511話 そしてため息は吐くもの、服は着るもの
はっ、となって男のほうをむく。
が、すでにいない。尻餅をつくような姿勢のまま固まっているリルブへ歩み寄って手を貸している。
「強い怒りと悲しみが混ざった暗い色をしてるね」
澄んだ水のような声が鼓膜を撫でた。
瞼を閉ざしたスードラのほうから優しい光があふれてきている。
「でも彼だってそれを理不尽だと理解しているんだ。理解しているからこそとめどない感情の激流が渦を巻いて彼の心を離さないみたいだね」
それはスードラの特性、《水面透かし》の効果だった。
白い額に埋められた第3の目が男の体温を透かし見る。
「そんなに詳細な感情が読めるのか?」
「後半は勘だよ。あとは今まで透かし見てきた経験かな」
スードラの声に耳をかたむけつつ、明人は紳士的な色男の横顔をなにげなく眺めた。
エーテル族らしい恵まれた顔立ちだ。凛々しくも男らしいく、体つきも細身剣を携える者としていっぱしの筋肉量、肩幅も広く首も太い。鎧の硬さもあってまさに騎士の鏡といったさながら栄えある男だ。
「お手をどうぞ。淑女を床の重石にしておくのは騎士として見過ごせませんので」
「ありがとうございますわ。突然のこととはいえお恥ずかしいところをお見せしてしま……い――レィガリア様ッ!?」
なにやらあちらが騒がしい。
明人は男に声をかけようか迷うも、やめておくことにした。
きっとこの望まぬ出会いにはテレーレなりの考えがあるのだろう。でなくばただの嫌がらせということになる。
男の手を借りて立ち上がったリルブは、店内を物色する面々をぐるりと見渡す。
「こ、こほんっ。それでいったいぜんたいどのようなご用向きでここへいらしたので?」
軽く咳払いを交えながら手はタイトスカート越しに尻をほろう。
どうやら先の失態から立て直そうとしているようだ。
「リルブさんがいてくれて丁度良かったわ。目移ししちゃって決めあぐねてたのよね」
するとユエラは、ミルマの背を押しながらこちらへやってくる。
なぜかふたりともワーキャットのヘアアクセをつけていた。ミルマの着用している挑発的な服装だけ、ワーラビットの残滓が残されていた。
「龍族のみんなに良い感じの服を見積もってほしいのよ。前に手助けしてお店を建て直してあげたことだし、ちょっとくらい手伝って」
敵意のない晴れやかな笑みだった。
押されたミルマも、たじろぎながらぺこりと会釈なんてしている。
いっぽうリルブは眉をしかめながら筒のような喉を鳴らす。
「ふぅむ、確かにワダツミではお世話になりましたけれどもぉ。龍族の衣装となると前例がないため困りものですわ」
彼女はユエラに借りがあった。
魔装の発展によって客足途絶え閑古鳥の鳴く店を救われた過去がある。
ふと明人は思い立って問う。
「そういえばなんでリルブさんが聖都にいるんです? しかもお店の手伝いなんてしこれるような距離じゃないですよね?」
店はエーテル国北部のワダツミという温泉街にあったはず。
服屋に儲けの時期もないだろう。そうなれば考えられることはひとつだ。
「ワダツミの店とうとう潰れたんですか? 無職で油を売ってるなら840ブランドのデザイン部門で雇ってあげますけど?」
「潰れてないですわ! 物騒なことおっしゃらないでくださいまし! あれからオーダーメイドやらの納品で目が回るほど忙しかったんですから!」
せっかくの気遣いだったが怒られてしまう。
もとい、ヘッドハンティングに失敗しただけ。明人創設の840ブランドは常に優秀な人材を求めている。
リルブは神経質そうな眉をしかめながら巻束の髪を横に揺らがす。
「それにこう見えてワタクシ、デザイン関係でもお仕事させていただいておりますわ。アナタがたに指摘された通り、時代についていくためマナで編む魔装の勉強もはじめましたの」
そう言ってくびれた腰に手を添えて胸を反らした。
タイトスカートで体のラインを強調するようなパーティドレスを身に帯びている。
「今着ているこれもワタクシがマナでこしらえたものですわ。なかなかに手間だったのですが着てみると案外悪くないものでしたのよっ」
その場でくるりと回ってファッションショー顔負けのポーズをとった。
メリハリのある体つきは大きめの瓢箪のよう。腰の位置が高く、脚も長い。でるとこがでて引っこむところはほど良い。つまりナイスバディー。
店員の正装にしては綺羅びやかな召し物だ。常日頃から格好に気を使っている証拠だろう。彼女ひとりで店の看板になりうる秀逸なセンスをしていた。
それをユエラは匂いを嗅ぐ犬のように顔を近づけ、まじまじ観察する。
「魔装……ねぇ? 龍族さんたちの服装も鱗とかで作られているし……意外とマッチするかも?」
「ふふんっ、どーですかしら! お友だちのおよしみで1点物をお作りしてさしあげますわよ! しかしそれなりに値はハるということを覚悟なさっておいてくださいな!」
高飛車で気風の良い高笑いがわんわん木霊する。
龍たちに体中をベタベタ触られながらも、リルブは気にもしない。どころか偉そうにふんぞり返る。調子に乗ってふんすと鼻から息を吹く。
よほど自身の作品に自信があるのだろう。それと尻を触っているスードラの存在にも気づいていないようだ。
――……そういや聖櫃あったな。
やりはしない。しかし出来るということが妄想の種になるのだ。
そんな不埒な悪巧みするる明人へ、不意に背後から声がかかる。
「舟生明人」
「――いっ!? な、なんですかあ!? マナレジスターをしたら一瞬でリルブさんが裸になる、とかいう妄想をしてたわけじゃないですけどねえ!?」
意識が反れていたからか想像以上に驚かされて身体が跳ねた。
さらに絶世の美女が視界に映って2度も驚かされる。
「なんの話をしている。妾が問いたいのははぐれた2匹の件だ。あれは迅速に処理すべき案件ではないのか」
しかしあまり背中を見せたくない相手ではあった。
「岩龍と巨龍の2匹がはぐれて大分時が経つ。もし捕縛を命じるのなら即刻連れ戻しにむかうことも可能だ」
ディナヴィアが語りかけてくるも、耳に入ってこない。
明人の脳裏に浮かぶのは最近の出来事だ。
忘れることはたぶん一生ないであろう壮絶な決闘の光景である。
――あんな制約で縛りつけられて負けたんだ……。しかもこっちとしても気持ちの良い勝利とはいえないな……。
挑発をしまくって勝ちを毟りとった。飛翔と――治癒――魔法を縛り、操縦士としてのすべてを注ぎこんで苦しい勝利を得た。
しかもあのとき激怒は演技なんて生易しいものではない。多少の遺恨くらい残っていて当然だろう。
「話を聞いているのか? 先ほどからなにを呆けている?」
だが、とりあえずディナヴィアは大人しい。
たまにリリティアの晩ごはんを食べにくるくらい普通の生活を送っている。
「妾の顔になにかついているのか? それとも……他の種族たちと同じように……」
いつまでも言葉を返さぬ明人へ、貴婦人に似合うルビーの如き瞳が瞬く。
そしてスードラもちょこちょことしたあざとい歩みで彼女の横に並ぶ。どうやら反応が返ってこないため飽きたようだ。
「ふにゅうくんは焔龍に怯え過ぎだね。焔龍はこう見えてもキミに一目置いてるっぽいよ」
「ソレがもし本当なら、本当にこう見えてって感じなんだよ。なに考えてるのかまったくわからないしさ」
暇そうにしているスードラへ、湿っぽい視線を投げた。
密談する男たちへ、ディナヴィアは微々たる動作でちょいと首をかしげる。
「なにゆえに勝者である汝が妾を怯える? 先刻の決闘で雌雄は決したはずであろう?」
本当に争うつもりはないのかもしれない。
しかもここは聖都だ、もし彼女が本気で命を狙うのならクレーターにいる間に仕掛けてきていただろう。
一目置かれたらしい明人は、一目散に逃げたい気持ちを切り替え、なるべく自然に接すことにする。
「はぁ、わかったわかったお手上げだ。話は聞いてますよ、ネラグァさんと足裏フェチのことですよね」
「先ほど問うたときには探さぬ理由を聞かせてもらえなかった。なにか考えがあって泳がせているらしいな」
軽く冗句を試みるも、彼女の反応は限りなく皆無だった。
で、どうするのだ。聞かれた明人は腕組みしながらしばし悩む――フリをしてから顔を上げる。
「どうせ匂いと気配でいつでも探せるんです。ならしばらくは放おっておいてもいいと思いますよ。迷子になるのも社会勉強のようなもんですし」
「ふむ、そう捉えるのも合理的……か。汝の柔軟な頭は妾も見習うべきかもしれん。ならば妾は問題が起こらぬことを祈っておくとしよう」
承知した。ディナヴィアは意すら唱えず踵を返す。
表情ひとつ変えず、尾を振って離れていく。
――あっちはエルエルに追跡を任せてるし、なんかあったら天使の力でなんとかするだろ。
なにせ女帝である彼女もまた今回の旅行でもてなすべき対象なのだ。
余計な心配は、いらない。引率役としてではなく、ただ思うように外を満喫してくれればそれで良い。
そして唐突に明人の視界に淡い燐光が舞う。
「それと……別に耳にしておきたいことがあるのだが……」
去ったはずのディナヴィアの麗しい顔が、ほぼ眼前にあった。
明人との身長差はそれほどない。女性にしては平均よりかなり高い。
どうやって一瞬のうちにとは聞く必要もないだろう。彼女もまた龍族である。つまりちょっと急いで駆け寄ってきただけ。
ふわり、と。ほどよい熱とともに、風が芳しく色濃い香りを運んでくる。
「な、なんですか――あとすごい近いっ!? こういう距離感でお喋りするようなタイプでしたっけ!?」
明人は思わず仰け反って喉から恐怖とはまた別の驚愕を絞りだす。
相手が女帝ということもあるが、なにより彼女は美しい。女性をデートに誘うことがいっぱいいっぱいの臆病者には刺激が強すぎる距離感だった。
しかもディナヴィアはなかなか口を開こうとはしない。
「なんというか……このような問いを雄にしたことはなく……非常に問いづらい案件であるのだが……」
目を反らし、僅かにうつむく。尾だけが落ち着つかずゆらゆら揺らいでいる。
ルージュのひかれた厚い唇からほう、と吐息が漏れた。肩が深く上下するたび張り詰めた胸部の布地が小分けな弾力に弾む。
「妾は……恐ろしいのか?」
それは秋風に吹かれる枯木の如き頼りない音色だった。
とても女帝とは思えぬ自信のない問いかけ。しかも瞳が水を含んで微かに滲んでいる。
「え? なに?」
明人は、聞こえていたが聞き返してしまう。
しかもなに言ってんだコイツという嘘のつけぬ顔で。
「先ほどの反応で疑問が確信に変わりつつあるのだ。こちら側にきてからというもの、みなの眼が妾を恐れている気がしてならぬ。もし勘違いでなければ妾が存在していることで種の平穏を脅かしているということになってしまう」
ああ、そうか。怯える必要なんてなかったのだ。
彼女は女帝である前に1つの命であることを失念していた。
嫌われたり怖がられたりして平気でいられるほど強い女性ではない。
「…………」
スードラの真剣な眼差しも明人へ注がれていた。
海のように青く、いつまでも見ていたくなるような純粋な色をしている。
ならば、と。明人はその疑念を晴らしてやる。それも思考する間もないほどあっけなく、容易く。
「おーい! ルリリルに頼みがあるんだけどちょっといいかい?」
呼んだのは、ユエラの散らかした服をせっせと畳んでいる小柄な少女だ。
「絶対イヤですわ。聞くだけなら聞いてさしあげないこともなくはないですが100パーセントお断りさせていただくんですわ」
歴史は、こう語る。百聞は一見にしかず、と。
真実とは見えてしまえばこうも容易いのだ。
「まあまあ、お聞きなさいよ、お嬢さん。服屋の娘的に見てディナヴィアさんの恰好ってどうなんだい?」
明人がそう言うと、ひくっとキュートな縦巻きの癖っ毛が過敏に跳ねる。
つぶらな瞳が下から上へ、舐めるように。ディナヴィアのつま先から頭までをまじまじと観察する。
「ハレンチックですわあ!?」
店内に幼き声が幾重にも渡って反響した。
ディナヴィアの服装は、服装とはいい難い。非常に優美であるのだが無防備すぎる。
「チックってつけるんじゃないよ……なんかハレンチなことにロマンがある感じで聞こえるでしょうが。……ロマンがないわけじゃないけども、だ」
「そんなことはどうだっていいんですわあ!! よく見たらこのおかた布1枚を首からぶら下げてるだけですわあ!!」
そこからのルリリルは迅速だった。
子供とは思えぬ素早さはエーテル族の血と服屋の血がもたらしているのだろう。
「淑女としてこのようにみだりに肌を晒す淫らな格好を許しておけないんですわあ!! ロイヤルゴージャスブティック本店の名にかけて討伐してやるんですわあああ!!」
勇敢なルリリルは、あろうことか女帝へむかって跳躍した。
まさに疾風迅雷の舞いである。
……………




