521話 【VS.】月下騎士団長 レィガリア・アル・ティール 3
これは解消を相手に任せるような行為なのだ。
つまりただのわがまま。しかし彼の者が成した偉業は月下騎士団が尽力しても叶わなかった望み。
『幾度の種を生き、幾度の種を輪廻へ惑わせば良いのだろう。この身は幾つの屍の果てに安息を迎えるのか』
聞こえぬ声がレィガリアの思い出に反響した。
主の鎧に剣傷1つあったことがない。常に精鋭を護衛につけた王たる居住まい。
信に足るものですらその鷹の如き視線に震え上がる。しかし語らえば主ほどに心穏やかなものはいない。
どうあっても彼は王であった。民を愛し民に愛された神より賜りし宝物。
――今にして思えば呪いなんて必要なかったのです。
そしてレィガリアは彼の帰還をもって、陶酔という痺れから開放された。
覇道の根源たる主が還ったことで世界から呪い消え去ったのだ。
『今生の……私は……笑えていたか? 愛する民たちに王として振る舞えているのか?』
しかし王の真の姿は王なんてとても称えられるものではなかった。
レィガリアはそれを知っていた。知っていてなお彼を王であると呪いが解けた今でも断言できた。
なにせ主であったグラーグン・フォアウト・ティールは、とても虚勢の得意な臆病者だったのである。
『もはやなにも感じられぬ。1度目の生を受け、死に、2度めの生を賜り、朽ち、3度めの性を与えられ、死ぬ。その生で出会った記憶が、繋がりが、夢やら希望らが……』
民たちにとっては偉大なる王であっただろう。
少なくとも傍で仕えていた者にとっては彼がそう、振る舞えていたという確証があった。
きっと演じていた偶像は、他種族たちにとって憎悪と畏怖の源であったはず。
『なぜ消えぬのか……失った絶望すら確かにありつづける。己の鼓動が冷えていく……恐怖が毎夜この身を引き裂く……』
その実、その限りではないのだ。
誰よりも痛みを恐れ、毎夜母に縋る、弱き存在だった。
『私は……我は……俺……は、いったい何故に……生を受けた』
主の命に忠実に生きた騎士たちだけが留めている、彼の弱さ。
月下騎士団とはつまるところ時を迎えた沈まぬ月の象徴である。終わりなき冒涜に終止符を打つ王の剣。
『なにゆえこのような使命に生まれねばならなかったのだ? なにゆえこの身は種を滅すために存在するのだ?」
月花に集いし騎士たちの望みは、王の死である。
『応えてくれ……! 母よ……!』
ひとり、帳の降りた玉座で問いつづける主を解放すること。そのために王の剣となって大陸種族を屠る。
いずれ王のみが存在する、本当の終わりの時を迎えるまで、騎士たちは剣を振るいつづけた。
――王の生に安らかなる時を与える、沈まぬ月に日を与える。それこそがこの身に賜りし勅命だったのです。
なのに、だ。唐突に終わりを迎えたのである。
そう、これは勅命を横どりされ踏ん切りをつけるために闘うだけ。
なんとも子供っぽい理由だとレィガリアさえも頬を緩ませる。
なにせ壊れかけた仮面でようやく笑えていたはずの主が――……最後の瞬間笑えていたのだ。
民を前に高らかと豪語した。この生を良き思い出であると。
「あの御方は王として還ったのです……! しかし私たち月下騎士団は貴方様を救世主として認めるわけにはいかぬのです……!」
向かい来る2つの影を睨みながら、いつしか声にだしていた。
しかも本当に許せないのは彼の者ではなく、自分自身の甘さ若さ弱さ。
「主の側近として傍にいたにも関わらず彼を本当の意味で支えて差し上げられなかった自分が許せないのです……!」
だから――あの夜のように否定して欲しい。そこまで口にしようとしてレィガリアは止めた。
さらにこの勝負は己のみのわがままではない。客のなかに紛れ込んでいる別の騎士たちのわがままでもある。
これは懺悔である。神へではなく冥府に還った主への贖罪でもある。
「さきほどからぶつぶつと、ずいぶん熱が入っているようだな!」
地と平行にむかってきた狼の少女が、瞬速の拳を繰りだす。
それをレィガリアは体捌きのみでさらりと躱す。すかさずこちらも応戦する。
「猛りと闘争はいわば同義。どれほど騎士道を歩んでいても本能にだけは抗えません」
ふふ、と。無理くり頬を和らげ簡易的な構えを作った。
本気をだす必要性は皆無。これは闘技であり遊技なのだ。
新兵を育てる際に持て余すていどの力のみを籠めて、獲物を打つ。
「ほう、受かるはずの攻撃を返したつもりですが……面白いことするのですね」
拳を通して腕に伝わってきた感触は大当たり。
しかし彼女は被弾しても乱暴な睨みを崩そうとしなかった。
「団長殿は剣の使い手と聞いているのでな。徒手がどれほどかまず試してみたくなった」
「なるほど。それでご品評の結果は如何でしょうか?」
言うまでもなく。額に刺さった拳から赤い筋がたらりと滴る。
当然拳が裂けたわけではない。額のほうが僅かばかり切れたのだ。
「ひとまず合格ということにしておこうか! 剣のみの使い手にしては良き殴りだったぞ!」
「狼の姫君にお認めいただけるとは光栄の至りにございます」
どうやら1礼をくれる暇は与えてくれないらしい。
直後に業という音が響く。さらには麓から響いている。
それをレィガリアは軽く地を蹴って手受けと後退の2段で勢いを逃がす。
「額受けでこちらの拳を砕く算段でしたか。狼とはいえずいぶん無謀なことをなさる御方だ」
「舐められたものだ! 手抜きを食らわせておいてよく言う!」
そのまま華麗でもない普通の着地を決める。
彼女の思い切った行動にほんのひとときのみ気を奪われた。が、咄嗟の対処は身に焼きつけ済みてある。
「1撃躱したていどで休ませはせんッ! こちらはすでに滾っているのだからな! 最後までつき合ってもらうッ!」
少女は額の鮮血を拭いもせず、すかさず追い打ちをかけた。
強弱を交えた蹴り拳。とても素直かと思えば嘘も欠かさない。良くやる。
「先ほどの試合でもお見せいただきましたが、やはり良い打ち筋です。聖都の兵でもここまで格闘技に突出したものはそういません」
レィガリアにとって忌憚のない評価だった。
剣と拳。どちらを極めるにしても血の滲む努力が欠かせない。
ここまで少女の実力から見てかなりの鍛錬を積んでいることは明らかだった。
「我らワーウルフ族の習わし! 獲物を裂くのは爪! そして食らうのは牙と相場が決まっている!」
こちらに隙を与えぬ痛烈な連打が放たれた。
美しくも力強い武術家の、見事な攻撃である。
「私たちエーテル族にはない風習ですね。非常に柔軟で猛々しい。まるで獣のような教えに感服です」
それをひらり、ひらり。かすりもしない。
レィガリアは眉ひとつかたむけることはなかった。はためく布のように難なく避けていく。
――子供相手というのは些か言葉が過ぎますね。彼女はそれほど弱くなく抜けていないのですから。
「なにを考え事をしている!? 避けるだけの騎士では民が守れんぞ!?」
エーテル族にも劣らぬ端麗な顔を血に濡らし、少女は吠えた。
誘われて答えぬのは騎士の名折れである。
「ではそろそろ――ッ!?」
と、言いかけたレィガリアは息を詰まらせた。
覚えたのは寒気である。背を腰辺りから舐められるような悪寒だった。
「まさか――額を差しだしたのは騙し!?」
忘れていた、否。彼にとってそれはあまりに不甲斐ない。
忘れさせられのだ。初撃の大当たりによって気がそらされたのだ。
急ぎそちらを銀の双眼が追う、影がある。それも巨大な、しかし人ではない別の――飛翔体。
「ッ、な!? これは投石かッ!?」
眼前に迫る石をレィガリアはとっさにはたき落とす。
その間に少女はたおやかな腰を限界まで捻って準備を整えている。
「余所見をしている場合ではないぞ!! その首貰い受けたアアア!!」
放たれた鞭の如き蹴りが、彼の高く筋の通った鼻先をかすめた。
まるで首から上をもぎとるような渾身だった。さすがはワーウルフの血筋と言えよう。
直撃していればいかな手練であろうとも意識を根から引き抜かれていた。
「――やるッ!」
レイガリアは硝酸とともに後退を余儀なくされた。距離をとって態勢を建て直しにかかる。
一足飛びで軽やかに少女の間合いから抜けでた。安全な場所へと一時的に脱した。
忌々しげにチラ、と。そちらを見れば、奴がいる。
「あーあ、黙って攻撃しなさいよ。絶好の機会をせっかく作ってあげたってのにさ」
農夫の好む服を着た、着飾るということをしない質素な青年が遠間に立っているのだ。
構えもしなければこちらを見ようともせず。狼の少女に苦い表情のみを送っていた。
「遠間から日和見している貴様にどうのこうのと言われる筋合いはない。貴様には女性を守るという気概はないのか」
「だから女性のジャハルに1番槍を任せたんだろ。紳士の基本を堅実に守ったレディーファーストってやつだ」
怒る相手へ、圧倒的詭弁を歌うようにして吐きかける非道さ。
すると少女はしばし腕組みをして天を仰ぐ。
「う……ん? ああ、まあそういうことになる……なるのか?」
「なるなる。迷うなんてジャハルらしくないぞ。そういう生きかた憧れちゃうよ」
ならない。完全の一致が客らが少女の味方をしたのだった。
そしてどちらともなく2名ともに眼差しをこちらへむける。
――私が油断したのではなく、作りだされた状況というわけですか。
レィガリアは厚手の鎧下の内側で冷や汗がどっと吹きだすのがわかった。
首に浮いた汗を拭いながらゴクリと喉を鳴らす。
幸運だった。直撃すれば勝負が決まっていた……かもしない。
――違う。おそらく……あれで終わらせるつもりだったのでしょう。
保身に走る己の心を恥じた。
これでここが戦場であるなら、魔物との戦いなら。最悪の想定がレィガリアの脳裏によぎる。
しかし冷静になるのは容易である。同時に冷徹さも蘇えらせる。
「共同戦線ですか……してやられたということですね。策を練るような時間はなかったはず。だからこそこちらも油断をしていたようです」
すでにいつでも獲れるよう神経は研ぎ澄まされていた。
騎士たるもの如何な状況に陥ったとて最善を尽くさねばならぬ。あの夜明けもそうだったように。
「予想していたよりも楽しめそうですね。どうやら私の冷えていた闘争心にも火がついたようです」
そしてようやくレィガリアも慣れた構えをとった。
その温度の違いが伝わったか。少女もすでに冷え固まった額の血を指で拭って舐めとる。
「2対1を卑怯とは言うまいな?」
それから美しくも獰猛な笑みを浮かべた。
腰を落とし、極めて4足に近い獣の構えをとる。
「文句どころではありません最適解です。そちらのほうがもっとも肉薄し、平等で、楽しめる。違いますか?」
「さすがは団長殿だ理解が早くて助かる。我と貴殿が同時にあの雑魚を狙うという試合展開を願うものはいないだろう」
風にのって「戦バカ!」と聞こえてくるが、どちらも目をくれやしない。
互いに敵として認識した相手を真っ直ぐ見据えている。
「この展開は予定調和ということですね。はじめから2対1を想定して勝負を受けた、と」
「どうかな。だが、我らの試合を安いとのたまったのは団長殿ではないか。わからせやろうという思いがこちらにないわけではない」
睨み合いながらも注意は逸らさない。
目の前の1匹、そし視界の外にいるもう1匹。どちらもすでに敵ある。
「狼とは執念深い生き物と聞き及んでおります」
「その通りだ。1度受けた恩や仇は返すまで追い回さねば気が済まん性質でな。これはもはや習性といっても過言ではない」
「お名前をお聞かせいただけますか。月夜に栄える可憐な狼の姫君様」
その礼に「ジャハル・カラル・ランディー」と彼女は低く答えた。
もうじき満ちる。その気配が静寂を呼ぶ。
戦場の空気とはなぜここまで心地よいのか。己が己である証明のように思えてくるほどに冴えてくる。
「ジャハル様ならば完膚なきまでに挫かれたとき、どのようになさるのでしょう。それでもなお気高くお生きになられるのでしょうか」
「やれるものならやってみろ。たとえ火のついた尻に牙が刺さったとしても後悔するんじゃないぞ」
フッ、とだ。事態が瞬く間に急転する。
まるで蝋燭の炎が風で吹き消えるような感じ。それほどの速さでレィガリアの姿が消失した。
次の展開ですでにジャハルとの間合いを詰め切っていた。
「では少しほど加減を止めましょう」
「いいぞッ! そうこなくてはなァ!」
腹部へ放った拳が、彼女の交差した防御の上に打ち込まれる。
さらに返すような蹴りが、レィガリアの上げた膝を穿つ。
繰り返される攻防が渾然一体となって数珠の如く繋がれていく。
打、打、打。反撃もすべてが打撃。最善手を瞬間的に理解し、互いに打ち込み、辛くもいなす。
「クッ、なんという凄まじい速さか!? そして微塵も衰えぬ威力か!? これが上位の実力ということか!?」
「ついてこれるジャハル様もなかなかなものです! この時勢なのですから是非聖都入りをオススメしましょう!」
「フフッ! まったく貴殿は嫌味ったらしい男だな! それではまるで我らが貴殿らに劣っていると認めるようなものではないか!」
ぬるくない乱打の戦いに会場が煮立たつように沸いた。聖なる都の描かれた絵画を破るような動乱である。
ジャハルには獣的な勘でもあるのかと思うほど。体格と種族差があってなおレィガリアの打ち筋を絶妙に読み切っていった。
しかしソレも長くはつづかない。乱戦のなかに微かな呼吸の乱れがではじめている。
「ハッ、う! セェアア! フッ、フッ……ハァ……ッ!」
先ほどまでの試合とは桁が違う急激な速さで進行していく。
彼女から漏れ滴る汗が顎先や肘を伝って石畳を濡らす。目端に吸われた液体が片目の視界を奪う。
すでに幾度か叩かれている白くきめ細やかな肌に赤い充血が見られた。
――さて……。
ここでレィガリアは流れを変えることにする。
これ以上 か 弱 い 少 女 を痛めつけたくなかったから。
「ジャハル様は軍隊における近接格闘をご存知ですか?」
「つっ!? なんだと……!?」
問いかけつつ、握りを甘くする。
「軍隊に置いてもっとも重要視されるのは鎮圧技術です。そしてときには殺傷することも手段のひとつとなり得るのです」
次の瞬間。レィガリアは動く。
「んな――っ!?」
少女の体が、まるで魔法のようにぐるんと宙を舞う。
直後に石畳へ、肉を打つ音とともに吸い込まれていく。
「ぐ、うう……! いった、い……なに、を……っ!?」
目が零れそうなほどに剥くも、気づくころにはすでに遅い。
腕を固め、体重を乗せる。それだけで肉体というものは痛みから逃げようと地べたへ吸われていく。
そしてジャハルの火照り濡れた肢体は、技術によって地に伏す。石畳の上へ勢いよく寝かされたのだ。
「私たちは生涯を賭して武を磨く。これが遊びで武を競う連中との違いということです」
「はな、せッ! なぜだ、ち、からが入らぬ!」
もがけどもがけども、だ。
吸いついた体はいっこうに地べたから剥がれることはない。
「それでは貴方様という前菜でもって次なる食材の調理にかからせていただくとしましょう」
その声は感情が微塵も籠められていない絶対零度の宣告だった。
そして振りかざされたレィガリアの拳が、寝かされたジャハルの後頭部へと放たれる。




