482話 【真の英雄VS.】龍玉 Dragon Heart 2
雷光をなびかせたリリティアは再び化け物の射程内へ踏み入る。
当然の如くうねる触手たちは彼女を求めて群がっていく。
「《風刃効果》!」
流れるように風の魔法をヴェルヴァへ付与した。
曇りなき銀閃をつつ、としっとりした指で沿うよう撫でてマナを送る。
風の加護を受けた剣身が、竜巻の如きかまいたちをまとった。
「ハァッ! イヤァァァッ!」
無声無言を滑らか美しきととらえるものも多い。
しかし彼女は気勢を混ぜて剣を振るう。
これは叫びではなく掛け声、言うならば気勢である。
1撃1撃を必殺とするには気と剣と体こそ肝要。
鏃の如く風刃はびょうと放たれた。
そして命中。まるでかまぼこでも切るよう、触手共を次々分断していく。
「――フゥッ! ハアァァァ!」
だが剣を鞘におさめている暇はない。
敵は次々とリリティアの魂を求めて亡者のように手を伸ばしてくる。
窯の蓋を開ければ煉獄だ。掴まれれば細身の体ごと龍玉のなかへ引きずり込むだろう。
そんな苛烈極まる追手を、リリティアは風に乗った羽のようにひらり躱して、刻む。
森の木々を縫うようにして猛進する。
「やはり神より賜りし宝物といったところですね! 現実の道理が通じないとは非常にやっかいです!」
白きドレスをばたばたはためかせ空を駆けた。
黄金色の瞳が化け物との距離を目測する。その間にも触手の挙動予測も同時におこなう。
リリティアほど種の身体に馴染んでいれば躱すことは造作もない。さらに剣は5指と同じくらい扱いに慣れている。
「すべてはこの時のために! 再び焔龍と相まみえるため! だからアナタ如きにこの魂は渡せない!」
たったひとり、あの魔物の巣窟である誘いの森で、100と10数年を要して。
龍たちの開放を遠い果ての夢に見ながら、来る日も来る日も、生きたのだ。
「これはきっと神が導いてくれた運命そのものです! ついに雌雄を決するため、そして同種たちを救いだすために戦える! だから私は外の世界で1本の剣になると決めたんです!」
リリティアが秘めていた思いを乗せると、剣は応えるよう速度を増していく。
さらにここ数日で調整も済ませてきた。
近ごろ鈍りつつあった剣技も最高の状態まで引き上げてある。
これでこちらが触手如きに負ける要素は微塵もない。
なにせその剣は女帝を討伐するべき時を待ち続けていたのだから。
だからこのていどは苦でもない、ただの邪魔でしかないのである。
「……あの海龍がこんな鈍足の化け物に捕まる? いったいなぜ……?」
しかしリリティアはとあるものを懸念していた。
鋭く金色の瞳が細められた。
そうやっているとふくふくとした柔らかく暖かい顔立ちも凛とする。普段が温和であるぶん真剣な表情になると、寒暖の差が生まれるというもの。
近ごろはリリティアは事象の裏を読むことが多い。
なにせ近くによく頭の回る人物がいるのだからしょうがないとも言える。
彼へ剣を手ほどきを提案したあの時だってそう。
リリティアは弟子をとらぬ。どれほど剣技の継承を乞われようともだ。安易に他者へ己の経験という財宝を明け渡すようなマネはしない。
そんな大陸中から熱望される剣聖が剣の師として名乗りでる。それはもう莫大な財を積んでも手に入らぬ奇跡のような代物だ。
それなのにも関わらず、まさか一考する余地すらなく秒で断る者がいるとは思うまい。
『だって腰に剣なんてぶら下げてたらいつでも戦えますって言ってるようなもんじゃないか』
御託を並べるというのは、ああいうことを差しているのだろう。
あるいはそうやって弱者を偽ることでしか生きられなかったのかもしれない。
――異世界からきた人間……優しい匂いのする人。私の心に住み着いて抱えきれないくらいたくさんの幸せを与えてくれた神様からの贈り人。
この世界に存在しなかったはずの言葉を唱えるたび、ぽっとしてしまう。
まるで心を魅了されるかのような魔法の言葉だった。
「……大切な人」
人。ルスラウス大陸では個を差す種族の名前である。
そう。濡れた唇が唱えるだけで、頭が浮かされて心がほんのり温かくなっていくのがわかった。
リリティアと手を繋いでぶら下がっているアクセナから湿っぽい視線が送られてくる。
「おーい……妄想に耽んのは勝手だけど現実を見るのも大事だーなぁ……」
虚を突かれたリリティアは――名残惜しいが――首を振って霧散させた。
その勢いで三つ編みの根本に止まった青いリボンも豪快に揺れる。それでも頬に浮いた桃色は簡単に引いてくれない。
「わ、わかってますもんっ! そ、それと別に妄想をしていたわけじゃないですっ!」
雑念を振り払った後に湧きでてくるのは激しい恥辱の感情だ。
リリティアは我に返ってさすがに恥じた。
それでも化け物との距離はもはや目と鼻の先と言えるほど。
これだけ接近すれば透ける化け物のなかが良く見える。
「……邪龍」
赤黒い液体のなかでぷくぷくと浮かぶ球体もまた透明で泡のよう。
そのなかには同族のリリティアでさえ息を呑むほど、恵まれた美貌が佇んでいた。
『い~っぱい食べてい~っぱい大きくなるのよぉ。お母さんも手伝ってあげるからね。寂しくないようたくさんの――お友だちを作りましょう?』
漏れ聞こえてくるのは心の声だ。
それは溺愛、ではなく盲信、あるいは妄想。
彼女の目には忌まわしき龍の宿敵がどのように見えているのか。
『翼龍もお腹が空いているのね。だったらもっとたくさんの魂を集めなくちゃいけないわぁ。さっき食べた5つていどじゃまだまだ全然足りないもの』
少なくとも現実は見えていない。
リリティアは触手を刻みながら説得を試みる。
「邪龍やっていることは己を欺く行為に他なりません! アナタの野望はすでに潰えているはずです!」
『つ、い……え、る?』
ここではじめてミルマと目が合った。
化け物の表皮を挟んで100余年ぶりの再会といえる。
「いますぐ龍玉を破壊してください! そうすれば魂は開放されて海龍たちの体に戻っていくはずです!」
『……白龍? こうして……話すの、いつ以来? ほら、あまりに……唐突、翼龍驚いてる?』
微笑みながらも目は虚ろ。話しかただって寝言を語っているかのようにぼんやりしている。
それでもたわわな乳房が歪むほど龍玉を抱擁しつづけていた。
彼女のなにかがオカシイ。それもリリティアが己の目を疑ってパチパチと瞬いてしまう。
――……? あれは……どっち側が表にでてるんでしょう?
その意外さに、思わず小首をかしげて三つ編みを横へ流す。
ミルマの頭がオカシイのは割りと昔からだ。詳細にするなら翼龍と飛龍が捧げられてから。
それは別としても、肌というか、感覚というか。とにかくリリティアの知ってるミルマとは常軌を逸している気がしてならない。
――時が流れて代わった……ということなのですか?
忙しなく群れてくる触手を斬り伏せながら、しばし思案の体制に入る。
「おーい! ここらでしかけんだーっ!」
が、とても思考を乱す舌っ足らず声によって遮られてしまう。
リリティアは、アクセナをぶら下げていることを思いだす。
あまりに存在も体重も軽すぎて忘れていた。
「本当にアクセナを信じても大丈夫なんです!? 触手部分ならともかく本体のなかで溺れられでもしたら助けることは難しいですよ!?」
「心配性だなー、まっかしとけってんだーなっ! そっちは大船が上から降ってくるような気分でどっしり待ってればいいんだーっ!」
鶴の鳴くような快い返事である。
アクセナはニッカリ歯を見せながら豪快に笑んだ。
「邪龍を説得するのはおそらく至難です! それに彼女もまた龍であることを忘れないでください!」
「あー、まあそうだなーっ! さすがのあちしでも龍1匹を相手すんのはきちぃんだーっ! でもまかしとけってんだー!」
その自信は一体どこから湧いてくるのか。根も葉もないとはこれぞまさにといったところ。
Lクラスと呼ばれるアクセナでさえ真っ向から戦うことは許されざる相手だった。
しかも語る内容はすかすかで不安しかない。まずもって大船が降ってきたら沈むどころか沈没後ということになる。
それでもリリティアには、この大雑把な幼女に託すしか手がない。
「それじゃあいきますよ! 武運を祈ってます!」
「景気良く頼むなーっ! ちっといって、ぺぺっと話してくらあっ!」
リリティアは伸びてくる触手を軽めに掃除してから、道を決める。
それから龍の有り余る腕力を奮って力任せにアクセナをぶん投げた。
「うっひょおおおおおおぉぉぉぉぉ…………」
そうでなくても小さい影が刹那の間に縮んでいく。
そして遠間から微かに、ざぶん。飛沫をあげながらアクセナが化け物のなかへと侵入した。
そのまま勢い任せに真っ直ぐ。
ミルマの沈む泡、揺りかごのような核の部分へ。
泳ぐというより気泡を連ねて直線的に落ちていく。
「――ッ! ッッッ! ――ッ!」
『……だ、れ? 小さ……うるさ、い? やめ、て飛龍が怖がってる……?』
「――ッ!? ッッ!!」
突然の事態にミルマが目を丸くするのも無理はない。
あれはさながら寝床に砲弾が飛んできたようなものだ。
アクセナは大斧ごと四肢をバタバタとさせながら、ミルマへなにかを訴えかけている。
「――ッッッ!! ――ッッッ!!」
怒っているような、笑っているような。
とりあえず怒鳴っていることだけは外にいるリリティアからですら確認できた。
すると、ふと周囲に異変が起きていことを悟る。
「触手……? いや、龍玉自体の動きそのものが停止してますね?」
あれだけしつこくリリティアの尻を追い回していた触手が沈黙していた。
本体部分も前進をやめ、襲ってくる気配すらない。まるで置き石のよう蠢くことすらしていないのだ。
これはアクセナが上手くやったということだろうか。
リリティアが期待を籠めた瞳をそちらへとむける。
「……え?」
目に映した光景に虚を突かれ感嘆の吐息を吐きだした。
その驚き孕んだ瞳には、アクセナが仁王立ちでゲタゲタと笑っているように見えた。
『な、んで……? なん、でそんな、こと……?』
さらにその正面でミルマはすすり泣いているように見える。
というよりリリティアには彼女が泣いているとしか思えない。
俯いて伏せたミルマの肩が不規則に痙攣して震えていた。
『……っ』
押し黙り、髪の隙間からほろほろ。
滴がしどと漏れ、胸におさめた龍玉を濡らしていた。
化け物が静止したことにより、先ほどまでの戦闘とは打って変わって耳が良く通る。
夕焼けを運ぶ風が頬を撫で、穏やかなさざ波の音色が涼しさを演出した。
そしてとても嫌な静寂だ。
「――ッ!? これは強烈な殺気!?」
リリティアは気づく。
化け物の表皮を通して伝わってくる。
チクチクとしたモノが膨れ上がっていることに。
「アクセナッ!!」
そして次の瞬間。
大見得を切って飛び立ったアクセナが勢いそのままにこちらへぶっ飛んできた。
※区切りなし




