53話 そのため、人間種は世界を変える唯一の矛
ふんす、と。ラキラキは、ややくびれた腰に手を当ててイカ腹を突き出した。
胸の曲線が確認できてしまったことでリリティアよりも胸囲は厚い。
「……明人さん? 今の視線の移動になにか意味はあるのでしょうか?」
「いえ、なにも?」
たおやかに微笑むリリティアの背後にうっすらと仁王を見た明人は、すぐさま顔を伏せた。
女性は男性の視線に目ざといと伝え聞く。頭の片隅に秘めておかねば足を括られかねないと学ぶ。
「そう、あれはじゃな……」
そして、ラキラキは口を拭いながらじっくりと語りだす。
さきほどから周囲の物事に関心をむけない辺り、意外とふてぶてしいのかもしれない。
「朝、目が覚めたらおじいちゃんがいなくなっておってな。代わりに置いてあった手紙を読んだんじゃ」
「手紙ですか?」
「これじゃ」
ほれ、どうも。名刺交換のように手紙がリリティアの手に渡る。
羊皮紙の手紙はやけに古ぼけて茶ばんでおり、昨日今日書かれたものではないようだ。
このままではリリティアに情報を握られて隠匿される可能性を危惧した明人も、急ぎ肩越しに覗き込む。
「……」
そこにはお世辞にも達筆とは言えない、どこか歪で新しい異世界文字が描かれていた。
しかし明人もご多分に漏れず、多種族の住まう大陸に神が設けた道理の影響で内容の理解はできた。
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愛する弟子へ
ヌシがこの手紙を読んでいるということは、ワシはそこにおらぬのだろう。
気づくのが遅すぎた。すでに街は魅了の力に呑まれもはやワシとていつ意識が散るかもわからん。
我が孫、ラキラキよ。目覚めたのであれば走るのだ。エルフ領にむかえ。
愛する娘よ。目覚めた今ならば国境を越えることができるだろう。そういう仕組みになってるはずだ。
忘れ形見よ。語らずに会い、すべてを話せ。呪術師であるやつならば覇道の呪いとマナ機構を止められるやもしれぬ。
あれは我々の手に余る。こさえてはならぬ代物だった。
あれは世界を壊す。そして、やつらは世界を壊すことこそが目的だったのだ。
ヌシの幸を願い、ワシは土くれの出処である首都ソイールへとむかう。
願わくば、もう一度この血の通わぬ双腕のなかでヌシの寝顔が見たかった。
双腕の魔法鍛冶士 ゼト・L・スミス・ロガー
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「ずずっ……ユエラ、ティッシュある?」
「え……? なんでアンタ泣いてんの――ちょぉ! 私の服で拭かないでよ!」
ともに手紙を読んでいたユエラの外套の裾で、目頭に込み上げてくる熱い想いを拭う。
この文章を書いた者はとても孫思いの、慈愛に満ちた筆に涙腺が破られた。
そして、この手紙は明人の推測のすべてを許容する。種族を病ませるは覇道の呪いに、戦争を裏で操る第三の存在であるのだ、と。
「マナ機構……ですか」
一方で、泣きじゃくる明人の横では、リリティアがすらりと伸びた指を唇にあてがって静かに佇んでいる。
なので明人はもうひとつの実験を試みることにした。確認、ともいえる。
「ムっ、なんじゃ? ふにゅ~よ」
「ドワーフの敵は誰だっけ?」
「そりゃあ聞かずともわかるじゃろ。エル――」
明人が尊大な姿勢で長耳たちに手をむけ真実を告げる。
「ちなみに、昨日ラキラキを治療してくれたのはエルフさんです」
すると、ラキラキは一瞬だけ電光の如くびくんっと体を痙攣させた。
そして折り目正しく感謝の言葉を口にする。
「そ、そうだったのかっ! これはエライ苦労をおかけしたのじゃ!」
ぺこぺこと。エルフたちひとりひとりの前で、跳ねるように結った髪を揺らした。
効果のほどは、重畳。
明人は、驚き竦み目を丸くしたリリティアにむかって歯を見せつけてやる。
「――あっ、明人さん!? ああ、あ、アナタ今覇道の呪いにかかっているラキラキさんになにをしたんですか!?」
こんなに浮足立って破顔した姿は滅多に見れない。
リリティアは脱兎の如くこちらのマナレジスターの装備された左手を掴み上げた。
「まさかあの一瞬で触れずに”まなちる”を使ったのですか!?」
「ねえ、リリティアちょ、ちょっとまって。その名称がまだ固定されてないのに略すのやめて」
前置きなしに幼女に触れようものなら世間の風当たりが強くなるのは必定か。
そして、ウッドアイランド村でキングローパーと死闘を繰り広げたのは無駄ではなかったということ。
ここで大切なのは、今この場でユエラを忌み嫌うものは誰ひとりとして存在しないこと。
以前ハーフエルフであるユエラを嫌悪していた村長の言葉と、現在この場を囲っている前線のエルフたち。さらに、キングローパー事件以降も村人たちはよりユエラを受け入れ、手を貸すまでに至ったこと。
これらすべてを統括すればおのずと覇道の呪いの解呪法は見えてくる。
明人はルスラウス世界において、唯一にして孤独な人間種。差別こそ呪いの根幹。なればこそ、呪いの効果はどの種よりも顕著に押し寄せなければならない。
「これが覇道の呪いの真実だ。広域に渡ってなにかをしようとしているんだから少しの刺激を与えれば簡単に治せるんだよ」
「このていど……ですか?」
「そう。人と人の繋がりは、与えて与えられ意識して初めて芽生える宝物なんだ。与えるのは物でもいいし金でもいい。与える側は心を潤し、貰う側は生活を潤す」
恩返し。ギブアンドテイク。
「これは笑顔でもいい。面白いやつには人が集まるだろ? 笑顔を与えられれば、人々は心の豊かさを求め、繋がろうとする。そして、笑顔と笑顔の交換になる」
明人の信念。イージスの信念。
「じゃあ、感謝はどうだろう? 今まで呪いの力で憎まされていた相手から親切な行為を与えられたらどうなるだろう?」
明人は、遠巻きに手と手を取り合う他種族たちへ目を配った。
まるではじめから壁なんてなかったかのように、感謝して、照れて、笑うは、エルフとドワーフの他種族である。
それは一瞬で、それはきっかけ。どちらも同様。
「……ああ……そうだったんですね。こんな簡単なことになぜ今まで気づかなかったんでしょう」
ほぅっと。リリティアは頬を上気させて熱のこもった吐息を漏らした。
潤んだ金色の瞳。そして小さな胸に光を抱え込むが如く、そっと手を添える。まるで恋に恋する生娘のように。
「これが……人間種の……いえ、明人さんのもつ素晴らしい特性だったんですね……!」
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