480話 【真の英雄VS.】真の傑作 焔龍ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート 2
さらには極大の暗黒物質。呼び起こされたのは世界を喰らうが如き大口。
「我々は長きに渡る戦争をつづけていたのだ。貴様らのようにのうのう停滞していたわけではない」
闇のなかで生白いシルエットがぼう、と浮かび上がった。
長い髪は狂気の波動によって流麗に狂う。斑に透かされたドレスがバタバタと激しく乱舞する。
彼女のモチーフである夜色は、エメラルド色の深い緑へ、血色の瞳は珠玉の翡翠へ。
「始動せよ。《胎動する常闇》」
そして黒のヴェールを脱ぎ捨て、ヘルメリルはエルフ色を身にまとう。
だが彼女の本質は変わらない。ただ友を救い、敵へ罰を下す。
『また奇天烈なものを、空へ浮かぶ漆黒の渦とはな。あれはなんなのだいったい――なッ!?』
その時。とくん、という脈動が大気を揺らがした。
直後にディナヴィアの巨体がずず、と。押し潰されるように、沈む。
『グ、オオオッ!! これしきの魔法で妾へ楔を打ち込んだつもりか!! いい気になるなよ長耳!!』
爪先が、野太い尾が全身が、徐々に埋没していく。
必死に長首を反らして抵抗するも、ここはすでに領域のなか。ヘルメリルによって生みだされた私的空間。その入口。
天空へ呼び覚ましたのは大扉よりも遥かに巨大な彼女の世界だ。
「ここに存在するは白龍との決闘を演じた私ではなく、そして貴様の出会ったどの私ですらない。明日へむかうことを辞めた貴様には理解できぬ話だろうよ」
ヘルメリルは蝶の羽ばたきでより高みへ登っていく。
「昨日の自分より今日の自分は1歩でも先を歩く。重ねてゆけばいつかは目指すものの背に追いつくと信じて」
さらに荒れ狂う。森が、土が、世界が、予兆によってざわめきたつ。
目を中心に吹き荒れる風。木々が千切れ舞い踊り、葉が無残にも散っていく。
ここ中央だ。この森にぽっかりと開いた狭苦しい決闘場こそ天地万象を狂わす嵐の根源である。
そして凶暴なせせら笑いを浮かべる女王こそが事象の元凶だった。
『この身を封じたとて次はどうしてくれる!! また一つ覚えのように小石でも落とすか!!』
ディナヴィアは全身を揺すりながら高みへ吠えた。
しかしヘルメリルの準備はすでに整っている。
「聞いているか夢見る大樹よ!! 不倶戴天の志をもってして誅す時こそ今ぞ!!」
吊り上がった口角はさながら消える直前に現れる月のよう。
王としての気品も優雅さもない。あるのは憤怒と狂乱を演じる艶めかしきエルフだ。
さらに現段階の大陸には夢見る大樹が植えられている。
大陸世界に満ちる環境マナ。これによりヘルメリルは底というモノを失った。
「これぞ我が真なる呪術よ!! その威力をその身に刻め!! 創造主の作りだした駄作よ!!」
空にポッカリと開いた穴から採算度外視の超魔法が夢幻の如く注がれる。
月、否。それは十字、あるいは隕鉄。ヘルメリルが丹精こめて作りだした傑作物たち。
「今日このときを今は亡き友へ捧げるッ!! 再び踏んだ共に駆けた運命の大地にて供養させてもらうぞッ!!」
無数の十字架が粒々と降り注ぐ。
これらを作るのに要した時間は幾晩を超えたかすら記憶の果てだ。
友の亡骸を思いながら、1本1本を機を織るよう積み上げたもの。
「貴様には八つ当たりの犠牲となってもらうぞッ!!」
自由を奪われたディナヴィアめがけて無数の墓標が建てられていった。
『オオオオオオオオオオオオッ!!』
尽く、降り注ぐ。
たかだか1匹へ、数多くの十字架が――罪と後悔が重ねられていく。
ディナヴィアの咆哮すら万もの十字架が埋め立てていく。
上空に顕現した漆黒の渦は、エルフ女王の宝物庫へと繋がっている。
そしてそれらはあの日失った友へ捧ぐ。龍との決闘が原因となって永遠の眠りについた聖女へ贈る、墓標の群。
「……チッ! やはりこのていどでは屈さぬか……」
しかしそれではまだ足りぬ。
眉をしかめて舌を鳴らしたのはヘルメリルの側だった。
もうもうと烟る炭の墓地では、日輪の如き焔光が絶たれることなく輝きつづけている。
『…………』
「Grrrrr……」
あれだけの墓標を受け、未だ女帝は健在だった。
結局は汚すことすら叶わず。巨躯そのものが1つの美術品のように美しいまま。
その周囲にはヘルメリルの作り上げた墓標だったものが散らばっている。つまるところすべて受けきったわけだ。
爪、尾、拳、あるいは鱗を使って捌き切った。あれだけの攻撃を前にして無傷ということ。
「――シャアアアラアア!!」
「ッ!?」
残心をとるよう佇んでいたディナヴィアへ、2の矢が襲いかかる。
まるで筋肉の投石だ。巨漢が両の腕を鈍く光らせ猪突猛進に突っ込んでいく。
「ワシぁこれでも負けず嫌いでのう!! あの日あの晩以降どうやってその鱗を叩きのめすか考えちょったのよ!!」
疾駆するゼトの手には紅の槌と鋼色の図太い金槌がもたれている。
ヘルメリルはたまらず「赤は使うな!!」と叫んだ。
すると老父はうんと口角にシワを集めて「わあっちょるわい!」喉をがなり返す。
「……Grrr」
そしてディナヴィアはそちらを横目に鼻を鳴らす。
握りこんだ拳を解き、密かに爪をたて、反撃の容易を整えた。
するとその時。龍にも負けぬほどの巨躯が颯爽と横切る。
『こっちだよッ!!』
美しき毛並みの大狐がディナヴィアの背を上から思い切り踏んづけた。
その衝撃でディナヴィアはぐらりとバランスを崩す。
「うッ……! 小癪な……!」
だが寸でのところで拳を突き立て転倒だけは避けた。
しかしニーヤの援護によって出来た一瞬の隙を見逃すものか。
ゼトは筋骨隆々とは思えぬ風の如き跳躍をする。
「しっかしワシは頭つこうのは苦手で息詰まっとってなあ! そんななか急にあんなモンこさえろってよ、弟子がちくと変なもんもってきよったわけじゃあ!」
そしてディナヴィアの上をとったまま金槌のほうを振りかざす。
それは彼とのつき合いが長いヘルメリルでさえ見たことのない代物だ。
「あれは白でも紅でもない新作と言っていたな。クク、今度はなにを作ったものやら」
いつでもゼトの援護に入れるよう様子見は欠かさない。
しかし大毬を期待に揺らがし嫣然と笑む。
大陸最高峰の魔法鍛冶師が作る品だ傑作でないはずがない。
「ドワーフってのは目新しいもんが大好きな性分でなあ! しかもどいつもこいつも腹んなかじゃ自分の作品が世界でてっぺんだと思ってやがらぁ!」
『ならばその珠玉の1品がガラクタであると証明が出来る良い機会であるな。なぁに落ち込むことはない、そちら側とこちら側の差というものよ』
いつになく暑苦しいゼトに対してディナヴィアは涼しい顔だ。
上から降り注ぐ重圧に未だ苦戦しながらも、飛翔する彼を険しく睨む。
「じゃあかあしいわあ!!!」
そしてゼトは1撃を振るい見舞った。
重力やら体重やらを乗せるだけ乗せた渾身の1撃。ズグンという衝撃が波紋のように広がっていく。
「――GIIIッ!?」
穿たれたのは鱗に覆われた首筋のつけ根の辺りだ。
その威力たるや、ディナヴィアが牙の隙間から呻き、首を弓なりに逸らすほど。
しかしそれではただ鉄塊をぶつけただけにすぎない。衝撃が伝わっても鱗すら欠けることはない。
「ヘヘッ……! そんなドワーフ族がよお……あんなフザけたモン見せられて黙ってられっかってんだ……!」
ゼトは煌々と輝く龍の背に立つ。
そしておもむろに紅の槌を放り投げた。代わりに金槌を鋼鉄の両手で握りしめる。
どこか彼のまとう雰囲気のようなものが普段と違っていた。
それはまるで面白い玩具を手に入れて悪事を企む悪ガキのソレ。年は喰っても童心のまま。
そしてゼトはもう両腕で握り直した金槌を振りかざす。
「よう見とけよ!! これが超過技術ってやつらしいぜえ!!」
すると金槌が轟々とした炎を吹きだした。
奇っ怪な音にディナヴィアは微かに目を剥き、怯むほど。
「必滅無情!! 粉骨爆砕!!」
ゼトが次に叩きこんだ1撃は、違った。
どうやらその角張った鋼の内側にはとある機構が組み上げられているらしい。
体内マナを入れることにより魔法による点火が起こる。その炎によって加速することでさらなる感性を加えるというもの。
その鋼の金槌の名は――《解体槌ガンダーラ》というのだとか。
「――ガンダラアアアアアアアア!!!」
漢の猛りに追随し、強烈な轟音が木霊する。
解体槌ガンダーラの先端部分から目を潰さんばかりの閃光と爆音が轟く。
なにかが潰れるような、それでいてよく通り、重く弾ける。そんな音。
「いようし。今回はワシの勝ちじゃな」
ゼトは勝ち誇ったように吐息を吐いてから 血 振 り をくれた。
キュラキュラ腕を軋ませ、肩に先端の潰れた解体槌を担ぐ。
発破されたディナヴィアの首筋辺りからはしどと鮮血があふれている。覆っていたはずの鱗は弾け、その周囲からは光が消えた。
ゼトは技術をもってして焔龍の強靭な鱗を看破して見せた。
しかも相手はただの龍ではなく、最強の龍である。その身に傷を負わせることがどれほどの誉れであることか。
「小せぇ1歩じゃが進んだことには違ぇね――ぬぅッ!?」
ゼトの乗っている首筋の辺りを長い尾っぽが薙いだ。
しかしどうやら当たってはいない。旋風の如くニーヤが直撃前にゼトの体を押しのけ回避している。
「おおすまんのう! ついつい勝ちの余韻に浸ってしまったわいな!」
急死に一生というのに気さくなものだ。
どっしりと着地を決めてからニーヤへ礼をする。
「いつまで勝ち誇って仁王立ちしてんのさ!? っていうか使えるの1回だけなのソレぇ?!」
「おおよ! ハナっからワシの勝負は鱗に勝つか負けるかじゃ! それにオマンもこのデカブツを倒せるなんざ思うておらんじゃろがい!」
ガハハ、なんて。豪快に笑うゼトの横でニーヤの尾っぽはがっかりと萎びていく。
相手は大陸最強龍族である。その上に頂点である。
常識的観点からすればヘルメリルたちにまず勝ち目なんてない。
『威勢の良さは認めよう。これが汝らの積んだ研鑽、努力の賜物というやつか』
無論ディナヴィアだって『効かぬわ』と。そのつもりでこちらの攻撃をすべて受けてくれたのだ。
して驕っているわけではない。なにせ彼女は強すぎる。
こちらには残念ながらそんな彼女を討伐する手段をもちあわせている者はいない。
『……小さいな。あれだけ息巻きながらこんなものか……』
ぽつり、と心から発される声を漏らす。
それはどこか悲しげな音色だった。
だがメソメソとしたのも束の間。貫くような咆哮によって上書きされる。
「GWRAAAAAAAAAAAAAA!!!」
『お遊びはこれまでにしておこう! 西の英雄たちよ! 《猛火烈炎の吐息》!!』
そして英雄たちへむかって白炎が放たれた。
しかし吐息は当たる直前に面々を避けていく。
衝立となるように存在しているのは、発現したばかりの7色の壁である。
「……皆さんにちょっと聞きたいことがあるんですけど!?」
テレーレの、《聖壁》だった。
さすがは聖女のみが扱える天界由来のマナの壁だ。焔龍の炎ですら完全に防ぎきってしまう。
そして壁を保持したままテレーレはふわ髪を揺らがし、ぐわっ、と振り返る。
「あのう!? これってもしかして私が防御役ってことなんですかあ!?」
「ワシらじゃあの炎に耐えれんもん。必然的にそうなってしまうのう」
捨てた紅の槌を揚々と拾い上げたゼトは、顎髭をしゃくった。
ヘルメリルとニーヤも、すでに聖壁の後ろへ避難を終えている。
「はじめからセイントボードの役割は壁だ。なにをいまさらになってぴーぴー喚くというのだ」
「にゃあ。あとは作戦通りに時間を稼ぐだけだにゃー」
「ひーん! 責任重大すぎるじゃないですかー! あとそのあだ名いいかげんにやめてくれません!?」
テレーレが半泣きでさえずったとして、どうあっても彼女は最強の壁てある。
そしてLたちにはじめから勝つ気なんてないのだ。
それはヘルメリルがすでに口にしたことでもある。今やったのは本当にただの八つ当たり、あるいは憂さ晴らしにすぎない。
幾何学模様の7色を通して光が降り注ぐ、余波による熱が肌をチリチリと焼いてくる。
そんな緊迫するなか。決闘場の端の辺りでは緑色の蔦による繭のようなものが完成していた。
それをゼトの白く霞んだ瞳がちらととらえている。
「さあてどうすっかのう。アヤツが目覚めるまで耐え抜くとは老骨に鞭打つようなもんじゃぞ」
ヘルメリルとニーヤだって、そう。
戦闘をしながらも、羽化するのを今か今かと待ちつづけていた。
なぜならそれで良いのだ。約束したのは勝利ではなく、守り抜くことなのだから。
「それでも約束したのだからやらねばならん。なにせ勝利の鍵を握っているのはNPCだからな」
「あの臆病者の舟生が負ける気で戦いを挑むはずがないもんね。とりあえずここからはワンマンプレイはなしってことにしよっか」
その繭がいったいつになることやら。しかも戦力差は圧倒的。
だからといって引く者はいない。
耐え抜く、はじめから目的はそれのみ。なにせこの決闘は彼の望んだ決闘なのだ。
「ではこちらも足止めと時間稼ぎをしようではないか! ゼト、ニーヤ、テレーレ! あのわからず屋を討伐するつもりでかかるぞ!」
ヘルメリルが気風よく尻を叩いてやる。
すると全員から「応」活きの良い返事が返ってきた。
救われた者たちは襲いくる最強の攻撃をものともせず、たちむかう。
途方もない存在者と死闘を演じる。龍の顎へ己の身を顧みず飛びこんでいく。
ディナヴィアの攻撃はどれに当たっても例外なく必殺だ。雑魚相手ではないのだから手抜く理由もない。
それでも英雄たちは魂すら削る思いで、1人の英雄を守り抜くと誓う。
――白銀の舞踏……貴様はいったいどこで油を売っている?
きっと目覚めの朝はくる。
再び運命の夜明けがくることを信じながら。
――貴様もまたそうなのか? 私たちのように信じて戦っているのだな?
ヘルメリルは、夕暮れを迎えつつある青い空に問う。
どうやら白き風は吹きそうになかった。
♪♪♪♪♪




