486話 【VS.】神の傑作 資格なき女帝 ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート
1匹の龍へ英雄たちが満身の力で立ちむかう。
たとえ渾身の技と魔法が挫かれたとしても汗を拭って再び立ち上がる。
敵は龍族の頂点であり最高傑作。全力を振る舞うにはこれ以上ない相手だ。
「いったん防御をやめて攻撃に回ります! 詠唱の時間を稼いでください!」
テレーレは高貴なドレスをなびかせ前へと躍りでた。
銀糸の如きゆる髪がふわり優雅に踊る。構えた手指には王女を飾るにふさわしいキラキラの宝石が嵌められている。
格好は蝶よ花よを愛でるにふさわしい。しかしここは戦場だ。似つかわしくはないが勇壮にディナヴィアを睨む。
「――ッ! 援護するよ!」
2色の瞳を光らせたニーヤが2本の尾を立てる。
見た目のナイーブさに反して戦場での動きは機敏そのもの。彼女もまた歴戦の勇士のひとり。
「《ハイトランス》!」
空中でひらりと半回転しつつ即座に詠唱、そして攻勢の状態を整える。
着地と同時にずさささ、と。炭まみれの大地を滑って勢いを殺す。
スカートからスラリ伸びる脚にはバネのような兎の足、両手には鎧の如き鋭利な爪を装着する。獣たちの一部を刹那に顕現させていた。
さらに猛獣のように手足を地面立て、背を丸く、白い尻を突きだし、牙を剥く。
『前回の決闘では見せなかった技か。あるいはそれが成長だとするならばより面白い』
まるで品評をするような口調だ。
しかしディナヴィアがその姿を認めることは敵わないだろう。
すでにニーヤは発っている。
迅速迅雷、疾風怒濤。
上下左右さまざまな百の方角から百の爪がディナヴィア目がけ大渦となって襲いかかる。
ここはすでに影の落ちかけた森の穴。煌々と煌めく龍の姿は的でしかない。
「フゥ――ッ!!」
ニーヤは猛攻に打ってでた。
まるで夕暮れのキャンパスに筆を疾走らせるような速度で撹乱と攻撃を同時にこなす。
『良いぞ。妾の目をもってしてもとらえきれぬ速度とはな。これぞ真なる闘争の火照りというものだ』
しかしディナヴィアには効いている様子は皆無だ。
まるで我が子の成長を喜ぶよう。猛攻をものともせず、どころか防ぎもしない。
「つッ――まだまだッ!!」
それでもニーヤは臆せず、攻撃の手を決して緩めず。
すると別の方角から鐘でも引き裂いたのかと思えるほどの胴間声が響き渡った。
「ドオオオオオオオオオオオッ!!」
筋肉1つが白髭と白髪髷をざんばらに揺らがす。
その姿は大岩だ。筋骨隆々とした姿で大地踏みしめ勇猛果敢に突っんでいく。
鉄腕軋ませ握られた紅の槌にはバチバチと弾ける雷光がまとわれている。
「セェェェイッ!!」
跳躍からディナヴィアの横面を狙った雄々しいひと振りが見舞われた。
だがこれは腕で守られてしまう。白光する鱗に雷撃がビリビリと広がるも、ダメージはないに等しい。
「ぬぅっ!? やりよるわァ!!」
相手を称賛するもゼトの表情は険しい。
樹皮の如きシワを深め、ディナヴィアの鼻から吹かれるため息を浴びた。
『無謀。翼なき汝がどのようにその状況から脱するというのか――見せてみよッ!』
すかさず空中に止まったゼトへ拳を叩きこむ。
老父の体積を上回る質量の拳。それが弓引かれ放たれるかのようにして打ちだされる。
しかして夕闇の観測者はその危機を見過ごせるほど耄碌していない。
――《亡者の導き》。
静寂でもって心が唱えた。
おかげで撃ち抜かれたディナヴィアの拳に成果はない。
幾本もの闇の手がゼトの足を引き、窮地から地上へ引きずり下ろしていた。
そしてようやくテレーレの歌う音色が終了する。
「いきますっ! 絶対不可避の閃光! 《聖・レイ》!」
白き手を大きく空へかざす。
その直後、周囲円状から出現した白き光がディナヴィアの頭上へ降り注ぐ。
『時と同速の光ッ!? ククッ、さすがは聖女といったところだ!!』
これには最強とはいえ鱗の腕で頭を覆うように防御に徹す。
巨躯に注がれる魔法は矢嵐の如し。それでいて前兆というものは存在しない。
絶対不可避の閃光。網膜が光をとらえて景色とするのであれば、この攻撃は景色そのものだ。
『だが――ッ!! 神の使いたる貴殿の力であっても妾の身を焼くに至らぬッ!!』
「ハッ!? 《聖壁》!」
白き閃光に対し、ディナヴィアは大顎から白炎を吐きだす。
強引な攻守交代だ。いや、女帝である彼女にとってはいとも容易いことなのだろう。
鮮烈な炎がむかってきてはテレーレも魔法を切り替え再び防御に回るしかない。
幾何学模様の7色を2枚ほど。前方に張り巡らせつつ白炎を左右に受け流した。
「GROOOOOOOOOOOOOOOOO!!」
合間なくかけ合わせの炎が魔法壁を攻撃しつづける。
テレーレも踏みとどまりながらヒールの踵で踏ん張りながら耐えた。
すでに彼女の発汗量はすさまじい。額や頬に浮いた汗が首筋に流れて顎先からもしたたっている。
いくら聖女とは言え体内マナは有限。聖魔法が強力なぶんだけ彼女への負担も莫大なのだ。
「もってあと10秒くらいです!」
7色の壁を保ちながらテレーレが空へ声を発す。
対して返しもまた素早い。
『……ここまですべてがブラフだったということか』
ディナヴィアはテレーレへ浴びせる炎を止めて空を仰ぐ。
そこにはすでに準備を整えたヘルメリルが天を抱くように構えている。
そして心が震えた。
――《影の軍勢》。
森の落とす木々の影から影の兵たちが起き上がっていく。
さらに上空で展開させている闇の渦、《胎動する常闇》からも黒翼の影たちが舞い降りてくる。
それらが一斉にディナヴィアの体へと群がっていった。
巨躯でもがくも、あっという間に影たちに飲み込まれ、黒いダマが完成した。
最良かつ最善のの札を選び抜く。
数多の攻防の1つ1つが死と隣り合わせる。
英雄と最強たちにのみ囲うことが許される狂乱の宴。
白光する龍が影に沈むと、まるで日が雲に隠れたかのよう。
静寂と冷気が束の間の安息を与えてくれる。
「ふぅ……いやんです、もぉ。どうやったらディナヴィア様に有効な1撃が認められるんですかぁ……」
「と~ってもいやん、にゃあ。にゃあの切り札を使って削れたのは爪の先に挟まるくらいの鱗の欠片にゃぁ……」
テレーレと、その後方へ避難したニーヤは、同時にうんざり空を仰いだ。
ふたりがげんなりとするのも無理はない。これまで幾度、光沢の鱗へ槌を振るい爪をたてたかわかったものではないのだから。
魔法の槍も隕鉄のシャワーも、彼の龍にとっては心地の良い刺激と同等か。
爪、牙、炎、突風、翼を禁じられ地に縛られてなお、覇者たる威厳に傷つくことはない。
――打つ手なしとはこのことか。焔龍、まさに究極の生命体といったところだな。
ヘルメリルは、ほっと豊穣の膨らみを撫で下ろす。
テレーレが壁役ならばこちらは総火力役。マナは無尽蔵でもとにかく精神的疲労が大きい。
忌々しげに影に呑まれたまま沈黙したディナヴィアを睨む。
「気に食わん。なぜあのような存在が世界に選ばれた? 腹の底から気に食わんぞ」
目端を吊り上げ、歯を食いしばり、ツバを吐くみたいに愚痴を吐く。
夜風になりつつある風が、腰まである新緑の如き髪をまばらに流す。
しかも袖の長いドレスはところどころ汗を吸って滲んでしまっている。
換気がてらちょいと胸元を摘んで、はた、はた。夜風に通ることを許可してやると、ちょうどよい感じに汗巻いた体を冷やしてくれる。
「いや、望まずして選ばれたが故とするべきか。生まれながらにして忍耐を余儀なくされるようなことはさすがの私も経験がないことだ」
ヘルメリルはゆっくりと降下して仲間たちの元へ降り立った。
影たちによってディナヴィアを固めることが出来たならば、ひとまず休憩だ。
「さぁてそろそろ芳しくない頃合いではあるな?」
言葉を濁しつつ谷間から1枚のハンケチをとりだして疲労の汗を拭う。
正直なことを言えば、こんなデスゲームなんてさっさと終わらせ湯浴みをしたいところ。
服は張りつくし、肌はざらつくベタつく、汗の臭いも無視できない。だからちょっと仲間と距離をとるのは乙女の嗜みだ。
「ほうれふたりともヘコタレとらんで気張っていけい! 踏ん張りどころで尻込みしなさんな!」
ゼトが女たちの尻を鋼鉄の腕で引っ叩く。
叩かれたテレーレは「ひゃあ!?」と、ニーヤも「にゃあ!?」なんて。ふたりして自分の尻をさすりさすり頬を膨らす。
「ガッハッハ! ニーヤとお嬢は相変わらず尻っぺたが薄いのう! 叩きがいがなくていかんわい!」
こんな状況でもゼトは剛気に気風よくかっかと笑う。
カラ元気なのは言うまでもない。なにせ1番ダメージを負っているのはゼトだった。
コブのような筋肉には火傷やら生傷やら。白い髭も髪も先端のほうが焦げて縮んでしまっていた。
ゼトのように猛進するならリスクもまた過分に多い。なにせ今のディナヴィアは全力でこちらを屠りにかかってくる。
「おいジジイ。回復魔法を使ってやるから鼻をつまんでいろ」
見かねたヘルメリルはゼトへ1歩、歩み寄った。
だが止まれと言わんばかりに伸ばされた鋼鉄の腕が彼女の歩みを制す。
「治療なんぞいらんわい。メリーもんなこたぁする余裕なかろ。ワシに使うのは気くらいにして魔法は温存しとけい」
ぐるり、と。屈強な背をむけられてしまう。
すると慌てた様子でテレーレがとてとて間に入ってくる。
「で、でもちゃんと治療しないと! ああっ、ほらさっき背中から落ちたときについた傷から血がでてますっ!」
「なあに漢の傷ってやつじゃ。箔がついて自慢になるわい」
男らしすぎる背中だった。しかも全員を気遣っている。
弟子から貰ったと喜んでいた羽織も、襤褸。ところどころに穴が開いており布地というより切れ端だ、見る影もない。
前衛であるゼトと火力兼援護役のヘルメリルは明らかに消耗している。
防御役のテレーレも去ることながら、ニーヤだって素早いぶん体力の消費が激しい。
つまり全員だ。全員が全員をカバーしながら精神と肉体を共にすり減らして、ようやく。
これだけやってようやくディナヴィアの足止めが出来ているのだ。
悪い夢であればどれだけ喜ばしいことか。
――ここにきて小僧を失ったことが祟るとは思わん。
疲弊した面々を眺めながらヘルメリルは心のなかで舌を鳴らす。
輪廻に惑った妖精王の穴は大きいが悔いたところでどうしようもない。
――癒やし手の風があればもう少し楽にコトを進められただろうにな。
忸怩たる思いとはまさにだ。
あれだけ大見得を切っておきながら七難八苦。打つ手もなければ輪廻へ旅立った者へ助けを求める始末。
疲れに任せて宛もなく天を仰げば、とうに空は夕焼けを落とし藍色模様である。
なぜか不思議と全員が空へ目をむけていた。
「…………」
見つめた先にいる天使は、ただ瞼を閉じているだけ。
ときおりひくひくと小柄な肩を上下させ、両手で掴んだ天秤に額を当てている。
手助けをするでもなければ、施しを与えることさえしてくれない。それが道理なのだ。
『休憩はすんだか西の英雄共? 大言を吐き散らしたわりに未だ妾の首は胴と繋がっておるぞ?』
静寂は一瞬のうちに緊張へ。
群れた影と影の隙間から暗闇に慣れた目を差すような洩れてきている。
「――ッ!? 整えッ!!」
ヘルメリルは咄嗟に号令を激の如く飛ばす。
すぐさま面々は即座に構えをとった。
それとほぼ同時。影が強い光の輝きによって弾かれるようにかき消される。
「Grrrrr……」
その在り方こそ日光の招来だ。
影たちはその偉大な光に照らされ形すら残すことなく抹消される。
創造主の傑作と呼ぶにふさわしい。威光は見る者の心すらも容易にへし折ろうとしてくる。
これでは大供子供が入り乱れ戯れているようなものだ。
頑強なる鱗はどれもを致命打せず。身は縛られているというのに堂々たる佇まい。
『遊びはここまでにしておくとしよう。そちら側の言っていた成長とやらも拝見させて貰ったことだしな』
敗色の風を浴びてようやく思い知らされる。
この化け物に戦いを挑むことこそが無謀だったのだと。
『渺渺たるものだったと教えておこう。それとも……些末と言ったほうが伝わりやすいか?』
淡々と伝わってくる。
平然と。滑らかでいて艶と色気を含んだ声が心を通して伝えてくる。
『なに沈むことはない。そのていどの事象をそのていどの力で迎え、乗り切っただけであろう。ことこの場においてそれらがただの児戯に等しいことだと学べて良かったではないか』
ディナヴィアの感情を耳にして湧いてくる、別の感情。
彼女に対となる感情は、激流の如く噴出するほどの激昂だった。
「キサマ……! 我々が切り開いた未来への苦難を児戯とぬかしたのか!?」
それはきっとヘルメリルだけが所有するものではない。
この場でディナヴィアと対峙する全員が共有しているものなのだ。
テレーレですら笑みを捨て去る。
「……相当聞き捨てならないですね」
氷のように冷たく刃の如き死線で目の前の敵を凝視した。
ニーヤに至っては今にも手合の首へ噛みつかんばかりだ。
全身の毛を逆立て、剥かれた瞳は縦に割れるように身を低く、いつでも飛びかかれるよう構えている。
「おいメリーよぉ。……朱ぁ……使うぞ……」
すでにゼトも鬼神の如く面の皮をシワ立たせていた。
腕も軋むどころか裂けんばかりの亀裂を奏でている。
その失われし手に握られているのは生贄の赤槌、《ライトオブライフ》。肉体を生贄とすることで大いなる力を引きだす、いわゆる呪いの槌。
「ここまでコケにされて止めるんじゃねぇだろうなぁ? 生き恥晒してぐずぐずおめおめ生きくれぇなら死んだほうがマシってもんだぜぇ?」
ゼトがここまでヘルメリルに使用許可を求めるのは当たり前だろう。
なにせその槌を対龍族決闘用最終兵器として作り与えたのは、呪術師である彼女なのだから。
生贄の赤槌は、最強魔法使いであり呪術師である。ヘルメリルによって創造された、忌むべき槌。
「止めるものか……! 止められるものかよ……!」
ヘルメリルは食いしばりながら生命の冒涜となる決断を下す。
そしてゼトが赤の槌を双腕で構え、唱える。
「我が魂冥府に誘われようとも悔いはねぇ!! この身のすべてを喰らわれようがキサンだけは道連れにさせてもらう!! 《ライトオブ――ッ!?」
禍々しい光が満ち、白光する景色と重なり合う。
だが、忌むべき詠唱が最後まで紡がれることはなかった。
おそらくは英雄たちの怒りを塗り潰すほどに、別の強烈な怒りが蔓延していたいたからだ。
「嬢ちゃん……!?」
英傑であるゼトですら道を開ける。
木々が揺れ、鬱蒼とした森が嘶く。彼女が歩くと命が生まれて散っていく。
その背後では治癒を終えたであろう青年が安らかな顔をして胸甲を上下させていた。
風とは違う。ざわざわという葉擦れの音が彼女の存在を示している。
「今言った言葉はとり消さなくていいわよ。もしとり消されでもしたら……アナタを私の手で裁けなくなってしまうもの」
冠する2つ名は、自然女王。
そのディナヴィアにとっての児戯と嘲けられた混乱のよって、開花した世界の理に反する少女がいた。
真なる名をユエラ・L・フィーリク・ドゥ・アンダーウッドという、世にも珍しいヒュームとエルフの混血だ。
「《デュアル――大自然の暴動》ッ!!」
その意味ある訴えによって大いなる自然が目覚めた。




