決まりよく面々を見渡した。
「ふぁぁ……なんだかベッドがもこもこでもうちょっと堪能してたかったかなぁ……」
「そうかぁ? オレっちはもっと硬ぇほうが好みだぜ!」
「岩龍は岩龍だもんねぇ。ねらぐぁは寝返りがうてるベッドで幸せだったよぉ、ごくらくごくらくぅ」
「オメェは1匹で2匹分のベッド使ってたらしいじゃねーか。たしかダブルだかキングだか言ってたな。寝所如きに大層な名前がついてやがんぜ」
スードラ、タグマフ、ネラグァと、順番にのそのそ門をくぐり抜けてくる。
あくびを移し移されつつも、寝床の感想を交換していた。
近ごろはドワーフと明人の手によって改築されたおうち村で文化へ触れている。しかし慣れぬ土地の空気には未だ抵抗があるようだ。
レィガリアは龍たちへまんべんなく視線を送った後、ふむと筋の通った鼻を鳴らす。
「文化の差でしょうか。あまり疲れが抜けきっていないように見えます。出発を見送ったほうがよろしいかもしれませんね」
顧客の反応はいまいちとなればガイド兼監視役として不安もあるだろう。
彼によぎったであろう不安を、明人は即座に否定してやる。
「いや、そうじゃないんだ。こいつら食後に飲めもしない酒でどんちゃん騒ぎしてさ。それで若干二日酔いなだけだよ」
うなだれつつ背中で寝こけるあったか存在を背負い直す。
するとレィガリアはやや曇りがちに「……合点がいきました」渋く眉を寄せるのだった。
――龍と神と酒が出会ってまつわる話にろくなものはないしな。ま、今回のは勉強代としてもらおう。
神話などに酒が絡むと大概は羽目を外して失敗する。昨晩もだいたいそんな感じ。
城の女給に片っ端から迫る青二才もいれば、巨体であらゆる物と者を区別なく抱き潰そうとする龍もいた。トップレスでヘラヘラしていたスードラていどならば可愛いほうである。
「すぴぃぃ……すぴぴぴぃ……」
「いち早く離脱してくれたリリティアに感謝だ。酒は飲んでも呑まれるな。龍族全体の教育に組み込むとしよう」
いちおうこれも龍族を西側に送るためのテストでもある。失敗は次に活かすための母なのだ。
そうやって聖都へ灯っていく日照に目を細めていると、ようやく最後尾が城からどたどた忙しなくでてくる。
「ほらほら! 着付けに時間がかかっちゃったんだから走らないとダメよ! 今日はやることが昨日の3倍くらいあるんだからね!」
「ふむ……3倍、か。それはなんとも忙しないな」
「ちょ、ちょっとユエラちゃん!? アタシまだこの靴に慣れてないの!?」
ユエラが、めかしこんだ2匹の手を引いてくる。
ディナヴィアとミルマも助力があってか、昨日購入したドレスを身に帯びて準備万全と言った様子である。
両名を飾るドレスはなんとも美しく気品があるのだが、遅刻気味なので忙しない。
「うーっ! 私らもついてってあげたいけど今日も仕事な感じー!」
「俺は奴隷街とやらの壁を壊すつづきがある。面目ないが付き合えそうにない」
「ぁぅ……ムルは今日学校……ねむぅぃ……」
そしてよくよく見ればその背後にカラミ家の面々も揃い踏みだ。
焦げ色の脇を晒して伸び、常に生白く低血糖を思わせる表情、9割型閉じた眼と朝なのに揺らぐ先端の星。ドゥ家に負けずとも劣らぬ、色合いのハッキリとしたメンツである。
「こういうときは、おはようというのが習わしだったかしら。ふふ、ユエラちゃんからさっき教えていただいたのっ」
こちらもこちらであいも変わらずと言った様子だった。
ミルマは紫煙の如き髪を頬で抑えるようにし、意地の悪い笑みを送る。
敵意でないにしろ悪意くらいはありそうだ。それでも明人はとくに気にすることなく普通の社会人的な感じで返すだけ。
「おはよう。ミルマさんもゆっくり休めたかい」
「おかげさまでのんびりさせていただけていますわ。触れるものすべてが新鮮でまるで起きていても夢のなかにいるかのような錯覚さえ覚えてしまいます」
ミルマは心にもないことを口にするような口ぶりで、くるりと回ってみせた。
はらり、とめくれる裾から朝に眩しい太ももがちらり。肩から外気に触れるドレスは色気と気品のどちらもを際立たせている。
尾と翼も言いつけ通りにしまっているからか控えめに言っても眩しい。朝には少し似合わぬくらい夜の薫りをまとっていた。
この龍をどう扱うかはユエラに任せている。だから当たり障りなく接するが吉だ。
「そりゃあ良かった。あのあと顔すら見せないから心配だったんだよ」
「アタクシお待ちしておりましたのよ? 密かに会いに来てくだされば一晩の間中ずっと包んで差し上げられましたのに、フフッ」
ミルマは細い肩に顎を寄せるようにして意地の悪い笑みを浮かべた。
しかし不備はない。いないのなら探す、それだけのこと。
「良く言うよ、バルコニーからボサーっと夜空を眺めてただけのくせにさ。こちとら別の龍どもを止めるのに必死だったっていうのに……」
明人がそちらも見ずにふてくされながら言う。
するとミルマは演技がかった微笑をはたとやめた。
代わりに灰色がかった青い瞳を丸くする。
「アタクシたちなんかを……お探しになってくださったので?」
明人は背中で落ちかけているリリティアを背負い直す。
「オレは仲間はずれが嫌いなんだ。共感性っていうのかな、とにかくひとりでぶらぶらするのはやめてくれ。ああいうのは気になってしょうがないんだよ」
そしてミルマのほうを見ようともせず、手をぱっぱと払って彼女の視線を撒くのだった。
見つけてはいたのだ。が、声を掛けようとは思わなかった。
月夜を仰ぐミルマの頬に星屑を映した涙が流れていなければ誘いようもあったのが。
きっと彼女は帰れぬ夜に思いを馳せていたのかもしれないし、そうでないのかもしれない。どちらにしても己に癒せる傷でないことだけは理解している。
「……あ……りがとう……」
フラワーガーデンを色づけていく黄色い日差しとともに声が聞こえた気がした。
よほど意外だったのかどこか頬をぼうっと赤らんでいる。
だから明人は「どういたしました」なんて。ややある照れを隠しつつ返す。
「もし嫌なことがあるなら忘れるくらい楽しいことをすればいいよ。ユエラならそれをちゃんと受け止めてくれるはずだからさ」
それでも我慢できないのは人の良さか。
ガラにもないと思いながらも僅かに湧いてしまった同情を口にしてしまう。
横からは微かな動揺の気配が伝わってくる。
ミルマは一瞬だけ上下の唇を合わせながら薄く伸ばす。
「……っ」
直後に物憂げな「……ええ」という肯定の音が明人の元へ返ってくるのだった。
「では揃ったようですね。本日はどのような行程で観光なさるおつもりでしょう?」
全員が揃ったことを確認したレィガリアは、グリーブ足を1歩ほど前に踏みだす。
すると待ってましたとばかりにユエラが天高く手を差し伸べる。
「まずはご飯! それからオシャレね! アクセサリーとか小物系をショッピング! それと女性用のランジェリーも見て回りたいわ!」
濁流の如き要望の最後に「あとは楽しいことぜんぶよ!」ズビシッ、と決めた。
あたかも妙案だ、とばかりにふんすと胸を反らす。両長耳がピコピコご機嫌に上下する。
非道く難しい注文であることは間違いない。食べたい物を聞かれて料理、と答えるような大雑把さ。これでは熟年離婚の原因にすらなりかねない。
さすがの明人も見かねてユエラを落ち着かせる。
「おいこら。前半はまだしも女性用のランジェリーってのはさすがのレィガリアさんでも厳しいだろ」
「了解致しました」
「おーっと了解しちゃうんだ!? 女性用下着に詳しい騎士団長とかチョット見る目が変わっちゃうんだけど!?」
聖都を愛し守護する騎士団長への心配は、どうやら杞憂だったらしい。
快諾したレィガリアはさっと踵を返す。紋章の描かれたマントを男らしく翻した。
「ではまずは軽めの朝食と参りましょう。戦場であまり物を胃に詰め込まれては判断が鈍くなってしまいます」
「戦場って言った? もしかして了解するのにすごい葛藤とかあったんじゃない?」
「ありませんし、ありえません。私は聖女様より仰せつかった職務をまっとうするのみにございます」
「でも昨日まっとうしてないよね? いきなり私怨マックスでオレに喧嘩売ってきたよね?」
そうして一党はそぞろな足どりで今日も聖都へ繰りだすのだ。
「うーっ! いってらー! お土産よろしくしちゃうよねー!」
「細やかながら旅の幸運を祈らせてもらう」
「がっこ……? ぁぅ……ねむぃ……」
手を振りながら見送る龍たちにも、手を振って別れを告げる。
旅行のなか日。1日中を楽しいことに注げる日でもある。本日の旅行もまたハードスケジュールとなる気配がむんむんと香る。
その上、聖都は快晴。日は高く天に手を伸ばせば空色の一端くらい掴めてしまえそうな好天だった。
耳元ではリリティアの寝息が深く刻まれている。
「……ふすぅ……ですぅぅ……」
それからユエラの活気あふるる声に龍たちもつられるようにつづく。
「じゃあしゅっぱーつ! 楽しい楽しい旅行のつづきといきましょー!」
そして聖なる都にエントリーしていくなか、別の声も混ざった。
『うわーい! 朝ご飯楽しみですのよ! 美味しいモノは匂いだけじゃお腹は膨れないんですのよっ!』
ここまでずっとである。ちょうど視線の高さにくる位置でぷりっとしたものがあった。
明人の視界のみにそれは映りつづけている。朝の聖都を背景にとある白くて丸い物体が浮いているのだ。
「…………」
『ワタクシも朝ご飯ご一緒してもよろしいんですのよ!? 出来ればふにゅー様のおこぼれをいただきたいんですのよ!?』
くるり、と。美しい朝色に似た金の髪振られる。その向こう側では青く翡翠の眼差しがきらきらしている。
背には龍でもなければ鳥でもない、キーホルダーの如きちんまい羽が2枚ほど。申し訳ていどにくっついているだけ。
ふよふよ優雅に小柄な肉体が浮遊するたび白いワンピースの裾が波を打つ。隠そうともしない突きだされた臀部に弓なりの背。スカートの奥は張り詰めたパステルブルーの布地が窮屈そうにシワを作って、今にも裂けてしまいそう。
「あ、うん」
『やったーですのよ! 昨日から聖都にいても尾行ばっかりで美味しいモノの匂いしか嗅げていないんですのよ!』
審判の天使エルエル・ヴァルハラはたまらずとばかりに両手を上げて大きくガッツポーズした。
2日目は天使の加護ある旅となるらしい。
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