519話 【VS.】月下騎士団長 レィガリア・アル・ティール
唐突な乱入者の参上に試合は一旦打ち切りとなる。
そうでなくともこちらは全身が襤褸なのだ。そのうえで上位エーテルを相手にすることは困難極まるというもの。
しかも聖女に遣わされた案内役兼監視役の男も、どうやら強行するというわけではないらしい。
「では傷を癒やした後に私と闘うかをお聞かせください」
微笑を孕んだうやうやしい礼に見送られ、明人とジャハルは一旦戦線を離脱した。
みすみす逃してくれる。と、なればひとまずは万全を期すのが礼儀である。
そういった経緯で現在、治療と簡易的な会議がおこなわれていた。
「あの御方は今は亡きグラーグン様の親衛隊月下騎士団の長レィガリア・アル・ティール様ですわ」
流れでついてきたらしいリルブががっくりと上半身をうなだれた。あまり顔色が良くないし、どこかやつれている。
先ほどまでの試合でハラハラしすぎたため疲弊しているのだとか。髪型が上流階級――っぽい――彼女にとってどうやら殴り合いの刺激が強すぎたらしい。
リルブは老婆のようにへし曲がった腰を押さえながら身を起こす。
「さらにとてつもない剣の腕をおもちになっておられる御方なのです。さらに純粋な強さもエーテル国内で5本の指に入るとまで囁かれておりますわ」
レィガリア乱入からというものずっとこんな調子。
きっととても優しいのだ。だからこんな無謀な争いから手を引けと直接口にすることはない。
しかし彼女の思いは届かず。
「つまりアレを倒せば確実に5本の指には食い込めるということか。しかも相手はエーテル族、相手にとって不足なしだな」
「ワタクシのお話を聞いておられますの? 月下騎士団のお名前くらいワーウルフ国にも届いておられますでしょう?」
リルブの説得は無駄だった。
ジャハルはとっくに鼻息を荒くし、目を輝かせている。
「ククッ、知っているともさ。だからこそ闘いがいがあるのだ」
はじめは乱入者への文句を発していた。だが男の正体を知った今となっては尾っぽがハタハタと風を切ってしょうがない。
「フフン。あの聖女を慕う精鋭部隊聖騎士に次ぐ月下騎士団、しかもその団長とやりあえるとは……なかなかの強運が我の星に巡ってきたぞ」
そう言ってみずみずしい唇をぺろりと舌で湿らせた。
目的の試合を妨害されたことへの文句は飲み込んだらしいし、どうやら乗り気でもある。
もうすでに瞳は獲物しかとらえていない。別の餌に目移りして仕方がないようだ。
リルブからの遠回しな警告に耳をかたむけようとすらしない。どころか獣耳が頭の上でぺたんと寝そべっている。
「因縁の首もいいがゲリラ戦も好むところだ。今食える物は食えるうちに食っておく。それもまたカラル一族の教訓なのでな」
「な、なんと野蛮な……。貴方様はきっと前菜よりも先にメインディッシュを平らげる御方なのですわね……」
じっとり湿っぽい視線がむけられても、あちらはなんのその。
ジャハルは、どっしり腕組みし、堂々と宣言する。
「そうともさ! しかし今回は前菜も食いそこねた飢餓の獣! いまさら皿を下げられてしまっては背と腹がくっついてしまう!」
「止めるだけ無意味だったようですわ……。ワーウルフ……聞きしに勝る野蛮さ……」
男とか女とか関係なく無頼の思考だった。獣に食の作法を教えるほど無意味なことはない。
リルブも説得の無意味さを知って頭痛を堪えるみたいに眉間を摘む。
「それで……狼族の姫君はあのように仰っておられますが……」
やれやれ、と。巻き髪の束を鈍重に揺らすしかない。
そうなればもう1人いる。麗しき銀の眼が地べたに座した黒い背へ標的を変更した。
「貴方様はもう少々理知的な決断を出来ますわよね?」
猛獣女よりは秀逸な回答を期待している眼差しだった。
「あの御方はとにかく超がつくほど強いのですわ。立つのであれば対面ではなく横のほうが選択として正しいと思われますわ」
男と同族である彼女だからこそ試合を止めねばという正義感があるのかもしれない。
その淡い期待は「月下騎士団かぁ……」秒で砕かれる。
「なにそれすごいカッコいいじゃん。主に団って名づけちゃう辺りが潔くて好きだ。絶妙にダサカッコいい」
明人だってジャハルと似たようなもの。靴紐を結び直しながら闘志で笑みを深めていた。
聞き分けのない2匹の獣がここにいる。
それを知ったであろうリルブは、がっくりと肩を落とす。
「……なぜこのようなことにぃ。……それにレィガリア様もお戯れが過ぎますわよぅ……」
いっぽうで明人の傷は粛々と治療されていた。その逞しい肉体へ、小さな手が沿うようにして魔法をかけていく。
薬師であるユエラは不在。ミルマを引いてどこぞへ消えたまま。
そんななか、傷の治療を託されたのはスードラだった。
「ほぉぉ……《ヒール》ぅ……! 《ヒール》ぅ、《ヒール》ぅぅ、《ヒール》ぅぅぅ……!」
いつになく真剣な表情で彼の体に手をかざす。
白い臀部をツンと突きだしながら魔法の光をくまなく浴びせていく。
そしてなにやら気色の悪い怨念のような言霊をブツブツ呟く。
「おほぉぉ……元気になれぇぇ……! 僕の魔法でムクムク元気になっちゃえぇぇ……! ふにゅうくんはもう僕抜きで満足できない体になってしまうんだぁぁ……!」
耳を澄ましてよく聞けば本当に怨念だった。
そうやって質の悪そうな治療をもらいつつ、明人は乱入者の情報を蓄えていく。
――グラーグン直属の月下騎士団ねぇ。どうりでオレに恨みがあるわけだ。
ここまで月下騎士団長やら元王の側近やら色々なことが囁かれている。
だが、とにかくハッキリしていることが1つ。レィガリアという男はとてつもなく強いということ。それも人より何倍も優れた上位エーテル族でもある。
普通に正面から闘えば、まず間違いなく負ける。言い換えるならば、勝ち目がないわけだ。
「なあジャハル。ちょっと提案があるんだけどさ」
「治療が終わったのならとっとと戦技の場へむかうぞ! 3者入り乱れての試合とはなかなかに楽しめそうだ!」
これからおこなわれるのは通常の試合と仕組みがかなり異なってくる。
明人とレィガリアの闘いではない。ジャハルとレィガリアの闘いでもなければ、明人とジャハルの試合ですらない。
ならばやるべきことは、ただ1つであるのだ。
……………
もう聞こえない。
『私は……笑えていたか……?』
だが、確かに聞いた声が耳の奥で反響する。
忘れるには日が浅すぎた。しかしおそらく生涯を終えるまで心に留め置く存在なのだ。
月下に集いし騎士は、今日に限って、日の本へ踊りでる。
「これもまた運命の悪戯というものでしょうか。まったく……創造神の気まぐれも意地が悪いですね」
目の前に現れねばくすぶるだけで燃え盛ることはなかったかもしれない。
わざわざ縁がつながらねば見過ごすことが出来たのかもしれない。
しかし彼の者は手の届きうる場で――しかも王の眠るこの地で――再び出会ってしまった。
「王よ……亡き偉大なる主よ。敬服する貴方様を下した手合い……この身でもって測らせていただきます」
こうなってしまっては盛るしかないではないか。運命の導きなのだから。
これは騎士としてではなく個の、下らぬ感情である。それでも彼は決してアレを受け入れるわけにいかなかった。
だから鎧は脱いだ、誇りは主の膝下へ添えた。
ここに立つのはただ探求を求める粗暴な己のみであることを示すために。
「とどのつまり……敵討ちってとこかい?」
開口の1番が、ソレだった。
奴はのうのう、と現れる。下した王の御前にまるで道草でも食うような足どりで踏み入ってくる。
レィガリアにとって、言うなれば舐めた態度だった。これを王への無礼ととらずしてなんととるか。
――……ッ。
籠手帯びていない手が閉められた。
噴出しそうな感情へ蓋をし、無理やりにでも押し留める。
「言葉如きで言い表せるほど浅きものではないのです。語るのであれば是非……力にて、お願い致しとうございます」
「そっかそっか。あんまり悩みすぎるのは止めておいたほうが良いと思うよ」
優雅な動作のなかで、ようやく拳を解くことが出来た。
彼の者のフザケた態度が感情を蘇らせてくる。あの運命の夜明けで芽生えた屈辱に似た感情を思い起こさせる。
しかし民の手前、うちに宿すしかない。団長たる者はいついかなる場合でも足を早めてはいけない。
「そういえばそっちがいきなり割り込んできたんだったな。なら、少しくらい融通をきかせてくれるだろう?」
あまりに露骨すぎる譲歩の提案だった。
しかしその提案に一理あるのも確かである。こちらも作法のなっていない乱入者であるのだから。
「なるほど……女帝様と決闘した際のように条件づけをするおつもりですか……」
フウム。思考するのは決して負けることはないという意思を固めるため。
レィガリアは肩をすくめつつ、はじめから決まっていた答えを伝える。
「聡明な御方だ。貴方様と私ではあまりに力量に差がありすぎますからな」
そこらかしこより控えめな笑い声がさざなみのようになって鳴り渡った。
だが彼の者は慣れてでもいるかのよう。嘲笑するそちらへ目もくれやしない。
――きっと慣れているのでしょう……最弱の種族として認知されることに。
レィガリアは嫌味にとられぬていどに頬を和らげる。
「制約をつけるのであれば、せめて歩行くらいは可能なていどにお願したいものですね」
より嘲笑のざわめきが大きく広がった。
しかし彼の者は揺らがない。
「つまり条件を呑んでくれるんだな?」
その確認にレィガリアは「はいもちろんですとも」余裕をもって返す。
杞憂はない。なにせどのような条件にも加減は発生する。
なぜならこれは命のやりとりをする決闘ではなく、試合なのだ。
しかも衆目に縛られているのはなにもこちらだけではない。客は両手両足を縛って一方的な惨劇なんて望まない。
だからこそレィガリアは彼の者の条件を呑むと断言することが出来た。
「ならオレが勝ったらアンタが知ってるグラーグンのすべて聞かせてくれ」
ドクン、と。予期せぬ事態に心の臓が跳ね上がる。
予想外の提案だった。求められたのは条件でも制限でもなく、報酬。
しかもすでに下し終えた相手の情報を教えろと言う。
「……なぜいまさらそのようなことをお聞きになりたいので?」
レィガリアは、相手に動揺を悟られぬよう、振る舞う。
対して彼の者はさもありなんとばかり。右往左往の体でのらりくらりする。
「アイツには最後に聞きそびれたことがあるんだ。だから勝ち越されててさ。あの日からずっともやもやしてたんだよな」
「……勝ち越し? これはまたオカシナコトを……」
低く問う。意図せず眉が寄ってしまう。
だが、どうやらその問いに彼の者が答えるつもりはないようだ。
代わりにワーウルフの少女が牙を剥くような笑みをこちらにむけてくる。
「込み入った話は試合が終わってからにしてもらおうか! 蚊帳の外というのも居心地が悪いのでな!」
尾っぽを千切れんばかりに振りながらの催促だった。
彼の者もそれにつづく。
「ジャハルをあまり待たせると後が怖いんだ。レィガリアさんも気をつけたほうが良いよ」
毛ほども緊張感のない呼びかけだった。
その飄々とした笑みが、なぜだかこちらの神経を酷く逆撫でる。
うわてをとられたような感じ。言い知れぬ悔しさがレィガリアの胸中にこみ上げていく。
だからか、らしくもなく、つい考えもなしに口走ってしまう。
「……傾奇者め」
「要約すると変人ってとこだな」
ただの独り言、あるいは陰口。
まさか返事があるとは思うまい。
「……お耳が大変よろしいようで」
「まあね。ちなみに視力もそこそこいい」
知っている。
騎士として生きて短くはない。あるていど観察していれば嫌でも相手の実力が見えてくるものだ。
レィガリアは己の未熟さを恥じながら不遜への謝罪として深めの1礼を送る。
「存じております。先ほどの試合にて見物させていただきました」
うつむいて面を隠す。
同時に己の影を銀の眼が鋭く睨む。
――私としたことが未知を相手に失念していたようですね。視力だけでなく聴力の鋭さも人種族の能力ということですか。
再び聞かれぬよう細心の注意を払って奥歯を噛み締めた。
人間種。それはルスラウス世界に突如やってきた8種目の名称である。
レィガリアは彼のことをよく知っていた。
――長たらしい名ですが……その名、決して忘れはしませんよ。
世界を束ね、王を倒し、龍を開放した英雄の存在を。
それでいてなお人種族であるという実態がひた隠しにされている事実を。
レィガリアは両手を広げて7つの種族たちが群れる墓前に、こう告げる。
「それでは試合ましょう! ようこそいらっしゃってくださいました! 大陸の種族たちは貴方様のご降臨を心からお喜びになられることでしょう!」
「……っ!?」
すると彼もなにかを察したのだろう。余裕の態度を崩して身構えてみせた。
そしてレィガリアは大空を抱くよう、高らかに、真実を明かす。
「異世界より来たりし人種族を歓迎致します! 舟生明人・L・ドゥ・グランドウォーカー様!」
すべての民たちが平等に異種族を認知するように。
……………




