512話 そして文化的な龍族の見せる微笑み
幼く小さな手をぱっぱとほろう。
「おーっほっほっほ! これぞワタクシこーでぃねーとの傑作! お気がすむまでご覧あそばせですわ!」
完成した作品の足元で限りなく平たい胸をこれでもかと反らした。
品位を知らしめたいのだろう。しかしどうあがいたところでまだまだ可愛い盛りである。
その横ではリルブが前髪をかき上げながら額を拭う。
「……ふぅ。なかなかに大仕事だっただけありまして上出来ですわね」
「当然ですわ! これでもワタクシ家庭科の成績だけオール5なんですわ!」
「よく出来ましたわ。これはお姉様にもちゃんと褒めていただかなくてはなりませんわね」
「うわーいですわ!」
疲労はしているが姪っ子のいたわりも忘れないあたり良い叔母なのだろう。
ルリリルとリルブによる合作が、ようやく完成したのだった。
「ふたりともまるで舞踏会に繰りだす特権階級の貴婦人みたい! 昔読んだおとぎ話のお姫様さながらよ!」
彩色異なる瞳が爛々に輝き、2匹の龍をいったりきたり。
合わせて長耳が天地交互に指している。ユエラは手放しで賛辞を送る。
「とーっぜんですわ! 衣装とはつまり品を極めるための基礎であって最終到達地点! 女性が美しいのは綺羅びやかに飾るから、みすぼらしいのは小汚い服を着ているから! 美と衣装は切っても切れぬ存在なんですわ!」
ルリリルの自信満々な姿も許されようもの。
質素な店内には大輪の花が2輪ほど。片方は情熱滾らす薔薇のような赤の生地、もう片方は落ち着きのある紫陽花を身にまとう。
水を弾かんばかりの肌を包むドレス。見栄えはエレガント、そしてロイヤルゴージャスである。
「これがドレス? 邪龍はなにか知っているのか?」
「アタクシもこちらの素養はあまりないのだけど……。確かに女王たちが身にまとうものによく似通っているわ」
ミルマとディナヴィアは着飾った姿を互いに確認しあった。
元が元だけに違和感を感じてしまうのは仕方がない。さらには尾と翼もしまっていてそこらにいる女性となんら見た目はかわらないのだ。
邪魔だからしまえ、とのお達しだった。当然言ったのはリルブではない、ルリリルによる指導である。
「妾は邪龍の召し物をマネただけだった。ゆえに着飾るという行為に戸惑っている」
「全身を包まれているはず……なのに不思議と不快な気分にならないなぜでしょう? それどころか……なぜ鼓動が早まっている?」
ミルマは戸惑いながらもなだらかな起伏に手を添えた。
ディナヴィアも履き慣れぬであろうヒールでよろよろ、と。足どりで動揺を表している。
「これが……種の姿? クレーターの外の……文化?」
「ふわふわとして暖かい。このまま思い切り空を泳ぎ回ってしまいたいような。そんな高揚感が満ちてくる」
2匹は召し物に触れながら肌を上気させていく。尾っぽが生えていたらもっと感情が湧きだしまっていたかもしれない。
もともと2匹のもつポテンシャルは平均を大きく上回っている。濡れた瞳、大人びた輪郭、艶めく唇、目端のセクシーな黒子。どこをとっても1級品なのだ。
それが洒落こむことで期待値を遥かに上回った。男ならず女までも目を奪われかねないほどの美を咲かせている。
「お気に召されたようでなにより、されに元の素材も良かったのでしょうね。服に着られるということもないのは大変喜ばしいことですわ」
リルブは、試着されて散らばった服を回収した。
2匹へぱたぱたと歩み寄ってぽん、と手を打ち鳴らす。
「それらはいわゆるパーティドレスに分類されるものですわ。華やかさと気品を全面に押しだすいわば祭事を行う際に品格を示すためのものですわ」
よれた服のシワを伸ばし、肩に乗った髪を退け、小さな埃を指で啄む。
それが終わるといそいそと店内の化粧台へむかいコンパクト拾い上げた。
「女性体をお選びになったということですので女性としての魅力はふんだんに。それでいて気品を逃さぬようなコーディネートさせていただきましたわ」
繊細な指先に下地用の粉を伸ばし、見せる部分の肌へ塗りつけていく。
胸元、デコルテライン、肩を通って腕、と。自然な色の粒子を肌にまぶす。それからパフを使って頬やバスト付近をラメで彩る。
いわゆる仕上げというやつだろう。2匹のしっとりと肉のついた肢体が鮮やかな彩りにめかしこまれていった。
「モチーフとしたのは貴方様がたの種族。称え敬う存在者が誇るべき華美ですわ」
仕上げられながら「……種族?」、「……かび、ですか?」2匹揃って首をかしげる。
とにかくされるがままだ。身じろぎひとつせず熟練の手さばきをぼんやりと眺めているだけ。
きっとなにをされているのかすらわからぬだろう。見違えるほど艶やかになっていくことに気づくのは、きっと化粧を落とし終えたあたりのはず。
「ちなみに貴方様がたの専属担当をしてくださったのは言うまでもなくルリリルですわ。ワタクシはそのお手伝いをしてあげただけですの」
リルブがふふ、と微笑む。
そちらへと、2匹はほぼ同時に小さな影へ視線を落とす。
「こちらで言い伝えられる龍の伝説は華やかで美しいものばかりなんですわ。ですのでワタクシの思う最高の龍というもちーふでこーでぃねーとさせていただいたんですわ」
ルリリルは、子兎のようにぴょんと飛び跳ねた。
文明的な言葉に龍たちが「こーでぃねーと?」首をかしげ、即座に「オシャレですわ!」と跳ね返ってくる。
「これで表にだしてもまったく恥ずかしくない立派な淑女の完成ですわ。もし叶うことならばもっと自信に満ちあふれたたたずまいを目指していただきたいところではありますですわ」
すると2匹は、ちょっとだけ背筋を正したのだった。
リルブは堪えきらないといった感じで品よく吹きだす。
「ふふっ。姪っ子にとって貴方様がた龍族はかくも美しいものだったようですわね」
いつの間やら回収した服を棚に戻している途中だった。
ルリリルが話している間に仕上げを終え、すでに次の来客に備えている。
流石といったところだ。1つの店を構え切り盛りするだけのことはある。プロの接客態度だ。
「なぜだ? 我々龍族は西側にとって恐怖の対象ではないのか?」
ふとした様子でディナヴィアがぱちくりと瞬いた。
龍は恐ろしい。彼女の喉につかえていた疑問だった。
しかしルリリルとリルブはあっけらかんと言ってのける。
「アナタ様がたは龍族はワタクシたち西側の種族にとって夢、あるいは伝説といった存在なのですわ」
「だからあんなフシダラな格好をされているとワタクシたちの夢が粉々に壊れてしまうんですわ」
ふたりはむきあって「ねーっ!」と。微笑みながら冗談っぽく肩を揺らした。
それでもどうやら納得がいかないらしい。
「ではなぜこの国の民たちは妾をあれほど尋常ではない目で見つめてきていたのだ。その説明がつかぬぞ」
「あんなフシダラな格好されていたら誰だって見ちゃうに決まってるんですわあ!」
一瞬の隙もない鋭利な正論だった。
種族たちにとって龍とは偉大な存在だ。だからこそ怯えるのはしょうがないこと。しかし一線を越えてしまえばこうも簡単に歩み寄れてしまう。
「……そうだったか。文化の違いを正せさえすれば龍族でも受け入れてもらえるのだな」
これで彼女のほうは問題ないだろう。
新たな志をもつ女帝として新しい道を見いだせるはず。あとは努力次第でなんとでもなる。
いっぽうで女性たちが華やぐ場というのは、決まって男性が置いてきぼりを食うもの。
男共は仕立てが終わるのをじっと待っている。待たされている。
「おいこら。いい機会だしスードラもちゃんとした服に着替えなさいよ。オマエの格好も色々と問題あるんだからな」
渋顔で提案しながら横睨み。
するとイスに座ったスードラは足を回し組む。
明人のほうも見ずに、こう返す。
「え、やだ」
あくび混じりの即答だった。
暇そうにイスの前足を上下にぎぃぎぃ揺らす。
「だってあれ蒸れそうだしぃ。あと僕は注目されたいしぃ。それに僕みたいな可愛い子があられもない格好していると周りが喜ぶの知ってるしぃ」
サービスだしぃ。涙の浮いた目端を猫のようにぐしぐし顔を拭う。
彼自身、心の底から着ることに興味がないらしい。常に水着上下のような格好から着替えるつもりはないということだ。
そして明人の決断も早い。
「自覚があるならオレから言うことはとくにないよ。これは見放すって意味だからな」
「そう冷たいこと言いながら僕のこと好きなくせにぃ。このこのぉ――ごへっ!?」
脇腹を突く肘鉄に対して頭頂部への肘が決まった。
スードラは青い頭を押さえながら足をバタバタさせて痛みを散らす。
「ど、どんどん僕の扱いが雑になってない……?」
「どう考えても自分で望んだ結果だろうが。顔を狙われないだけありがたおいと思うことだ」
ともかくすべては案内役の男が気を利かせてくれたおかげ。ようやく丸く収まろうとしている。
倫理観が身につけば龍たちは西側に馴染めることだろう。このまま順当にいけば指導役としての知識を十分に蓄えることも出来るはず。まさに一石二鳥。
それになによりディナヴィアは満更ではなさそうにしている。
「ルリリルと言ったか。体も小さく、愛おしい姿形をしているな」
「ムキャーッ! 言ってくれましたですわ! ワタクシだっていずれレミのようにぼんきゅぅぼーんになる予定なんですわ!」
「……そのままでも十二分に魅力的だと思うのだがな」
密やかに表情を緩ませながらルリリルとじゃれ合う。
というより普段より調子よく、ウキウキしているようにさえ見えてくる。
ただそんな微笑ましい様子を、どこか壁を作るように眺めている者がいた。
「…………」
ディナヴィアとルリリルのほうをむきながら、ぼっと立ち尽くしているだけ。
化粧のノッた横顔は見る者の息をハッ、と止めさせるくらい美しい。ここが舞踏会の会場ならディナヴィアも含めて引く手数多だっただろう。
しかしミルマの瞳に色はない。どこか遠い場所を眺めている。
「…………」
きっと、おそらくは、どこも見ていないのだ。
ただそこに影としてあるだけ。聖都にきてからもときおりそうやって存在を消している。
――これでもダメか。逆に悪化したとすれば面倒だな。
されど、もっちもっち。極上の感触を楽しみながら明人は軽いため息を吐いた。
なかなか起きぬのをいいことに、眠りこける家主の頬を手慰む。
「あっ、ま~た悩んでるわね?」
そこへ、すかさずユエラが駆け寄っていく。
しかもこちらではない。明人にとって悩みのタネの方角である。
「……っ。別にそういうわけではないのですが……」
「ほんとぉ~? そんなに素敵なドレスに似合わない顔してたわよ~?」
はっとなって我に返ったミルマは辛そうに苦笑を浮かべた。
その頬をユエラはツンツンと指でしぶとく突っついて、追うのだ。
「悲しいそうにしてると回りも悲しそうに見えちゃうわよぉ?」
「……そう、なのですか?」
捕まったミルマは無理やりな笑顔を作らされてしまう。
頬をこねられ、指で口角をもち上げられ、お世辞にもキレイとは言えぬ顔をしている。最後はぎゅぅ、と両側から頬を寄せられてクラーケンの様になる始末だ。
ひと仕事を終えたユエラは両手をぽんぽんと払う。
「あとは気のもちようよ。塞ぎこんでると見えてるはずのものが見えなくなっちゃうもの。逆もまた然りってね」
そしてミルマの手とって強引に引っ張るのだ。
「――あっ!?」
「じゃあここからが本番よ! せっかくオメカシもしたことだしね! 改めて聖都に繰りだしましょ!」
ヒールで蹴躓くのも構いなしにユエラは店の外へと飛びだしていってしまう。
「ま、待って!? まだこの靴というものを履き慣れてないんですが!?」
「だったらなおさら歩かなきゃ! 時間は待ってくれないのよ!」
まさに風の如し。ミルマの悲鳴がみるみる遠ざかっていく。
店内に吹きこんだ風があっという間に玄関口を抜け、竹色の髪をなびかせながら、でていってしまった。
悲しむ暇も与えやしないなんともパワフルなやり口である。
それがユエラらしくもあり、きっとそれがミルマにとっても良い刺激になることを祈る。
――さて、あとはどう落とし前をつけるべきかだな。
もっち、もっち。明人は、リリティアを捏ねながら目を泳がす。
とても自然な流れで問題が発生した。なにせ中身の詰まった銭袋は今さっき飛びだしていったのだから。
しかもルリリルがすでにこちらへ目を光らせている。
「お題はお支払いいただけるんですわ?」
若干声に若さと威圧が入り混じっていた。
どうやら龍族のためという同情を誘って踏み倒すことは難しいようだ。
「ローンって使えます? もしくはリボ払いとか?」
「なにをおっしゃっているのか微塵も理解できませんが、当店は無論のこと現金主義ですわ。当然ツケもやっておられませんし、ニコニコな現金払いのみを所望しているんですわ」
目に刺さるような満面の笑みだった。
せめて1日待ってもらえればなんとでも――借りることが――出来るのだ。割りと交友関係も広くツテは多い。きっと誰かが貸してくれるはず。
明人は、リルブへ助けを求めることにする。
「リルブさーん。このままだとお宅の幼女にヒドイことされそうだからお金貸し……て?」
ふと目を反らした先で異変を感じ、息を潜めた。
蒼に沿われた瞳が店の端でピタリと止まる。
案内役の男とリルブがなにやら真剣な顔つきで語り合っていた。
「避難の様子は如何でしたか? もし救援が必要であればこちらから数名回すことも視野に入れております」
「今のところ7割りほどといったところですわね。宿泊施設は客も引率するとのことですので、もうしばし時間がかかるかと思われますわ」
「そうですか。他種族たちが入り混じっていることを失念していました。では、本日中に部隊をそちらへむかわせましょう」
そこだけが物々しい雰囲気に覆われている。あまり良くない話が聞こえてきている。
しかしどれだけ声を抑えても操縦士の耳は聞き逃すことはない。
「……ヘルメリル……ついに動きだしたか……」
すぅ、と腹が冷えていく。同時に頭も冴えていく。
王たちが動いたのだ。ふたりの会話だけでそう理解した。
今現在、大陸では各地の首都へいっせいに集結をしている。
種族なんてものは関係ない。1つの大陸で縁を結んだ種族たちに垣根はなくなった。
そしてそれこそ各王によって各国の民に言い渡された非常事態宣言の大筋である。
スードラの降り立った門に列がなかったのも、種族たちが聖都内に満ちあふれているのも、そのせい。
「このぅ、無視すんなですわあ! いい年して金の切れ目が縁の切れ目という言葉を学んでこなかったんですわあ!」
黙り込む明人への催促が激しい。太ももの辺りをぽかぽかと小さな手が叩く。
リルブと男が声を潜めているのも、ルリリルに聞かせたくない一心なのだろう。
そしてあちらではまだ密談がつづいている。
「とある種族がすでに動いてくれておりますわ。統率が非常にとれているため今日中には都に入れるかと」
「ほう、それは僥倖です。して……それはいったいどこの国の種族なのでしょうか?」
そこまでで唐突な風むきの変化に見舞われた。
バンッ、という強烈な扉を開く音が木霊する。
店内にいた全員が――リリティアを除いて――そちらへ注目した。
「はぁ、はぁ……! はぁ、はぁ、はぁ、っ――アハァッ!」
店の出入り口に立っている影はひとつきり。
しきりに肩を上下させ呼吸を荒げている。しかも逆光となっている姿はあまりに歪すぎた。
「嗅いだことのある忌々しい匂いにぃ……誘われてぇ……! きてぇ……みればぁ……!」
頭頂左右部分にはぺったりと寝かさされたミルクティー色の耳が2枚ほど。
だけではく、振り切れんばかりに毛束の尾がぐるぐると豪快に回っている。
「こんなところでぇ……! まさか貴様に出会えるとはなぁ……!」
恍惚とした笑みから鋭敏な牙が覗く。
前触れもなく現れたのはワーウルフ族だった。
動揺する店内を置いて、1匹はとある人間を、獲物を見る目で捉えている。
「あっ、あの御方ですわ。あのお姫様が同族を率いてワタクシたちをワダツミから聖都に導いてくれましたの」
リルブが聖都にいた理由もわかった。
ミルマはユエラに任せるとして、ディナヴィアも西側を楽しんでいる。
きっと旅行は上手くいくだろう。せめてその時までなら平穏に過ごせるはず。
だがしかしどうやらそう上手くことは運ばないらしい。
「ここで会ったが百年目ェ!! 父上から頂いた暇な旅行の終幕に貴様と出会えるとはなァ!! 運命の神に感謝せねばならぬようだァ!!」
明人は今日ほど再会というものを面倒くさいと思った日はない。
「街のなかで接敵はさすがにないでしょ……」
決して感動の再会ではなかった。なにせ相手はすでに闘志を滾らせ、やる気満々なのだから。
ワーウルフ族国王の愛娘ジャハル・カラル・ランディーが現れた。
「神聖な聖都で我と試合おうか!! 舟生明人!! 再度、気高き我の尊顔に泥を塗れるものなら――いや、塗ってみろォ!!」
結局、支払いは案内役の男に払ってもらった。
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