52話 そのため、世界に闇は浸水の如く満ちて
「なんなのじゃこれはぁぁッ!」
朝、やけに甲高い奇声によって目覚める。
奇襲かと思い、ワーカーの上部ハッチから顔を出せば、ひとりの幼女が興奮気味に鼻息を荒げていた。体の倍以上の長さのある白い縋を背負い、爛々と好奇心にみち満ちた瞳。そして、なぜか下半身になにも身につけていない。
ぱたぱたと。テントのなかからユエラが飛び出してくる。
「そんな格好で外にでちゃダメよ! ほら早くこれを履いて!」
その手にもっているのはやけに布面積の小さいパステルグリーンのパンツだった。
雑用係である明人の丁寧な洗濯技によって清潔さを保っている。もはや洗うことに抵抗も興奮もなくなった奇跡の女性用下着が半裸の幼女に投げつけられる。
「い、いやじゃ! そそそ、そんな卑猥なパンツを履くなんて変態の所業じゃ!」
「――んなぁっ! 私が変態って言いたいわけ!?」
顔を真っ赤にして駆け回る褐色肌の幼女とユエラは逃すまいと後を追いかけた。
そんなふたりを見下ろしながら明人は頷きながら思う。
――正論だ。よく言った。
「アンタも目くらい逸らしなさいよ!」
「大丈夫だよ。男と違って人体構造上、上からじゃなにも見えないから」
明人は大は小を兼ねるをモットーに生きる、ノーマルである。
あんな年端もゆかぬ幼女にときめくほど極まってはいない。もし極まっていればシルルも守備範囲になってしまったことだろう。
「そういう問題じゃないッ! モラルとかデリカシーの話をしてるの!」
「ぎゃああ離すのじゃあ! そんなパンツを履いたらお嫁にいけなくなるのじゃああ!」
「アンタもいい加減におとなしくしなさい!」
その後、リリティアの手刀によって幼女は沈静化し、事なきを得た。
……………
リリティアを中心に硬い地面で顔を突き合わせ、朝食兼会議が車座になってはじまる。
もともとリリティア家では嗜好品であるチョコレートクッキー意外はほぼ現地調達のサバイバル生活だ。なので、食事も普段とさほど変わらず魔物料理が中心になる。
はじめは口に運ぶことを躊躇していたエルフたちだが、一口食べればこちらのもの。リリティアの料理は世界を虜にするだろう。
水は《ウォーター》、火は《フレイム》。食材は荒野で平和に暮らしていたウェアラットという巨大鼠と虫や植物。なるほどどうして、文明が進歩しない理由も理解できるであろう。川がなくても生活ができて薪がなくても暖が取れる。つまり、魔法が便利すぎるのだ。
「つまり、この子はイェレスタムの街からきたってこと?」
ユエラは、木目のスプーンで隣に座っている幼女を指し示す。
いつものような胡座をかいていない。どうやら周囲にエルフの視線を多少は気にしているようだ。
「ええ、双腕のゼトという伝説級の鍛冶師のお孫さんがこの子のようなのです」
そのリリティアの一言に、精鋭のエルフたちが食器片手にざわりと色めきたった。
双腕。リリティアの剣聖やヘルメリルの語らずなどのL級の称号。またはふたつ名をもつということ。
明人は偶然にも世界最強の剣士と魔法使いにふたりに出会ってしまった。だがL級の称号を賜るには最強である必要はない。名工や知識、力や技など、大陸で最も長けてかつ他者に認められれば名乗ることが許されるもの。
となれば、そのドワーフもなにかに精通している強敵と考えるべきであろう。
そんな様子を知ってか知らいでか、幼女はスープに溶け込むほど煮込まれた鼠肉をおそるおそる頬張り、んーっと至福の表情を浮かべている。
「おいしい?」
「絶品じゃ! しかし、ふにゅ~よ。おヌシ本当にヒュームではないのか?」
「さっきから言ってるけど、オレにはマナないんだ。だからヒュームじゃないよ」
明人に体内マナが存在していれば世界基準でヒューム種に含まれるだろう。
しかし、マナがないのでやはり人間。異世界人。
「むー……確かにヒュームは特性のひらめきによってときおり変な発明をするが、あれほどの技術力はありゃせんな……」
そう言って、ラキラキは威風堂々と佇む漬物石に目を瞬かせた。
彼女はドワーフ族という明人の知らぬ新たな種族だ。
焦がしたかのような健康的な褐色の肌に、ちんまりとした体型。種としての特徴は、手先が器用で魔法鍛冶という特殊なスキルを持っている。
「ずいぶんとほんわかしているようですが、状況を理解してないですね?」
じろり。リリティアが半目になって睨みつけてくる。
昨晩の悲しみを孕んだ面影はどこへやら。調子が戻っているというのならなによりではあるが。
「状況ったって、やることは変わらないだろう? 姿を消したドワーフたちの情報をなるべく多く集めて本隊に持ち帰る。ある意味達成したようなものじゃないか」
そして、ラキラキの話が本当ならば逆に悲観する要素は少ない。
戦争の火口はともかく、なにものかに操られている現状はであればなおのこと。
「それに、もし操ってるやつをなんとかできれば街のみんなに協力してもらえるんじゃないかな?」
そういって明人は素知らぬ顔でスープを啜る。
エルフたちも「おおっ」だの「確かに」だのと、同意の言葉を口にした。
「無理です。そして、状況は想定していた物のなかで最も悲惨です」
高くなっている明人の鼻をへし折るが如くリリティアはぴしゃりと言い切った。
「明人さんは街単位と考えているようですが、私の予想は違います」
「と、いうと?」
「国単位です」
信じられない。エルフたちに動揺が広がり場が騒然とする。
無論、明人も冷水を浴びせられたような心持ちだった。あまりにもリリティアの言い分が馬鹿馬鹿しかったからだ。
ウッドアイランド村での一件で知った洗脳魔法というマナを使った催眠。他者の意思をコントロールして傀儡として操る外道魔法。その命令が明確であればあるほどに効果はより顕著。
――そうなるとオレの思ってる以上に厄介な魔法なんだな……。
しかしそれでも弱点は存在する。
人形劇のマリオネット然り使用者が常に傍で魔法を掛け続けなければならないということ。つまり、雨が降れば天気が悪いのと同じ。元凶がイェレスタムの街に潜んでいなくてはならない。
「明人さん。アナタは……いえ、アナタならもう知っているはずです」
思考の海から顔を出して見れば、リリティアの瞳が真っ直ぐにこちらを捉えていた。
彼女はよくこうして人を試す。材料を与えて自身での答えを導き出させようとする。
であれば、答えはすでに手の届く場所にあるのだろう。
『しかし、すべてのエルフをいっぺんに操ることは……もはや生物の域を逸脱しているかと』
咄嗟に明人の脳裏によぎったのは、シルルの父である村長の言葉だった。
現況は、神より賜りし宝物。
大陸を拡散する覇道の石であれば使用者の意思または思考の色を周囲に馴染ませるだけ。だけとはいえ、それはそれで厄介ではあるが。
しかし今回は記憶を飛ばしてしまうほどに完全なる洗脳である。白に黒を混ぜるのではなく、白と黒を強制的にすり替えてしまうような。
そのうえ、100年という長きに渡って。
「……リリティアがその考えに行き着いた理由を教えてくれないか?」
明人の真剣な問いに、リリティアは指を立てて答えた。
「別の地方に住んでいるドワーフたちが100年にも渡って同種の住まう街を放置するわけがないはずです。誰かしらが不審に思い救助に向かうべきなんです。それでもそうならないのならば国境内すべてのドワーフが洗脳されていると考えるべきでしょう」
つまり、国境の土巨大は時間を稼ぐ、エルフの進行を妨害する壁なのだ。
外部からの侵入者を拒み、そして洗脳したドワーフを内部に閉じ込めるためのもの。
では、この戦争はいったいエルフと誰の闘いなのだろう。ひとりの狂乱者なのか。はたまた、別のなにかか。
「くぅぅぅ! 腹いっぱいなのじゃあ!」
真面目な空気のなかでラキラキは丸くなった茶っこいお腹を、ぽんと叩く。
ドワーフたちが100年も昔から操られていたとすれば、この幼女も幼女ではなく100年生きた幼女ということになる。
「さてっ! そろそろことの顛末を話すとするのじゃ!」




