500話 そして心を掬う仲間を求めて
硬く固められた土壁を手でつたいながら下へ下へと降りていく。暗闇に小石を蹴る音がうわんうわんと重なって反響する。
ほの明るい魔法の光球に導かれながら一党は穴蔵の底を目指す。
――そういや昔イージス決死隊の面々で野菜作ったっけな。
明人は転ばぬよう注意しながら鼻を鳴らした。
湿った土の匂いはクワを振って掘り返したときの匂いと良く似ている。視界が覚束ないせいか嗅覚が記憶を掘り起こしてくる。
匂いによる記憶の覚醒、これはプルースト効果と呼ばれるもの。マドレーヌを紅茶に浸すより、土の匂いのほうが彼にとって故郷の香りだった。
「収穫前に虫の餌に化けたんだよな。夕を悲しませたアブラムシ許すまじ」
明人は恨み節を口のなかで転がす。
すると先頭を征く丸い肌の頭が光を流し、振り返った。
「せっかくの御客だというのになにもお構いできませんで申し訳ありませぬ」
盲目の僧。グルコ・スー・ハルクレートは畏まりながら丸い頭をぺしりと叩いた。
海龍の背に乗り風を浴びながら如何ほどか。そう時間もかからず冥界との境が見えてくる。
消失した世界の端はまるで滝壺のようで荘厳なれどすさまじい恐怖を与えてくる。当然明人も戦々恐々と震えた。
そして降り立った場所こそが目的の場である。
ルスラウス大陸の最南東。龍族たちにとっての狩猟場の最前線であり社交場でもある集い。
そのコミュニティからさらに地下へ潜った穴ぐらへ、一党は足を踏み入れていた。
「逆に巣へ入れくれたことに礼を言いたいよ。なにせいきなり押しかけたのはこっちなんだからさ」
形で言うならこちらが押しかけたようなものだ。
しかし電話もメールもないのだから仕方がない。それにグルコも友を迎えるように出迎えてくれた。
「いえいえ、お気になさらず。しかし決闘で焔龍を下した貴殿をもてなせぬのは節操としても歯がゆいのです」
「それこそこちらこそだよ。今度いい店を知ってるから機会があったらドワーフ王の奢りで飲みにいこう」
「はっはっは。それはそれは。心躍る良き提案ですな」
男2匹。どこか落ち着いていて大人びた会話だった。
両者ともに本心ではないが偽らざる感じ。社交辞令とまではいかずとも打ち解けてはいない。
夜な夜な1ヘクタールの決闘場地下で穴を掘った仲、勝手を知らぬ関係ではないのである。
「あれからというもの我らは真の安寧を享受することと相成りました。それすべて西の英雄である舟生明人殿が雲蒸竜変して下さった賜物でしょう」
グルコは閉ざされた目立ちで弧を描くように微笑みをくれた。
これほど建前なしに褒められることも珍しい。それに殿呼びされる機会もそう多くはない。
「全員で勝ちとった勝利だよ。結局のところオレ1人じゃなにも出来ずに死んでた。あと……雲蒸竜変って龍族が使っちゃダメだと思う……」
さすがの明人も熱くなってくる頬を指で掻いて照れを隠す。
なによりあの勝利は誰のものでもない。関わった者すべてのどれが欠けても得られなかったもの。
スードラ含む土龍、黄龍、岩龍たちが魂を捧げてまで足止めしてくれた。そのおかげで狂乱の邪龍ミルマは決闘中の妨害を行えなかった。
さらには明人が尾で薙がれたときも、そう。
ヘルメリルたちが乱入してこなければ女帝の勝利で最悪の結末を迎えていた。
明人は拳を握り締め、解く。
「これは謙遜じゃない……オレはいつも誰かの力を借りて生きてる……。誰かが支えになってくれないと、きっとオレは真っ直ぐ歩くことすらできてないのかもしれない……」
無茶もした自覚は十二分にある。リリティアに頬を叩かれて反省もした。
褒められるのはとても気分の良いことだ。しかしここにいる人間は口先のみ、行動が伴っていない。称賛とは栄光を築き、成し遂げられた者にこそふさわしい。
――それにオレにはもうなにも……っ。
硬く引き締まった撫でがいのない尻が、ぽん、と叩かれた。
明人が僅かに視線を下げれば、イカサマ臭い笑みがある。
「でもそれってキミが動いたからこそじゃないかな? 誰でもないキミが動いたから後にみんながつづいた」
「ほう、海龍もたまには良いことを言うものだな。遅ればせながら拙僧もその尻好きと同じ意見です」
グルコもスードラの後につづく。
「信を築けぬ者の背は孤独で寂しいものです。しかし貴殿の歩み跡には多くの魂が集っているように、拙僧には見えますな」
すかさず「見えてないでしょ」というスードラからの指摘が入った。
グルコは意に介した様子もなく、いつの間にか止まっていた足を滑るように繰りだす。
「はっはっは、勇も力なりですぞ。その眩き光は生ける者を照らす道標として意味を成します。貴殿の隣にしぶとく居着く龍こそが証拠でありましょう」
丸い頭は振り返らずに高笑いを残して奥にいってしまう。
明人は思わず首をうんと横へひねった。
「しぶとく居着く龍……?」
そのまま流れで隣に目をくれる。
すると海の如く青い瞳がささっと反らされた。
「……なんだよう。こんな可愛い僕が隣にいるのに文句でもあるっていうのかい……?」
スードラは唇を尖らせるだけで、こちらと目を合わせてくれない。
艶やかな腰からぬるりと伸びた鱗の尾っぽがぴたぴた地面を叩いて忙しい。
光球に陰影を強めた頬が微かに赤く、ヘソの辺りでもじもじと手を遊ばせている。
「な、なんかいったらどうなんだい!? まさか……本当に迷惑だと思ってるの!?」
明人はしばし小生意気な少年が身をよじる姿を観察し、歩きだす。
「隣にいるのは全然いいんだけどさ。……弟っていう位置づけで頼むよ」
決闘後辺りから周囲にいついて回っていた謎が解けた瞬間である。
スードラは暇だ暇だと言いつつも、いつも犬のように明人について回っていた。今日も、昨日も、だ。
「くぅぅ……! 土龍のアホめぇぇ……あとで見てろよなぁ……!」
そうやってトボトボ、と。男2匹が隣り合ってグルコの後につづく。
どうやら彼は両目を失っているため暗闇だろうと光が必要ないようだ。
足運びは迷いなく、それでいて小気味よいリズムで杖の音を引き連れている。
「はわぁぁ、それにしても暗いと眠くなっちゃうよね。堅苦しいやりとりされてると子守唄になっちゃう感じ~」
後ろではぼんやり伸びをしたセリナが着いてきているのみ。
退屈そうに尾っぽをゆるく揺らしながら目尻に浮いた涙を拭う。
「これこれ黒龍よ。貴殿こそ彼の活躍を讃えねばならぬ身の上でしょうに。なにをうつつを抜かして腑抜けているのか」
グルコは手にした杖を軽く振ってエスナを穏やかに叱りつけた。
すると彼女はよく焦げた頬をぷっくり膨らし不満を顕にする。
「私だってお礼くらいしようとしたよねっ! でもふにゅうくんってば全力で逃げるんだもん!」
失礼しちゃうよねっ! なんて。まるで自分のしていることがなにひとつ間違ってないという言い草だ。
後頭部で手を組みツンと張った毬を突きだし、じとりと横目で件の彼を睨む。
「そうなのですかな?」
グルコも半信半疑な感じで問うてきた。
ならば、と。明人は頭痛の種を摘むようにしながら眉間のシワを抑える。
「毎晩寝こみを狙って夜襲を仕掛けるのがお礼か……。だとしたらあれはお礼参りだよ……」
「……そういうことでしたか。心中お察し致します……」
グルコも一緒になって不毛の頭をずっしり抱えるのだった。
自然と会話が止まり、しばし地面と僧衣の裾を見ながら後ろを着いていく。
そして間もなく球の光が行き止まりを映しだす。どうやらここが終点のようだ。
「して……英雄殿は拙僧の狭い巣に赴いてまで如何様なご用向きでございますかな?」
グルコはフッ、と吐息を吐いて蝋に火を灯した。
辿り着いたのは平たい藁束と、僅かながらに古本が重なった空間である。蝋の火があれば全体を照らせるほど狭い。
土竜の如く穴のなかを好む土龍。物腰穏やかなグルコの住まいとしてはなかなかに堂に入った作りをしている。
とはいえここは自力で掘った穴として見ればかなり深いところにある。道として見れば短いくらいの長さ。
密閉された空間に軽い蒸し暑さを覚えながら、明人は生簀の如き空間をぐるりと見やる。
「支えがないのに崩れないんだな。壁もかなり硬く固められてる」
「掘るのは容易いのですが大きくすると崩れてしまうのです。だから穴を小さく狭く設計しているのわけですな。それと貴殿らより少々力に自信があるため固めるのが得意ということもあります」
グルコは袖をまくり骨の浮いた腕を見せつける。
鍛えられているように見えぬ。女性の細腕というより老人のような脆弱さだ。
しかし彼は龍である。鍛えている明人の10数倍の腕力が期待できる。
「龍族の剛力を使った転圧か、やっぱりグルコさんは1度ドワーフに会うべきだ。間違いなく歓迎されるって保証するよ」
「転圧、というものなのですか? ほう、そのように呼ぶ名があったとは目から鱗が落ちるというものです」
「だからさアンタ絶対わざと言ってるでしょ。鱗があるヤツが使っていい言葉じゃないんだって。――あとアンタに目はないッ!」
明人が声を荒げると、グルコは僧衣の腰に手を添えかっかと笑う。
やはり狙っての発言だったらしい。龍族にはどうにも油断ならぬ小癪な者が多い。
かと思えばなにも考えてない龍も、半々くらいにはいる。
「ひゃっほう! セリナちゃんダーイブ!」
セリナは、勢いよく腹から藁へ飛びこんだ。
その衝撃で藁屑やら埃が散る。狭い空間の空気がより悪くなった。
「布団もいいけど寝藁も捨てがたいよねぇ。うぇへへぇ……この素肌をチクチクしてくる刺激がくすぐったくていい感じぃぃ……」
整えて敷いてある藁を抱きかかえ、ごろんごろん。
肌に土がつこうがお構いなし。自分の巣でもないのにやりたい放題だった。
明人は辟易とした顔で家主に伺いを立てる。
「……いいんすか、あれ?」
「……ああいう龍もいるのです。が、ああいう龍でない龍もいるということだけは覚えておいてください。阿呆に構わず話を進めましょう……」
グルコは手で座るように進めてくる。
断る理由もないので明人も甘えることにし、スードラがちょこんと横に腰を下ろす。
「改めましてどのようなご用向きですかな? それに拙僧の鼻はなにやら企てがある香を聞いておりますぞ」
決まりの良い正座をしたグルコは、鼻筋の通った鼻をすんと鳴らした。
ここからが本題である。なにせ明人たちは物見気分でグルコの巣に邪魔をしに入ったわけではない。
エルエルとユエラは湖畔に残って別の仕事にとりかかっている。
ならばこちらはこちらでやることをしなくてはふたりの努力の意味がなくなってしまう。
「率直に言う。オレはミルマさんを助けたいと思ってるんだ」
どっしりあぐらをかいた明人は、両膝を叩いて前置きを飛ばす。
「だから龍族のコミュニティの長を務めているグルコさんに情報を提供して欲しい。ミルマさんのどんな小さな情報でも良いから教えてくれないか」
言い終わるころには、グルコの両目が開眼していた。
閉ざされたいた瞼の奥にはまるで井戸の底のような眼窩がぽっかりと開いている。
そしてグルコは錆びた関節部のように首を軋ませ、スードラのほうへ顔をむけた。
「ほんとみたいだよ。ややこしいから色々省くけど、ふにゅうくんは邪龍を助けてあげたいんだってさ」
その直後。グルコはびくんと、1度全身を大きく跳ねさせる。
眼窩が乾くのも気にせず瞬きすら忘れ、両手はわなわなと震えていた。
「な、なんという……なんという晴れやかなお心をもつおかたか!? 我らをお救いになってなお障害であったはずの邪龍さえもお助けしてくださると申しますか!?」
「いやいや、そんな大層なことじゃ――」
明人は否定の意味で両手を上げた。
するとその両手が捕まってしまう。
「感涙にむせぶとはまさにこのことォ!! 我ら龍族ですら未だ心に棘を残しているというのに!! 貴方様ときたらは率先して邪龍を救うと言うのです!! これには拙僧も感激の至りにございます!!」
明人の手を捕獲したままグルコはしどと大量の涙で顔中を濡らす。
それはもう涙腺の蓋が木槌かなにかで叩き壊されたかのよう。僧衣を羽織った坊主の男が「ありがたやぁ! ありがたやぁ!」と、感謝を幾度も繰り返す。
これには明人もたじたじになるしかない。別の目的があるなんて口にできる空気ではない。
「あ、あの……落ち着いてください。まず落ち着いてもらわないと話が進まないんで……」
すると「はい。かしこまりました」グルコは頁をめくるみたいに元に戻った。
まさにけろりとした感じ。袖で水気を拭えば元通りの顔である。眼球がないためか涙の気配すら刹那のうちに消滅した。
――あ、コイツもやっぱり龍族だ。まともに見えてたけどやっぱなんか変なヤツだ。
明人は、ひとまず解放された手を解しながら考えを改めることにした。
兎にも角にも邪龍ミルマの心を闇から掬う――もとい、救う――には、情報が必要不可欠である。
なにせこれから龍族はクレーターの外にでていく。それを利用した一大プロジェクトが始めようとしている。
「では、まずは邪龍の性質からお伝え致しましょう。あれは老齢の見た目をした者を好みます。いわゆるおじフェチというやつですな」
「それはいらない、ってかもう知ってる、リリティアのメモに書いてあった。あとそれ性質じゃなくて性癖だから、やっぱりわざとやってるだろオマエ」
寝息を立てはじめるセリナをよそに、粛々と邪龍救出会議がはじまったのだった。
…………
※ここからは500話達成した感想的なものですのでご注意を
(私事とか……なんか)
こんにちはPRNです
フォロワーさんに言われて気づいた500話です
つまりとくになにもご用意できてません
ですので
まだ公開する予定ではなかったとある1枚絵の
はしぃぃぃぃっこの辺りを貼っておきます
全体が想像できましたでしょうか?
当たりかもしれないし外れかもしれませんね
約3年ほどで約250万文字です
思えば長く……本当に長くつづけてきたものです
ですがはじめから終着点はブレず、1つのみです
そう長くお待たせすることにはならないはずです
それではっ!
(ピコーン)
「で、ですう!?」
500話実績:感想欄一般解放




