496話 そして審判の天使はへちゃ天使
龍たちによって集められた食材の比率としては肉肉野菜肉という感じ。
偏っているようで肉への願望が垣間見える。つまり良い具合である。
セイウチの如き牙を生やしたイノシシに、飾り羽のある鹿。ならまだしも当たり前のように魔物が揃っていった。
「これはゴブリンかぁ……食いでがないねぇ。もっと大きい獲物がいればよかったんだけど……」
「トロール、オーガ、マンティコアもいるし昼には丁度いいんじゃねぇか。狩りすぎても晩飯なくなっちまうしよ」
龍族はまるで魔物を恐怖する様子がない。
というより大陸最強種族たちにとって魔物如きは草を毟るようなもの。毎秒感覚でどんどん食材が集まってくるのだ。
積み上がっていく肉を山を前にエスナとタグマフは隣り合って口元を拭う。
「白龍の美味しいご飯……うぇへへ! 今日も食べれるなんて幸せぇぇ……!」
「アレを味わっちまったら魔物の丸呑みとか2度と出来ねぇよなぁ! 毎日食っても食い飽きねぇぜ!」
「もったいないことしてたよねぇ……! なんかの草を混ぜて一緒に焼くとあんなに美味しいなんてさぁ……!」
龍族、食という文化に出会う。そして食べるという喜びに飢えるのだ。
食材が揃えばリリティアのの独壇場となる。腰に差した墓剣ヴェルヴァを万能包丁代わりに次々と仕立てていく。
「さあ忙しいですよ! 怪我をせずに美味しいご飯だけを召し上がりたければ下がっててください!」
その姿は厨房に舞い降りた踊り子の如し。清廉な白は汚れることなく、鋭い銀閃と巧みな手際で調理を施す。
斬った肉に細やかな切れ目を入れスパイスを揉み込む。その間に血抜き毒抜きアクとりも忘れない。動きが素早すぎて手が幾本も余計に見えてくる迅速調理である。
たったひとりで食卓という舞台が完成していく。大鍋鉄板で肉と脂のじゅうじゅうという音がさながら歓声のように響き渡る。
「す、すごぉ。種族の体に慣れるとかそういうレベルじゃないよね」
「あ、ああ、嫉妬すら覚えねぇや……あの動きマジわけわかんねぇ……」
エスナとタグマフ含め龍族たちは行儀よく1列に並んで固まっていた。
全員が仄かに口元を痙攣させながら緩めている。
見る者によっては時間と手腕による魔法だろう。金の三つ編みが流れると小石が純金になるようなもの。完成した木皿を彩る緑黄色と肉のオンパレードにはそれほどの価値があった。
もう間もなくでリリティア手製の昼食が見舞われることだろう。
いっぽうでこちらは蚊帳の外。湖とは逆側にある森の幹に身を隠し、声を潜めて密談を交わす。
「それで、おっぱい天使さんはなんで邪龍さんを助けたいの? 私としては賛成だけど、そんなことをしに地上にきたなんて信じられないわ」
樹皮から長耳がひょっこりはみだし、ひくひく揺れた。
「普通だったら天界の天使さんが地上に干渉することってないんでしょ?」
琥珀色と濃緑色。ユエラはヒュームとエルフの交わった両目を瞬かせる。
するとすぐ近くで手のひらサイズの天使の羽が、ぴくぴく。それと一緒にエルエルは眉あたりで切り揃えられたブロンドの髪をそちらへ流す。
「実のところこれは特例ですのよ。双頭の龍という規格外の邪龍様たちは庇護すべき存在であると、ワタクシが独断で判断したということですのよ」
愛嬌のある話しかた。見た目の愛らしさも相まってとてもではないが偉い存在とは思わせぬ。
くりくりとしたビー玉の如き眼もどこか幼さを感じさせる。白人女性のような色の瞳だが、より澄んでいて晴れた夏の空によく似ていた。
「つまりあのままじゃ邪龍さんが可愛そう、だからエルエルさんは休日を返上して助けにきたってこと?」
「ずばり、そーいうことですのよ。ユエラ様のご理解が早くて逆に助かるんですのよ」
エルエルはここぞとばかりに胸を反らす。
両性男より時代にはなかった代物だ。騙し飲まされた性転換の薬によって丸々と増大した胸部はすでにはち切れんばかり。
その天使の飛行に音はなく、物干し竿に引っかかった感じで上下に浮いている。むっちりと艶めかしい尻を天にむけ、白いワンピーススカートを押し上げられている。
いっぽうでその性転換薬を作った少女は彩色異なる瞳をきらめかせた。
「それってとっても素敵! 誰かを助けたいがために苦労を買ってでる奉仕の心ね! 私嫌いじゃないわ!」
「いえいえそれほどでもないんですのよー。やはり審判役、魂を測る身としてあのような不憫な魂を見捨てておけなかっただけですのよ」
「それでもよ! やっぱり天からの導きって本当にあったのね! だったら私も頑張ってエルエルさんに協力しちゃうわ!」
ユエラは犬のように上気した顔で天使の小さな手をしっかと握りしめた。
エルエルもしばし目をぱちくりとさせたが、ほどなくしてにっこりと微笑む。
「では協力して邪龍様をお救いするんですのよ!」
「まっかせて! で、どうやって?」
「それはこれから綿密な調整と巧みな策略を駆使して考えていくんですのよ!」
どうやら互いの目的が重なったようだ。
顔を見合わせあーでもないこーでもないと作戦会議をはじめてしまう。
それをよそに別の幹からおっかなびっくりといった様子でうかがっていた者が、とうとう口を開く。
「ね、ねえ……? なんでユエラちゃんは、その、普通に審判の天使様と喋っちゃってるんだい……?」
スードラは天使の降臨に青ざめていた。
これが大陸に生きるものとしては通常の反応なのだろう。神の使いとフランクに話すユエラが異端と言える。
「見た目がへちゃ天使だから馴染みやすいんだろ。それに今日はじめて会ったわけでもないしな」
明人は明人で涼しい顔していた。
まず人間の出生はルスラウス大陸ではない。ということもあって天使の降臨は対岸の火事のようなもの。
「それにオマエだって会うのは初めてじゃないだろ?」
「初めてとか2度目ましてとかそういう話じゃないんだよう! っていうか天使様が降臨なさったとき僕はほとんど別の場所にいたからね!」
まっとうな大陸種であるスードラにとってそうはいかないようだ。
たまらずといった感じで明人の腰辺りにすがりつく。声を潜めながら荒立て、そのくせ尾っぽはぺったりと地べたを這う。
「だ、だだ、だって審判の天使様なんだよ!? 天使様のなかでも最高権威をもつおかたで僕たちの死後魂の罪を測るいわゆる断罪者とも呼べる御方じゃないか!?」
冷静で姑息なスードラにしては珍しい慌てふためきっぷりだった。
すでにブルーマリンの瞳はうるうると揺れ、ほぼ半泣きである。
おそるおそる明人の筋肉質な影から天使を見ては、引っこんでを繰り返す。
――偉い……偉い……ねぇ? すごく疲れたって意味ではないんだろうけど。
えらいえらい。明人は有名などこぞの方言を巡らしつつあちらを眺めた。
ユエラとエルエルはすっかり意気投合している。
「おっぱい天使さんは聖都にまた新しいお菓子が発売されたの知ってる? すっごく甘くて美味しいんだからっ」
「え、なんですのよそれは!? 審判の天使として大いに聞き捨てならないんですのよ!?」
本来の目的はそっちのけ。楽しそうに肩を揺らしながら談笑していた。
種は神を愛し、神は種を尊ぶ。現存する神という文化がない人間にとって理解するのは簡単なことではない。
そしてエルエルはどうやらとても偉いらしい。それは明人がこちらの世界にきてから幾度となく耳にした言葉でもあった。
「審判の天使ってどれくらい偉いの? 社長より上の役員クラス?」
「選定の天使様とほぼ同クラスだよ! あと創造神様のひとつ下でとにかくすごい偉いのお! まったく世間知らずにもほどがあるでしょ!」
物凄い剣幕のスードラに怒られてしまう。
明人は「ご……ごめん」わからないながらもいちおう謝罪する。
厳密に言えば選定の天使グルドリー・ヴァルハラよりエルエルのほうが上位存在。そう、本人たちが言っていた。
しかし今、思考せねばならぬことはエルエルがどれほど偉いということではない。
――あいつ……忙しくなくちゃいけないんじゃないのか?
そもそも明人はエルエルの目的をハナから信じていない。
持ち前の懐疑心だった。しかも疑うだけの理由もまた明確なほどにある。
「ひ、ひぇ……!? こ、こっちにきたよぉ……!?」
スードラが慌てて明人の後ろへ身を隠す。
見ればエルエルがこちらの幹へむかって浮遊してきていた。
「そういうことでしばらくお供させていただくことになったんですのよ。ユエラ様からもしばらく同居する許可をいただいたんですのよー」
ほくほく、と。花の咲くような笑顔を浮かべながらやってくる。
とてもではないが威厳なんてありはしない。しかしスードラがあまりに怯えてしまっているため、明人は盾となってやる。
「お供……? それはともかく塞ぎこんだミルマさんを助ける手立ては用意してあるんだよな?」
――……お供するのはこっちじゃないのか?
「とーぜんですのよ! ワタクシは種族たちの笑顔のためならば身を粉にしてでもやり遂げる天使ですのよ!」
エルエルは縦に宙返りをしてから両腕高くバンザイした。
白くすべらかな脇の窪みが活動的な色気を香らせる。見た目相応といった若々しさ、剃り跡どころか毛の1本も生えていやいない。
とりあえず無策無謀で頼りにきたというわけではないらしい。しかもなにやら自信あり気だ。
「……ふぅん? それなら別にオレが口を挟むこともないんだけどさ?」
明人はフンと鼻を鳴らしながら湖のほうへ目を配った。
他の龍たちが食事を楽しむ喧騒を奏でるなか。やはり1箇所だけが置いていかれてしまっている。
食事の場から数メートルほど離れた湖の岸ぎわに、彼女はいた。
「……」
件のミルマ・ジュリナハルクレートは湖を見つめたまま動かない。
いつからそうして立っていたのだろう。身じろぎひとつせず、波紋を数えるように水面へ視線を落としている。
真珠色のグラマラスな肌を晒す隠そうともしない薄い衣を身にまとう。それもあってか都会の喧騒に放って置かれたら誰かが連れ去ってしまいそうなたたずまいだ。
ドラゴンクレーターに明人たちが滞在して幾数日が経っている。だがミルマにさほど大きな変化は生じていなかった。
しかし小さな変化はあった。墓にすがって夜な夜なすすり泣き、食事すらマトモに喉を通さなかったころよりマシといえる。
「……お可愛そうに」
エルエルがぽつりと感想を呟いた。
眉をしかめ目端を下げ、胸の布地をきゅっと掴んでいる。
「あれでもはじめよりはマシだよ。1番酷かったころを糸の切れた人形だとして、今は糸のついた人形くらい回復してる」
明人も沈む気持ちを隠せていない。
喉が乾いているわけではないのにやけにガラついた声がでた。
ミルマは決闘以前のように気狂いしていない。が、揺り返しの如く心を忘れてしまっていた。
ふと、そこへ1匹の龍が両手に皿をもって駆け寄っていくのが見える。
「邪りゅー! ご飯もってきたよー、白龍の手作りごはーん!」
当然、聴力の良い操縦士の耳は離れた場所での会話でも聞き逃さない。
ミルマへ食事をもってきたのは超がつくほど高身長の巨龍ネラグァ・マキス・ハルクレートである。
旗の如き巨大な翼を引き連れ、細い尾をなびかせながら小走りにミルマへ駆けていく。
「お腹減ってると元気でないよ? 一緒にご飯食べたらまたクレーターをぐるーりお散歩しよ?」
中腰になりながら山盛りに肉のみが乗せられた皿の片方を、ミルマへ差しだす。
するとミルマは今気づいたような反応で、その皿をゆっくり受けとった。
「……とても、美味しそうね。こんなに食べられるかしら……」
まるで塗れ葉から滴る水滴の音だ。
操縦士でも聞き逃しそうになるほどか細く弱々しい声色である。
「食べられなかったらねらぐぁが食べるから大丈夫っ! もったいないは絶対ない!」
そう言ってネラグァはミルマの横にどっかりよく越えた尻を下ろす。
それから幾重にも重ねたステーキ肉へ豪快に齧りつく。
「んふーっ! 柔らかくて甘じょっぱくて美味しい! ぜっぴーんのごくじょー!」
口が汚れてもお構いなし。ポンチョのような羽織にソースをこぼし、こぼし。肉を貪り食う。
それと一緒に尾がぶおん、ぶおん。もっとも強くしたワイパーのように高速で風を斬り割いた。
「……あっ」
しばらくネラグァを眺めていたミルマが微かな吐息とともに動きだす。
皿を1度地べたに置き、ネラグァの汚れた口を指で拭いとる。
そしてそれを自然な動作で自分の舌で舐めとった。
「ありがとー! でもどうせまた汚れるけどねー!」
「……うん」
ご機嫌に食事をすすめるネラグァから片時も離れない。
ミルマはそのまま何度か同じことを繰り返す。
まるでそうすることが体に染みついているかのように、何度も、幾度もだ。
同じことを繰り返す。糸のついた人形のように。
「……あれぞ愛ですのよ。そう、このドラゴンクレーターで失われしものは掛け替えのない愛だったんですのよ……」
その光景を眺めながらエルエルはじっとり目を細めた。
横で明人がなに言ってんだコイツ、という視線をやっても意に介さない。
いつの間にかエルエルの手にはやたらと物騒な物がもたれている。
遠距離での攻撃に特化していそうな銃ではない、天使がよくもっている、アレだ。
「あ”っ?!」
明人は険しい顔で、腰にすがるスードラに真意を問う。
「っ、っ!」
すると彼もまたぷるぷる首を激しく横に振って前髪を散らす。
そしてエルエルは片目を瞑って矢を構えるような動作をした。
尻をより高く上げる。すらりと伸びた白いおみ足、つけ根を覆う空色によく似た薄布が顕になる。
「さあここからは審判の天使あらため! 恋のキューピット、プリティエンジェル、エルエル・ヴァルハラとなるんですのよ!」
天使は構えた弓の弦を、びぃぃんと鳴らした。
それとは別に香ってくる昼食の香りにやられたか、ユエラの腹もぐぅぅと鳴った。
……………




