491話 そして決闘の後でも月は昇る
「お願いムルルも手伝って! 《ヒール》!」
地べたに片膝をついてユエラは唱えた。
姉の横へ颯爽と駆け寄ってムルルも手をかざす。
「ぁぅ、《ヒール》! 《ハイヒール》使わなくても……いいの?」
困り顔の妹は、姉に小首をかしげながら問う。
どうやらムルルはユエラが上級治癒魔法を使わぬことを不思議がっている。
かしげた小首にかしげ眉。一緒になって帽子の星が横にぶらりと、しなだれた。
「そっちはあくまでも緊急治療用なの。傷跡を残したくないときはゆっくり丁寧にやるのが定石よ。せっかくこんなにキレイなお肌をしてるわけだし、傷跡が残るなんて勿体ないわ。これぞ薬師としての腕の見せどころよね」
ユエラはほんの一瞬だけ前髪端の小さな三つ編みを揺らがす。妹へエルフ側の瞼を閉じるウィンクを送り、すぐさま治療に戻る。
「それにただ漫然と患者さんを治療するのが好きじゃないのよ。ようするにただのプライドってやつね」
「おー……お姉ちゃんすごい。さすがプロのお薬屋さん」
ムルルは見つめる眠たげな目に尊敬の色を籠めていた。
優美な姉の横顔へ、もう1度「お~っ」感嘆の吐息を漏らす。
パチパチ。ウィンクの礼とばかりに控えめな拍手を贈り返し、ようやく姉の手へ薄い手を重ねる。
「あとはちょっとした罪悪感もあるわね。傷の原因も私からも遠からずって感じだし」
「がんばってキレイに治すよ。ムルもがんばるっ」
『オレちャんもハッスル!』チャムチャムがつづくも姉妹は気にかけもしない。
前髪で結われた姉の1本と妹の2本。計3本の三つ編みの先端で仄かな光が灯った。
とっぷりと暮れた夜に祭り後の情緒が混ざり合う。葉のそよぐ音がしずしずと流れ火照った体をじんわり冷やした。
ときおり焚かれた枝がパチン、パチンと乾いて鳴く。一帯を夜を緋色に彩る揺らぎは小さな鳥が羽をついばみ掃除しているかのよう。そうなると舞う火の粉は抜けた羽毛か。
姉妹によって治療されているのが誰なのかは言うまでもないろう。
「わら、わは……負け、たのか……?」
焔龍ディナヴィアは種の姿で目を覚ます。
それでも抵抗すらしない。どうやら現実を受け入れるだけの冷静さはあるらしい。
苦痛に表情を歪ませながら起き上がろうとしたところで、主治医と助手が止めに入る。
「胸部裂傷と背部に幾つかの傷、それから肺にも穴が開いてます。それから全身にも軽度火傷の症状が見られます。現在、治療中ですから安静にしていてください」
「痛いし危ないから動いちゃだめっ! じっとしてないと怪我が治らないよ!」
そしてムルルがディナヴィアの顔前で細い指を立てて「めっ!」、吊り目がちに制する。
「……わかったよろしく頼む」
するとディナヴィアは言われるがまま野原の上へ横たわった。
患者とは言え相手はあの焔龍である。これにはユエラも勇気ある妹へ「おーっ」だ。先ほどのオウム返し。
「ムルルってばずいぶん勇気があるのね。じゃあささっと治しちゃいましょ」
「うん、がんばるよっ」
上から聞こえてくるダミ声の『ハッスルよォん!』は、やはりというか無視された。
傷の状態はユエラの説明した通りである。龍の弾丸によって開いた穴から炎が吹きでて全身を焼いたのだ。
ならば、そのわりに軽症とするべきだろう。龍の状態で受けた傷がそのままの大きさで残っていたらゾッと寒気を覚えるというもの。
「げほっ……ぐふっ……」
真っ赤なルージュから漏れたるように鮮血が頬に伝って線を作る。
痛みもあるのか時折身を強張らせ、美貌を苦痛に歪め、呼吸も僅かに荒い。前掛けのような薄い肌布へもじっとりと血の色が滲んでいた。
そんな弱りきったディナヴィアの元へ、灰を踏む音が幾らか近づいていく。
「デュアルソウル、焔龍の具合はどうだ。芳しくないのであれば呪術を使う手はずも整っているぞ」
「あっ! 私はディナヴィア様の汗とか拭きますよ! もし他に出来ることがあったらなんでも言ってくださいね!」
彼女と白熱した死闘を繰り広げた英雄たちだった。
ヘルメリルは身を案じ、テレーレもまた甲斐甲斐しい。
その後ろからもゼトとニーヤがドスドス、ペタペタ、とつづく。
「お嬢は止めとけぃ、うっかりすっ転んで傷口を広げかねんからのう。トドメ刺すってならそれでも構わんがな」
「にゃあ……テレにゃんは昔っからおっちょこちょいだからにゃあ。リリにゃんの家でも何枚のお皿を割ったか数え切れないにゃあ」
テレーレが「なんですとう!?」と返すも、手を引っこめる辺り自覚があるらしい。
もう誰も傷つけ合うことはない、武器をもつ必要もない。決闘は終わったのだから。
英雄たちはくたびれつつも安堵した様子で治療を傍らから見守る。
そしてディナヴィアも、談笑する英雄たちを順繰りに目で追う。
「…………」
どこか戸惑いながら紅の瞳を伏せた。
彼女にだって炎が滾ることはもうない。仰向けによって開けた胸の谷間が静かな呼吸のたび上下する。
ただ燃えつきたように、森と荒廃の波打ちぎわで横たわるだけ。
「なんて顔をしてんのよ」
ディナヴィアは、はっ、とした様子で伏せた目をそちらへむけた。
その先にいるのは彩色異なる瞳をもつ、世にも珍しい混血の少女である。
今なお治療をつづけながら表情は真剣そのもの。目端に汗の線を作り、外套越しの肩が深く上下していた。
ユエラもまた決闘を終えた直後である、辛くないはずがない。それでも敵だった彼女を献身的に治療していく。
「せっかく生きてるんだからこれからのことを考えなさいよね」
敬語すら削げ落ちていた。まるでディナヴィアを叱りつけるような口ぶりだ。
ディナヴィアはしばし目を丸く瞬かせた。閉ざされた唇が開かれる。
「……これ、から?」
虫の息の如く素朴な呟き。とても威厳ある女帝の発する声とは思えない。
対して、返ってきたのは辛そうだが自身に満ちあふれた「そうよ」の音だった。
「辛気臭い顔してないで明日なにを食べるかとかそういう楽しいことを考えなさいよ。下ばっかり見てたら前に進めなくなっちゃうじゃないの」
「……」
「それにどうせ昨日のことを考えるのは昨日の自分がやってくれてるでしょ、たぶんだけど」
有無を言わさぬ怒涛の攻め。
つらつら、と。言い終えたユエラはヒューム側の瞼を閉じてウィンクを贈る。
寛容な淡い光に照らされながら首を縦に降るみたいにひくくっ、と長耳が縦に上下してみせた。
「明日……前に……? たしかそれは……」
「貴様に言ったのは受け売りということになるな」
ディナヴィアの胡乱な独り言へ、ヘルメリルがしてやったりの見下し顔で応じた。
こちらのエルフ耳もまたひくっ、ひくっ、と機嫌良さげに上下する。
「望まぬ力を身に宿してもこうして強く生きる者がいるのだ。習えとまでは言わぬが見聞ていどに留めておくと見えてくるものもあるだろうよ」
しばしディナヴィアは同じく望まず宿してしまった少女の懸命な横顔を見つめていた。
するとしだいに紅玉の如き光沢の美しい瞳にじわりと潤いが満ちていく。
「……そう、か。そうか……すまぬ、恩に着る……っ!」
あふれでたなら誰にもディナヴィアを止める理由はない。もう心の声を押し止める、我慢する必要はないのだから。
それがわかっているのか、英雄たちは声をださずにはにかむ。
夜を迎えて間もなく、決闘は終わったのだ。
無論のこと、女帝ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレートの敗北である。
では誰が勝利したのかとわれれば、それもまた言うまでもないはず。
本来とは別に特設された決闘場。その中央辺りから治療の様子を案じる視線がちらやほらや。
種の姿に戻って眉を曇らせる龍たちを周囲に控えて、身長差のある2つの影が隣り合う。
「良かったですね。あの調子ならディナヴィアさんもすぐに快方にむかいそうです。獅子奮迅の活躍とはまさにって感じですよ」
そんなハートの髪留めがチャーミングな少年の横に、もう1人がいた。
隆起だつ胸板の前でどっしりと棍棒の如き腕を組み、威風堂々とそこいる。
「はじめから心配なんてしてないさ。本当の意味で倒すつもりなら心臓に撃ちこんでたわけだし」
「ほんとお優しいですよね。わざわざ助けるために面倒な方法をとるなんて」
これには弟弟子であるクロトも嬉しいような困ったような。
兄弟子がなかなか素直ではないので複雑そう。
「あの力には大いに利用価値があるってだけさ。だから苦労とリスクを負う価値だって充分にあったってことだよ」
隣の彼は、身に張りつき体の線を浮かす黒いスーツを身にまとう。
流動生体繊維の沿われた胸板を張って仁王立ち。足元には装備していたはずの散弾銃と安っぽい装具が打ち捨てられている。
「ま、これで一件落着ってことでいいかな?」
明人は横の弟弟子にむかって乾いた笑みを送った。
あれだけの死闘を繰り広げ、最後には白炎に身を焼かれたにも関わらず、ピンピンしている。
「そうですね。――よっ、と」
するとクロトは乙女のような仕草でスカートを折りながら鉄塊を拾い上げた。
それこそが命綱。白炎から明人の身を守った最高の安っぽい防具である。
「かなりぎりぎりでしたね……これ。もう溶解して冷え固まってるから不思議なオブジェになってますよ……」
クロトはとろり蕩けた硬い鉄の塊を手にして酸っぱそうに目を絞った。
きゅっと目を瞑ってお手上げとばかりに天を振り仰ぐ。
「アレをやるって決めてて僕に付与魔法を頼んだんですかぁ? 火の属性耐性を依頼してくるから何事かと思っちゃったじゃないですかぁ」
「はじめから決めてたわけじゃないよ。ただ龍族の巣に潜りこむなら火属性くらいの耐性防具が欲しかっただけだ」
そのどうやっても愛くるしい嘆きを、明人は涼しい顔で受け流す。
クロトの腕を信頼していたから、とは決して言わない。まるで弟弟子を相手に口説いてるみたいで恥ずかしいから。
それからクロトのいつまでたっても男らしくならない肩にぽんと手を置く。
「それに依頼料は定価の10倍だしただろ。だったら10倍強くかけてくれなきゃ困るよ」
「ずいぶん色をつけてくるなと思ったらそういう意味だったんですかぁ!? それに10倍は師匠くらいじゃなきゃ無茶ですよぉ!?」
とはいえクロトが付与してくれたことによって、明人は難を逃れた。
炎を貯蔵する場所の1点読みで対策していない訳がない。つまりアレもまた予定調和だったということ。
しかしそれでもさすがは傑作の炎だ、多少のダメージはある。
――今日の風呂はぬるめにしないとなぁ……全身が日焼け後みたいにヒリヒリする……。
そんなものですんだのはクロトの才能が確かだからだろう――きっとそうだ、おそらくは。
明人はチリチリする赤く火照った頬を撫でながら聞こえないていどの吐息をこぼす。
聞くところによると、ディナヴィアは魔法が回復――自然系魔法が苦手なのだとか。
「しかしまあ……まさかディナヴィアさんが回復魔法を使えなかったとは。……さすがにこれは読み違えたか」
自然と火は相対する属性らしく、火と火の掛け合わせである彼女にとっては難関魔法らしいのだ。
そんなことを魔法が使えぬ人間が知っているはずもない。そこだけは明人の見落としということになる。
ぶつぶつ、ぶつぶつ。1人でに思考の海へ飛びこむ。
「そういえば背中の傷をそのままにしてたんだよな。たまたまあったから利用したけど、きっちり詰めてれば気づけてたはずのものだな。ということは回復魔法を使わせないために魔法を封じたぶんの制約が1つ無駄になったか」
1つのミスが死に直結する決闘だった。
だからこそ反省すべき点は反省する。もし別の見落としがあったならば、大陸から人という1種族が消えていたことになる。
それになにより安堵よりもまだ震えのほうが大きい。勝ってもなお実感がないのが正直なところだった。
ふと聞き馴染みの浅い美しい音色に思考が乱される。
「さすがの汝であれど読めぬこともあるのだな。しかしやはり腹の底まで読まれる感覚は錯覚ではなかったらしい」
明人が――嫌な予感を抱えて――頭を上げれば、そこには傾国の美女が立っていた。
目を根こそぎ奪われるという表現が現状ではとても正しい。思わぬ刺客の登場にたじろぎつつ息を飲む。
「妾はこの地の自然をなにより好む。それはきっと妾がもっとも自然から遠い存在であるからこそなのかもしれぬ」
治療を終えたディナヴィアが、そこにいた。
微かにではあるがおやかな笑みを浮かべ楽しげに目端を細めている。
これにはユエラが傷を残したくないと躍起になる理由が理解に及ぶというもの。
まず布地が少なすぎる。ということは置いておくとしても、これほどまでに目が覚めるほどの美女もそうはいまい。
独り言を聞かれたという恥も上乗せしつつも、明人は平静を装う。
「ずいぶん早く治ったんですね。病み上がりにあまり無理はしないほうがいいと思いますよ」
「なに、あの少女が非常に優秀だったというだけのことだ。妾はただ横たわっていただけにすぎぬ」
治療の甲斐があってか、ディナヴィアの顔色はすっかり良くなっていっていた。
衣服は未だ血塗れだが流血している様子もない。片側の小高い丘に空いた鱗の穴の辺りをほれ見よとばかりに見せつけてくる。
「こうして語らうのはあの晩以来だろうか。いや、あの晩ですらマトモには語らえていなかったな。面とむかうと少々気恥ずかしいものだ」
そう言って治癒された房の麓の辺りを愛おしげに撫でた。
撫でられるたび傲慢な房へ指が沈む。香り立つ色気が匂いとなって鼻の奥を刺激してくるかのよう。
治療の跡は見事なまでに残っていない。白くきめ細やかな肌が内側から押されるようにツンと張り詰めている。
しかも意外と高身長なのだ。立ち上がると成人男性平均である明人と同じくらいの目線である。スレンダーなお姉さんといった感じ。
「はぁ、憑き物が落ちたような顔しちゃって。ディナヴィアさんはそうやって笑っていたほうがおキレイですよ」
出来るだけ素っ気なく、それでいて紳士に。
そうやって明人が気さくに褒めると、「……そう、か」という悩ましい吐息が聞こえてくる。
「妾は神聖な決闘で敗北したのだな……わかっていても受け入れることが容易ではない……」
小粋なトークで褒められたはず、なのにも関わらず、ディナヴィアの微笑みが若干伏し目がちに曇ってしまう。
これには途端に龍族含む周囲の視線が険しくなる。まるで攻め立てるかのような視線が1人に降り注ぐ。
遅れてやってきたヘルメリルなんて目すら合わせようとしない。
「貴様は……なんというか、あれだな。ま、まあそのままでいいのではないか……」
あれだけ普段から威張り散らかしているというのにこういうときに限って声が小さい。
仲間であるはずの英雄たちもどことない場所へ目をそらしている。
せっかくわだかまりを捨てていこうとした矢先にコレだ。心に罪なき傷を負わされた明人はたまらない。
「そうかそうか、褒める側も格好良くなくちゃダメってか! あーはいはいわかりましたよだったらもう褒めないよ、2度となあ! そのわりにお前らはオレに童貞だなんだっていろんなこと言ってくせにさあ!」
これが満身創痍の彼に唯一可能な抵抗だった。
するとディナヴィアが寒さに耐えるよう肩を抱きながらゆるく首を横に振る。
「そういうつもりではなかったのだ……すまぬ。ただ……妾には笑う資格がないような気がしただけだ」
一転して湿っぽい。
彼女には同族を言われるがままに捧げつづけたという罪の意識があるのだろう。決闘で敗北して女帝の座から降りられても罪の意識は消えない。
しかも己の望まぬ力を行使して仲間たちへ生贄を強いてきた。そうとう根深い闇が心に根づいていたもおかしい話ではなかった。
「勝者は汝だ、妾はどのような処分でも受け入れよう。送られた同胞と同じような末路でも望むままに迎える」
きりりと引き結んだ唇に、尖り気のある目立ち。
語るディナヴィアには、すでに女帝の仮面がかぶせられている。
龍族たちもなにか言葉をかけようとしているのだが、なかなかに二の足を踏んで前にでようとしない。
きっと全員とは言わずとも多くは彼女を許しているはず。加担したことは罪だがああなるべく仕組んだ元凶はもっと別の場所にあるのだから。
するとおもむろに小さな影が群衆のなかからひょこひょこと歩みでる。
「ね、お願いだからちょっとだけ力を貸してっ! たぶんそれが1番だと思うからっ!」
「んーう? 別いいけど……どういうことなのかな? 状況がまったくわからないのかな?」
シルルは、よたよたとディナヴィアのほうへ歩み寄っていく。
どうやらその後ろにいるユエラが気を利かせたらしい。
「あ、はじめましてなのっ! えーっとえっと……女帝さまが赤ちゃんを抱っこするのが夢って聞いたのっ!」
「……あ、うっ! ま、待ってくれ……そんな……」
シルルは抱いた赤子を高く掲げた。
ディナヴィアは見るからに動揺し、2歩ほど赤子から距離を開ける。
「ま、待ってくれ!? そ、そんないきなり近づけては――心の準備が出来ておらん!? というかなぜ赤子がこのような場所にいるのだッ!?」
「ほらほらもう首はすわってるから大丈夫なのっ! 優しく両手で包んで抱っこしてあげれば泣いたりしないのかなっ! ほ~れほれほれっ!」
たじろぐディナヴィアをシルルは問答無用で追い詰めていく。
赤子を抱いた幼子に、太刀打ちできぬ女帝。これは明人と戦っていたときよりも驚愕の光景だっただろう。
しかし龍族たちはみな、彼女が慌てふためく様子を、ニコニコ目を細めて眺めている。
「全部龍玉のせいにすればいいってのにさ。ところでユエラはなんでディナヴィアさんのことを?」
「それでもしばらくは時間がかかるでしょうね。アンタとの戦いを横から見てたら誰だって気づくわよ。だってアンタほぼ答えを言っちゃってたもの」
それほどディナヴィアの様子が露骨だったということだ。
別の龍にだって子供フェチだとわかられてしまうくらいには。
「赤ちゃんって滅多にお目にかかれるものでもないですしね。僕だってあんな風にいきなり抱っこしろなんて言われたら慌てちゃいます」
明人とクロトが隣り合って、ユエラを交えつつ、密かにほくそ笑む。
龍族たちは知っているのだ。彼女が母体を選んでまで母になりたがっていたことを。
ただそれを許さなかった者がいた。子を生み育てたいという当たり前の夢すらも利用した者がいた。
――ミルマは夢を叶えさせないことでディナヴィアに死を思わせないようにしたのかね。どっちにしろクソではある、が。
あれほど宿敵だった者が慌てふためく様はまさしく蜜の味だ。
ようやく観念したディナヴィアを見つつ、明人はもう1つの元凶を辿る。
夢を許さぬことで生に執着をもたす。ぶら下げた餌を目の前にちらつかせるようなものか。
はたまた己の孤独という怨念を着せたかっただけなのか。子と旦那を失った独り身の思惑は未だ知れず。
「くぅ、くぅ……すぅ、すぅ……」
「う、うう……こ、これはいったいど、どうしたら良いのだ? 妾はいったいどのように振る舞えば正解になる……?」
眠る赤子をふんわり大切な宝物のように抱き、あたふた。
起こさぬよう注意しているのか声を潜め、周囲へ目で助けを求める。
そうやってディナヴィアはしばし泣きそうな顔を見せていたが、やがてそれもすぐおさまった。
「……芽吹いたばかりの儚き……小さな命……」
笑っているような今にも泣きだてしまいそうな、そんな表情。
手をグーにしたまま眠りこける白髪の赤子を見つめる目は、母の顔だった。
目も頬も蕩かし、ただ守るべきものを見定めるような、そんな視線。紛うことなき己の未来をその腕に抱いて見つめているかのよう。
回りもそんな彼女に移されたか。頬をやわらげ、母子を観覧する。
そして聴力の良い操縦士の耳が遠くの音を拾う。
――ま、答えはそのうち嫌でもわかりそうだな。
森の闇からこちらへ近づいてくる足音が複数ほど。
数まではわからなくともそれらは十中八九、ここにいない者たち。
「私に合わせられますかって尋ねましたよねっ!? それで自信満々に大丈夫って返してきましたよねえ!?」
「ご、ごめんなひゃいぃ! 私もあの瞬間は合わせられる自信があったんです! ほ、ほんとなんですよぉ!」
喧々諤々というか、一方的に轟々と責め立てられているという感じ。
夜の森に蛍光色の白やら金やらはとても良く目立つ。怒鳴っていればさらに目立つ。
辟易と呆れ返った龍たちのむけた視線の先では、ぼんやりした影が複数浮いてきている。
「それなのになんでちょっと遅れるんですかあ!? おかげで物凄い遠くまで龍玉がぶっ飛んでいっちゃったじゃないですかあ!!」
怒鳴る金色の三つ編み。
それを受けてへこへこする銀色肩掛けの三つ編み。
「ひぃぃん!! ご、ごべんなひゃあああい!! ぞんなにおこらないでくださいってばああ!!」
さらに遅れてもうひとつ。
倍の身長もある女性を担ぎ潰されながら、眼帯の少女はひぃひぃ喘ぐ。
「オメーらいい加減にうるっせぇんだーなっ!! いいからちっとでもこのムチムチエロねーちゃんを担ぐの手伝えってんだーあっ!! あちしだって疲れてっしドワーフのメスの小ささ舐めんなーっ!!」
そんな喧しさが静寂の決闘場へ流れ着く。
しかしディナヴィアは意に介しもしない。
「ふふっ……ふふふっ……」
夢心地のまま。尾と翼を優雅に揺らす。
それに合わせ、抱いた赤子を揺り籠のように揺らすだけなのであった。
しかしそれも今だけの、束の間のひとときだろう。なにせ……――
「アタク、シ、アタシの……夢が……ユ、メ、ガ……なくな、ちゃった……」
彼女は身を荒縄で締め上げられ、見るからに朦朧と。夢現の境目をさまよっているようだ。
どうやらもうひとつの元凶を救済する措置が必要だった。
●●☆☆♪




