51話 そのため、スリーサイズは別に知りたくもない
十万を越える規模の軍が大移動するともなれば足は遅い。それに比べ先遣隊であるこちらは、ある種完璧な部隊だった。
情報収集や処理能力に長けた身軽で目のいいエルフたち。食糧係は、道中で飛び出してきた有象無象の魔物を採取して極上の料理に変えてしまうリリティアが担当。救護は総合診断が可能なユエラに任せればすべてが事足りる。そしてなによりワーカーがいれば迅速性と安全性を両立させつつも疲労せずに物資を運ぶことができてしまう。少数精鋭とはいったもの。
明人は焚き木を背に散弾銃のメンテナンスをおこなっていた。訓練もしていない一般人が携行できる武器はこれくらい。素人がナイフや剣、ましてや縋なんてものを持ったところで脅しにも使えない。なにせこの世界は魔法によって動いているのだから。
ふと、足音がしてそちらを見ればの闇夜に染まった峡谷のむこうから近づいてくる白い影がひとつ。
「まだ眠らないんですか?」
ちょこんと。リリティアは膝を抱えて明人の隣にしゃがみこむ。
先行して情報収集に当たるリリティアの帰りを待っていたと言うのはどうにも収まりが悪い。明人は念のためにこしらえておいた洗い矢のブラシでバレルの掃除をつづけた。
赤褐色の壁。木彫のような年輪めいた横縞にふたり分の影がゆらゆらと。風の涼やかさと薪の弾ける音がやけに心地よい。
「あのちっちゃいのは?」
「一日中走って疲れたようです。ユエラに治療してもらって、今はテントで寝ています」
鎮座するワーカーの足元には各々が休息をとる三角テントが点在して建てられている。
ときおり出入りがあるということは、こんな夜更けでもエルフたちは交代で周囲の警戒に当たってくれているようだ。
見上げれば、峡谷に縁取られた散らかされた満天の星々が瞬いている。その景色は、まるで星の川のように細く長く。
昼は初夏頃の暑さとはいえ、夜になれば当然冷える。明人はジッパーを顎の下限界まで引き上げた。
「寒いです?」
からかうような微笑が向けられた。
「少しね。そういうリリティアは寒いの苦手そうだけど大丈夫なの?」
「むっ……心配と探りの両方を使うようになりましたか。成長がいやらしい方面に著しいですね」
ぷくっと。リリティアは桜色の頬面を膨らませて唇を尖らせた。
しかし、明人は無視してメンテナンスをつづける。
今隣にいる女性は猫のように気まぐれ屋さん。近寄れば遠ざかるし、無視をすればこうしてすり寄ってくる。それに片手間でなければ大抵の男はその吸い込まれるような煌めく瞳に屈してしまうことだろう。
すると、背中に乗る、ずしりと重いぬくもり。甘い香り。
リリティアは、こちらの背に背を合わせて仰け反るようにして体重をかけてくる。
「ぐっ……重い……」
「今日はご機嫌です。なので、明人さんの質問に答えてあげましょ~」
その歌うような声に好機の兆しを捉え、思わず散弾銃を清掃していた手が止まる。
ひとりぶんの体重のしかかってきているので清掃どころではないというのもあるが。
「なんでも?」
「ん~っ、スリーサイズ以外ならおっけーですっ」
「うん、それは知りたくないし知ってもオレになんの得もない」
これは単なる気まぐれだとわかっていても、まるでおもちゃを手渡されたかの如き心躍る提案だった。
物の本に載っていないルスラウス世界のあり方、リリティアの種族、神より賜りし宝物の謎などなど。考えだしたらキリがない。
明人は、すべてが繋がるような決め手になる問いをわりと真剣に考えた。
ぐいぐいと。楽しげにウェイトを預けてくる微かなぬくもり。伝わってくる小さな鼓動。ぱちんと弾けて反響する炎と湿った土の匂いに混ざる良い香り。
戦火の真っ只中に身を落としているにも関わらず不思議と心安らぐのは、きっとリリティアが傍にいるからなのかもしれない。
そんな明人の記憶に残っている僅かな疑問。大した事ではない。しかし、今はリリティアに少しでも歩み寄ろうと思えた。
「なんで……家族なの?」
ぴくりと。重なり合う背中越しに伝わってくるのは、小さな動揺だった。
どうにも腑に落ちなかったひとつの単語。猫をかぶっているリリティアだが、この家族という言葉だけは秘めた願望であるような。
間をおいてリリティアは、はーっと吐息を漏らした。
「もっと戦争やルスラウス世界の話を聞いてくるものだと思いました。肝がすわっているといいますか、明人さんって意外と緊張感がないんですねぇ」
咎めるというよりは関心しているような感じ。
「リリティアが傍にいてくれるからだと思うよ」
そして、リリティアがいなければこんなところにいなかった、というのは野暮な話か。
もとを正せばこの世界で生きていることがリリティアのおかげなのだから。
背筋にふわっとした空気の流れを感じて見れば、リリティアが膝を抱えて顎をうずめていた。
そして、焚き木の音に隠れるかのように耳を撫でた、囁き。
「…………はぐれものの辛さを知っているからです」
逆光で濃くなった丸い背中は、普段の凛とした立ちふるまいを覆い隠してしまうよう。どこか哀愁に似た物悲しさ。
そういえば、と明人は岩肌に映る自身の影を見つめ、思う。
リリティアは、いつからどのような理由で誘いの森に住んでいるんだろう、と。
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