507話 そしてその日聖都は恐怖した
もっとも不幸だったのは門を守るエーテル兵であろう。
兵は不自然に閉ざされてしまった空を仰ぐ。
「は……?」
鉄兜のなかからくぐもった声が漏れでた。
音も風もなく、真面目に勤務する彼の前に突然降り立ったのは、1匹の龍である。
青き鱗に包まれた蛇のように長い胴体の龍。海龍の巨大な影に呑まれた兵の手から槍が落ちた。
別のところでもそうだ。この異変は独り占めできるような事態ではない。
「グゥ!? まさか……龍だ、と?!」
厳しい顔立ちは歴戦の勇士を匂わせる。
しかし険しくも口角が痙攣して動揺を隠しきれていない。代わりに疑問の音を光輝な板金鎧が騒々しくと彩った。
他のところからも兵たちがぞくぞくと集まってくる。そして誰もが唐突に都前の草原へ現れた1匹の龍を見下ろし、凍りついた。
『到着だよー。まったく僕のことを足に使ってくれちゃってさ』
著大さを誇る龍の身がみるみるうちに縮んでいく。
そうして現れたのは布2切れほどをまとった中性的な少年だった。
スードラは、もっとも不幸な門兵のひとりに近づき、下から舐めるように見上げる。
「がおーっ! 僕は龍だぞぉ! なーんちゃってっ!」
両手を猫手のようにしながら蠱惑な笑みを送った。
しかし兵から見事に反応はかえってこない。鉄兜のなかから視線すら合わせようとはしない。
さらにスードラにつづく者がもう1匹ほどいる。
「ほえー、ちっちゃいねぇ? ここってピクシー国なんだっけ?」
「巨龍はあいかわらずバカだなぁ。ここはエーテル国の聖都エーデルフェウスだよ。ほら見てこの子なんて銀色の髪と瞳じゃないか」
話を聞いているのかいないのか。ネラグァは不幸な門兵を高い位置から見下ろす。
とはいえ兵とて成人男性の平均より僅かに背が高いはず。しかし視線はちょうど彼女の胸の辺りまでしかない。
「お~触るとひんやりして冷たい。しかもカッチカチで氷みたいだねぇ」
「…………」
「置物かな? でも違うよねぇ、なかから汗っぽいいい匂いがする」
すんすん、と。腰をかがめてヘルムの視界とり部分の匂いを嗅ぐ。
兵は微動だにしない。鎧の上から触られても、鼻を近づけ匂いを嗅がれても、声ひとつ発すことない。
2匹の龍が突如として現れたのだ。きっと防衛戦争のときでさえこれほど恐怖することはなかったはず。
しかも兵はブレートメイルを身にまとっている。そのせいでインテリアのオブジェクトのようになってしまっていた。
「巨龍海龍。戻れ」
兵に絡む2匹へ命令が発された。
声の高さにしては背が高くされど魅力的な女性が、身に火の粉をまとって登場する。
不幸から兵を救う声。否、ここにきてはじめて兵は「ひっ!」短い悲鳴をあげた。
感覚的に理解したのだろう。エーテル族は上位とも呼ばれる優秀な種族だ。
「え、えんりゅ……じょて、い? なんで……こんなところにぃ……?」
絶命寸前のような絶望を孕んだ声だった。
対して女帝はそれはそれとしてといった感じ。
ディナヴィアは、イタズラに兵を邪魔する同種へ、一瞥をくれる。
「彼らは兵としての任務をまっとうしているだけなのだ。あまりそう邪魔をするものではない」
「はーいはい。まったくこんなに可愛いんだから怯えることなんてないのにさ」
「この大きい穴のむこうからもいい匂いがいーっぱいするよぉ? とくに地面の奥のほうからねらぐぁ好みの臭いがするぅ」
とくに抵抗するでもなく、スードラとネラグァは兵から興味を失ったように離れていく。
「龍と種族たちとでは考えかたが異なるという点を忘れるな。あちら側の日常がこちら側では罪になりかねん。むやみに種を貶める結果となるのなら妾の鉄槌でもって誅す。そうならぬよう留意しておくことだ」
門兵の横を、3匹の龍はまるで散歩するよう我が物顔で通り過ぎた。
門が門の意味をなさず。かといって龍を呼び止める勇気ある者は今のところいない。
通常、賊や魔物相手であればこうはならなかっただろう。
しかし大陸最強種族の頂点までいるのだ。きっと兵たちはまだ現実に追いついていないはず。
そしてその後ろでは、両手を合わせながらしきりに頭を下げる者がいる。
「ごめんなさいほんっとにごめんなさい!! アイツら世間知らず過ぎて門がフリーパスだと思ってるらしくて――おいこらボケ共ォ! 待てって言ってんだろうがあ!」
当初の目的では遠い場所に着陸する予定だった。
そこから徒歩で穏やかに都入りを果たすつりもだったのだが、無視された。結果予想通りの混乱を招く事態となっている。
明人は慌ててスードラに駆け寄った。
「おいこら!? なんで最初に決めてた通り遠くに着陸しなかったよ!? 頼むからせめて言い訳くらいしてみろ!?」
「だって歩くのって面倒じゃない? それに僕たちって空を飛ぶ生き物だから歩いたり走ったりにむいてないんだよね」
「人類の進化の過程を無視するな! 歩くのが嫌なら直立2足歩行なんてやめちまえ!」
謝罪どころか悪びれた素振りが微塵もない。
3匹とも足を止めてくれてはいる。だが、異文化との関わり合いが気迫だからか状況を理解していない様子。
「なー兄弟? なにをんな焦ってんだ?」
指導役の実地試験に選抜されたもう1匹が暇そうにあくびをした。
岩色の尾っぽがピンと張って、襟足の辺りを気だるげにボリボリと引っ掻く。
そんなタグマフ・ウェマイ・ハルクレートもまた今回の旅に同行が許可されている。
ひょろ長い足で近寄ってくる彼を、明人は手で制す。
「タグマフ、シャラップだ! オマエのお仲間のせいで起こってる混乱をおさめるからちょっと大人しくしててくれ!」
「別にかわまねぇけどよ。オレっちはわりかしおとなしくしるほうだと思うけどな」
「うんありがとう。だからそのまましばらくシャラップだ」
スードラ指導の元、警ら役を務めていたからか聞き分けはいいほうだった。
しかし他の龍を差し置いて若すぎる彼を連れてくるということに無論異議はあった。
「……にしてもここが聖都か。ここにオレっちの探しもんがありゃいいんだけどよ……」
ロップイヤーのように垂れた被り物の内側で岩色の瞳が鋭く光る。
どうやら今回の旅で若き龍は変わるきっかけが欲しいのだとか。メンバーの選考した明人は、彼の熱意を信じた。
窮屈な檻のなかでは見えてこなかった新しいものが見える。それは古参の龍に得られない新たな視点をもった彼にこそふさわしい。
とはいえこの状況を打開しない限り直近の未来はない。
「龍が攻め入ってきたというのは真か!?」
「ええ! 今現在聖城のほうへ伝令をむかわせているところです! もう間もなく返答があるかと!」
聖都の兵たちが門へぞくぞくと集まってきていた。
このまま混乱が市街まで広まっては観光どころではなくなってしまう。
多数の龍の討ち入り。さらに女帝までいる。と、なれば押し入られる側からすればたまったものではない。
「オレたちはただ観光をしにきただけなんです! はじめて蒼の名にかけますんで信じて下さい!」
思い切って明人は都の門へ軽い頭を下げてみた。
先んじて旅行の予定を聖女へ伝えてある。社会人としてそのへんは抜かりない。
――くそ! テレーレのやつなんで兵たちに伝えてないんだよ! ホウレンソウは社会の常識だぞ!
本当なら今ごろお目付け兼案内役が待っているはずなのだ。
なのにいつまで経ってもくる様子がない。
混乱は頂点に達しつつある。門の上には物々しい鎧をきたエーテル族がずらりと立ち並ぶ。
しかもそろそろ兵たちにもこの騒ぎの元凶がここにいる1人だと気づくころ。
「最悪が……! また災厄を連れてきた……!」
「またか……! また聖都へ攻めこむつもりか……!」
ひそひそと交わされる密談模様。
操縦士の耳は聞き逃してやらない。
「今ぼそっと最悪って言ったヤツ誰だあ!? あと、またってなんだまたって!? オレをあの身勝手カテゴリーに入れないでくれる!?」
収集がつかない。龍族たちに悪意がないことが逆に厄介になっている。
しかも最強種族を制するには、明人の力じゃ足りない。
「ぐぅぅ……すぴぃぃ……」
そして朝が早いため頼みの寝坊助は、まだ覚醒していない。
ユエラの肩にぶら下がったリリティアは未だ夢のなか。
予定とは未定であり確定することはない。それはきっと今回の旅行も然りなのだ。
――くっ、出直すしかないか。イタズラにエーテル賊を刺激して事を大きくするのはかなりマズイ。
明人が戦略的撤退を決断する寸前だった。
門の内側。奥に広がる市街地のほうから影が近づいてきている。
コツリ、コツリ。大股でいて堂々とした足音が反響して鳴り響く。
「聖女様の命により馳せ参じました。今回のご旅行を安全かつ迅速でいてご満足いただけるようご案内させていただとうございます」
そう言って現れた男は、まるで王に敬意を払うような恭しくも品のある礼をくれた。
身に帯びたるはエーテル国でもきっての最先端をいく鎧、小札が煌めく鱗鎧である。
長身の低頭。腰は低くとも、その男の顔や腕には勇ましさが刻まれている。
「ご案内役を務めさせていただきます。元双王がひとりグラーグン様の側近を務めさせていただいておりました。現在は精鋭騎士団長と聖女様の教育役を兼任させていただいておるものにございます」
どうぞお見知りおきを。そう、男は間をたっぷりとりながら再度銀の頭を垂れた。
ディナヴィアは礼儀正しい男を前にしてフン、と鼻を鳴らす。
「ほう。そのような者が妾たちの案内をしてくれというのか。郷に入れば郷に従え、ならばその意向に妾も従うとしよう」
「――はっ。誠心誠意をもって貴方様がたのご旅行を支援させていただきます」
男は女帝の足元へ片膝を落とす。
するとディナヴィアは満足気にふふ、と頬を和らげる。
「礼儀正しい男は嫌いではない。しかしそのようにしていては苦労することだろう。ここからは肩の力を抜くと良い」
優雅に赤熱色の尾を振って立つように命じた。
すると男は立ち上がって他の龍たちも含めて目を配る。
「――はっ。勿体ないお言葉、過分なお気遣い痛み入ります」
「ねらぐぁは難しい言葉よくわかんないやぁ。とりあえずぅ、よろしくねぇ~」
「んふふ、思いのほかいい男だね。真面目でお硬い性格っていうのもきゅんきゅんしちゃうかも」
ネラグァとスードラも、彼にほどよい印象をもったようだ。
エーテル族特有の端正な顔立ちで、たたずまいは武士の如き堂々とした礼儀作法である。
猛禽類の如き猛りきった視線は威圧そのものだ。しかも女帝であるディナヴィアを前にしても折れることも曇ることすらない。騎士団長という役職もあってか重みさえ感じられた。
ユエラは、肩に背負ったリリティアを引きずりながら歩みでる。
「なんかけっこう怖そうな感じよね? でも聞くところによればテレーレが信頼を寄せてるってことだし、頼りにしちゃってもいいのかな?」
ひそひそ、と。潜めがちに問う。
だが、返事がなかなか返ってこない。
眉をしかめたユエラは、横で剛直する明人を覗きこむ。
「どうしたのよ? なんか顔が蒼の舟生明人になってるわよ?」
「い、いやその……! あの人さっきからオレを見てるんだけど……! めっちゃ見てるんだけど……!」
「気のせいじゃない? もしくはいちおうアンタがリーダー的な立場だし、お伺いをたててるとか?」
違う。でかかった明人の口が男の視線によって遮られた。
本当に鱗鎧の男はこちらをむいている。屈強な門の影のなかで明人のことを幾度となく見つめているのだ。
しかも微笑みの端が微かにひくひくと痙攣している。なにより握られた籠手がふるふると力みすぎて力をもて余しているのだ。
「……では、こちらへどうぞ。これより先は聖都の名所とも言われております、聖城へとつづくフラワーガーデンとなっております」
どうやら旅行の件がきちんと聖女へ届いていたようだ。
男はマントを翻すと、龍族たちを先導をして聖都のなかへ遠ざかっていく。
「さ、ミルマさんもいきましょ! 私実は案内したいところ決めてるのよね!」
「あらあら、それはとっても楽しみですわ。ユエラちゃんに夢の聖都を案内していただけるなんてとても光栄なことです」
固まる明人を置いて、ユエラとミルマは早足で男の後につづいた。
そして伝令の兵がやってきて守衛の兵に現状を伝える。
おかげで龍たちの来訪がようやく安全なことだと理解したようだ。胸甲を撫で下ろしながら三々五々解散をはじめる。
「……前途多難だ。っていうか元課長でしたみたいに自己紹介でいちいち過去の役職を言わないだろ……。どうみてもあれってグラーグンを浄化したオレへの恨みもちじゃないか……」
「なあ兄弟。オマエさんもけっこう苦労してんだなぁ」
明人の唯一の理解者は、もっとも若き龍であるタグマフだけだった。




