497話 そしてその恋叶えます
湖畔からそれほど遠くない草葉の影で張り込みがおこなわれていた。
「むむむっ、ホシが到着するまで一切の油断はできないんですのよ。もしこの機を逃せば迷宮入り間違いなしですのよ」
エルエルは草葉から顔を覗かせる。しかもわざとらしく眉間にシワを寄せている。
そんな小難しい表情で黒いレンズのメガネをくいっ、と上げた。
絶対になにも見えていないだろう。なにせ溶接用なのだサングラスとはわけが違う。
――星どころか太陽すら直視できるメガネをかけてなに言ってるんだか……。
明人はうんざりしながらエルエルの手にぶら下がっているモノを見た。
謎の弓が、しっかと握られている。
目に優しくないショッキングなピンク色。天使の羽を模した飾りも弓としての機能美を損なう。射撃の邪魔でしかないだろう。
およそ武器を舐めているといった感じのデザイン。しかし良く凝った作りなためデコーレション用としてなら高く売却できそうではあった。
張り込み中のエルエルへ、ユエラは姿勢低く耳打ちする。
「おっぱい天使さんお昼の準備が完了したわ」
「うぬ、ご苦労ですのよ。腹が減っては戦はなんとやら。やはり張り込みと言えばこれですのよ」
エルエルは手渡された深皿をすぴすぴ音をたてて啜る。
食べているのは、先ほどくすねてきたナッツベリィシチューだ。
ミルクとバターによる乳製品のコクが味わい深い。具として入っているベリィの微かな酸味と鼻に抜けるフルーティな香り食欲をそそる、深炒りしたナッツのビターな舌触りとカリカリした歯ごたえがとにかくたまらない。
明人は食事のために地べたに座った。箸でミルク色に沈んだじゃがいもを摘む。
――アンパンと牛乳じゃないのか。というかコイツこんなところで油売ってて本当に良いのかよ?
藪の垣根から突きでた2つの尻を横目に、ほくほくの芋を頬張った。
リリティア手製の昼食だ、マズイわけがない。それに食器の類もドワーフたちが快く龍族へ献上してくれていた。
0から始まっていく文化の成長。発展を留められていたせいか日を追うごとにクレーターは豊かになっていく。着実に龍族が発達傾向にむかっている。
さらにリリティアは女性たちと一緒に料理教室を開くと言っていた。
『明人さん明人さん! なにか晩ごはんに食べたいものありますか! これから女性だけでお料理教室をすることになったんです! なので楽しみに待っててくださいね!』
子犬のように駆け寄きては花も羨むといった眩しすぎる笑顔だった。
対して明人は「リリティアの作るものならなんでも」率直かつ正直に伝えるだけ。
すると彼女は三つ編みを犬の尾のように翻し、スキップと鼻歌まじりに仲間たちのもとへ戻っていった。
ここ数日、明人はリリティアのことを陰ながら観察している。
『明人さん大好きですよー!』
そんなこっ恥ずかしいことを言いながら満点満面の笑み。
あれだけ四六時中にこにこしていたら頬がとれてしまうんじゃないか、と。心配になるくらい幸せそうな毎日を送っている。
「……なんだよ? 大人しく飯食ってろ……」
「気をつけなよぉ? ああ見えて白龍の倍率結構高くなってるからねぇ?」
数分前の記憶を遡る明人の頬に、別の頬が押しつけられた。
つるつるとしたきめ細やかな白肌。しかしそれはスードラのもの。
なにやら卑しい笑みを浮かべながら明人の肩へしなだれかかる。
「僕でさえちょっと魅力的に思えるくらい白龍ってばいい子なんだよねぇ。気立てもよくて品があってお料理上手ときたらそりゃあ他の龍が見過ごさないよねぇ」
「なにが言いたいんだ? あと今上半身裸だからマジでくっついてくんな」
重なる肌の感触に、明人は不快感を顕にした。
するとスードラは意外にすんなり離れていく。
「今の龍族はみんな新しい世界を見てる。つまり経験したことのないようなことへ興味津々なんだよ」
今度は生膝の上にシチュー皿を置いて澄まし顔だ。
天蓋の如き葉をそよがす風に、外ハネた青い髪が流れる。
「僕もそうなんだけど実際かなりワクワクしてるんだよね。それにもちろん白龍だってそのはずだよ」
普段からふざけて生きている龍だが、それも彼なりの処世術なのだろう。
なにせ彼もまた龍玉の恐怖に苛まれながらも生き抜いてきたやり手ということ。
「後ろばかり見てて見逃しちゃいけないよ。キミをとり巻く環境は明日にだって変わってしまうかもしれないんだからさ」
そう言ってスードラは、明人へいつもより少し柔らかい感じの笑みをかたむけた。
涼やかな声に耳をかたむけつつ、当たり前の美味を啜る。
「そんなこと言われなくてもわかってるよ」
明人はたった一言だけを低めに返した。
それでだけでなにかを伝えるには十分だった。なにせ2人は記憶を共有しているのだから。
どちらからというわけではなく、自然と会話が止まる。友より少し近い距離感で昼食を食べ進めていく。
「あ、きたわよ!」
すると突然、藪から突きだしたユエラのスカートがぴくっ、と跳ねた。
辛うじてだが重要な部分は見えていない。しかし食事をしながらは行儀が良いとは言えぬ。
「おいユエラ。食事中はもっとお行儀よくしなさいって明人さんがいつも口を酸っぱくして言ってるでしょうが」
見かねた明人も藪に顔を突っ込む。
さらに横からスードラも一緒になってついてくる。
「んふふ、なんか面白いことになってるねぇ」
そう言って木匙を咥えながら蠱惑な笑みを浮かべた。
「しっ、お静かにですのよ。まだホシの片方が現れただけですのよ。ここからが取引の始まりなんですのよ」
エルエルが声を潜めて唇の前に人差し指を立てる。
残された4つの尻。もとい茂みから盗み見る4つの色合い異なる視線がむく先で、森の影が動く。
木漏れ日が斑を作る幻想的な風景に混じって、ひとり。龍族にしては珍しく身なりの整った青年がいた。
「よ、よぉし! 今日こそは伝えるぞぉ!」
なにやら彼はそわそわと足踏みをしながら落ち着きがない。しきりに前髪をイジったり深呼吸したりと忙しい。
明人はシチューの残りを一息に飲み干す。それから蒼に沿われた目を細めて遠方を見つめる。
「甘い恋の波動を感じるぞ。青くて甘酸っぱい春、略して青春の匂いだ」
「ぬふふぅ、あれはきっと女性を待ってるねぇ。まぐわいが義務だったときから彼、とある女性を誘いまくってたし、いよいよって感じだよぉ」
どうやらスードラも明人と同様でロマンチックな予想ができたらしい。
「え、え? もしかしてあれって女性に告白する感じなの? だとしたら一世一代の見せ場だし見てちゃマズイんじゃない?」
ユエラはきょどきょどしながら長耳を上下に揺らした。
頬が僅かに火照っている。どうやらこのまま見ているべきか己と葛藤しているようだ。
そんな彼女へ、スードラはちょいちょいと手招きする。
「しかも彼の意中のお相手はたぶん天龍だよ」
「て、天龍って――エスナちゃん!? 私この間友だちになったばっかりの子よ!?」
エルエルに「しー、ですのよ!」と注意されても、ユエラは混乱した様子を隠せないでいた。
スラッとした腰にぶら下がっている雑嚢をおもむろにまさぐる。
間もなくとりだしたのは宝石のように綺麗な1つの薄い石だった。
「あ、それ天龍の鱗じゃないか。じゃあユエラちゃんは天龍にかなり気に入られたってことだね」
「そうなの? これ、この間エスナさんにチャルナの小説を貸して上げときに貰ったものよ?」
スードラは即座に言い当てる。
どうやらユエラの手のひらに置かれた平たい石は、龍の鱗らしい。
「龍族では仲の良い、もしくは仲良くなりたい相手に鱗を渡す遊びがあるんだよね。ほら、ふにゅうくんだって黒龍に鱗を貰ったでしょ。あれと一緒だよ」
「あれは意味が違くないか? っていうかあれ最初は鱗じゃなくて生パージした生パンだったんだけど」
明人はぶつくさ文句を言いながらユエラの手を覗く。
それはなんと天龍エスナのものらしい。
光を吸収するような樹液色の鱗で、琥珀色のようでいて黒が揺らいで踊っている。斑模様が奥ゆかしい美さを演出していた。
見た目も相まって友への贈り物とするなら良い品だろう。脱ぎたてでやや湿った女性用ショーツよりは、よっぽど良い。
「まあ単なる遊びみたいなだよ。でも自分の匂いがついたものを渡すのはそれだけ好きってことでもあるんだ。だからユエラちゃんはその鱗は大切にしてあげてね」
「へぇ、そういうの聞くとなんか照れちゃうわね。それにコレが私とエスナさんの友情の証だとしたらなおさら大切な宝物よね。絶対に失くしたりしないもん」
スードラからのウィンクを貰ったユエラは、鱗に軽いキスをして大事そうに雑嚢に仕舞った。
どうやらユエラも明人の知らぬところで龍族との交流を楽しんでいるようだ。
リリティアという龍が同居していることも要因だろう。偏見がないため龍族への恐怖心は誰よりも薄いはず。
――しかしどうしたもんかねこの状況は。止めるべきか悩むなぁ……。
それはともかく、どうやらエルエルが標的と定めたのは、とある待ち合わせ中の彼らしい。
この事態を天の導きといえば聞こえは良い。が、その実犠牲者として選ばれただけとも言える。
恋路に挑戦する青年を不憫に思い、明人はつい口を挟んでしまう。
「これっていわゆる過干渉ってやつじゃないのか? そういうのなんだかんだ言っても避けてきてただろ?」
するとエルエルは遮光メガネをずらし、フッとカッコつけるようにニヤけた。
「これは干渉ではなく余計なお世話というやつですのよ」
「オッケー自覚はあるんだな、だったら尚の事たちが悪い。医者が匙を床に叩きつけたぞ」
キラリと光る青い瞳に見つめられ、明人は頭を抱えた。
なにせエルエルはこれから愛なき龍族へ愛を伝承しようとしているのだ。
上手くいけば恋が実り花が咲く。失敗すれば目を覆いたくなる事態に発展するのは想像に容易い。
「あっ! 待ち合わせの子がきたみたいよ!」
「あわわっ! 総員即座に隠れるんですのよ! 見つかったら天罰ものですのよ!」
ユエラのひと声によって野次馬たちは慌てて藪に深く身を隠す。
青年のほうへパタパタと急ぎ足で駆け寄る影がひとつあった。
白い短尺のスカートから伸びる健康的な脚。自然と持ち主の活動的さを物語っている。
ショートでさっぱりした髪は見事なアシンメトリーな鼈甲色。鱗の尾っぽも薄い背から生える翼もにた色合い。
それでもやはりというか見る者の心を傷ませる。小綺麗に整った活発そうなやんちゃ顔には、痛ましい火傷の痕が走っていた。
「はっ、はっ、呼ばれてたのすっかり忘れてたよう! ごめぇん! ちょっとご飯が美味しすぎて遅くなっちゃったあ!」
――待ち合わせに遅刻した言い訳として最悪だなおいッ!
明人の鋭いツッコミのもと、天龍エスナ・シャニー・ハルクレートが息を切らせながらやってきた。
焔龍に決闘を挑んだ勇気ある行動、そして龍玉すら阻んだ勇敢さ。彼女こそ平和の立役者ともいえる少女である。
そして状況から察するに、心優しそうな青年の呼ぶだした相手はやはりエスナだったということだ。
「あ……っ! いや、今きた……俺も、ばっかりだから!」
――そんな倒置法あるか!? いや、凄まじく噛んでるだけか!?
「はぁぁ……それならよかったぁ。最後に残ったお肉争奪戦が結構白熱しちゃったんだよねぇ」
――おいこらあ! 結局最後まで飯食うのに夢中で忘れっぱなしだったってことだろ!
緊張至極といった青年とエスナが木々の境でむかい合う。
人気のない森のなかで待ち合わせる少年と少女。見ようによっては恋のはじまり、男女の少し照れくさいがおこなわれようとしている。
しかし明人の息切れが止まらない。
「おれ、こい、おうえん、する……! 不器用なふたりの恋を応援するんだ……!」
フゥー、フゥーと荒く刻む。発情した猫のほうがまだマシだ。
なかなか光景に進展はない。青年側が狼狽えるばかりでエスナを直視しようとすらしていない。
「あ、あの……きょきょ、きょ、今日は……っ、だな!」
しかも地面に落ちた自分の影に語りかけてしまっていた。
待っている間に緊張が頂点に達したか。傍から見てもわかるほどたどたどしい。
ふとした様子でエスナは後ろ手に体を横へかたむける。
「どしたの? いつもなんか噛み噛みだったけど、今日はいつも以上に噛み噛みだねぇ?」
――いつもなのか! だったらちょっとくらい気づいてやってあげなさいよ!
「あははっ、ゆっくり喋っていいからね! わたしもお腹いっぱいで動いたからちょっとゆっくりしたいしね!」
しかしエスナは決して青年を急かすことはなかった。
それどころか淀んだ空気をカラッと笑い飛ばし、近くにある大木の麓に腰を下ろす。
「ほらほらこっちこっち! 座ってのんびりしようよ!」
青年に隣へ座るよう、すぐ隣にあった根っこを軽く叩いた。
「あ、ああ……。ご、ごめん……隣、座らせてもらうよ」
「謝んなくてもいいっていいって! なんならわたしのお膝の上に座ったらいいじゃん! なんちゃってえ!」
ずっと明るいエスナ見て、青年もホッとした様子。躊躇いながらも隣に腰を据える。
そうやって2匹は微かな安堵と静寂のなか隣り合う。
のどかな昼下がりの木漏れ日が線のようになって降り注ぐ。穏やかさのなかまるで時間がゆっくりと流れているかのようだ。
食い入るように見入っていたユエラが切れ長の目端を光らせる。
「控えめに言っても結構いい雰囲気よね。頼りない男の子を物怖じしない女の子が無意識に引っ張っていく感じ。なんか微笑ましく思えてくるわ」
スードラは、あれがさも日常とばかりに小柄な肩をすくませた。
「でもずっとあんな感じなんだよねぇ、あのふたり。天龍もバカだし、オスのほうから大胆にいかないと絶対に気づいてもらえないよ」
実際このままでは平行線を辿りそうな気配はある。
今のところ青年はエスナを呼びだしただけ。意中の相手を直視できず、息を整えることしかしていない。
対してエスナは胃が満たされ、早くも脱落の兆候を見せていた。
「あはー……いっぱい食べて幸せだしいっぱい寝ても許されるよねー……」
微かに膨れたヘソ回りに手を当てて丸く撫でさする。
生白い肌を引き締まった腹筋が微かに凹凸させ、表情の幼さとは別に健康的な色気があった。
「そうえばさっきお料理教室で聞いてきたんだけどさ。夜ご飯は明人さんスペシャルっていうフルコースなんだってー」
「……そ、そうなんだ? あ、あはは、名前から材料がまったく想像出来ないかな……」
――オレも想像出来ないよ。あるいは料理名だけで推理するなら材料は明人さんだよ。
しかめっ面の明人を除けば、2匹のまとう空気感は決して悪いものではないのだ。
エスナも青年を警戒する様子はない。油断しきった感じで伸びをしながら薄い胸をツンと反らしている。
これで平行線ならきっとまだ良いほうだろう。だが、もしこれが幾度と繰り返された結果であるならば状況は芳しくない。
今おこなわれているのは男と女の恋愛戦。これは戦って経験値を詰めば良い闘技とはまったく別の代物だ。
きっと負けのつづいた青年側は、今日もだめだった、となってしまう。そうやって自信消失に繋げてしまうのだろう。あとは泥沼である。
「距離はだいたい50ほどで落下距離を計算すればやや上にぃ。それと狙いをつけるなら手前側のエスナ様ですのよぉ」
しかし幸か不幸か。青年には、とりあえず味方がいた。
矢なき弦がぐぐ、と引かれていく。弓をもつ手の人差し指が真っ直ぐ標的を定めている。
「まずは邪龍様の前に試し打ちですのよ。神具のお力をご存分にご堪能していただくんですのよ」
水平に弓を構えた白き天使は羽を止め、空中に静止した。
片目を瞑ったスカイブルーの瞳が目標を射抜かんと細められる。
「さあ、これは審判の天使による天からの施しですのよ。その、お胸にお秘めたるお願いをお叶えしてお差し上げるんですのよ」
エルエルは歌うような旋律で願いを籠めた。
引いた手が放され、ひょう、という鋭い音がつづく。
透けた桃色の矢が一直線にエスナ目掛けて放たれ、的中した。




