502話 そして手から失ったモノ、手に入ったモノ
ひとまずの方向性をグルコたちに伝えて穴から這いでれば、もう日が傾きだしている。
すでに帰路についたというユエラの他の龍に行き先を聞いて明人も帰路につく。
もしユエラとエルエルの別働隊が作戦を成功させていれば言うことはない。
とにかく明日を待つだけだ。今日できることといえば家に帰って寝るくらいだった。
「それじゃ、ふにゅうくんまた明日ねー! それとも大丈夫? ひとりで眠れる?」
「サヨナラグッバイ! また明日!」
そうやって背に乗せてくれたスードラに別れを告げて振り返れば、家々が立ち並ぶ。
ここはあの死闘の始まりを演じた決闘場のお膝元。聞いた者の8割方が首をかしげる村は龍たちの住まう、おうち村である。
メインとなる1本の広い道が村の中央を貫く。奥にあるのは見上げれば首が痛くなるほど巨大な赤茶色でゴツゴツとした岩肌だ。
ドラゴンクレーターが隕石の墜落現場とすれば、あの決闘場は巨人の足跡ほど。クレーターそのものよりはかなり小規模と言える。
そんな龍たちが蔓延る暮れの村を、明人は気ままに練り歩く。
「今日の晩ごはんなにかなぁ。なんでもいいとは伝えてあるけど、肉をメインにしてってつけ加えておけば良かったなぁ」
緩めた手を滑らかな黒地の腹部に当て、さすり、さすり。
生きていれば腹は減るもの。それとさすがに冷えてきたためパイロットスーツは通常モードに戻してあった。
身にまとっているのは全身の骨肉を浮かすβ型の流動生体繊維だ。
そんあある種の変質者が村を歩くも、龍たちは自分たちのことでいっぱいらしい。
「白龍に教わった新作メニュー完成! 明人さんスペシャル出来たよー!」
通りすがりざまに聞こえてくる己の名前。明人は少しだけ苦い顔をして家の横を過ぎ去る。
あちらからだって、そう。立ち並ぶ家のなかから次々に嬉々とした声が鳴り渡っていた。
「その……あきとさんスペシャルってなんだ?」
「明人さんスペシャルっていうお料理らしいわ。白龍曰く、あきあきスペスペでも可って言ってたわね」
「へぇ……。西側の種族の料理って名前が独特なんだなぁ……」
どうやら女性龍たちは昼間の料理教室で教わったメニューを早速試行しているようだ。
男性龍たちへ、弾むような声で教わったばかりの手作り料理を振る舞っているらしい。
――オレ超大人気じゃないか。そんなに食べられたら可食部位がなくなっちゃうよ。
楽しげな空気を耳で感じつつ、明人は歩幅を僅かに大きくした。
決して食われたくないのではない。早く家に帰って食いたいのだ。
大通りを半分ほど歩き、くるりと右に曲がって3件目。連なる家々は特徴が少なく、このようにして覚えるのが良い感じ。
そして明人は到着した家の扉へ躊躇なく手をかける。
いつものように。まるで本当の我が家に帰るかのように、帰宅する。
「ただいまんりき」
「おかえりんりきですっ」
リリティアは帰宅した明人を笑顔で迎えた。
微笑みのままちらりと一瞥くれ、また調理台へ視線を戻す。
ぱたぱた忙しなく右へ左へ金の三つ編みが揺れる。
「今日はずいぶんと遅かったですね? もうユエラなんてご飯を食べてでかけちゃいましたよ?」
どうやらまだ晩の料理が完成していなかったようだ。
部屋いっぱいに充満する美味しい匂い。期待が膨らみ腹が凹む。
明人は出来たてを食べられる喜びを噛み締めながら、イスを引く。
「ちょっとグルコさんの巣にお邪魔しててね。それよりユエラはこんな時間にでかけたのかい?」
危ないんじゃないかな。夜間に歩かせるのは兄的な彼として心配どころ。
ユエラが強いとはいえ女子だ。女性が日暮れにでかけるのは魔物のいない地球でもあまりよろしいと言えぬ。
「巨龍と一緒ですから心配ご無用です。それになにやらクレーターでとれる珍しい薬草を探すって張り切ってましたし」
リリティアはこちらへ振り返らず、歌うような美しい音色で答えた。
龍族と一緒の冒険ならば心配はないだろう。もし龍族が近くにいてダメならどこにいてもダメだ。
明人は安堵しつつも、聞き慣れぬ単語を「珍しい薬草?」口にする。
「どうやら焔龍と戦ったときに力不足を痛感しちゃったみたいです。そういえば……このままじゃ自然女王の名折れなのよー、って憤慨してましたしね」
「相変わらずのがんばり屋だなぁ。あんな化け物を相手に時間稼ぎをやってのけたんだから少しくらい誇るべきだろうにさ」
「どうやら魔種なしで自然女王形態に移行できるようにしたいみたいですよ。それと……その化け物と戦って勝っちゃった明人さんも大概ですからね」
困り眉をしたリリティアがなにかを言いたそうにしている。
たが、明人は知らんぷりを決めこんだ。
なにせ勝てたのは焔龍ディナヴィアが負けたがっていたから。
もし彼女が制約を呑んでくれなかったと考えれば寒気がする。きっと人なんていう1個体の種族なんて大陸から滅亡していたことだろう。
そこからはとても穏やかな時間が流れていく。
激闘なんてはじめから嘘だったかのように思えるほど。心や安らぐ時間だった。
グツグツ、グラグラ、トントン、ジュージュー。室内に鳴り響くバックグランドミュージック。調理の音だけを聞けば演奏会さながら。
そうなるとコックは指揮者だろう。食材たちを律し、各々の技巧を存分に引きだし曲とするコンダクター。
「もしくは現場監督かな」
「なにか言いました?」
「いえ、なにも?」
「わぁ……。ソレ、久々に聞いた気がするんですけど……」
そんなどことないやりとりを交わしつつ、明人はイスにとっぷり腰を下ろす。
そのまま調理中しているリリティアの後ろ姿を、眺めることにした。
料理が並ぶまで三つ編みが踊るのを鑑賞する。これもまたつつがない日常の1頁だった。
ぎぃぎぃ、と。イスを斜めにきしませた明人は、独り言のように呟く。
「ユエラが世話になってるなら、ネラグァさんにお礼とか言っておくかなぁ」
「あの子ならそのへん気にしなくても大丈夫ですよ。報酬の前借りとして晩ごはんを食べていきましたし、なにより自称なんでも屋さぁんですから」
返ってきた答えに「なんでも屋さん?」と。オウム返しをする。
すると「なんでも屋さぁん、です」なんて。優し目に訂正されてしまう。
「巨龍は昔からああいう気質なんです。誰かを助けることが生き甲斐、誰かが喜んでくれればそれでヨシ的な子ですね」
「ふぅん、良いやつなのか。じゃあ今度会ったら慰労の意味でなんか贈り物でもしてあげようかなぁ」
「良いやつで言ったら明人さんも大概ですからねー」
明人に2本目の釘を差したリリティアは、木のお玉で鉄鍋からスープを掬う。
そして熱々を冷まさず、ひと啜り。小さくコクリと頷き、ブロンド色の頭に止まった青い蝶結びが羽ばたいた。
「うん、良い感じですっ。もうちょっとで完成ですから待っててくださいね」
どうやらリリティアの料理もいつも通りの日常な完成度らしい。つまり会心の出来。
しかしまだ少しばかり時間があることを知った明人は、ふと思いたって席を離れる。
――服でも着ておこう。この格好が楽だけど、ちょっと真剣な話をするには見栄えが悪い。
徹夜明けのような足どりで隣の部屋へ、服をとりにむかう。
新しい木の匂いがするクローゼットを開け、いつもの農夫服をベッドの上に放り投げた。
「認識コード840。パイロットスーツ、治療モードに変更」
現代魔法を唱え、パイロットスーツをパンツスタイルに変更させる。
それから超過技術の上にするすると衣服を着こんでいく。
「準備が出来ましたよー! 冷めないうちにどうぞですー!」
丁度が着替えが終わる辺りで、リリティアに呼ばれる。
「……よしっ。ユエラには申し訳ないけど、これはチャンスかな……」
そして明人は上着の合わせと気を引き締めた。
決闘のときとはまた違った緊張感が彼のなかにひしめいている。ここからが勝負であるのだから身支度を忘れてはならない。
平静を装いながら団らんの場へむかうと、すでに配膳はすんでいるようだった。
そしてどうやら今日のリリティアは対面で食事をしたいらしい。すでに彼女は対面となるイスにちょこんと腰掛けてる。
そそくさと料理に脇目も振らず明人は元いた席に戻った。
「ごめんごめん。ちょっと肌寒かったから服を着替えにいってたんだ」
とにかくコトを成すまえに食事を終えるのが最優先だった。
なにせ空腹であるのは事実である。先ほどから腹の虫がぐうぐうと不満を発し、とめどない。
明人が席についたことを確認したリリティアは、花がほころぶが如き笑みを顔いっぱいに広げた。
「腕によりをかけて作った私渾身の明人さんスペシャルですっ! どうぞお上がりですっ!」
わぁ、っと。両手を広げて食事をするよう進める。
それに乗じて明人も箸を手にとった。両手を合わせることも忘れない。
「それじゃあいただき……ます?」
だが、軽快な音はいつまで経っても鳴ることがなかった。
明人は食事の礼儀を終える直前で手を止め、目を奪われる。
「これって……磯辺揚げ? それに魚の切り身の塩焼き、沢庵に、冷奴……青菜のお浸し?」
テーブルの上を香り豊かに彩っていたのは、彼の故郷の料理ばかり。
リリティアによって作られた晩の料理は、すべて和食だった。
「明人さんの故郷料理の……わしょく、でしたっけ?」
「そ、そうだけど……こんな、かなり難しかったじゃないか? しかも今まで作ったことのない料理じゃ……」
明人は感激のあまり浮わついた返事しか出来ない。
まさかこれほどまでに完璧な和食を再現してもらえるとは夢にも思わなかったからだ。
しかしこの大陸最強の剣士はあっけらかんと言ってのけてしまう。
「作ってみるととっても簡単でしたよ? 明人さんから聞いたお料理を私流にアレンジしちゃいましたけどね」
白いドレス越しの華奢な肩をすくませた。
ふふ、と。絹ごしのようにまろやかな頬を和らげる。
「これらは言ってみればものすごくシンプルなものばかりですから。和食というのは食材本来の味を楽しむ料理なのかもしれないですね」
そう言ってリリティアは両手を合わせてベコリとお辞儀をする。
動きを止めていた明人だったが、それを見てようやく両手を合わせることができた。
恐悦至極といった「いた、だきます」に次いで「いただきますです!」ぴょんと三つ編みの毛先が跳ねる。
「……うまい。オレが生存者キャンプで食べてたパウチ包装のなんちゃって和食とはぜんぜん違う……」
「お口にあったようで良かったですっ。それに簡単ですから龍族のみなさんにも伝授しました。なので龍族にとって和食は登竜門的な感じですね!」
龍族だけにですっ! リリティアは自信満々に自信のなさそうな薄い胸をふふんっ、と反らす。
だが、明人の箸はもう止まらない。正面にちょっと悲しそうな顔があっても構ってやってる余裕がなかった。
それらは生まれ故郷の料理である。舌が喜び唾液腺が緩んで仕方ないのである。
しかしユエラのようにがっつくことはしない。1度ずつ小分けにし、行儀良く料理を口に運ぶたび、噛み締め、味わう。
「ちなみにそのけんちんさんおうどんに入ってるお肉はグリフォンのお肉なんです。ふふっ、さっぱりしているのにお出汁がでてとっても美味しいんですから」
リリティアも巧みに箸を使いこなし食事を進めていく。
ときおり咀嚼する明人のほうを見て金色の眼をうんと細めた。
「うまい……うまいよこれ……! すごくうまい……! 全部うまいんだ……!」
「おかわりもありますからねっ。お望みならば明日も明後日も、明人さんが飽きるまで色んな和食を作ってあげちゃいます」
そんな、いつしかぶりの2人の時間だった。
世界を渡り、神に翻弄され、なおも断ち切れず。剣鞘コンビの絆はますます深まっていく。
救済の導を解体したこともある。使命に囚われた宝物を冥界へ還したことだってある。そして遺恨に狂った龍すらも討伐した。
だからすべてを失った。元の世界からもってきたものをほぼすべてだ。
操縦士としての誇りである、宙間移民船造船用4脚型双腕重機ワーカー3号機だって2度と動かなくなってしまった。
しかしそんなことを忘れてしまうほど、幸福な時間でもあった。
終わるはずだった命なのに、世界を変えてのつづきがあった。
移った世界には、こんなにも素敵な出会いが満ちあふれている。
「でもリリティア……ちょっとだけ聞いて欲しいことがあるんだ……」
明人はおもむろに箸を置く。
まだ食べ終わってるわけではない。しかしそれでも箸を止めてまで伝えねばならぬことがある。
いっぽうリリティアは長いまつ毛のついた瞼をぱちくり瞬かせた。
「はい? 改まってどうしたんです?」
明人さんスペシャルは確かにスペシャルだった。
あと明人が材料でもなかった。
それとたとえ世界が平和になってもただ1つだけ変わらないものがある。
「この料理の名前は変えたほうが絶対に良いと思うんだ。あとツッコミ忘れてたけど……けんちんさんおうどんって……」
「なんでですかあ!? 明人さんスペシャルってすっごくいい名前ですよ!? しかもどうせなら登竜門のほうに反応して欲しかったですけど!?」
リリティアに、名前をつけるセンスは、ない。
すでに日は暮れて空は濃密な紫色へと変貌を遂げている。
ひさしぶりに訪れた2人だけの夜は、ゆっくりとしたペースで深まっていく。
……………




