520話 【VS.】月下騎士団長 レィガリア・アル・ティール 2
年齢も性別もごちゃまぜにしたようなざわめき。
レィガリアの暴露によって噂が飛び交う。聴衆たちからの真相を問う声がそこいらじゅうから聞こえてくる。
――……やってくれたな。
明人は面倒なことになったという事実を確信した。
隠していたわけではない。だが、明かすつもりもなかった。少なくともそれがもっとも賢い選択だと考えていたから。
さらにレィガリアが聴衆たちを焚きつける。
「大陸を救いし英雄はなんと人間という特殊種族なのです! つまり防衛戦争を先導した彼の者は枠外から現れた唯一無二の存在! 創造神ルスラウス様の神聖なる魂の断片たる私たちとは異なる種族!」
それが人間種なのです! 種族たちの集まる広場に響き渡る。
にんげん、にんゲン、ニンゲン。それと一緒に輪唱するな声が繰り返された。
彼の目的は推して知るべし、つまり想像に易いということ。
――奴の狙いは王を殺されたことに不満をもつエーテル族たちの混乱か? あるいは暴動の線も考えられるな。
どちらにせよ面倒だ。明人は心のなかで舌打ちをくれる。
その間にも肌にチクチクとした視線が無数となって降り注いできていた。
それぞれの表情からすべての感情を読みとるのはかなり難しい。とにかく戸惑っているというのが大部分をしめている。
「……どうしたもんかね」
日本では普通だがこちらでは珍しい黒い頭をかき乱す。
ことここにおいて明人に出来ることは皆無に等しい。なにせ人であると黙っていたのは己の独断なのだ。真実であるからこそ反論はなく、虚偽を述べるにしても拙い。今まで成してきたありとあらゆる事柄が否定の妨げとなっている。
「そうなのか? アレはそれほどまでに特別な男か?」
ディナヴィアからの胡乱――というかいつも通り――な問いかけ。
「はいそうですよ?」
それにリリティアは端的な答えを返す。
なにをいまさら。そう言いたげに目を丸くした。
「というか焔龍は他世界の文明と殴り合ったじゃないですか」
あの丸くて大きな鉄の塊です。細い手指で小さな丸を作る。
するとやや間を開け「……ああ、あれか」どうやら丸という単語で思いだしたようだ。
「妙ちくりんな物体は枠外由来の物質か、どうりで」
そう言って小刻みに首を縦に揺らす。
「妾の炎に耐えうるとは……些か衝撃を覚えたものだ。この世ならざるものだったのなら合点がいく」
するとリリティアが横からひょっこり覗き込む。
「まさか悔しかったんですか? 自慢の炎で倒せなかったこと?」
「そういうわけではない。感嘆したというだけだ。汝の危惧しているようなことはありえん。断じて違う」
「ふふっ、珍しく早口なんですね。なら、そういうことにしておいてあげます」
急に意固地になるディナヴィアへ、リリティアは眉を寄せて困り笑みを送るのだった
そんななかスードラはどこ吹く風といった感じで頭の後ろで手を組む。
「僕は知ってたけどね、記憶を共有してるし。多分僕こそが誰よりもふにゅうくんの理解者ってやつ――」
すかさずその両こめかみに白い手がガッシと掴みかかった。
「いーだだだだっ!? 頭!? 頭が潰れるっていうか弾けちゃう!?」
ギチギチ、と軋み上げる小さく青い頭。
そのこめかみにリリティアの指が食い込んでいく。
「誰が誰の理解者なんですかぁ? 今日は特別な日なので自由に泳がせていたんですけど海龍はずいぶん面白いことを言うんですねぇ?」
しかも虫1匹殺しませんという満面の笑みなのだ。普段と違うとすれば口角が僅かに痙攣していることくらい。
そのままスードラの足が少しずつ地上から離れていく。
「……え、っと? その……ちょっと口が過ぎたようなんで僕……黙るね?」
「黙らずに海龍の遺言を聞かせてもらえませんかぁ? それと出来れば輪廻にむかう前に、記憶を共有したという話などをもぉっと事細かくお聞きしたいんですけど?」
紅の三つ編みがふらりと揺らいだ。微かに開いた瞼の奥で緋色が燃えている。
反比例するようにしてスードラの顔色が、みるみる海色へと変色していく。
「す、すべてをお話シマス……共有した記憶も白龍に教エマス。だから……殺さないデクダサイ……」
「いえいえそんなそんな。それではまるで私が明人さんの理解者である海龍を脅しついでにこの世から消滅させようとしているみたいじゃないですかぁ?」
させようとしている。言葉なくして周囲の意見が一致した瞬間だった。
「こ、これはあくまで僕が白龍に話したくなっただけだよう!?」
だから離してぇ! 悲しい悲鳴が木霊する。
だがまだ開放される様子はない。ぷらりぷらり、両手両足と一緒に垂れた尾っぽが風鈴のように揺らぐ。
「早く降ろして欲しいなぁ……? 痛いのは嫌いじゃないんだけどね……? な、なんか足とか頭とかが魂ごとっていうのかな……ふわふわしてきたんだよねえ……?」
「この私以上に明人さんの理解者である海龍を下ろす利点を述べて下さい。それと私以上に理解者である海龍の遺言を聞きたいんですよね」
懇願するも、リリティアが笑みを崩すことはない。しかも尋常ではない早口である。
これにはスードラもたまらないはず。クレーターという檻のなかでしぶとく生き残った古参龍が、檻の外で消滅しかけているのだ。
「生意気なことを言ってごめんなさいッ! 僕は白龍ほどふにゅうくんを理解していませんッ! 龍なんておこがましい畜生ていどの存在でしたッ!」
最後は手が離され重力に従って、どさり。
口から魂魄の如きなにかを漏らしたスードラが石畳へと転がったのだった。
ちぐはぐな連中を置いておくにしても、だ。明人の状況にあまり違いはない。
さらに種族たちもまた人間種の扱いを決めかねている。是非を問う段階でもなければ、ただ物珍しそうに見つめているだけ。
「だからどうしたというのだ?」
しかしなかには颯爽と言ってのけるものがいた。
ジャハルは些かシラけた様子で蔑みの視線をくれる。
「王たちが認め、種族が讃え、神が生かす。ならばことこの場に至ってまで種を問う価値があるとは思えん」
退屈げにつま先を立て、とんとん石畳を蹴った。
なにを隠そう過保護なワーウルフ王の娘である。情報ならば狼の姫である彼女の耳に届いているのだろう。
しかし未だ取り囲む種族たちは半信半疑で首をかしげている。
「んー……よくわかんないけど、別にどっちでもよくなーい?」
最前列に陣どった冒険者たちのなかでもっとも背の低い少女は言う。
それに無頼の男も貫禄のある口ぶりで乗じた。
「ったり前だよなぁ。迷惑どころかこっちは助けられまくってるてるわけだしよ」
ギンッ、という凄みのある睨みが振りまかれる。
そして過激な軽装の女性がその頭を「いっで!?」引っ叩くのだ。
「そうでなくとも彼には恩しか感じていない。いちいち同意をとる強要することもないだろうさ」
「だからって引っ叩くんじゃねぇっての……」
男はふてくされるように唇をとがらしているが、とり巻く冒険者一味の同意は揺らがない。
ひとひらの希望だった。明人にとってこれ以上嬉しい援護はない。
滲む瞳には冒険者たちと迷惑な戦バカの横顔が神々しく見えている。
――ジャハル……! ごめん今までオマエのことただの戦バカだと思ってた……!
するとジャハルはしたり顔で指差す。
「それとも団長殿は王が敗北したことを未だ根にもっているのか? この雑魚にやられたと?」
明人をぞんざいな感じで指差し、もう1度「この雑魚にか?」繰り返すのだ。
ミルクティー色の尾っぽも気を良くしたようにふらふら左右に振れている。
――よし前言撤回だな……! 失礼な戦バカだコイツ……!
明人の心中はともかくとして、レィガリアの目的は以上でも以下でもない。
目の前の敵によって敬愛する王が打ち負かされた。怒りを募らせ暴挙にでたとしか考えられない。
「どうやら私たちの間でなにか食い違いがあるようですね」
「……なに? 食い違いとはどういうことだ?」
ジャハルは怪訝な目つきでレィガリアを睨む。
「では正しましょう。私はあの御方の敗北に異を唱えるほど愚かではないのです」
鎧を脱いだ姿はいっそう細身である。余分という贅肉削ぎ落とした洗練ささえ感じさせるたたずまい。
堀も深く目鼻立ちもくっきりと浮いている。まるで石膏像の如く堅さと感情を読ませぬ冷え冷えとした顔つき。
そうしてレィガリアは王墓を背負うようにしながらしなやかに試合の場へと歩みでる。
「ただこれは私のわがままというもの。人種族が成した過小評価されすぎている偉業を、いまいちどこの身で明確にしたいのです」
スッ、と。なぞるように指が示す。
観客たちもその動きに吊られて目を横に反らす。
3者の立場はちょうど正三角形の配置となっている。その1辺を辿る先の頂点に、明人が立っていた。
これには当人も「……過小評価?」重苦しい声でオウム返すしかない。
対してレィガリアは「そうです」きっぱり肯定するのみ。
「ご存知である通り貴方様のご活躍は今や大陸中に轟き渡るほど。その反面、貴方様ご自身のお力が評価に伴っていないとはお思いになりませんか?」
差し向けた指を降ろした後は当然のように一礼をくれた。
そして耽美な顔を上げる。下げる前より強烈にシワが刻まれている。
「だから私はあの夜明け以降――王の死後から、とあることが心底許せないでいるのです」
噛み締めた声が震える、うちからあふれる怒りが滲む。
四方型の連なるキルティング生地に覆われた肩が並行に上がった。
ぎらついた瞳の瞳に晒されたとして、こちらもここで引くわけにはいかない。
「それは……」
と、言いかけて邪魔が入る。
「まったくもってその通りです! 明人さんはやればできる子なんです!」
声の主はやはりというかリリティアだった。
鼻息荒く、闘いもしないのに両拳を胸の前へ掲げている。まるで授業参観で息子を見守るお母さんの立ち位置だ。
しかもこころなしか見物客たちも生暖かい視線で見守っている。
――それにしても、だ。
両頬をぴしゃりと張って気持ちを切り替えた。
明人の心象としてはわけがわからない。イチャモンをつけられているような気分である。
――グラーグンに思い入れがあったことは確実だろうけども……腑に落ちないな。
彼からひしひしと伝わってくる感情は恨みや羨みというわかりやすいものではない。
かといって弔いというにはなにかこう……もっと複雑なのだ。スードラの読み通りならば理解してなお晴れぬとったところか。
「なにやら込み入っているが、そろそろはじめても構わないか?」
するとついに痺れを切らしたジャハルが柔軟を終えて伸びをした。
それから両足を揃えて上下に飛ぶ。たわむ箇所とは別で頭部に生える両耳がぺたぺた動いた。
「どうやら団長殿はアレの実力を買っているようだ。なればこそ拳で語ればいいではないか」
暖気も済んだのか、すっかりやる気に満ちている。
話を聞いていないというより受け入れを拒否したらしい。なにせ会話中もずっと体の調整をしていた。
彼女には闘争こそが直接会話ということ。この場においてそれはおそらく最適解なのであろう。
「ぐだぐだ言ってもはじまらないならやってやる。とにかくやり合ってから、あとは流れでなんとかしよう」
これに明人も便乗しない手はない。
「せっかく聖女からの依頼で旅行を盛り上げようとしてるんだ。湿気臭くなるのはご勘弁願いたい」
現在、地べたの一部になっているスードラのおかげで体調は戻った。
軽くシャドーを加えつつ筋肉と肺をほぐし、言葉とは別で闘争の意思を示す。
「フッ。それにしても貴様は厄介な連中に好かれる才能があるな」
「……オレのなかの厄介オブザイヤーの1位に食い込んでるやつがなんか言ってる……」
掛け合いながらも、すでに2名は構えをとっている。
勝負に置いては勝ちか負けの二者択一。相手の戦う理由とやらを汲んでやる必要なんて微塵もない。
勝てばいい、勝てば丸く収まる。それが殺し合いではない試合の醍醐味というやつだろう。
観客たちも一時乱されたが試合の再開に奮っている。
「明人さんふぁい、おーです! たぶんもう全力で闘えますよっ!」
リリティアもまたひときわ大きな声で手抜きを咎めた。
すると観念したようにレィガリアはいかり肩をすとんと落とす。
「……それでははじめましょう。あの夜明けの真実を探るためにも……」
その空を仰いだため息が開始のゴングとなる。
そしてはじまりと同時だった。ひしめく見物客たちが予想だにしなかっただろう意外な展開をむかえ、一斉に息を詰まらせた。
「こっちも色々と立て込んでるんだ! 昼の鐘が鳴る前に終わらせるぞ!」
「いっこうに構わん! 先にバテて舞台から降りてくれるなよ!」
3方に並んだ闘士のうち2方が1方のみを目掛け、地を駆った。
蒼き痕跡をひときわ濃く刻みながら。烈火の闘争へ繰りだすのだった。
歓声に浮かされても王の墓は語らない。
語らぬからこそ彼がそこに生きた証を民は思い、残しつづけているのだから。
……………




