506話 そして心の特効薬
夜露の煌めきを踏みしめて静寂閑雅を、並び歩く。
語らいのさなかに長耳がひくひく揺れる。すると大翼と尾がそれに応じてはたはたと反応してみせた。
「それで最後はどうなってしまったのです? 仲間を殺されたのだからエーテル族たちだって黙ってはいなかったでしょう?」
ミルマはすでにユエラの目的を聞くことを止めている。
こうして彼女と語らっていられるということが目的となっていたからだ。
「最後に活躍したのは言わずもがな! 願いを叶える指輪だと判明した翻る道理よ!」
ユエラは鋭い目端をさらに細めてニヤリと笑む。
さらに語るなかでも身振り手振りで演出を加え、聞く側を飽きさせない。
「まあまあっ! もったいぶらずに教えていただけませんこと!」
「早く、早くつづきを聞かせてほしい! 救出された聖女に八方塞がりの陣形! そこからどうやって生還したの!」
これにはミルマも射止められてしまう。
純粋無垢な感じで表情をキラキラと若返らせていたし、もう好奇心を隠すことすら忘れていた。
はしたないとわかってながらも話の結末が気になって仕方がないのである。丸く婉容な腰から垂れた尾先が間髪入れず左右に揺らぐ。
2つの心を交互に顕現させながらユエラの話に陶酔しきっていた。
「その力によって大陸中から魔法に関わる道具とか魔法に関わるすべてがまるっと消失しちゃったわけ! 神より賜りし宝物も含めてぜんぶよ!」
「願いを叶える神より賜りし宝物を犠牲にエーテル国の神より賜りし宝物を駆除してしまったの!?」
「でもアタシはすごく奇抜な発想! まさに肉を斬らせて骨を断つといった感じね!」
真実を明かされるたびに、ミルマは頬を紅潮させて胸踊らす。
「そして翻った蒼は大陸中を在るべき姿にリセットしていったってこと。これが防衛戦争で聖都から発された蒼のすべてよ」
いっぽうで語り手のユエラも誇らしげにフフン、と鼻を広げた。
ビーズのような葉の屋根を潜りながら冒険譚を語り聞かされる。それはさながら伝承され色付けを加えられた風雲活劇の如し。
なによりミルマが興味を惹かれたのは神より賜りし宝物の件である。
「ああ……なんて壮大で勇猛なお話なのでしょう……! めくるめく世界に住まいし種族たちの結束こそが勝利の鍵だったということでしたのね……!」
「それにずっと関わってきたユエラちゃんもとっても凄い! むこう100年は思い出せるくらいの感動だった!」
ミルマの心は満たされていた。
尾を振り翼を広げる。豊かな胸の前で手を組み熱い吐息をほふ、と漏らす。
音楽の音色の如き語りを一言一句聞き逃しはしない。なにより子供のようにウキウキと話す彼女の声は聞いているだけで心が安らいだ。
ひとしきり語り終えたユエラは水筒で口のなかを潤す。
「そういえばミルマさんの旦那さんってどんな龍だったの? 同族を敵に回すほど愛してるなんてよほど素敵なかただったのね?」
筒を腰に戻しながら話題を変え、エルフ耳もひくひく挙動を変えた。
彼女の声に悪意のようなものは微塵も含まれていない。ユエラにとっては純粋な疑問もしくは知的好奇心だったのかもしれない。
しかしミルマもいまさら彼女に隠し事をするつもりはなかった。
「アタクシの旦那、飛龍はとても勇ましいオスでしたの。こんな双頭のアタクシと――」
「アタシのどっちもを平等に愛してやると言ってくれた龍。大空へ飛び立ったら誰も追いつけないほど翼に長けた龍だった」
目尻が蕩けた側は言葉を切って、待つ。
すると口調と目元がはっきりとした側が表に立つ。2つの心が感情を切り替える。
どちらの心も傷口が痛まないわけじゃない。今だって龍玉によって奪われた家族のことを考えるとチクチクと鼓動が早くなる。
だが幸せだったころの思い出を、今日できたばかりの友へ、伝えたかった。
「飛龍はとても大きな翼をもつ龍でしたわ。空を飛ぶことに関して言えば龍族きっての才能の持ち主。何者も彼の前を飛ぶことが出来ないほどだったのです」
「それでいて男らしく大胆不敵だった。彼にしてみればアタシのようなハグレものでさえ些細なことのひとつでしかない。だから双頭という特殊性すら些細で小さな問題としか考えてなかったはず」
過去を見る瞳は木漏れ日に照らされて宝玉のように輝き満ちていた。
しなり、しなり。あふれんばかりの腰を揺らし、白い素足が濡れ草を踏んだ。
ユエラもまたときおり縦に頷く。話に耳をかたむけながら理解の意思を見せている。
「それから彼が悩みを抱えて立ち止まったアタクシたちを攫うのは早すぎました。それはもうアタクシたちに悩む暇さえ与えはいただけませんでした」
「うだうだ言ってんじゃねぇ、向かう道が見えねぇのならオメェはこれから俺の後ろだけを見てろよ。――なんてっ」
茶目っ気混じりに昔聞いた言葉をマネる。
幾分気迫が足りなかったが、どちらのミルマもくすくす控えめに肩を揺らした。
飛龍はミルマにとって道標だった。彼の足跡が進むべき方角を示してくれた。
豪快に笑う仕草も、目のフチにみなより少し深めのシワを集めるのも、いつも大きな声も。ミルマにとって彼の1つ1つが高鳴りの種だった。
「それからしばらくして翼龍が生まれました。飛龍にとても良くにた大きな翼の愛らしい龍でしたわ」
「とーっても可愛らしい小龍だった。種としての姿をとる前でさえ胸に抱えられるほどの大きさなの」
これくらいという指標をマネて赤子を抱えるポーズをしてみせる。
そうやっていると眼のすら開かぬ小さな龍の温もりさえ思いだしてしまいそうになった。
どれほどの間話していただろう。森の切れ目を過ぎた辺りから朝日が肌に暖かな刺激を与えていた。
ただのおノロケ。というのにユエラは考えたり一緒になって笑ったり。楽しそうに相槌を返すだけ。
「ひとつ聞きたいことがあるんだけどぉ……」
すると唐突におずおずと手が上がる。
「アタクシに答えられるようなことであればなんでも聞いてくださってもけっこうよ」
「ユエラちゃんにならアタシはなんでも答えて上げちゃう。だってもうお友だちだもの」
しばしユエラは腕組みしながら喉を唸らせた。
それからミルマをちょいと手引し耳元で声を潜める。
「りゅ、龍族って……卵から生まれるのよね?」
痛くないの? 素っ頓狂にもほどがある問いだった。
しかもどうやらユエラはそれを尋ねることを恥じていたようだ。同性相手なのに頬がほんのりと朱色がかっている。
ミルマは「ぷふっ!」歪みだす唇を慌てて押さえた。
「今笑ったわよね!? かなり真剣な質問だったのよ!?」
「ご、ごめんなさい……! アタクシたちの産卵は、そんなに痛みは伴ないわないの――ふふっ!」
ユエラのぷんすか湯気をたてる仕草ですら、ミルマには致命的だった。
こういうとき心が2つだと敵わない。愉快という感情が1つの体のなかで弾けた。
脆くもミルマは我慢は限界へと達してしまう。
「あーはははっ! そんな小さな卵なんてっ、ぷくく……アタシたちの体の大きさと比べたらっ、もうオカシクてダメっ!」
「ふっ、くふふふふっ! だっ……ダメよ、アタクシ! そんなに笑ってしまってはユエラさんに失礼だわ!」
「そんなこと言ってるアタシだって耐えられてないじゃない! あぁダメっ、面白すぎてお腹が痛いっ!」
尾を天へ仕向け翼が絶え間なくわさわさと大気を乱す。
ミルマは腰を折って腹を抱え涙を浮かべて品のない声で喘ぐ――大笑いする。
きっと母として生きていたころはこんな風に笑えていたのだろう。それももう遠い過去の話だが。
失ってからは冷厳であった。以来、心からの笑みを浮かべることすら忘れていた。
ミルマは墓で流したものとは別の暖かい涙を拭う。肩を上下させ息を切らし切らし、謝罪する。
「本当にごめんなさい笑うつもりなんてありませんでした。まさかこんな波が潜んでいるとはアタクシ自身でさえ信じられませんわ」
刻む吐息に頬は紅潮し、引いたはずの汗がじっとり浮かんでいた。
するとささやかな微笑が返ってくる。
「はぁ、そんなことでいちいち謝らなくてもいいわよ。それに楽しいときに笑うことは薬になるからもっと笑いなさい」
そう言ってユエラは濃い緑の髪を片手ですくい上げ横へ流す。
先ほどまで頬を熱く目尻を吊り上げていたが、面影は微塵もなくなっている。気丈ぶった仕草なのだが表情はとても柔らかい。
それから腕組みしたままピッ、と。仄かに薬の香った指がミルマへ差しむらける。
「ただし辛いときに笑うのは絶対にダメそんなことをしたらもう最悪よ。感情を偽ると悲しみたいはずの心が剥離して戻れなくなっちゃうわ」
ユエラは差しむけた指を振りながらつらつらと語っていく。
「それと小さな不幸を集めるのもダメよ。不幸ばかりに目がむいてると些細な幸運が見えなくなっちゃうの。そうなると不幸だけがどんどん記憶と心に積もっていって、最後は自分が世界で1番の不幸者だと思いこんじゃうから」
まるで先輩風を吹かせてるような感じ。凛々しい顔をしながらまるで説教をしているかのような声色だった。
だがそれこそが彼女の経験談だと気づかぬはずがない。ミルマは即座に姿勢を正す。
「わかりましたわ。必ず心に留めておきます」
ヘソ下の辺りに手を結びながら節々で相槌を打った。
足場を確かめるようにしながら真っ直ぐ彩色異なる瞳を見据える。友の雄弁な語りを聞き漏らさぬようにする。
年の差なんて関係はない。彼女は乗り越えた側で、こちらは未だ流浪のさなかで彷徨っている。
「ま、色々小難しいことを言っちゃったけど言いたいことは結局1つきりよ」
ユエラは若く未だ少女と言うべき手を差しだす。
「自分と過去ばかりを見てて周りから差し伸べられる手を見逃しちゃダメってこと」
そう言ってヒューム側の眼をぱちんと閉じる。
ミルマは、待っててくれている友へ、戸惑いがちに手を伸ばす。
「じゃあ息も整ったみたいだしこのまま村へダッシュよ!」
それをユエラは、待ちきれぬとばかりに奪いとるよう握り返した。
「あっ――ちょっと待っていただないかしら!? 村が目的地というのはどういうことなのでしょう!?」
そのままブーツで地を蹴った。よろけるミルマを構いもせずに引っ張っていく。
いつしか孤独な龍は、前を嬉々として征く彼女の背に、別の背を見つける。
――……ああ、この感覚……とても良く似てる。
外套がたなびくだけで大きさも体格もぜんぜん異なっている。
なのに、先導してくれるユエラの背は似ていた。どことなく飛龍のものと重なった。
漠然とした感情のまま引かれていると、村の名が欠かれたアーチ状の建物が見えてくる。
そしてその袂の辺りにはなにやら龍族たちが複数たむろしていた。
「はぁ、はぁ……あれはいったいなんの集まりなので……?」
「見てればわかるわ! とにかく今日は楽しい1日にしましょ!」
ミルマがここを訪れるのは2度目だった。
出来上がった村を破壊しろと同種に告げたとき以来である。
それになりより同種の輪に入ろうだなんて考えたことすらない。同種から自然と遠のいて生活を送っていた。
しかし巨龍のように誘ってくる龍たちがいないわけではなかった。ただ無理やりでもない限りは断っていたのだが。
「丁度いいところにミルマさんがいたから連れてきてあげわよー!」
ユエラは手を振ってあちらへ合図を送った。
これだけ騒がしいのだから群がった龍たちはこちらに目をむけざるを得ない。
するとその龍たちの正面に立った龍ではない者がこちらへ振り返る。
「お、ナイスタイミング。ちょうどこっちも説明が終わっていい塩梅だ」
「しかもひと晩かけてマンドラドラも捕まえたのよね! ほら見てかなりの上物よ!」
「なにそれ顔がブサカワって言えないくらいキモいんだけど!? あと微妙に痙攣して――やっぱりキモい!?」
そんな掛け合いの他所、ミルマはどうしていいのかわからなかった。
突然こんな場所に連れてこられて。しかもこの場には同種の視線が満ちている。
ミルマの目には怪訝、侮蔑、非情、哀れみが見てとれた。酷いものは今すぐにでも飛びかかってくるのではと思うほど。
当然の報いであろう。裏から牛耳ってクレーターのなかへ閉じこめた元凶がおめおめとやってきたのだから。
「……はっ、はっ……はぁっ、はぁっ……」
正しい言葉とはいったいなんなのだろう、と。走ってきたせいで荒くなった息を整えながら考えた。
なにを伝えれば――……そんなのは違う。ミルマは静かに紫煙の如き髪を横へ揺らす。
許しを乞うつもりは毛頭ない。そのような段階はとうに過ぎ去っているのだ。
この場で即座に牙と爪で刻まれても仕方がない。それだけのことをしてきたのだから。
ミルマは覚悟を決めて勝者の前に立つ。
「それで……アタクシをこのような場に呼びたて如何様になさるおつもりかしら?」
友に連れられてきたもののだ。この状況ではなにを命じられても償いとするしか術はない。
なにせ傍らには焔龍がいて、あの白龍すらも同席している。それ以外にも海龍をはじめとし、能天気だがどこか憎めない巨龍まで揃い踏み。勝ち目なんてない。
「お答えいただけます? 蒼の舟生明人様?」
ミルマは張り詰めた胸布をきゅっと握って勇気を振り絞った。
彼の者と対峙する。傑作である女帝に勝利した絶対存在がそこにいる。
謎の青年だった。少なくともミルマにとってもっとも忌避すべき男でもあった。
「覚悟を決めてくれているのなら話は早いです。別にとって食おうってわけじゃないから安心してください」
そんな青年は、海龍ばりに胡散臭い笑みで歩み寄ってくる。
まるでこちらは武器を携えていないから安心しろとばかりに両腕を広げていた。
そして彼はゆっくりと立ち止まって手に握ったそれをこちらへ突きだす。
ミルマは僅かに体を震えさせながらも眉をしかめ、問う。
「……これはいったいどのようなお戯れなのでしょう?」
頭の回転には自身があった。
だからその野蛮な笑みと握られた複数本の枝のみで十分だった。
「そう、これはただの戯れなんです。当たるも八卦当たらぬも八卦。もしこの当たりつきの指導役選抜クジで運悪くハズレを 引 け た の な ら 帰ってくれていいですよ」
また仕組まれたのだと、納得がいく。
ミルマはかじかんだかのような指で彼の手から棒を引き抜く。
「これは果たしてなにを決めるためのクジなのでしょう。うふふ、こんな回りくどいマネをせずともお気の召すまま動いてさし上げますのに」
問わずともすでにわかっていた。これはいわゆるイカサマというやつ。
他の龍たちがもっているのは塗料の付着していないもの。そしてミルマの引いた棒の先端には赤い塗料が付着している。
「運がいいですね。ミルマさんの引いたのは大当たりです。だから墓参りはしばらくお預けですよ」
そう言って彼は棒を奪って束ねた。すべてバラバラに折ってしまう。
引いた棒の見せている部分は短く、その下は見せている部分よりもやけに長かった。それはもう握った手から先端が少しばかり飛びだすほどに。
ミルマは、クジを下から支えていた片方の手指のうち1本を視界に捉える。
「あらあら、そうなのですか。では、大当たりとのことなので喜んでご同行させていただきますわ」
見逃すものか。友が相手でなければ油断をしてやれない性格だった。
青年はいそいそと白龍の背後に去っていく。その指には、赤い塗料がこびりついている。
つまりこれもまた決闘のときと同じく予定調和ということなのだろう。
――ずいぶんと楽しいことになってきたじゃない? 今度はいったいなにをしてくれるつもりなのかしらぁ?
3つ目の笑い声が酷く耳障りだった。
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