509話 そして旅行は始まったばかり、なのに……
「この一直線につづく彩り豊かな石畳の大通りこそがフラワーガーデンと呼ばれ愛される聖都の華でございます」
シャラリ、シャラリ。鎧の薄片が光を乱反射させ、男の存在感をより一層引き立てていた。
雑踏を割って歩く、歩調も堂々とした勇み足。それでいて生まれつき眉が固まっているかと思うほどの強面が崩れることもない。
「ここは信心深い巡礼者たちや興味をもって都を訪れる観光客たちが、まずはじめに足を踏み入れる賑わいの場でもあります」
髪も瞳もエーテル族特有のシルバーであり、腰には当然のように長剣がぶら下げられていた。
案内役の男は舌が覚えているかのような滑舌で聖都の説明をしていく。
「フラワーガーデンの作られた理由は他説存在します。ですが、連綿とつづく聖女様たちの全員が方向音痴なため真っ直ぐ城へ帰れるように作られたという説が今のところもっとも濃厚となっていおります」
声色に一切の茶目っ気がないから退屈な授業を聞かされているかのよう。
ましてやそんなものを龍族たちは求めていない。
「すんすん、すんすんすん。あっちからもこっちからも匂いがするねぇ、いい匂いと好きな臭いの両方がするぞぉ」
ひと一倍長い足があちらへこちらへ、右往左往。
ネラグァは酔っ払いのような足どりで鼻を鳴らし尾を揺らす。まるで糸の切れた凧のよう。いつどこに消えるかわかったものではない。
「おい止まれって言ってんだろ! んなフラフラフラフラ歩いてっと速攻ではぐれんぞ!」
それをタグマフが手を引いて引き戻す。
「おろろ。でもこっちからあっちからもとーっても甘ぁい匂いがしてねらぐぁを逃してくれないよぉ?」
ぐいっと強引に引き寄せ「オメェは蜂か蝶か!?」「……龍だよう?」「んなこた知ってて言ってんだよボケェ!」また離れていくのだ。
「そうでなくてもデケェ図体してんだから周りの種族連中が怯えんだろ!? ちったぁ身の振りかたってもんをわきまえろつってんだよ!?」
「えぇ……でも岩りゅーの怒鳴り声のほうが怖いよねぇぉ? あと、うるさぁいよねぇ?」
唐突に語りかけられた無関係な女性は「あ、はい?」巨体のネラグァを見上げながら呆気にとられるしかない。
タグマフの言うように周囲の種族たちが怯えているかと問われれば、どちらでもない。その懸念は大いに当たっているし、絶対というわけでもないのだ。
周囲から龍たちにむけられる視線は様々なもの。
龍との出会いに感激して目を輝かせる者もいれば、竦み上がって路地裏に逃げこむ者もいた。最強種族の到来となればどちらも正しい反応だろう。
そしてこちらでは反応なんて気すら留めない。長耳少女と少年の尾ヒレが景気よく揺れる。
「んーっ、このお菓子も絶品だよ! まさか外の世界が僕のお腹を破裂させるつもりだったとは思わなかったね!」
「やっぱり聖都にくるならこうじゃなくっちゃ! テレーレが接待費を用意してくれてるしどんどん食べちゃうんだから!」
左右に展開された市場には目移りするほどの様々な店舗や屋台が並んでいる。
それらに呼ばれるまま。ユエラは銭袋をもって駆けこみ、スードラが貪り食う。両手いっぱいに食べ物を抱えての食べ歩く。
スードラは抱えた料理のひとつを選んで、ディナヴィアへと差しだした。
「ほら、焔龍も食べなよ! 世にも珍しい魔物を使ってない自然由来だけ食べ物なんだってさ! 苦労している代わりにかなり美味しいよ!」
「……ふむ」
彼女は短い吐息とともにソレを受けとる。
渡されたのは竹串に刺されたフルーツを飴で固め、より甘くしたもの。
ディナヴィアはしばし虚ろげに見つめた後、パクリと飴に噛みついた。
「どう? 甘いものに甘いものを足すなんて天才の発想だよね?」
「……甘いな」
なんとも朴訥とした感想だった。
それでも食べないわけではないらしい。すでに二口目を終えている。
「ディナヴィアさんが欲しがってるのは甘いものじゃないのね! じゃあ次は趣旨を変えてこれとかどう!」
次はユエラが颯爽と自分の手札を切る番である。
自信満々に彼女へ差しだしたのは、甘辛く味つけした鳥肉を串に刺して焼いたもの。
またも躊躇なく受けとったディナヴィアは迷うことなく肉に齧りつく。
「……塩味と甘みだな」
なのだが、先ほどと反応の差異はあまりなかった。
しかしやはり食べないわけではない。飴と鳥を交互に食んで、唇をぺろりと舐めとる。
「もしかしてだけど、ディナヴィアさんって味オンチだったりするのかしら?」
「いやぁ、僕も付き合いは長いほうなんだけどね。彼女けっこうミステリアスだから好物とかなにも知らないんだよねぇ」
ヒソヒソ、と。往来の中央で作戦会議をはじめてしまう。
そんなふたりを、ディナヴィアは空いた竹串を名残惜しそうに咥え、さも不思議そうに眺めていた。
「問われたから率直な感想を述べただけだが……それになにか問題があるというのか?」
聖都ではクレーターとはまた別のゆったりとした時間が流れている。
初めて歩く舗装された道、虹のように鮮やかな種族たちの絶え間ない談笑の声、意識せずとも鼻腔へ侵入してくる楽しい香りたち。文明から距離を置いていた龍族にとってはなにもかもが目新しく映るだろう。
さらには――誰も話を聞いていないが――優秀なガイドまでついている。
「奥に見えますのが創造主ルスラウス様を奉る教会の総本山となっております。信仰する民たちが日々足を運ぶ聖城でございます。祈りを捧ぐ場に是非はありませんがやはり主神のお膝元である格式高い聖城こそ信徒たちにとっての最終到達地点なのでしょう」
往来のさなかに紋章の描かれたマントを引き連れ、語り口にもどんどん力が入っていく。
聖都への満ちあふれんばかりの愛が隠しきれていない。精鋭騎士団長という位に就くだけあって愛国心も高いのかもしれない。
狭い檻からの脱出。龍たちは他種の笑顔に囲まれ優雅に尾を揺らす。痛みを忘れ心を癒やすにはもってこいの観光場所のはず。
「とーっても楽しそうな雰囲気に当てられてしまいます! これではアタクシまで吊られて頬を和らげてしまいそう!」
そのはずだったが、どうやら違うらしい。
彼女は尾を根から先までぬるりと揺らがす。すると道行く種族たちの視線が根こそぎ奪われた。
明人は横目でミルマをじとりと睨む。
「……ならもっと楽しそうな顔をしたらどうなんだ」
「まあ、イヤですわっ! アタクシは生まれたときからこのような容姿をしているというのにっ!」
ニヤニヤとした意地の悪い視線がひとつ、むけられた。
驚く様も、顔も、演技じみていてわざとらしい。
それでいて相手側の反応を蠱惑に細めた視線で見計らうかのよう。
「ウソをつくんじゃない。生まれたときは龍顔だろ」
「ふふっ、よくご存知で」
明人は呆れながら背負った暖かい物体を上げ直す。
日々の肉体トレーニングが功を奏していた。重いが、ひとりを背負っているにしてはそれほどといった感じ。
耳元では、すやすやと深く長い吐息が拍子良く聞こえてきている。
「ふぅぅ……すぴぃぃ……」
未だリリティアは夢のなか。起こしても起きやしない。
かといって置いていくわけにはいかないため、ユエラに代わって明人が背負う羽目になっていた。
聞くところによると、どうやら今日が楽しみで昨晩はゆっくり眠れていないのだとか。
――遠足前の小学男児かね。
「ところでそろそろ答え合わせをさせていただけません?」
訳知り顔が横からひょいと覗き込んできた。
泣きぼくろの目端を細め、ニヤニヤ。挑戦的でいて試すような意地の悪い微笑。
「指導役の選抜だなんてずいぶんと見え透いたウソをおつきになられたようですね?」
あれだけ龍族を苦しめた、いわばブレーン的な龍である。
ならば旅行の件もとっくに見通し済みか。
「アナタの目的はアタクシたちを外へ連れだすこと。しかしなぜあのように手の混んだ小細工をなさったのです? アタクシたちが英雄さまのお誘いを無下にするとでも?」
英雄さまは、そっぽむくようにしながらミルマの問いに応じる。
「他の龍に筋を通しただけだよ。あんなに外を楽しみにしている龍たちを差し置いてっていうのはさすがに気が引けたんだ」
目的を隠す理由はなかった。
どのみち彼女が旅行を楽しめばソレだけでいいのだから。
「筋を通す。つまり解放を願う同族を納得させつつアタクシを外に連れだす、という見解でよろしくて?」
顔をそちらにむけず「よろしくてー」低く、テキトウに流した。
それでもミルマは明人の横顔をじっと見つづけている。
視線……というより注意だろうか。なかなか警戒を解いてはくれない。
――信用してくれとまでは言わないけど……ここまで嫌われるとはな。出会いかたがアレだったし無理もないけど。
他の龍を納得させるためにユエラとエルエルを前もって派遣していた。その甲斐あってか、龍たちも今回の作戦に首を縦に振ってくれていた。
さらに指導役という名目も大切である。今回外にでるのは遊ぶためではない、より過酷な学習の旅だと注釈もいれた。
あとは指導役を嫌がる龍たちにハズレを引かせ、明人が選んだ面子にのみアタリを引かせれば良い。そのためのイカサマくじ引きである。
つまり龍族たちがミルマの外出に前向きだったのは、天使の願い。それと勉強が面倒くさかっただけ。
「それに指導役の選抜っていうのはウソじゃない。リリティアだっていつまでもクレーターで指導役をやってられないしな」
そう言って明人は寝顔を首の動きでミルマへ示した。
リリティアが料理教室を開いていたのも巣立ちの準備である。
自分がいなくなっても食文化に触れられるように。そういう切実な願いが籠められていた。
しかしどうやらネタを明かされてもミルマは納得がいかぬらしい。
「ふふ、ホントにたったそれだけなのかしら? なにやら別の思惑も入り混じっている気がするのはなぜでしょう?」
色っぽく腰をよじりつつも、瞳から疑いの色が晴れることはない。
明人は目を合わせず、軽めに肩をすくませる。
「ウソがあったとするならアタリのクジをアンタに無理やり引かせたことくらいだよ。どうせイカサマにはもう気づいてるだろうけどさ」
「指についた塗料。それを使ってアナタはご自身のお眼鏡にかなうメンバーを意図的に選出した。あまりに簡単すぎるトリックなため見逃すことのほうが難しかったですわ」
ミルマは屈めた身を起こし、こちらから距離をとる。
足どりは軽やかで、まるで踊り子の舞いのよう。ともなって紫煙の如き髪が空気を含んでふわりと跳ねた。
「ならば英雄さまに付き従っておくとします。龍玉亡き今となってはアタクシなんて容易に摘まれる雑草と変わらぬ存在なのですから」
「よく言うよ。そっちが雑草ならオレはどうなるんだっての」
明人がうんざり顔をすると、ミルマはクツクツ喉を鳴らす。
納得がいったというより、引き際をわきまえている。これ以上は情報が引きだせぬと踏んだのだ。
その証拠に旅行が始まってからというもの心を開く素振りすらない。上っ面を整えた演技だけで振る舞っている感じ。
「光栄なことで英雄さまに選抜していただけたんですもの。アタクシたちはアタクシたちなりに楽しませていただくことにします」
ミルマは隠そうともせぬ脇を見せてんっ、としなやかな伸びをした。
翼に押された風によって女性特有の甘く痺れるような香りが蒔かれた。
――まだかなり疑ってるな……。だったらなおのことエルエルの件は伏せさせてもらうだけだが。
きっとミルマは双頭という運命と龍玉のどちらもを与えた神を恨んでいる。この旅行が天使からの依頼となれば彼女の機嫌をそこねる事態になるのは想像に難くない。
しかもここは外でクレーターではない。そうなるとミルマはある意味で爆弾のような存在である。たとえ余計な心配であっても危険は犯せない。
明人は、あまり揺らさぬよう眠ったリリティアを背負い直す。
「すぴぃぃ……ぷふすぅ……」
それになにより重要なのは他でもない、寝坊助である。依頼を終えたら一緒に観光が待っているのだ。
依頼よりそちらの難易度のほうが高い。だってそんなことしたことないんだもん。
「そろそろ明人さんの両手が痺れてきたから起きてくれない? ってか、これなら手を繋いでるほうがマシだったな……」
声をかけると、一瞬だけピクリと動いた気がした。
「……すやぁ……ですぅ……」
「だめだこりゃ……」
ダメだった。リリティアは起きてくれない。
とはいえ依頼内容は天使の余計なお世話なのだ。ならばそれほど明人が躍起になって頑張るような仕事ではない。
なにより警戒しているミルマを楽しませる役目は、明人じゃない。
他でもない、彼女なのだ。雑踏を躱し、使い古しのブーツが石畳を軽快に踏んでむかってくる。
「これよこれ! これ私の大好物なのよね! だからミルマさんも一緒に食べましょっ!」
ユエラが買い物から戻ってきた。
腕にはとてもひとりでは食べきれないわんぱくな量の饅頭が抱えられている。
「はいこれ! おかわりもいっぱい買ってきたからじゃんじゃん食べていいわよ!」
「こ、これは……? 白くて丸くて、食べ物なのですか?」
「聖都名物のびっくり饅頭よ! お饅頭によって中身がランダムに作ってあるのよね! 気さくな店主の小粋な冗句が現れてる一品だわ!」
はいっ。まるで押しつけるように饅頭を手渡す。
強引に受けとらされたミルマは――明人のときと違って――かなり動揺していた。
手のひらにちょうどおさまるような白饅頭とユエラを交互に見やっている。
「こう、ガブッと齧りつくのよ! するとなんと中にはなんと――ジューシーなお肉が入ってるわ!?」
「な、なぜ驚くのですか? これはユエラちゃんがお選びになって買ってきた食べ物なのでしょう?」
「はぐはぐ……これはチーズとお肉が詰まった新商品ね! もぐもぐ、相変わらずいい仕事してるじゃない!」
「……お願いですからアタクシのお話を聞いてくださいまし……」
この旅行中、きっとミルマは得意の策略が無意味だと知ることになるだろう。
ユエラには誰よりも痛みを知っているという強さがあった。それは困っている相手に嫌われても決して見放さない強さでもある。
明人がミルマに与える特効薬こそ、他者の痛みを知る彼女だった。家族を失い沈みこんだ心を癒やす、向こう見ずな少女である。
ミルマは諦めたようにユエラから押しつけられた饅頭を、齧る。
「あっ……! これ、とってもオイシイ……!」
すると覚めるかのように目が輝き、瞬く。
それを見て、より一層彩色異なる瞳が輝きに満ちる。
「でしょでしょっ! ところで、お饅頭の中身はいったいなにが入ってたのかしら?」
「えっと……? 血のように赤く……とにかく烈火の如き赤さなのですが?」
饅頭のなかはまさに紅蓮の如きサマだった。
少し離れた明人の目にすら染みてくるほど。それくらいのカプサイシンが饅頭の具から漂ってきていた。
「ソレって驚かせようと思って買ってきたハズレの激辛味なんだけど……。ミルマさんって辛いのが好物だったのね……」
「炎のような辛さのなかに旨味がぎっしりと詰まっています……! あと引く辛さもとても濃厚でたまりませんわ……!」
「まあ喜んでくれてるのならそれでいいんだけどね。ちょっとひとくち……――ん、っ辛ぁいッ!?」
そこにはすでにふたりだけの輪が完成していた。
なんてことはない。ただ隣り合って同じ時を共有しているだけ。
きっとそれだけで良いのだ。墓に語りかけるより友と語らうほうが健全だろう。
少なくともここに1人、彼女のひたむきな明るさに救われている人間がいる。
――あとはユエラに任せよう。それにテレーレからもらった金もぜんぶ渡してることだし。
じゃれ合うふたりを、明人は兄のような優しい目で見守っていた。
なにせはじめからミルマをユエラと合わせるつもりでいた。そうすれば似た境遇ということもあって仲良くなれるだろうと読んでいた。
あとは傍らに寄り添いながらサポートしていくのみ。やり終えたら依頼は完了となる。
――ただ……。
華やぐふたりへ無数の視線が降り注いでいる。
息を呑むざわめきと好色な視線が龍族へと群がっていく。
女性は頬を赤らめ目を点にし、男性は艶めかしい肢体へ釘づけになっている。誘惑の如き色気によって周囲の観光客たちが軽い騒ぎになっている。
すると案内役の男がおもむろに立ち止まった。
「フム……。このままでは円滑な旅行に支障がでてしまいますか……」
厳つい目でぐぅるり、とフラワーガーデンを見渡す。
なにやら考え事をするよう籠手を帯びた手で細まった輪郭を覆う。
そしてどうやら彼の目に止まったのはミルマ、そしてディナヴィアだった。あと、スードラ。
「まずは貴方様がたの衣服を整えるというのは如何ですかな。ちょうどこの路地に入ったところにとびきり素敵な仕立て屋がございます」
3匹の水着より薄く頼りない服装に見かねたらしい。
しかもこの往来のなかだというのに3匹は恥じることすらしないのだ。
「ええー! これでもけっこう自信のあるコーディネートなんだけどさ!」
「文化を学ぶというのであれば衣服を合わせることも重要。であればとっておきのご衣装を仕立てていただくとしましょう」
スードラが異議を唱えるも、男は躊躇いもせず方向を変えてしまう。
案内役はマントを振って路地へとずんずん進んでいってしまう。
「むぅ。でも、ぞんざいに扱われるのもちょっとクルものがあるかも……うへへ」
「あの者の言うことにも一理あるな。それにとびきり素敵な仕立て屋というのも面白そうだ」
いくぞ。ディナヴィアの号令によって後続は思いだしたかのようにつづいた。
それから少し経ってからのこと。
タグマフとネラグァ。両名の姿がない忽然と消えていることに気づく。
前途多難な旅行は、まだ始まったばかりだというのに。
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