472話 【VS.】龍玉 Dragon Heart 2
タグマフが背に生やしているは本来のの翼だ。種の姿に合わせたものではない巨大な実物である。
その特攻ともとれる行動だ。一部だけでも形態変化は危険極まりない。
しかし愚かなれど若く熱い覚悟が、力強い羽ばたきで襲いくる紅の大蛇をつぎつぎ躱し、空を裂く。
さらに今まさに呑まれようとしていた2匹を激流のように攫ってしまう。
「おっしゃあ!! 見たかよォ!!」
翼を畳んだタグマフが喚かんばかりに勝鬨を上げた。
天へ突きだした拳。彼がガッツポーズをとっても許されるだろう。
「へ、へへへ……! やった……! やったんだ……!」
しかしよくよく見れば掲げた拳は微かに震えている。
無謀ともとれる突飛な行動だが、ムルガルとセリナをすんでのところで救いだした。
だからといって喜び呆けている場合ではない。
「僕の巣へ急ぐんだ! あそこなら槍をより効果的に使えるはず! 死にたくないなら全員急いでよ!」
身を翻したスードラはまくしたてるように全員へ指示をだす。
ムルガルとエスナも小さく頷き、タグマフもまた同様に青い尾っぽの後につづく。
「逃げることには同意する。だがなにか策はあるのか?」
「そうだよう! あんなのどうやったって止めらんないよう!」
「べらべら言ってねぇで逃げるしかねぇだろが!? あの邪龍がブチ切れてんだぞ!?」
喧々諤々とはしているが、面々に異論はないらしい。
どうせあったとしても議論に費やす猶予は1秒足りともありはしないのだが。
なにせ地上では禍々しい光輝が膨れるばかり。そこから生えた無数の腕が彼らの魂を欲するように踊り狂っている。
「たぶんアレは触れたらダメなヤツだね! 一瞬で魂を吸うタイプのなんかだと思う! たぶん!」
スードラによる自信満々の多分だった。
もとよりアレがなんであれ実験検証をする阿呆はこのなかにいない。誰だって死にたくなんかないのだ。
「触れずに、か。ふむ、それで海槍ということなら悪くない着想だ」
最後尾を飛翔するムルガルは、首の代わりに尾を上下に揺らした。
あれだけのことがあっても進んで殿を務める。逃走のサポートに回ってくれているようだ。
粋な心意気を買ったスードラは、ムルガルへニヒルな笑みと指を1本差しむけた。
「そういうコトだね! 話の早い黄龍にはスードラくんポイントあげちゃう!」
するとエスナがきょと、と小首をかしげて聞いてくる。
「ねね? そのスードラくんポイントってなに使えるの?」
しまったなにも考えていない、というのが心理だ。
とはいえ言った手前スードラは顎に指添え、しばし悩む。
「えあ~? 1ポイントにつき1枚だけ僕の服を脱がせられる……とかどうかな?」
「2ポイント以上必要ねぇじゃねーか!? ってかオメェを脱がせて誰が得するってんだよ!?」
「えぇ……僕って可愛いから結構広めの層に需要あると思うんけど?」
ねぇよ! タグマフの鋭いツッコミが入れられ雑談はひと区切りの様相だ。
4匹の龍が抵抗はおろか尻尾を巻いて逃げ惑う。
目的がはっきりしたならば兎にも角にも湖を目指すしか道はない。
その間にも先ほどまで戦っていた森周辺は、禍々しい変質を遂げていく。
まるで眠って見る悪夢のような光景だった。
あれが龍玉の真実の姿か、または使用者の怨念の深さか。
「これはもう時間稼ぎどころじゃないよね。ねえ、どうしよっか?」
スードラは、イカサマ臭い笑みを作りつつ眉をしかめながら尋ねる。
生肌を惜しみなくだした肩をすくませ、振り返った。
「……邪龍を見放すと言いたいのか? アレも冥より賜りし宝物の被害者なんだぞ?」
彼が曖昧な問いかけを投げた先には、ムルガルいる。
暴れる長髪のむこう側でギラリと真紅の瞳が光った。
しかしスードラは素知らぬ顔で平然とつづける。
「そうはいってもさ、ぜんぶを救おうっていうのは傲慢だよね。捕まってる黒龍も助けて、縛られてる焔龍も助け、しかも諸悪の根源である邪龍も救う。そんなのって虫がよすぎると思わない?」
ことここに至って嘘や騙しは言っていない。
突きつけるのは現実という羅列だ。すべてを救うということへの責任の重さ、そして甘さ。
「……虫がよすぎる、か」
ムルガルは、青い瞳から微かに目を伏せて逸らした。
それでもスードラは、今度は真顔で真剣に、問う。
「どうしても助けたいって気持ちはわかるよ。そりゃあ邪龍だって冥府の神ラグシャモナの犠牲者だもん。でもこのままじゃもっと被害者が増えることになる。それくらいさすがにわかって言ってるんだよね?」
時間稼ぎという段階は、とっくに過ぎ去っている。
決闘が勝利で飾られても、このままでは崩壊を避けられぬ。だからこそこちらはどのような手を駆使してでも止めねばならない。
例えミルマが怨念を抱いたまま輪廻に送られるとしてもだ。
「理を外れてしまった外道は在るべき場所へ還す。ここからの方針はそれで構わないよね」
「…………」
ムルガルは口をつぐんでスードラと目を合わせてはくれない。
踊る髪のむこうで表情も暗く淀んでいる。
きっとわかってはいるのだ。もう邪龍ミルマの止まってしまった時を動かすことは出来ない――だろう、と。
「わかってくれてるのならそれでいいんだ。僕たちが生き残るためにはもう邪龍と刺し違えてでも戦うしか道がないんだよ」
スードラは小さなため息を漏らす。
薄い胸から暗い気持ちを絞りだし、前をむく。
すでに見慣れた湖は遠間に見えてきている。キラキラとした湖面はまるで希望の光そのものだ。
しかし反対側からも蠢く塊が森を一直線に削りつつ迫ってきている。死を体現した絶望そのもの。
「……は罪、なのだろうか?」
振られた青い髪が浮かび風にさらされた耳へ、囁くような音が聞こえた。
消え入りそうで呟くような。それなのに吹き荒れる風音に逆らって確かに届いた。
それは青い尾の揺れるもっと先の最後尾の辺りからした気がする。
「ふふっ、やっぱり諦めきれないか」
スードラはもう振り返らなかった。
――願うことは決して罪じゃないんだよ。だってそれは僕が焔龍に望んでいたものでもあるんだから。
代わりに少女のような顔立ちへほんのりとした微笑みを浮かべる。
清々しい横顔を見るものはきっといない。
「やれることはぜんぶやる……か。まったく……近ごろは僕も 泥 臭 く なったものだね」
それでも心が確かな決心へと変わった。
そんなほころぶような笑みだった。
――絶対に黄龍がこんな意固地になってるのも彼のせいだよねぇ。なんでか彼の周りはみ~んなお人好しになっちゃうんだもん。
いやんなっちゃう、なんて。
スードラはなんとも形容し難い感情を覚えてむむぅ、と唸った。
すると前方を指差したエスナが甲高い声を上げる。
「あっ! あれあれ! あそこになんかいるよ!」
見れば指先は湖面の端の辺りを差していた。
そこへさらにたたずむ影がひとつほど。
日光に晒された頭頂部が目印のようにキラリと光っている。
「――キェェイッ!! なにやらおぞましいことになっておられるようですなあ!!?」
そりゃあ背後からあんな物を引き連れての登場だ。文句のひとつでも言いたくなるだろう。
堂々とした仁王立ち。なのだが非常に強張った顔でグルコが一党を迎える。
そしてスードラは滑空からの不時着を華麗に決めつつ、青草を舞い上げ、横に並ぶ。
「おまたー! まさか土龍が協力を申しでてくれるとは意外だったよ!」
「こんなことになると知っていればァ!? 協力なんぞ申しでたりするものかァ!?」
青筋を立てながらの猛抗議だ。
しかし切り替えは早い。なにせもう引けないのだから切り替える生き残る道はない。
まるで示し合わせていたかのように2匹は詠唱を開始する。
「《仇なす者へ泡沫の安らぎを。穏やかなる漣に没して揺らげ、揺らげ、揺らげ》」
「《我祈るは信奉たる森羅万象の理。息吹く生命の母よ、いまいちど我が御手にお宿りくださいませ》」
さながら二重奏の歌声だ。
海を司りし龍と地を司りし龍による異色の共演ともいえよう。
詠唱に合わせ、2匹の周囲を彩るように水泡がぷかぷかと宙を踊る。大地より土の粒も浮かび上がっていく。
そして2匹の手には、各々の従える属性が集っている。
「《海神の槍》!」
スードラが呼びだし手にするのは、水精渦巻く大槍。
3つ叉の大きさは幼い彼の身長をゆうに越えている。
それを軽々片手で振り回し、びょうと風切り、高めの横へ突きだす。
「《紡ぎゆく地母神の鳴動!」
グルコが顕現させたのは、鈴の音に似た音を奏でる錫杖だ。
シャン、シャン、シャララ。地を突き、無を裂き、天に振る。片手は縦に簡易の祈りを籠めている。
そして海と地、2本の槍がカチンと交差した。
「土龍! やることはわかってるね!」
「応ともよ! ここはお主の住まう土地ゆえ根幹となる魔法は譲ろう!」
自然を司る龍のマナが、槍を通じて混ざり合う。
湖の水を飲み干すようにして水球が膨らんでいく。さらには黄土色をした土も水球の内部へ集っていく。
流し込まれる黄土色。徐々に透明だった水が粘度を増し、みるみる巨大に育っていく。
それをよそにエスナはちょいと尻を突きだして小首をかしげる。
「ねね? 土龍ってば逃げたんじゃなかったっけ? なんでこんなとこにいんの?」
置いてきぼりを食らってるのはなにも彼女だけではない。
羽をたたんだタグマフとムルガルも、一緒になって首を横にかたむけた。
「フム、即興にしては息があっている。照らし合わせていたかのような都合のよさだ」
「そういや土龍のやつの姿が途中から見えなかったわなぁ。てっきり飽きて土のなかに潜ってんのかと思ってたぜ」
その謎を知るのはスードラとグルコのみ。ふたりの秘密。
それは盲目であるグルコが常日頃から――無意味に――もち歩いている白杖に答えが隠されていた。
邪龍が参上した際にグルコはおもむろに杖を倒した。それもわざとそちらに目がむくようにだ。
その後すぐに跨いで隠してしまったが、彼のメッセージをスードラは見逃さなかった。
杖でグルコがスードラに宛てた龍族文字を、だ。
「まさか土龍が自分の足元に僕への愛の囁きを綴ってるとはね。でもあれって無声会話でよかったんじゃない?」
「突然の無声会話ではお主を驚かせてしまいかねぬ。そうなってはあの場面で目を光らせている邪龍に企てがバレてしまっていただろうよ」
スードラは「ずいぶんと紳士なことで」短くぴゅう、と口笛を鳴らした。
書かれていたのはただのひとことのみ。それも愛もへったくれもない。湖へ、とだけ。
しかしそれだけで意思の疎通は十分だった。
「かっかっか! こうして拙僧らが肩を並べ手を組むとはいつ以来となろう! 晴天に豪雨雷雨でも敷き詰まって降ってきそうだ!」
「長く生きてるんだしこういうこともあるさ!」
「然り! 互いに小癪に生きたぶん長い時を過ごしたものよな!」
2匹の魔法に引き寄せられた大地は勇ましく削げ、湖はざぶざぶとロマンチックな波を打つ。
すでに真下では、大陸に空いたほぞ穴の如き大きな影が落ちている。
槍と錫杖のすぐ上は丸く巨大な土色の水球がぶよぶよと震えながら浮かんでいた。
そしてあちら側も、もう間もなくで湖畔へと到着する。不敵な嬌声が聞こえてきていた。
「フフフ……フフフフフ……」
ミルマは、龍玉を大切そうに両手で抱えながらうっとりと目尻を下げる。
彼女を包むのはさながら思念体の塊だ。黒血色をした悪意に包み込まれながら笑っている。
両手で抱くように龍玉を胸にうずめている。
それを、まるで我が子を慈しむ愛に満たされた母のように見つめ、目を細めていた。
「イイコイイコ。アタクシの可愛い可愛い宝物さん」
その紫煙色の瞳はどこかを見ているようで、きっとどこも見ていない。
おそらくは過去、あるいは虚像。もしくは……在りし日の幸福だ。
ミルマは、なにもない場所へ、子ではない物を掲げた。
「翼龍も見て? 飛龍ったらこんなにぐっすり眠ってしまっているわ。ふふっ、きっとお父さんと遊び疲れてしまったのね」
しかもその表情は傍から見て幸せそのもの。
本当に心の底から滲みでているとしか思えない、豊かでみたされた微笑みである。
そしてそれこそが双頭の彼女にとって、3つ目の感情なのだ。
「お母さんはずっとここいてあげるから。お父さん……翼龍と……飛龍。お母さんは……ふたりのことを今でも……ずっと、ずぅぅぅっと……」
絶望の淵に追い込まれ心が乖離して生まれし、3つ首目。
死を乗り越えられず過去の幻想を見つづける、1匹の優しき母。
いつしか母――ミルマ・ジュリナ・ハルクレート――は、――父子を思いつづけるあまり――龍族の敵となった。
誰かがその思いを断ち切ってやらねば、もう前すら見ることができぬのだろう。
それほどまでに彼女は――母だったのである。
「愛しつづけているのよ?」
2つの心が2つ失い。
4つの絶望が、母という止まった時を生みだしたのだ。
★★★――……




