490話 【黒の思い、蒼の意思VS.】新世界への翼 ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート 後編
『妾の願いを叶える……だと?』
ディナヴィアは低く真意を問うた。
どうやら興味がないわけではないらしい。白光する鱗はそのままに荒れ狂っていた尾を地べたに寝かせる。
『まるで妾の願いを知っているような口ぶりではないか。でまかせを吐き連ねての延命とはつくづく無味乾燥というものだ』
ディナヴィアは不快感を隠そうとしない。
対して明人は肩をすくませおどけてみせた。
「ならなんで毎回決闘では必ず1ターン目を明け渡すんだい? オレのときもやってたけど、どうしてそんなに回りくどいことをする?」
『…………』
回答は無だった。
ただじっ、と。つかず離れずの距離を保ったまま、練り歩く小さき人を見下ろしている。
彼が横にズレると、ディナヴィアもまた前足の爪を地べたから引き剥がして方向を変えた。
「無声会話が聞こえてこないけどどうしたんだい? オレの質問には答えられないのか?」
ぐるぐる、と。明人は円を書くように龍を中央に置いて回る。
こうしてみると人が龍に挑むなんて夢のまた夢の話とさえ思えてくる。
大きさも実力も秘めたる才も、あるものすべてが対等ではない。
「Grrrrr……」
そんな弱小者を、ディナヴィアは必ず巨体の正面になるよう捉えつづけていた。
決闘場にいいしれぬ緊張感が漂う。ピンと張り詰めた糸、いつ切れてもオカシクない、ひしめくほどの圧迫だった。
そんな1人と1匹のやりとりを仲間たちは静寂とともに見つめたまま。口を挟むどころか生唾を飲み干すくらい頑なに傍観しつづけている。信じてくれている。
「これじゃあ話が進まないし、ならオレがアンタのかわりに答えよう」
緊張感のなかで明人の存在だけが浮いていた。
もっとも弱く繊細。なのに恐怖せず、緊張感すらなく、のらりくらりと足どり軽やか。
「女帝の座を盤石たるものにするため。埋めようのない力量の差を誇示するため。女帝としての威厳と尊厳を周囲に見せつけることで次に決闘を企んでる龍の闘志を削ぐ」
英雄たちですら苦戦した最強存在を前にして飄々とした風をまとっているかのよう。
散弾銃を担いでいない手をふわりと差し伸べ「あってるかい?」答え合わせだ。
いっぽうでディナヴィアもまた片時たりとも彼から視線を反らすことはない。
『その通りよな。妾は無益な殺生を好まぬ。ゆえに無謀な輩が名乗りでてこぬよう天空の存在へ至るのもまた女帝としての責務――』
「なにがその通りだバカなことを言うな。そんな子供騙し如きでオレのことを騙せると思ったのか」
『……なんだと?』
足を止めた明人は散弾銃を担ぎ直す。
それからその散弾銃越しに苛立つディナヴィアへ横睨みをくれる。
「いい加減オレを見くびるなよ。もしそのままアンタがお山の大将気どりならきっと後悔するぞ」
『吹くなと言っているのだ。キサマが空威張りしたところで虚勢でしかない。こうして妾がつき合ってやっているだけでも一生の財なのだぞ』
「その空威張りに日暮れまでつきあってくれるなんてさ。お優しい女帝様だよ、まったく」
『…………』
明人はディナヴィアを睨みつけたまま低く唸るように叱りつけた。
嘘に関してだけを評価するのならこちらのほうに軍配が上がるというもの。役者が上だという自負がある。
そしてまた右往左往だ。ディナヴィアの巨躯の周囲を一定間隔を開け、明人は練り歩く。
「アンタは自分を上回る相手が欲しかったんだ。初撃をくれてやるというハンデを与えてまで自分を倒してほしかった。なのに強すぎたせいで女帝の座からは決して降りられなかった」
『……タワケたことを。女帝の座を降りることが妾の願いだとでも言いたいのか?』
明人はさもあっさりと「いや、違うけどね」言い切ってやった。
これにはディナヴィアも『……はっ?』喉の唸りをやや高めに奏でて驚いた様子だ。
ディナヴィアの夢はたった1つ。だがそれは女帝の座を降りることではないのである。
「アンタの夢はきっとその先にある。今のままの女帝では得られないもっと別のもの」
『夢のその先……だと?』
ここで初めてディナヴィアは明人から視線を反らす。
まるでひと目を気にするようなよそよそしい感じ。大地を掴む爪が深めに灰の土をえぐる。
どうやら傍から見守っているヘルメリルたちを特に気にしているらしい。
ようやく見せた心の振動、微かな隙間。そこへ明人は楔を打ち込む。
「とあるものが欲しいんだろう? だから龍族ですら生涯で1度きりしか選べない性別で女――母体を選んだんじゃないのか?」
『――ッ!? つらつらとタワケたことをぬかすものだな! 戯言もほどほどにしておけ!』
途端にディナヴィアは声を荒げだす。
しかし彼女がどれほどもち直そうとしたところで、蒼い瞳は見逃さない。
とはいえ、あからさまな動揺だったため見逃しようがなかったが。
生贄を採用しておきながら子供フェチというところが歪だったのだ。
それでいて帝を名乗るにはあまりに母性的で寛容な見た目をしている。威厳を振りまくならばもっと手はあったはずにも関わらずだ。
『今の戯言をとり消せッ! 死を前にして妾という絶対存在に泥を塗ろうという腹か!』
「って、スードラに聞いたんだけどさ。どうやら噂は本当のことだったらしいな」
『ヌグッ!? 情報の出どころは海龍かッ!!』
嘘である。しかし相手が焦っているのならば、よく効く。
明人はそんなことをスードラに聞いたことが1度もない。ただ彼女とつき合いの長いであろうスードラの名をだせば、こうもあっさりボロがでる。
それになによりだ。スードラもまたファンと言いながらもディナヴィアに対してなにかしらの思いを秘めている様子だった。
しかしそんなことは明人にとってはどうでも良いこと。利用できるものはすべて利用するだけ。
舌の滑りは増す増す加速する。
「建前はいいから本音を言えばいいじゃないか。自分と同じ傑作の運命を背負わせたくないってさ」
しかし決して芯は食わないようオブラートに包んで話す。
真実は口にしないという揺さぶり。
すると相手はどんどん妄想が苛烈に成っていくのが常。
ディナヴィアは前のめりになって龍顔の眉間を痙攣させた。
『き、きさマはッ――嫌いだ! 嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ!! そうやって妾の腹を見透かしたような瞳が嫌いなのだ!! そこへ触れれば妾の感情が逆立つと知っていて攻めてくる腐りきった性根も大嫌いだ!!』
地団駄を踏めば踏むほど仮面の内側が垣間見える。
威厳と尊厳がみるみる剥げていく。石膏のごとく固めていた女帝としての仮面が、ボロボロと焼き菓子のように散っていく。
それでも明人は追い打ちを止めない。
「唯一の理解者にそんな冷たいことを言ってくれるなよ? 選ばれてしまったがゆえの苦悩ってやつなんだろう? 神に選ばれてさえいなければ普通に暮らしていたかもしれないからな」
『嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだ嫌いだッ!!! もうなにも喋るな、妾の前でなにも話すな、なにも発するなアアアアア!!!』
長首を狂ったようにうねらせ尾を激しく叩いて天へ吠え猛った。
LEDライトの如き鱗の輝きが白光と光沢の境を行き来して落ち着かない。
ディナヴィアが荒れ狂う。大地が躍動し世界すら今にもひっくり返ってしまいそう。決闘場が丸ごと揺らいだ。
そしてひときわ激しい『もうよいッ!!』という決別の言葉が心から吐きだされる。
『キサマの存在そのものをこの現世から切り離すッ!! 焔として賜った至上の業火でもって然るべき結末をクレてやるッ!!』
おもむろにディナヴィアは前足を上げ巨体を起こした。2足と尾っぽで直立した。
最後の1手として選んだのは神より賜った傑作としての1撃だった。
龍すら恐れる猛火の吐息の準備。大気を吸収し怒涛の勢いで膨れていく。そこは姿が違えば肉房が主張している部分だろう。
『後悔する暇すら与えはしないッ!! 手向けすらも必要はないッ!! 妾の出会ったナニモノにも勝る下衆に贈るのは死のみぞッ!!』
その御姿は神々しくもあって禍々しくもある。
種たちは目が焼けるとわかっていてもきっと彼女の姿を映すだろう。権威ある存在者へ畏怖と敬愛を籠めて仰ぐはずだ。
開いた大翼はまるで日暈のよう。舞う微細な砂埃が薄雲の役目を果たして幻日環の7色――虹色を後光とする。
『朽ちよッ!! 蒼ッ!!』
蓄えられた白炎が鱗の奥で渦を巻く。
龍の喉奥に白光の炎が登っていく。
直後。蒼が飛沫をあげた。
『――ナニッ!?』
ディナヴィアは牙の隙間から白炎をこぼし、こぼし、刮目する。
動揺しないはずがない。なぜなら明人は跳躍していた。飛んでいたのだから。
しかも最後の1撃を見舞うべく炎を蓄えたディナヴィア目掛けて真っ直ぐだ。
『この期に及んで奇っ怪な足掻きをしようというのかッ!? ならばこんどこそ――逝ねいッ!!』
間もなく終わる。大陸頂点に座する女帝の炎が降り注ぐ。
地を焼き灰燼となす。後に残るのは灰か炭のみ。
「待ってたッ!! 待ちつづけていたんだッ!! はじめからずっとこの時をッ!!」
勇敢に龍へ飛び込みながら明人は、叫んだ。
即座にたったの1発だけが籠められた散弾銃を構える。
この対焔龍作戦は5割ほど失敗していた、しくじっていた。だから死地へと追いやられたのである。
だが明人は2分の1である賭けに勝った。
『そのような礫が効くものか!! それもキサマの狙いは鱗の欠けであり背をとることは不可能!! 企みを妾に看破された時点でキサマの勝利はないのだ!!』
このように勘違いさせることを成功させた。
明人は背への射撃でディナヴィアの思考を書き換えた。
ディナヴィアに己の背を狙っていると勘違いさせるために死にかけた。
当初の目的では鎖骨を砕いていたし、片目を潰せていたのだ。負傷させられなかったせいで尾で薙がれた。
しかし仲間のおかげで九死に一生を得る。
結果、策は成った。だからディナヴィアをハメることが出来た。
ディナヴィアが再対峙からずっと明人を正面で捉えつづけていたのは、そのせい。
そうなるよう相手に仕組まれたとも知らずに。
「オレの狙いは――ココだぁ!!」
明人は銃をもった片腕を限界まで伸ばす。
それからディナヴィアのとある部位に銃口をゼロ距離で突きつける。
より詳細にするのならば、ディナヴィアの膨れ上がった胸部だった。
事細かにするのならば、そこは初めの3打で与えたちょうど3発目の部分なのだ。
そこは、刺突効果で貫いた箇所だ。ワーカーを犠牲にしてまで作りだした――鱗1枚分の――僅かな欠け。
――これだ! この炎を溜め込んでいる場所が急所! たったひとつの弱点!
つまり、明人の狙いは、はじめから炎を溜めこむ胸の1点狙い。
龍が胸部に炎を溜めて吐くことは知っていた。なぜなら黄龍ムルガルがダモクレスガーゴイル戦でやってみせた芸当である。
しかもディナヴィアは天龍エスナ相手にも火炎を使用した。それによって明人はこの方法が使えると踏んだ。
そして作戦の5割りが失敗したということは、5割は成功しているということ。
鱗を傷つける刺突効果、背中への射撃での陽動、精神攻撃での煽り。これらの成功によってすべての状況が整う。
では非道なまでの精神攻撃はいったいなぜか。
「VVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVVV――」
このように吐息を使わせるため。
ディナヴィアは最後の最後に己の最高最大火力を使用する。明人を最強種族の龍と同等の相手として見ているから。
『冥の祖母の元へ送ってくれるッ!!』
それはなぜか。
相手が憎くて憎くて仕方がない――と、思うよう操られていたから。
『《猛火烈炎》!!』
龍の大口がこちらへむけられた。
そして明人は万感の思いをこめる。
この愛おしいほどに優しく、誘いに乗ってくれた龍へ、貰い受けた思いを届ける。
「オレのことを嫌ってくれてありがとう。オレのことを同等に見てくれてありがとう。そしてようこそ井戸の底へ」
『な、なんだとッ!?』
そして明人は、ディナヴィアが驚くのをよそに、ようやく笑うことができた。
下卑ていない作ったわけでもない本当に心から滲みでた微笑みを送る。
燃え盛る炎の熱を浴びながら指をトリガーへ引っ掛ける。
「《バック――ッ!!」
天はまるであの日の空のよう。少しばかり夜が濃いかもしれない。
朝日とともに巻き込んで月の光に消えた黒き少女の思いがここにはある。
だから、その仲間を救いたいという優しき願いを、信じ切ることができた。
『ウッ、あ……? 黒、龍のッ……バ、カな……』
ディナヴィアは炎を吐きかけて、停止する。
銃口の奥に決意の蒼が招来するのを見たはず。
「決めるのだ明人!! この下らぬ決闘にその手で終止符を打ちつけてやれ!! 《ストレングスエンチャント》!!」
そして上空で夜を背負ったヘルメリルは唱えた。
無から生まれた赤い被膜は強化魔法の赤い揺らめきだった。
明人はその恩恵を銃に受ける。
強化魔法を受けたRDIストライカー12は蒼白と紅の2つの光沢を得る。
「《逆噴射効果》オオオ!!」
渾身の銃弾が発破音とともに射撃された。
赤によって撃ちだされし、黒き鱗は、蒼白をまといて、白光を貫く。
効果のほどは、絶大でないはずがない。
「GRAッ!?」
まるで蒼き槍だ。弾は遠のいてなお蒼き線がしばし残像となる。
ディナヴィアの薄くなった鱗すら貫き通し鮮血が吹きだす。
さらに凶悪な弾丸は背から抜けでて闇のなかへと旅立っていった。
『だ、から……どう、したというの、かッ!? そのていどがキサマの切り札だとでもいうのかッ!? 妾を女帝の座から引きずり下ろしてはくれぬのかッ!?』
たかが点の穴である。龍の巨体に小さな小さな穴を開けただけ。
龍の鱗を使用した弾丸とはいえ、人に例えれば針で突かれたようなものだろう。
つまり明人は、もう100歩ほど勝利に届かなかった。
『《吐息》――ッッッ!?!?』
ディナヴィアが胸部へパンパンに詰めた業火を吐こうとする。
吐こうとした瞬間。明人は撃ち終えた姿勢のままで静かに、こう言う。
「だから言ったじゃないか。はじめにアンタの力が欲しいってさ」
届かぬ残りの100歩は手伝ってもらえば良い。
相手が最強の龍ならば最強の力を借りれば良い。
そうでなくばこんな豆鉄砲に命なんぞを託すものか。
『う、嘘だ……! こ、んな……まさかはじめからこれのみをねら、って戦いつづけていたというのか……ッ!』
弾痕。こじ開けられた胸部の鱗から炎が噴出――逆流する。
肺から吹きだした大陸最強の炎が、大陸最強の龍の肉と鱗を焦がす。
『そ、んなッ!? そんなバカなああああああああああああああああッ!!』
胸部より噴出した炎はディナヴィアをあっという間に包み込んだ。
巨躯が今まで感じたことのないであろう灼熱によって燃え盛る。
肉と大地の燃える異臭が広がっていく。1ヘクタールの決闘場が昼間よりも濃い白光に揺らめき、一切の影すらもかき消す。
『これが――アギ、グッ!? これが運命から逃れつづけた罰とでもいうのか!?』
「GRAAAAAR!? KIARAAAAAAAAAAAAA!?」
翼で風を起こしても爪で鱗を引き裂いても炎は燃えつづける。
もがけども、もがけども、だ。己のもつ巨大な才が傑作たる身を焼いていく。
『傑作として産み落としたのは神のほうではないのか!? それなのになぜこのような結末を辿るのか!? こんな力なぞ誰が欲したというのか!? 神よッ、世界を創造せし創造主よッ、答えてくれッ!?』
「GGGGGGGGGGGGGGGGGR!!?」
白光に呑まれながらディナヴィアは天へ吠えた。
きっとその叫びは聞こえているはずだ。少なくとも決闘場の上に集まった仲間たちには、だが。
ディナヴィアにとってはようやく淀み溜まり鬱屈させた本当の声だろう。それがこの燃え盛る炎よりも巨大で悲しい嘆きである。
『妾がいつこのように呪われし運命を望んだというのだアアアアアアアアア!!!』
涙は業火によって湧いた端から蒸発した。
最強存在とて最強存在の技には抗えぬ。なにせそれは最強存在の生みだした傑作の焔なのだから。
そして明人は神への祈りを子守唄代わりに瞼を閉ざす。
「ようやく本当のことをぶち撒けられたじゃないか」
ゼロ距離で撃ち込んだのだから代償は払うしかない。
体はすでに白炎のなかに投じられている。彼もまた傷口から噴出する傑作の炎よって焼かれた。
じりじりとした熱が身を焦がしていく。皮膚のなかを虫が這うような感覚が全身を蝕む。
人を呪わば穴2つ、なんて良く言ったものだ。やったのだからやり返されても文句は言えぬ。
「KYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!」
さらに荒れ狂う龍に振り払われ、明人は勢いよく空に投げだされる。
「……ははっ」
そのさなかで静かな笑みを作った。
下卑たわけではなく、作ったわけでもない、心からの安らかな微笑み。
「……オマエの思い……きっちり届けたぞ……」
安っぽい冒険者風の青年は満足気だった。
あれだけ重かった心の重心が今は解き放たれたかのように軽い。
きっと今夜はいい夢が見れるかな……――という根拠なき確信があった。
「……なぁ……セリナ……」
銃口の弾けた散弾銃を手に、黒龍から賜った勝利を歌う。
夜になりかけた空を眺めながら、なにも知らずなにも知らされず、ただ運命の流れるがままに流されていくだけ。
それでも井の中で蛙は笑えていた。
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