481話 【真の英雄VS.】龍玉 Dragon Heart
薫風を渦巻かせ銀閃が舞う。
女性的な細腕から繰りだされる剣戟は音すら置き去りにするほど。神速である。
「まったくしつこいですね、っと!」
これには赤黒いゼリー状の触手はなすすべがない。
まるでトカゲの尾が切れるようにして容易に断ち切られた。
ぼとり、と。生物のような音とともに地面へ落下した触手は、しばし執念で悶え跳ね、消滅していく。
そうやっている間にも、リリティアは次に襲いくる敵の触手を刻んでみせる。
「削ぎ落としていけば小さくなるかなと思っていたんですけど。これは消耗戦にもちこむのはやめたほうが良さげな感じですね」
独り言を口にしているうちでも、さらにもう1本。
斬るのではなく飛ばす。なにせ敵は銀閃へ触れる前に切断を終えていた。
構える剣の名は、ダモクレス鉱石を精錬して作られた墓剣ヴェルヴァである。
しかもその周囲にはかまいたちがびゅうびゅうと吹き荒れていた。
「《風刃効果》!」
いわゆる武器バフというやつを剣に塗りつける。
剣に付与する属性は風だ。それらがひと薙ぎされることで10の旋風となって敵を裁断する。
さらにはストラップサンダルの底が空という大気を踏むたびバチバチと雷鳴を発す。
「《雷迅効果》!」
いわゆる身体バフというやつをストラップサンダル周りにまとう。
風による斬撃、雷による超高速移動。これらは剣聖たるリリティアの得意とするところ。
効果魔法を使用しながら白いドレスが羽の如く舞う。
半回転の勢いを利用し、後方から迫る触手を1本切り落とす。雷光で空を蹴りつけながら瞬く間に斬り伏せていく。
「これじゃまるでストーカーってやつですね。ちょっと前まで聖都に足を運ぶたび弟子弟子言ってきたエーテル族を思いだしてしまいます」
この気持ち悪い物体をこれで幾本切り落としたことか。
それでもゼリー状のてらてらした物体は未だ顕在で減るようなこともない。
腐っても神より賜りし宝物ということだろう。
リリティアは唇を山なりに雪白い頬をぷっくり膨らませる。
「しかも海龍たちときたらこんな相手に負けるなんて龍の風上にも置けないですね。それに今どき武器を使わないからこんな鈍足のブヨブヨに遅れをとるんです」
まったくもうです! 苛烈な戦闘を繰り広げながらも、辟易と、不満たらたら。
「海龍の目が覚めたらあとで負けた理由をしっかり教えておかなきゃですね!」
揺らぐ1本の三つ編みと青いリボンを引き連れつつ、剣を振るって風刃を飛ばした。
とはいえ最先端の技術を学べない龍族には酷な話はではある。なにせ触手に触れればそれでオシマイなのだ。
だからといってリリティアの不満の原因は、いうまでもなく無限に襲いかかってくる龍玉の触手――……ではない。
「ぼぼぶぶくぼがぼぼぼ! ぶくぶくぼこぼぼぼ! ぼっこぼぼこっぼここぼこ!」
赤黒いプールのなかで幼子の短い四肢がバタバタと暴れている。
おそらくはそれで泳ぎ進んでいるつもりなのだろう。しかし進むのは本当に爪先を曲げるていど、いっこうに前に進む気配はない。
それどころか上下逆さまになって両端に結んだ毛束が触覚のように浮遊している。
龍族であるリリティアは龍玉を刻むことは出来ても触れることはできない。
そのため代わって救助役を買ってでたのはドワーフ族の幼子だったのだが……あの状態なのだ。
囮役としては不満でないはずがない。
「ぼここぼこぼこぼぼぼ! ぼーぼぼぶぶぶー!」
勇敢にも単身で龍玉にたちむかったアクセナは見事に溺れていた。
いちおう現状を打破しようと試みているらしい。ガニ股になりながら蹴ったりバタつかせたりと、努力は垣間見える。
しかしまるで初めて泳ぐ蛙だ。否、それは泳げる蛙に失礼である。
「なんでさっきからアナタは溺れるんですかあ!? そっちがちゃんと抜け殻の回収を終えてくれないと私はいつまでたっても囮をしなきゃならなんですからね!?」
どうやらアクセナはなにかを必死に伝えようとしているようだ。
「がぼがぼぼ? がぼぼぼぼーぶ!」
「溺れてるのに必死に喋らないでもらえます!? なんで自分で回収をやるといいながら泳げないんですか!?」
たまらずリリティアは触手の根辺りを狙って刻んでやる。
剣風によって触手はそのまま地べたにべしゃりと落ちた。
するとなかからずぶ濡れのアクセナは1匹の女性をを担いで這いでてくる。
「かぁー! あの色的に塩っ辛いと読んでたけど意外に無味無臭だったんだなーっ!」
むっくり起き上がったかと思えば大斧片手に仁王立ち。
助けられたたというのに偉そうな感じで薄型の胸をふんと逸らした。
「なんでコイツは下はいてねーんだな? まーちょっと前々全裸だったらしいしどうでもいいなー」
塗れて透けた衣服が褐色肌を透かし、さらに未熟な体つきを浮かしていた。
両端でバランス良くくくった長い2房に、父について社交界へでむくような愛らしい着飾った服装。背丈も小ぢんまりとしてるからか似合ってるほうだろう。
そのため眼帯娘の大雑把さがより際立っている。服を買い与えた者の望む姿ではきっとないはず。
空で囮をつづけながらリリティアは珍しく声を荒げた。
「お願いですからちゃんとやってくれません!? 抜け殻たちを無事に回収するだけでどれだほどの時間を費やしたと思ってるんです!?」
するとアクセナは女性を地べたに寝かせ、スカートを絞りながら唇を尖らせる。
幼い見た目のわりにむっちりと肥えた太ももを絞られた水滴がつつ、と伝う。
「あちしちゃんとやってしぃ! てかそういうのどうでもいいからな! ちっとばかしあちしの天才的な発見の話を聞いてくれーなっ!」
「なるほどわかりました! 私の声そのものが脳に届いてないということなんですね! 注意するだけ無駄ってことがよーくわかりました!」
「いやいや聞こえてはいるんだーっ! ただ泳げねーものは泳げねーんだもんしょうがないんだーなっ!」
アクセナの口みずからによって明かされる衝撃の事実である。
しかしあのザマを見させられていれば薄々察しがつくというもの。
「だからこそより悪辣なんです! なにか話があるのならいったん距離をとってからにしてください! ほらそのてん……抜け殻も運んでくださいね!」
あいよぅ。威勢の良い返事とともにアクセナとリリティアは龍玉から距離を離す。
撤退ですら俊足だ。さすがはLと讃えられる斧動明迅と言えよう。
空を駆けるリリティアが全速力でないにしろ、アクセナも自分より大きい少女を担いでしっかり泥の上を並走してついてくる。
どこもかしこもミルクを溶かしたティーの色だ。湖畔の景観はなにがあったのか見れたものではない。
その上、ブヨブヨと赤黒い巨大生物が鎮座している。だから冥府の路地裏へ足を踏み入れるかの如き凄惨な光景だった。
無論のこと龍玉の狙いは龍族であるところのリリティアである。そのため射程からでなければ無限に触手を伸ばしてくる。
動きは鈍重なため追いつかれることこそありえない。だが1撃貰えば必死となるならば注意をしておくにこしたことはないだろう。
「アナタが投げ飛ばした抜け殻たちはこの先に寝かせてあります! とりあえずそこを目指しますよ!」
リリティアは化け物へ意識をむけつつ、アクセナへ視線を配った。
すると「おうご苦労だーっ!」元気よく白々しい声が返ってくる。
「それでさっき言ってた天才的な発見ってなんです!?」
どうせアクセナのことだからろくでもないことだろう。
ただもしそうでないのであれば聞く価値は大いにある。なにせ今は藁をも掴みたい状況だ。
「あのヌルヌルブヨブヨのなかにほぼ半裸みたいなムチムチエロねーちゃんが浮いてんだー!」
「あれは邪龍です! あの滲みでる憎悪を胸に溜め込んだ肉欲の化身こそが騒動の元凶です!」
「すげー強烈な思念がだだ漏れてんなーっ! でも男はああいうの好きだからしゃーねんだーなっ!」
アクセナの言う通りあの女は胸がでかい。それも豊満さを見せびらかし自慢するような服装をしている。
もとい、彼女こそ龍族が生贄となる恐怖に支配されてしまった元凶そのものだ。
思うことは数あれど、リリティアは――とりあえず――薄い胸に感情をしまっておくことにした。
んで、だーっ。強烈に癖のある舌っ足らずな声が風の音かき分け聞こえてくる。
「あの邪龍ってのがひとりでぶつぶつ言ってんだーな! 気になって聞いてたらひりゅう、よくわかりゅーとかって夢見顔しながらぬかしてたなー!」
ふとリリティアはしばし視線を彷徨わせた。
そして合点がいく。と、同時に目的地が見えてきたので泥の上へ着地する。
そこには無造作というわけではないのだが、湖の岸辺りに4匹の龍たちが寝かされていた。
「その最後の子もここに寝かせて下さい。泥まみれの場所ですがあのなかよりは快適です」
あるていど敵との距離は離せた。おかげでもう声を張る必要はない。
アクセナは担いでいた少女をどさりと泥草の上へ寝かせてやる。
「こうやって見てっと寝てるようにしか見えねーんだーなっ」
これですべての救助作業は終了した。眠ったまま横に並ぶ5匹の龍たちがその証明だ。
本当ならばもっと安全な場所に避難させておきたいところではある。
だが、あの化け物と距離が開きすぎると逆にまずい。狙い逸れれば犠牲者が増える可能性があった。
そのため化け物と少し離れた場所を緊急避難場所としている。
ここならば退避と出撃を迅速に繰り返えせば敵との距離は開きづらい。
それになによりもう救助作業をしたくないというのがリリティアの本音だ。
純白のスカートをひらめかせながらずるずる地滑りしながら地上へ降り立つ。
「さっきのお話ですけど、それはきっと飛龍と翼龍のことを言ってるんだと思います。あの双頭龍にとって、言ってみれば新婚家族のような間柄だったはずです」
アクセナの聞き間違えた、良く分か龍なんて龍はいない。
リリティアが去ってから生まれた龍ならば話は別だ。だが倫理的にも、子へも、そのような罪ある名を命名をする龍はいない……はず。
大荷物を下ろしたアクセナも革手で額の汗を拭う。
それからサイズ感のオカシイ大斧を小さい肩へどっこら背負った。
「なるほどなー、だからあの龍玉を抱きながらぶつこら言ってたわけだー。あぁん愛する飛龍、うふふん翼龍のことも大好きよぉん、ってなぁ」
くねくね身を捩りながら演じているのは邪龍のマネだろうか。バカにしているとしか思えないクオリティーの低さ。
しかしリリティアにとっては同族として笑えるはずもなく。
旦那と息子を同時に失った龍がいる。それも龍玉による初めての犠牲者となってしまった。
さらにいえば邪龍ミルマは2つの異なる心を1つの体に同居させている。
「双頭龍であるがために2つの宝物を奪われることは倍の負担を強いられることになったようですね。そのせいで彼女は壊れ、ああなってしまったんです」
リリティアは、うねり狂う化け物をどこか寂しげに眺めた。
龍玉の赤黒い液体のなかに浮いているのは核かなにかだろうか。
そんな禍々しい揺り籠のなかで、1匹の母が今なお過去に縛られ……生きながらに時を止めている。
神による奇跡によって心を崩された。となれば彼女もまた心無人とするべきなのかもしれない。
「しかも最後に私が見た彼女の姿はまだ壊れかけでした。しかし今はもう……完全に壊れてしまっているのかもしれないです」
見るに耐えきなくなったリリティアは、僅かに長いまつげの影を伸ばす。
相手がなんであれ、それはとても悲しいことのような気がした。
――きっと自分もテレジアに出会わなければ……。
そう思うとテレジアを模した龍としては、やはり辛かった。
しかしそんな感傷的な気分が横のドワーフ雌に伝わることはきっとない。絶対にない。
「じゃあオカシイんじゃね?」
なにがです、と。リリティアは口を開きかけた。
だがアクセナの喋りだしのほうが僅かに早い。
「だって1個目の龍玉が奪われちまってんだーな? んでもってあれはラグシャモナの産みたてほやほやな新品の龍玉なんだったーな?」
未熟な体をごと横へかたむけながらつづけた。
豪快な革手をほっそりくびれた下らへんに添え、右へ左へ体をかしげる。
いちおう情報は耳に入っているのか一丁前に推理しているらしい。しかもこれほど冥の神の名を安易に口にする者もそういまい。
「アナタの言う通りあれは再拝された2つ目の龍玉ですが……」
だからどうした。言葉へする代わりにリリティアは、目をじっとり細める。
今まで組んできた相方は数多く、これほどテキトウで組みづらい相方は初めてだった。
それはもうがっくり項垂れ、「はぁぁ……」深いため息を吐いてしまいたくなるほどに。
「そんなことではなくて……アナタは邪龍を無事に引っ張りだす方法を考えて下さい。しかも海龍たちの抜け殻を助けるのにどれほどの時間を浪費したと思っているんですか……」
アクセナが溺れている相手にすっかり東側の空が黄昏色に染まっていた。
できることならばさっさと邪龍を化け物から引きずりだしたい。そして龍玉を破壊した後、焔龍との決闘へ駆けつける。
やることは簡潔明瞭。なのに途方もない体力を消耗させられていた。精神への疲労のほうもなかなかである。
そうこうしている間にも敗血の如き毒々しい化け物がどんどん膨れ上がる――近づいてきている。
戦闘に備えリリティアが剣を構えそうとした、その時だった。
「んじゃあちしにいい考えがあんだーっ!」
これには意図せず「んぇ……?」リリティアの口から変な声が出た。
得意げに突きだした顎をしゃくるアクセナへ、「今……アナタなんて言ったんです?」驚き孕んだ問いを投げる。
「ウシャシャシャッ! あちしがなんとかしてやっから言う通りにすんだーっ!」
口角をうんともちあげた鮫歯の笑み。
勢いよく眼帯を外したアクセナは、それはもう嬉々として大斧を担ぎ直した。
「あのムチエロねーちゃんのとこまでいってあちしのことをぶん投げてくれだーなっ!」
もともとそういう顔ではあるが、いかにも悪いことを考えてます顔だった。
すでにアクセナはやる気満々だ。ある意味から回ってると言えなくもない。
しかしリリティアにはどうしようもなく嫌な予感しかしない。
「……あきとさぁん……ゆえらぁ……助けて欲しいですぅ……」
だから、お手上げと同等の渋い微笑みで2色の空を扇ぐことしかできなかった。
しかも詳細を聞いても教えてくれなかった。最悪である。
……………




