528話 そしてGirl Meets Sister With Boy
「おいっての。いつまでこんな狭っ苦しい道を歩けば飯にありつけんだよ」
粗暴な声がぶっきらぼうに投げかけられる。
だが残るふたりは返事すら返さない。
「ふんふんふふ~ん♪ ふんふんふ~ん♪」
長い手足に大きく鎌首をもたげる尾っぽ。それに巨大な翼が鼻歌のリズムに乗って小気味良く動く。
その隣では別の詩を口ずさむ背丈の低い魔女っ子がひとりいる。
「まよまよまーよまよまーよ。まよままよまよまよまーよー」
横にいるのは胸元にゆったりと余裕のある服を着た成年男子よりも背の高い女性だ。対比すれば余計に小さく見えてしまう。
ムルルは、蹴っても蹴られても折れてしまいそうなほっそりとした足を繰りだす。そのたびツバ広帽子の星は、ぶらりん、ぶらりん。
翼が、尾が、前髪両端で結った三編みが、星が。歩調に合わせて機嫌よく揺らいでいた。
揺れないものと言ったら地面くらい。ならば大地の機嫌が悪くて大歓迎とすべき。
路地裏に響き渡る混声合唱の二重奏である。
「ふんふ~んふふんふん~♪」
「まーよまーよまよ♪ まよよまーよまよー♪」
歌なのかすら定かではない。
だが音楽とは音を楽しむものであるのだ。たとえ歌詞に一切の進展がなくてもハーモニーがある。
ふたりとも横並びになって足を高くあげ、ぺたりぺたりと底を鳴らして影を踏んだ。
「おーいっ、ての。腹が減ってきてんだッていってんだろ。あとその歌やめてくんねぇか耳がモゲそうになってくんだけどよ」
タグマフが振り返って呼びかけるも、ずっとこんな調子である。
3名は昼飯を求めて王墓のあるという広場にむかっていた。が、途中で事件が起こっていた。
平たく言うと嫌に混んでいたのだ。それはもう種族たちが敷き詰められた壁の如くだ。
本来ならば、その広場をすんなりと抜けて南下し、目的地を目指す手はずだったのだが……うまくいかないものだ。
「これ迷っちゃってんじゃねぇの? この路地裏ってとこは土龍の掘った穴ぐら並に入り組んでんじゃん? つまり迷っちゃってんだろ、これぇ?」
たぶん、いや、絶対に迷っている。もう縦に長い空を見てどれくらい歩いただろうか。
とりあえずタブマフが文句を言うくらいには歩いている。
混み合いを避けて裏路地入りしたことが間違いだったのだろう。普段はあんなに混まないはずなのに、日が悪いというやつか。
『旅はアバズレダゼあんちャん。気のむくまま風のむくまま。はたまたママに剥いてもらうかダな』
「……むくの意味がチゲぇだろ。あと旅は道連れだ……阿婆擦れ連れて旅なんかやってらんねぇよ……」
タグマフに一切耳を貸さないムルルに代わってゲスな笑い声が反響した。
これには彼も岩色のを尾を巻く。被り物を押さえるようにして鼠色の頭を抱えてしまう。
「こんなことになんなら巨龍なんぞ無視しておとなしく兄弟の後ろについていきゃよかったぜぇ……」
『デもオレちャんの名推理によれバダゼ? 龍のオマエちャんらを探しにこねェッてことは泳ガされてるッてことジャん? つまり超自由ッてことジャね?』
「だからついていきゃよかったって言ってんだろ。自由のあげく迷子になってたら世話ねぇ……ってか世話して貰ってたほうが良かったじゃねーか」
星がぶらんと揺れ「一理あるゥ!」どこまでもフザケタ帽子である。
歩いても歩いても、いっこうに光明は見えず。ただ湿っぽくてひんやりとした建物の影が両端に迫ってくるように存在するのみ。
しかも進んだぶんだけ、どんどん深みにハマっていくような。膠着状態な感じである。
「まよまよぉ? 迷う~?」
ムルルとてヒュームなのだ。こんな日当たりの悪いアングラな場所へは滅多に足を踏み入れることはない。
しかし今の彼女は無敵である。なにせ最強種族の龍を2匹も引き連れているのだ。
「まよーうまようー♪ ムルたちまよまよー♪」
だからあえて危険へ踏みこんでいく。
普段では味わえない裏の聖都という危ないがここにはある。
苔むした石畳に、うろつく鼠。建物に背を預けた歯抜けの者たち。それらすべてが幼くも探求にあふれる冒険心に火をつけていた。
だから、あえて、迷う。
ワザと迷うこともムルルにとっての楽しさである。
「なあなあムルっちよう? とりあえず見つかんねぇていどで空飛んでくっからさ、大通りの方角くらい把握してみねぇか?」
ムルガルからリーダーへの提案だった。
その翼を使えば空から現在地を知ることは針に糸を通すよりも楽だろう。
だがそれはムルルにとって下策である。だからふい、とタグマフから目を反らす。
「ねらぐぁは楽しい? それとも……つまんない?」
半分ほど閉じた琥珀色の瞳が、うるうる。
ネラグァの、斜め下からでも脳天気そうな顔を仰ぎ見た。
「お散歩たーのしー! あと、じめじめしてていい感じぃ、低温多湿ぅ! ムルちゃんも一緒だからもぉっとたのしー!」
これにて多数決はこちらの圧倒的有利である。
民主主義とはこうあって然るなのだ。優勢を得たムルルは満足げに薄い胸をフンと構えた。
『諦めなァ、あんちャん。男ッてなァ女に振り回されるもんダゼ。そして夜はバットを振り回させてやるんダ』
「おめぇ、さっきっからずっとおんなじ部位の話しかしてねぇのな。帽子のおめぇには縁もゆかりもねぇだろ」
敗色濃厚である。意見は聞き入れてもらえぬと察したらしい。
タグマフは7分丈のカジュアルなパンツのポケットに手を突っ込んで背を丸くした。
まだ遊びたい盛り。とはいえムルルもそろそろ腹が減ってきている。
「……ぁぅぅ。フィナのせいでお腹ぺこぺこ……」
薄い魔女っ子衣装のむこう側からはくぅくぅひな鳥のような鳴き声が聞こえてきた。
気にしはじめるときりがなくなってくる。お腹と背中がくっついてしまいそう。困り眉もしょげてしまう。
なにせフィナセスがいないから朝ご飯を食べていない。だからといって同居しているもう1匹に料理をさせるなんてもってのほか。なにを作られるかわかったものじゃない。
「――あっ!?」
すると突然。路地裏の交差点に差し掛かったところでなに者かが一党の前に飛びだしてくる。
タグマフは突っ込んできた小さな影をひらりと余裕をもって避けた。
あまりに唐突だったためか瞳に炎を宿し、苛立たしげに露骨な嫌悪感を浮かべる。
「おっとアブねぇなァ!? いったいどこ見て歩いてやがん――ッ!?」
語気の強めの罵倒だった。
しかし足をもつれさせた少年は汚れくたびれた石畳の上へ、転倒しそうになっているのだ。
タグマフはハッと目を見開き、思い切ったかのように、少年へと手を差し伸べる。
「あんま急ぐもんじゃねぇぞ」
間一髪で襟首を引っ掴んで少年の転倒を阻止したのだ。
「あ、ありがとう……お兄ちゃん……」
「ったく……良いってことよ。若ぇうちの怪我や苦労は勉強になるって年長者共は言うがよ。やっぱし痛ぇのも辛ぇのも若くたって嫌なもんだろ」
タグマフは、ぶら下がった少年の顔を見ようともしない。
微かに赤くなった頬を隠すよう被り物を目深に引き下げた。
『ヒュ~! カックイ~! オレちャんとゥんくしちャう!』
チャムチャムにからかわれるも、「……やかましい」低く、覇気なく返すだけ。
ムルルの目にはタグマフが一瞬だけ少年を助けることを躊躇ったように見えていた。どうせ転んでもたいしたことにはならないだろう、そんな感じ。
そのはずだったのに、彼は助けた。襟首を掴んでぶら下げた少年を静かに立たせてやっている。
「ま、気ぃつけな。ここらは湿ってっから滑るしな」
「う、うん。……ありがとう」
「だからもういいっつってんだろ。ありがとうとごめんなさいは言い過ぎると価値が下がるって言うぜ」
そうやっていじらしくも少年を丁寧に扱うのだ。
そしてそんな若き龍の頭を大きな手が、なで、なで、なで、撫でる。
煩わしそうにタグマフが、その手を払いのけた。
「ンッだよテメェはよぉ……ウゼェから撫でてんじゃねぇよ……」
それでもネラグァはやめない。
「いいこだよぉ、いいこぉ。優しいことは楽しいことでもあるし強いことでもあるんだよぉ、とぉっても素敵なことぉ」
聖母の如きほんわか笑顔で彼の成した前項を褒めて称える。
ムルルはタグマフが助けないと思っていた。だからチャムチャムへ、少年を助けるよう合図を送っていた。
しかし彼はまるで己の意思とは異なるような素振りで少年を助けたのだ。
「まふーはいい子いい子」
「ねー。岩龍はとーってもいいこだよねぇ」
そして伸びていく大小の手。
タグマフの頭をネラグァが撫で、ムルルも頭には届かないので腰の辺りをポンポン叩いた。
「ナンナンダヨオメェらは!? あとムルっちに子供扱いされたらオレっちはいったいなんだ!? まだ卵のなかにいるレベルに巻き戻っちまうだろが!?」
いっぽうで彼は、すでに抵抗することすら止め、口角をひくひく痙攣させいている。
そんなちぐはぐな光景をよそに、そろり、そろり。
「…………」
小さな影が音を立てぬよう1歩1歩確実に遠ざかっていく。
助けられたはずの少年が静かにこの場を去っていく。
手には凹凸の浮いた革袋を握りしめ。ソレだけはたとえ転びそうになっても決して離しはしなかった。
「くぉらまてぇぇ!! こんのスリガキィィ!! すり下ろしてやるわよぉぉ!!」
すると金切り声と思しき怒声が路地裏をキンキンと反響して聞こえてくる。
声のするのは路地裏の交差点。しかもちょうど少年が飛びだしてきた方角からである。
「無理やり種を喉奥に放り込んでやるわぁぁ!!」
ばたばたと踊る外套。まるで化け物の羽ばたきの如し。
軽快かつ怒涛の素早さで路地裏の影を切り裂くように、こちらへむかってきている。
「しかも呑ませてから魔法をかけてやるわ!! おヘソから芽をこんにちわさせてやるんだから!!」
とてもおぞましいこと口走っていた。
そうして怒鳴り散らしながら駆けてくる者がいるのだ。
少年がまるで追い詰められた処女のように青ざめる。
「――ヒッ!? まだ追ってくるのかよ!?」
それから慌てたように駆けだすのだ。
だが、そうはいかない。広いツバの部分がニョッキリ伸びて少年の胴を掴む。
逃げようとする少年をチャムチャムが捕獲する。
『ちィッと待ッとけよ。もし無罪ッてんなら逃ゲるこたねェダろ。もッと出会いッてやつを楽しもうゼェ』
「あ、やっ!? は、離せよ!? こんのヘンテコ帽子!?」
『あァん? オレちャんにそんな口を聞いちャうならァん? 出口を入り口に開発しちゃうわよォん?』
チャムチャムの活躍をよそに、主であるムルルはボッ立ちのまま。
とくに少年に気遣うでもない。アンニュイなフェイスで眉をうんと引き寄せ、渋くする。
「……ぁぅ」
――そんなことしたら帽子が汚れゃうからヤだなぁ。
チャムチャムを止めようともせず、そう思うだけだった。
そうやっている間にも、あちらからはドタドタ。すらりとした長い影が凄まじい勢いで迫ってきている。
あれは路地裏に住み着いた化け物の類だろうか。少年が逃げたくなるほどの奇々怪々たるものであるのか。
はたまた闇を拠点とする道理を失ったマッドサイエンティストか。とりあえず長耳であることだけは確認が出来た。
「あっ、お姉ちゃん」
ムルルが低血糖気味に呼びかける。
と、立ち止まる音は石畳を削らんばかり。ズサァァァ、と。砂やらなにやらを巻きつつ、さしずめ英雄登場のように影が静止した。
少年を追いかけてきたのは化け物でもなければマッドなサイエンティストでもない。
「ん? あらムルルじゃない? なにしてんのよこんな物騒なところで?」
濃い緑の特徴的な髪質をしたオッドアイ。
つまりただのムルルの姉だった。
しかもどうやら少年に財布をスられてここまで追いかけてきていたらしい。
とりあえず少年から財布はとり戻したユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッドはひと安心といった様子。
「むむむぅ……スイカの種を食べたら本当におヘソから芽がでるのか試してやろうと思ってたのにぃ……」
「お姉ちゃんソレ迷信だよ? たぶん子供ですら信じてないよ?」
それと妹の静止によって少年も一命をとりとめた。
姉の暴挙を許しはしない。半泣きになった少年を体罰を与えず逃がしてやったのだった。
「ひ、ヒィィ! もう2度とスリなんてしませぇぇん! うわぁぁん!」
おそらく彼は次からエルフだけは狙わないだろう。
なにせこんなに恐ろしい吊り目の混血エルフに追い回されたのだから。
あとチャムチャムが意図的に汚れることもなかった。
「……ぁぅ。お腹すいた……」
ムルル的にはめでたしめでたしである。
……………




