533話 そして最後の晩餐、地獄への入り口
やけに前途多難な1日の旅行を終えた一党は、日が落ちきる前に宿泊先へと転がり込んだ。
旅行の宿泊ともなれば華々しい1日の終わりを飾る。旅の要と豪語する者も少なくない。
寝所を疎かにすれば肩透かしだ。華々しく飾ったはずの聖都旅行の評価がガタ落ちする未来さえ見える。
しかも連れている主役は龍族。彼、彼女らに満足していただくのが旅行プランナーとしても旅行代理店の使命だった。
そしてプランナーである明人と依頼主である聖女テレーレはここに秘密兵器を仕組んだ。
そういった経緯で一党は今、聖都で一等でかい建物――聖城にてパーティーを開催している。
――さすが城だなぁ。綺羅びやかで豪華……オレの場違い感がすごいぞ。
いわゆる晩餐会というやつかね。農夫服の男が、ぶらりと宮廷舞踏会の如き会場を、こそこそ忍ぶ。
金管楽器によるメロディックなバックグラウンドミュージックに、燭台に建てられたキャンドルの火が瞬いて揺らぐ。魔法による光と炎が氷とともに踊って空間を彩る。
赤い布のかけられた円の卓には香り豊かな香草と肉、あふれるほど酒。そしていかにも高そうな陶磁器のボウルには山盛りのフルーツだ。
なにもかもが人間の生まれた地と異なっており現実離れしていた。
――しかもこれってコース料理だろ? 食前酒と前菜レベルで胃を破裂させる気か?
当然だが明人は、燕尾服なんてものを着たこともないし、かしこまったスーツやネクタイももっていない。
起毛だった絨毯が足音を吸うほどふかふかとていて正直歩きづらいことこの上ない。
田舎出身である人間にとって中世ヨーロッパの17、8世紀付近の歴史はあまりに遠すぎた。
そうやってしばらく呆気にとられながら落ち着かずにいる、と。
「明人さん明人さん! これ飴で作ってるらしいですよ! 食べられる芸術品らしいです!」
「こっちのお肉とか中身が赤くてヤバいわよ!? これって食べても大丈夫なやつなの!?」
2つの見知った影がぱたぱた長短の裾を揺らがして駆け寄ってくる。
なんとも場所を選ばぬのは、リリティアとユエラだ。
こうして離れたところで明人が忍んでいるというのになぜだかすぐに発見されてしまう。
「それはローストビーフだから食べても大丈夫なやつだよ。あと飴細工は食べる用じゃなくて観賞用だから元あったところに戻してきなさい」
「なら食べていいのね!? じゃあ生だけど食べるわよ!? お腹壊すかもしれなけど食べちゃうんだからね!? めちゃくちゃ美味しいわ!?」
「えーでもこれ食べ物ですよ!? 食べ物で遊んじゃダメって明人さんが言ってたんじゃないですか!?」
とはいえ、明人としてもひと安心している。
否めないのが不思議なところ。いつの間にかふたりが近くにいるだけで場違いな会場でも落ち着けた。
だからほんのりとした微笑みでこう言うのだ。
「食事中くらいおとなしくしてなさい。そうでなくともオレらが集まってるとなぜか視線も集まるんだから」
そうは言ったものの、このふたりがまともに言うことを聞いてくれはずがない。聞き分けが良いタイプではない。
しかも珍しいづくめで興奮気味。リリティアとユエラの瞳はガラス細工のように煌めきっている。
「リリティア! 次はあっちのテーブルに進撃よ! 贅沢にお皿1枚につきひと口づつ味わい尽してやるわ!」
「そっちにあるのも私の知らない料理です! 今日はぜんぶ作れるようになっちゃいますよ!」
「おいこら。走るんじゃないよ埃がたつでしょ」
このように聞く耳を持たない。
2羽のヒヨドリたちは大きいと小さいの三つ編みを振って自由に飛び立っていった。
森の端に住まう面々。リリティアとユエラも言ってみれば田舎者である。きっとまばゆいばかりの新鮮さに酔っているのだろう。
――回りの迷惑にならないなら放っておいてやるか。
明人は、楽しそうにはしゃぐふたりを横目に、ぶどう酒をぐびりと煽って喉を潤す。
晩餐の会場は絢爛豪華。炎でなく光球を結んだシャンデリアが無駄にデカくて眩しい以外は華やか。
明かりの下では食器が円を描いて宙を舞う。一見すればポルターガイスト現象である。が、魔法に見慣れればこんなもの日常茶飯事だった。
それにしても一党をもてなすにしては会場が大きすぎる。
それもそのはず。会場にいるのは一党だけでない。
「魚族的に魚料理ってどうなんでござる? 倫理なやーつとか気にならないんでござる?」
「それを言うなら蜘蛛だって虫を食べるッす!」
「言われてみればでござるねぇ。でも拙者は蜘蛛は食べないでござるよ」
「それはそれでこれはこれッす! 美味いならなんでも好き嫌いせず食べるのが魚的な性分ッすね!」
「……悪食とも言えなくもないでござるね……」
解散したはずの複合種も混ざって共に食事を貪っているのだ。
もふもふ、ピチピチ。蜘蛛尻と尾ひれが揺れ、他愛もない話に花を咲かす。
聞くところによればローションの海に沈んだという宿泊先から、城へ。聖女の許可が降りたことによって急遽蔵を変えたのだとか。
「ピチチ……頼むから城までぬるぬるにしないでくれ……」
「大丈夫ッす! 必殺魔法、《ハイローション》の完成ももう間もなくッす!」
「ハァ……結局ハイションではなくハイローションになるのだな。上級なのか下級なのかよくわからん魔法だ……」
ため息の重さが物語っている。ジャハルも昼間から比べてより一層疲弊しているようだった。
来賓。これも聖女なりの心遣いというやつなのだろう。
なにも知らされずエーテル領に送られた彼女たちに罪は――約1尾にはあるが――ない。
――合流しても賑やかになるだけで問題が起きるでもないし。まあ、良しとしようかね。
複数のメイドがぱたぱたと長裾を波立たせながら給仕へ勤しむ。
そのむかう先々では龍族たちもまた慣れぬ環境ながらも品よく卓についてくれている。
「わあ、きれぇい! ムルちゃんこれなんてお料理なのぉ?」
ネラグァは山盛りに盛られたとりどりの野菜をもっさもっさと頬張っていく。
「それサラダだからお料理じゃないよ? 食べるならこっちのお料理を食べたほうがいいと思うよ?」
ムルルが気を使ってか手のこんだ料理を進めてやる。
も、どうやら彼女の興味は野菜にしかむいていないようだ。
「とれたて新鮮! あまぁい生のお野菜おいしー! スープに沈んだ葉っぱと根っこもほろほろおいしー!」
彼女は菜ものばかりへ次々に手を伸ばす。
その都度、頬をほころばせながら目を細め、プレーンな野菜の味を噛み締めている。
「ネラグァってお野菜大好きなの? もっとお肉とか食べてもいいんだよ?」
「お野菜超超大好きぃ! もっともーっと緑黄色ぅ!」
大柄ながらも細身のネラグァは尾を振りながら次々と野菜を駆逐していった。
そんな龍族の客となればきっと珍しいはず。もてなす側も物珍しそうに目を丸くしている。
だが、それもはじめだけ。時間が経つにつれて警戒するだけ無駄だと知ったはず。今となってはどこかにニコニコと、嬉しそう見守ってくれていた。
そしてあちらでもなかなかに明人の興味を惹く組み合わせが成っている。
「すまない。家の者共々、相伴に預からせてもらうことになるとは」
「良い気にするな。もとより聖女からの施しだ。それにこの量……妾だけでは食いきれぬ」
うつむきがちな生白い顔の青年は、黄龍ムルガル・カラミ・ティールと言う。
どこぞの聖騎士が引きとったはぐれ龍。長身痩躯のなりに黄金色のミモザの如き長髪が面長の半分を覆い隠す。
さらにその彼と卓を挟んだ向かいにいるのは、女帝のディナヴィアだ。
「別に食い切ることもないだろう」
「それでは忍びない。せっかくの歓迎なのだからな」
どこか朴訥とした会話だが、かたや脱走龍で、対面するのは女帝である。
そんな2匹が卓を囲って食事とは因果なものだ。
しかしわだかまりがあるような険悪さはない。どこかゆったりとした空気が2匹の間を漂っている。
どちらもいちおう作法ていどの覚えはあるらしい。膝の上のナプキンに、フォークとナイフを使いこなし食事を進めていた。
「……こちらでは上手くやれているのか? 種が多くとも龍族にとって過ごしやすい環境か?」
「ほどほどだ、少なくとも不便に思うことはなにもない」
しばしの間。ディナヴィアは辛そうに眉をひそめる。
そして「……そうか。それなら良い……」とだけ。その曖昧な表情に暗さが滲む。
黄龍脱走の企てたのは黒龍セリナだ。彼女におこなったのは監禁からの拷問など。加害者側から許してくれと言って乞える立場ではない。
するとムルガルが猫背をより丸くしながら微かに口角をもち上げる。
「しかし直近での愚痴がある」
「……愚痴、だと?」
「ああ愚痴だ。ただの愚痴というやつだ。聞くだけ聞いておけ」
「…………」
ディナヴィアは神経質そうに先ほどとは別の意味で眉をひそめた。
それから彼は頭を振って金糸の長い髪を払う。
「家主と黒龍が小うるさい。それはもう家のなかから静けさがでていってしまうほどだ。元気すぎてこちらが疲弊してしまうほどにな」
ぼそぼそと耳を澄まさねば聞き逃してしまうような声。
それから痙攣を帯びたとても上手とは言えぬ微笑みを浮かべている。
影の落ちた彼の顔に、下手くそだが、確かな許しが貼りつけられていた。
「黒龍が同居するようになってからというものまた生活は変わった。それでも俺たちはなんとか上手くやれていると思う」
「つまり悪くない生活だ」と付け加えた。
良い生活と堂々と言わぬ辺りムルガルらしい。
「……そう、か……」
ディナヴィアは息を詰まらせたようにルージュの塗られた唇を閉ざす。
「それならとても素晴らしいことだな。時折で良い、どうか妾にも汝らの征くへを見守らせてくれ」
「ああもちろんだ。それと暇があったらいつでも羽を伸ばしにこい。とにかく小うるさい家だからな、きっと焔龍の気も紛れるだろう」
「それは……心躍る提案だ。……楽しみだ」
ディナヴィアのその微笑みすら、ムルガルの作るものと同じくらい、とても下手くそだった。
――羽を伸ばす、か。ムルガルのやつ人のセリフをパクりやがったな。
明人には、あのワダツミの旅館で彼と過ごした夜を見ている。
しかし今はもう違う。出会いと別れ。道違えた者たちがこうして再び縁をとり戻した。
さらに元凶となった1匹も、ムルガルの登場に驚いたようではあるが、天使を仕向けているため安泰であろう。
「おい、明人」
「……ん?」
そろそろ物見をやめて食事に混ざろうか。
そんなことを明人が考えていると、不意に声がかかった。
「少し相談がある。こちらへきてくれ」
振り返ってみればムルガルが手招きをしてこちらへ来いと誘っている。
友からの誘いだ。明人とて無下に断ることはしない。ただちょっとまだディナヴィアが怖いため、足どりは重い。
2匹の居着く卓に到着し、「で、相談ってなんだい?」自然な流れでイスに腰を据える。
「ああ、せっかくだからな。焔龍にオマエとの子を授けてやってはくれないか?」
空気の流れが死んだ。気がした。
ひと波乱が起こる予兆には十分すぎる、核的な爆弾が投下された。
「人間という新種族であれば大陸の魂の制限に引っかからないかもしれない。だから――」
淡々と外堀を埋めようとしてくる友を前に、明人は乱心する。
「んんんん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”ん”!!??」
「顔色が唐突に土色になったがどうした? 人という種族と大陸の種族が交わえばそれほど時間はかからんかもしれないぞ?」
万が一にでもそういうことは当事者同士が決めることなのだ。
たとえムルガルがそれっぽい理由を口にしたところで女性側の気持ち――あと童貞には心の準備というものが、約2日くらい必要だ。
それらの理由から明人は、ぎゅるん。首が痛くなるような速度でディナヴィアへ決をとる。
「ってなことをこのアホの唐変木がのたまっておりますが!? まさか承知するようなことおっしゃられませんよねェ!?」
「やぶさかではない」
「限りなく許可に近いながらも濁したかなり卑怯な答えですね!?」
即答。秒単位にするならおよそ0.2秒ほどの考慮時間だった。
男ですら憧れるほど堂々とした、まさに女帝の如き回答である。
――ヤバい! なにがヤバいってこの話がもううちのモチモチに聞かれてたら……っ!?
通常であればそれは、パリィンという割れる音だったろう。
だが違う。実際はメシャッである。
――あ、終わった。なにがって、色々終わった。
明人は背後の光景を気配と聴力のみで察知、予知した。
握りつぶされたのだ、皿が小さく丸くなるほどの力で、強靭な龍の握力によって。
「い、いいい、いまなな、なななん、なんて!? こ、こここ、こここ、ここども、ども!?」
最悪のタイミングでリリティアが戻ってきていた。
どうやらとてもいらない言葉のみを聞いてしまったらしい。鶏のように1字のみを連読しながらぷるぷると震えていた。
「フム、そうだな。白龍の言うコッコの感じで頼まれてはくれないだろうか。子を授かりたいという焔龍に人の卵を仕込んでやってみて欲しい」
そしてムルガルは、さもケロッとした涼しい顔で、波乱を確定させてしまう。
明人に答える暇も余裕もありはしない。一瞬のうちにして晩餐という喜劇が幕を閉じる。
「そんなのぜえええったいに……――ダメなんですうううううッ!!!」
そして悲劇の開幕だった。
半泣きになった白龍の咆哮が日の落ちた夜に轟く。
やがて聖城ごと吹き飛ばしかねぬほどの大波乱へと波及する。
……………




