517話 【蒼VS.】狼の姫 ジャハル・カラル・ランディー VS ???? 3
「――フッ!」
斜め下からえぐりこむような拳が猛烈に襲いかかる。
ボディ狙い。もし目的が果たされればこちらのダメージは避けられぬ。
蒼に沿われた黒い瞳が攻撃を目視し、ほぼ同時に体が反応する。
――回避は不可能か。
すぐさま腕を十字に構え直して防御態勢へ移行した。
その直後、鋭い拳が予測通りの線を辿って、腕へ鈍痛をもたらす。
直撃していたと思えば肝が冷えるほどに鋭い1撃である。ガードに成功したというのに衝撃が内蔵を貫き背を抜けていくような錯覚を覚えた。
「相変わらずいい反応をする! 動きも以前と比べ無駄がないな!」
ジャハルは汗を散りばめながらフッ、と笑う。
明人からの返答は「そりゃあどうも!」幾分の捨て鉢だ。
ガードされたというのに彼女は残念がる素振りもない。よく揺れる尻の辺りで毛束の尾がピンと天を差す。
「なら次はこれをくれてやる! とっておきの必殺というものだ! 遠慮せずに喰らえ!」
つづけざまにジャハルは蜂のようにくびれた腰を捻った。
足が大股ぎみにぐるん、と円を描く挙動を見せる。
――回し蹴りか?
明人の見知った技。即座に反応をして回避行動に移す。
繰りだされる蹴りは、ちょうどこちらの頬の横を狙う高さ。当たれば良くて昏倒といったところか。
しかしここまでの戦いであるていどの学習は済んでいる。
――違う! これは動きが大きすぎる! また仕掛けてきてるな!
彼女の動きに異変を見るや、慌てるどころか平時よりも冷静に対処した。
まずは分析。猪突猛進型であった彼女だが、今回の闘いではそうじゃない。あの手この手と変えながら柔軟に戦法を切り替えて闘う。
ならば見るべきは彼女の攻撃の要部分である足ではない。こちらも柔軟にくまなく全体を捉える。相手の些細な動きを漏らさず理解し、数秒先の未来を予測する。
ジャハルの肩の動き、呼吸、表情。それらすべてが結果へ繋がっている。
「同郷の仲間も尾を巻いた技だッ! 貴様ならどうやって捌くッ!」
その蹴りはさながら死神の鎌だった。
女性の柔軟さを活かしながら狼としての雄々しさが組み合わさっている。それと腰の揺らめきと体重の乗った、華麗でいて業の蹴り。
明人は、まず初撃を姿勢を低くとって、潜り、躱す。
「もう1発あるぞ! 当たれば首が吹き飛ぶ! 嫌なら躱してみせろ!」
ジャハルがぐるりと体を半回転させる。
それが撃鉄だった。間髪入れず、さらにもう片側の足を繰りだし、2撃目を放つ。
初撃の猛烈な勢いと遠心力を全部乗せするような連続技。とっておきに足る技だった。
「――ぐッ! 間に合え!」
仰け反りすぎて喉が唸る、顎先のコンマ数センチの辺りを業風が通過する。
「チッ! これで浅いのか!?」
間に合った。と、同時にジャハルが舌を打ちが振り抜きの音に混ざった。
ダッキングの体制から仰け反り。からの飛び退き。
明人は固い石畳の上を後転して体制を立て直す。
「……っ!」
ジャハルの追撃に備えて即座に構えた。
しかし追撃はない。残心をとったジャハルは長い襟足を手で掬い払う。毛先に集まった汗が飛沫となって弾ける。
「これを躱せたのは婿候補のなかでもひと握りほど。我の婿候補は気高きワーウルフ族のなかでも名だたる戦士たち。つまり貴様も連中と肩を並べたということだ」
あれだけの連撃を見舞っておきながら、たたずまいは凛としたもの。
「全力で撃って直撃を確信したが、それでも避けられるとはな。ククッ、思い通りにいかないことも闘いの愉悦ということか」
戦いの場でのみ咲き誇る1輪の花というべきか。見目麗しい女性でありながらも、生粋の闘士。
艶めく肌を濡らす汗を全身にまぶし、アスリートのように伸びの良い上下セパレートの衣服。衆目は彼女からむらりと漂う健康的な色気に釘づけだ。
それに比べてこちらはどうだ。威風堂々と言いながらもこの体たらく。過去の発言をとり消せるものならとり消したい。
明人は頬を下るぬるい汗を袖で素早く拭う。
「危ない危ない……嫌な汗をかせてくれるな……! もし直撃してたらお陀仏だった……!」
技術的というお株をジャハルに奪われていた。
小細工が通用しないどころか、相手が率先してくる恐ろしさたるやだ。実力が拮抗すれば人とワーウルフの身体能力の違いもまた響いてくるというもの。
気が抜けない。一進一退の攻防だった。すでに余裕なんてものはかなぐり捨てて競い合う域に至っている。
肌に感じるのは熱気で、内側から迸るようなものはカミソリ刃の如き冷気。日が高く登るにつれて初夏の光も皮膚と精神をじりじりと焦がしてくる。
しばし互いが間合いを詰めようとせず、息を整える時間が与えられた。
そんななかでもジャハルは浮かれるようにその場飛びを繰り返す。
「やはり本能の赴くまま、闘志を滾らすのは、良いものだ! 殺意なき闘争というのも、清々く、好ましい!」
「あいかわらずの戦バカだな。お姫様なんだからもう少し淑やかさもとりいれたらどうだ?」
ハッ、という一笑で明人の提案は流されてしまう。
「カラル一族の信条は肉を切らせて粉骨砕身だ! 闘いには姫も乞食も関係なく平等であるべし!」
――肉を切って骨を粉にしたらなにが残るんだ?
「さあ闘争をもっと楽しもうじゃないか! 貴様ならば我の血も脳も下腹も、もっと熱く煮やせるはずだぞ!」
跳ねるたび肌に沿う加圧生地がおおらかにたわむ。ぺたんと寝た獣耳がはばたき、ツンと上向きのヒップが波を打つ。
その爽やかな婀娜すら感じさせる彼女からの「そうは思わないか!」の問い。
明人の回答は、嫌味と悔しさを乗せた「ああまったくだッ!」すでに成るように成れ。
「そうかそうか! 貴様もようやくこちら側に蔵を変えたのだなっ!」
「おいこら話聞け! 耳をぺたぺたさせるな!」
なのだが、どうやらジャハルには嫌味とかそのへんが効かないらしい。
よほど楽しいのかニンマリとした快活な笑み。嬉しすぎる犬のように尾をぶんぶん左右に振っている。
「我が全身全霊をもってして歓迎してやるぞっ!」
「10時間しっかり寝たようなスッキリ顔でオレを見るな!」
ここまでのぶつかり合いで致命傷は未だなし。互いに本気ではなく余力を残すような試合展開だった。
そして突発的に開始された試合を観客たちも目を皿にして見入っている。
冒険者たち、聖都の兵士。日常から闘いに身を置く者たち。参拝のため聖城を訪れる途中だった修道士たちまで足を止めた。フラワーガーデンで賑わう市民も噂を聞きつけ駆けつけた。
ざわめきひしめくなか。それでもとびきり目を引く一角があった。
「あきとさーん! ふぁい、おーですよー!」
控えめな拍手とともに応援する声が飛んでくる。
明人にとっては聞き慣れた声。それが聞こえるたび視界の端で白い長裾が揺らぎ金色の三つ編みが踊った。
感情の希薄な紅玉の瞳がリリティアを不思議そうに見つめている。
「先ほどから口にしているそれはいったいなんなのだ?」
「ほらほら焔龍も明人さんを応援しなきゃダメです! あきとさんふぁいおーですよー!」
袖ひかれたディナヴィアも半ば強制的に応援へと加るのだった。
周囲の様子を伺いつつ、油の切れた機会人形のようになって両手を叩く。
「こう、で合っているのか? そしてこの行為を妾がすることになんの意味がある?」
問われるも、リリティアは子供のように頬をぷっくり膨らます。
「そこからさらに――おー、ってやるんです! 回りの目を気にしていたら応援団員失格ですからね!」
どうやらディナヴィアのやりかたに不満があるようだ。精巧に作られた白いを指立てながら指示をだす。
「ちょろまかがんばる明人さんを応援することが私たちの使命ですからね! たとえ弱くてもがんばってるんですから!」
「応援という割に誰よりも辛辣なのだな。それと前触れもなく役割を与えられるのか。西側の文化は奇っ怪で強引だ」
なんとも色鮮やかで――たったひとりが――姦しい集団であった。
明人がややうんざりとしながらそちらを眺めている。するとあちらもこちらの視線に気づいたようだ。
「明人さんがんばってくださいねー! 私と焔龍と海龍は明人さんを応援してますよー!」
さながらアイドルに見られただの見られてないだのと騒ぐファンの如し。
明人もまた斜に構えるような感じでキザっぽい微笑みを、声援の根源へと送り返す。
そんなリリティアを一言で表すなら、無邪気だ。
しかしその実、もっとも良く舟生明人という人間を理解しているうちのひとりである。
「……まだまだ本気をだしてないようですが、ね?」
ぽつり、と。試合場にひときわ響いていた明るい声援が裏返る。
聴力の良い操縦士の耳は、爪弾かれる琴音の如き声を聞き逃しやしない。
見れば、リリティアは合わせた両手の裏側で含みのある薄い笑みを作っていた。
たまらず明人は目をそらして頭に爪を立てる。
――……バレてるのか。となると……リリティアには作戦も筒抜けかもな。
そして立ち会いの場に意識を戻すのだ。
会場とは摩訶不思議なもの。こうして大勢の興味を引いているのに、立ってみると己と相手しかいないのかと思えてくる。
周囲の手が届かない――邪魔が入らない1と1の空間。見つめ合うだけで喧騒を忘れ、静寂に身を置くかのよう。
「舟生明人、L・ドゥ・グランドウォーカー」
「なんだい。ジャハル・カラル・ランディー」
ジャハルは微笑みでもって対面の名を呟く。
微笑みで呼ばれたならば、明人も微笑みでもって呼び返すだけ。
他人行儀な交わしを終え、しばししてジャハルのほうからみずみずしい唇を開く。
「貴様を剣聖の腰巾着と呼ぶものが多くいるのを知っているか」
「知っているさ。オレみたいな弱いやつがLを名乗るのもリリティアの強さがあってこそってことだろうさ」
やれやれ、と。筋肉に覆われたなで肩をすくます。
「実際そうだからオレはなんとも思っちゃいない。どうあってもオレには特別な力なんて備わってないんだ」
F.L.E.X.は話題から自動的に排他されていた。
操縦士に備わる ア レ は条件が整わねば発動しない。しかも発動させたところで魔法という特別な力に比べると利便性はかなり低い。
するとジャハルは冷ややかな視線で笑みを強める。瞳のうちには熱き闘志があふれんばかり。
「我は、そう思わん。少なくとも我は貴様を強者であると見ている。いや、あの戦争で舟生明人という男を知る者ならそう言えないはずだ」
腕組み胸張り、言ってのける。
明人はあっけにとられたが、それも刹那ほど。
「……そりゃどうも。認められて悪い気はしないけどさ……」
足元に2つある小石のうち1つをスニーカーで蹴った。
本望だった。しかしそうなると色々都合が悪いことも多い。
「しかもだ。この我に2度も泥を被せ恥辱に塗れさせたのだからな」
「恨まれても困る。その2回ともそっちを助けるためだったじゃないか」
「恨むものか。どころか我は貴様に親しみに近い感情をうちに秘めていると言っても良い」
そう言ってジャハルは厚い起伏へと手を添えた。
もしこれが愛を紡ぐものだとしたら男前すぎる。ただ忌憚のない感情を伝えているに過ぎない――はず。
しかし告白でないにしろ褒め殺しだ。慣れていない明人からすれば居心地が悪い。
「認めているんだ。認めているからこそ我は貴様を超えたい。はじめて我に敗北を味わわせた相手に勝ちたい」
――あー……体中が痛い。防御するっていっても生身だからなおさらだ。
恥ずかし紛れに屈伸なんてしてみる。
片手を膝について、曲げたり立てたり。休憩が長いと筋肉が固まって仕方がない。
明人が力を抜いている間にも、ジャハルは雄弁に己の心情を語り伝えてくる。
「だから今このときのために我はより鍛錬を積んだ。文献を読み漁り、兵法を学び、肉体的にも精神的にも己を高めたのだ」
その言葉にきっと嘘はない。確かに彼女は過去2戦よりも圧倒的に成長した。
ならばこちらはいったいどうだろうか。数多の戦場を生き残り、最強存在すら井の底へ引きずりこんで勝利した。
そんな前人未到を成し遂げた明人は、重く息を吐きながら、心で思う。
――これは失敗だな。
幾度かの柔軟のうち素早く確かな感触を握り込む。
今この試合は計算外にある。彼はジャハルという存在を見誤った。
――良い感じの勝負をして、良い感じに負けて、良い感じに終わらそう。と、思ってたんだけどな。
彼女の欲しがっているのは血湧き肉躍る闘争だと思っていた。
が、それは甘かった。もはや馴れ合いで事足りるものではなく、執念のような者が付随している。
――そうなるともう本気でやるしかないか。
明人は柔軟を終えた。
すでに勝つという条件は整えてある。そう、はじまったときから、ずっと。
ジャハルもまた待っていたと言わんばかりに微笑を破顔へ移行する。
「そのすべてを見てもらいたくてな……! つい貴様を発見したときは我を忘れてしまった……!」
姿勢は低く、さらに低く、両膝をたたんでしまうくらい沈む。
吊り上がった片側の口角がひくひくと痙攣をはじめる。同時に尾が揺らぎを止めて逆だっていく。
それに対してクラッキング音が威嚇のように奏でられる。
「これを最後にしてもらう。こういうのを嫌がるとは思うけど、あんまり男以外と闘いたくないんだ」
明人も関節から気泡を逃してから構えをとった。
そして打ち合わせをしたかの如く両者が再び視線を交わす。
たちどころに身がしまるほど空気がひりつきだす。観客たちも並行して対峙する2名へ視線を集める。
「いいぞ、なにせ我の願いは貴様への勝利のみ。その始末さえ終えられればあとはただの友となろう」
「勝っても負けてもだ。もし黒星を貰ったとしても後腐れはないって約束してくれ」
「フッ、つまり勝ちを譲らんと言わんばかりの言い草だ。そうでなくては――」
構図はすでに人、獣。2足と4足。
墓前に棘のように冷たい冷気が満ちていく。鋭く、それでいてどのような衝撃でもぷっつりいくか細い緊張の糸。
「こっちだっていい加減に見栄を張るのも楽じゃないんだよォ!!」
底の減った平たいスニーカーが蒼吐く。
先に糸を斬ったのは――僅かに明人のほうが早い。一瞬遅れてジャハルの咆哮も轟く。
「直進だとッ!? ならこちらだってうってでるまでだッ!!」
なめらかな腿の白い肉が盛り上がって筋が浮きたつ。
両の手は拳のまま。湾曲状に背を丸め、沈めた体は地を巡る獣を彷彿とさせる。
「狙うは喉か股ぐらか!? はたまた己の存在を曇らす正攻法か!?」
そのすべてに対応してやろう。笑みに殺気をまとったジャハルの体が飛ぶとあまりの速さで消失した。
両者ともに詰まっていく。ならば1秒も待たずして指呼の間。互いの拳と拳が振られる……――ことはない。
「ハアアア――なッ、まさか貴様も!?」
ジャハルの攻撃が空を薙ぐ。
そして気づくも、すでに振り抜けた腕の自由は縛られている。
息を呑む。背負われ、対峙した相手の背中が当たる。
それは背負投げ。剛の技に対して明人の狙ったのは柔の投げ。
ふわり、と。彼女の足は地から剥がれ、今度は背から再度地へ落とされる。
「恨まないって約束だよな!? 多少に怪我ならヒールで直してもらえ!!」
明人は勝ちを確信した。
これは相手が速ければ速いだけ威力の増す技。速度と体重が乗って地べたと対面することになる。
しかも彼女は人ならざる突進をしてしまった。なら決まれば呼吸が止まる、悪ければ肺すら破れかねない危険な技だった。
「くっ、やるなッ!! だが――まだ詰めが甘いッ!!」




