471話 【VS.】龍玉 Dragon Heart
黄色い日差しが躊躇なく照りつける。ひりつくような緊張感に身を浸しながら骨身を削る。
覇を競う戦いで無事という単語ほど縁遠いものはない。しかも使用する龍玉は1撃1撃が必殺となる。触れれば当然のように命を毟りとられる。
広大であるはずの空はなぜこれほどまでに狭いのか。自由なんてどこにもありはしない。
なにせ生を賭けて競い合うのは大空の覇者――龍である。ただそれだけのこと。
「体のコントロールはアタクシに任せるわ! こちらが詠唱するまで敵の注意を反らして頂戴な!」
「アタシは黄龍を相手するからそっちは海龍ね!」
ミルマは2つの顔を切り替えながら手をかざす。
片側は詠唱、もう片側の精神は戦闘と回避に注力している。双頭の彼女だからこそ出来る芸当だろう。
「《呪縛》!!」
そして僅かな間の後、不可視の鎖を発動させた。
なめらかな手指を開いてい撃つ方角には白い臀部と青い尾っぽが揺らぐ。
「ずいぶんと器用なことするようになったじゃないかっ!」
スードラは足首に巻かれた鎖を振り払おうと空中で身をよじった。
しかし鎖は絹の如き肌に食い込むほど強く巻かれ、外れる気配はない。
そしてミルマの手にはおどろおどろしい色をした宝玉が握られている。
「いい加減己の運命を受け入れなさいな! そしてアタクシたちに牙を剥いたこと後悔させてあげる!」
「これで1つ目。海龍がすんだら他の龍も残さず食べてあげるね」
龍玉から命を貪る禍々しい大蛇が現れた。
触れれば肉体から魂を引き抜く忌まわしき紅の帯である。
それが脇目も振らず拘束されたスードラ目掛けて顎を開く。
「まずっ!?」
片足を拘束され身動きがとれず。
だったとしてこれも策のうち。
――なぁんちゃってっ! 残念でしたーぁ!
内心ほくそ笑む。ついでに小憎たらしい笑みを浮かぶる。
彼がちろりと綺麗な舌を覗かせると、直下辺りの森から飛び立つ影が1つ。
地上から放たれた矢の如くの猛接近。ミルマにむかって一直線に照準をさだめている。
「ッ、下からの気配!? 防御――間に合わないかも!?」
「まさか黄龍ッ!? いつからそんなところに隠れていたというの!?」
森のなかに身を潜め気配を殺していたのはムルガルだった。
ミルマが慌てた様子でスードラを狙った龍玉をそちらへ仕向けようとする。だが、すでに遅い。
「上空だから縦横無尽。そう勘違いするのは俺たちの悪い癖だ。だからこその隙も生まれると覚えておくがいい」
強烈な拳が彼女目掛けて放たれる。
速力、腕力、知力、防護、さらには感覚でさえも魔法で強化済みだ。
物静かな彼の得意とするのは支援系魔法である。すべての平均的な状態を超越させる上級魔法――《オールエンチャント》。
黄金色に近い支援魔法をまとった打撃に当たればひとたまりもない。
ミルマは避ける動作に入ることすら許されず、無防備な腹部に1撃を被る。
「――はぐ、ぁッ!?」
肺をしぼりながらくびれた腰からくの字に曲がった。
唾液を吐瀉しながら苦痛に喘ぐ。
「もう1ついいことを教えてやる。これは俺が檻の外で得た教訓でもあるな」
しかしそこへさらにムルガルの長い足が振られる。
追撃。上から下へ首を削ぐような上空直下の蹴りがミルマの後ろ首をとらえた。
「お前は視野が狭すぎる。現実と遺恨……2つの意味でだ」
ぼそぼそと話す声は、はたして彼女の耳に通っただろうか。
攻撃を受けたミルマは森の茂った地上へ真っ逆さまに墜落していく。
落下と同時に鳴り響く森のひしゃげる音、もうもうと粉塵が舞い上がった。
さすがの龍とて先の1撃は致命的なはず。もし他種族だったならば命の保証はない冷酷な強打だった。
スードラは冷や汗を拭ってムルガルの元へ合流する。
「あーあー、爪に変化させて攻撃すれば今ので終わったのにさ。黄龍ってば邪龍にずいぶんとお優しいよね」
決まって彼からの返事は短い。
「最短最速が最適だ」
一瞬の油断が命とりとなる戦闘においても冷静だった。
真っ白いを顔して汗ひとつかいていない。クールな奴。
種の腕はナチュラルスキンゆえに軽く、とり回しも効きやすい。さらには爪という武器を構えれば殺気が漏れてしまう。
結果としてムルガルの判断に間違いはなかった。もしミルマに爪が回避されていたらスードラが龍玉の餌食になってたかもしれない。
わかっていることとはいえだ。スードラはイジケルように唇を尖らし頭の後ろで手を組む。
「ちぇ~……僕が危ない役を買ってでたんだから褒めてくれたっていいじゃ~ん。せっかく初めての共同作業だっていうのに冷たいんだからさぁ」
あられもなく晒される湿った窪みを風が優しく撫でていく。汗で蒸した戦闘の熱が冷める。
それをムルガルは感情のない瞳で流し見。その後おもむろに眉をひそめた。
「無声会話での策の押しつけ。ならあれは貴様の独断専行というやつだろう」
ぶーぶー。スードラが可愛らしく豚の真似をする。
しかしすでに彼の意識は彼方へむいていた。
この2匹に協調性は皆無だ。それでも策はうまい具合に噛み合ってくれた。
誘導からの強襲。さらにムルガルが死角まで突いてくれるとは、スードラにとって予測していた以上の成果である。
「さっさと戦闘で乱れた鱗を修復したらどうなんだ?」
「あらら。結構ボロボロにされちゃってるね」
言われてはじめてスードラは自身の格好に気づいた。
胸部の布地があられもなく割かれてしまっている。
胸板部分が臆面もなく晒され、股上が浅く腰部が狭い下着も線になって繋がっているだけ。
だからといって恥ずかしいという感覚は難しい。なにせ龍族はつい最近まで衣服という文化に触れていないかったのだから。
しかしまあ。スードラは、とりあえずやることだけはやっておくことにする。
「いやん黄龍のえっちぃ!」
「…………チッ」
小生意気に決めてみるも、より眉間と鼻筋のシワが深まるだけだった。
戦闘はこれでひとまずの節目を迎えた……といったところだろうか。落下したミルマが飛び立つ気配はいまのところない。
あれだけの攻撃をもろに受けたのだ。龍だから死にはしなくとも、しばらくは動けないはず。
だからといってすべてが好転したというわけでもない。
ムルガルはさほどという感じだがしかし囮役のスードラは生傷だらけ。
2対1でもこの有り様だった。種の身体に慣らしたミルマの強さは龍族のなかでも上位に食い込むほどだろう。
しかも相手には龍玉という切り札がある。2対1でこれだけやれれば勲章ものだった。
「まさか邪龍のやつが龍玉までもってくるとはね。今回はわりかし、ふにゅーくんに追い詰められてるってことなのかな」
スードラは――いい反応が返ってこなかったため――そそくさと鱗の補修にとりかかっている。
やりかた自体は単純。指先に1枚ほど鱗をだし、ちまちま破れた部分に貼りつけていく。
他種族は龍の鱗を大仰に凄い物として扱う。しかし龍にとっては皮膚どころか髪の毛1本ていどの価値に等しい。
補修する横では、ムルガルがミルマの落ちていったらへんをじっ、と眺めている。
「どうだろうな。少なくとも俺の知る邪龍はもっと慎重な龍だったはずだが……」
いまいち要領を得ないといった口ぶりだ。
支援魔法の光輝をまといながら、なおのこと注意深く尾を硬めて次の手に備えている。
「だよねぇ。それにわざわざ姿を見せにきたのかも謎だよね。どうしてそんなに黄龍に執着をしてたんだろ?」
「俺相手ならば楽にかたがつくと考えたのかもしれん」
「それ自分で言っちゃう……?」
2匹してむむ、と喉を唸らせるも音しかでない、答えはない。
狡猾なミルマにしては大胆すぎた。
龍玉なんてものをもちだしてそれが焔龍に知れれば信用問題に発展しかねない案件である。
しかも近ごろの焔龍は様々な物事が相成って精神的にもかなり……キていた。
そのことを知っているのはなにもスードラだけではない。ほぼすべての龍族が認知し、あえて触れようとしないところ。
ゆえにミルマの大胆不敵な行動が引っかかる。
いくら再拝された2つ目の神より賜りし宝物だからといっても、もちだしていい理由にはならぬ。
上空で日差しのシャワーを浴びつつ、2匹はしばし緊張の糸を緩める。
――それにしても邪龍のやつずいぶんと復帰まで時間がかかってるね。ま、このまま終わってくれればそれに越したことはないんだけどさ。
スードラは衣服の修繕もすんで手持ち無沙汰もいいところ。
それとほぼ時を同じくて彼らの元へ、また別の気配が急速に近づいてくる。
「黄龍ぅ! 海龍ぅ!」
幼さを捨てきれぬ頭の天辺からでるような高い声だ。
はたはた。明暗色をした翼を羽ばたかせエスナが2匹の元へむかってくる。
「2匹であの邪龍を倒したちゃった感じ!? だとしたらマジすっごいんだけど!? っていうか黄龍ってばメッチャ強くなっちゃっちゃっ!?」
「通常の言葉を話せ。それと俺にまとわりつくな。落ち着け天龍」
ムルガルは、人懐こい子犬のように絡んでくる少女の頭へ、ぽんと手を置いて制す。
それでも興奮冷めやらぬといった感じでエスナは「だってさだってさぁ!」目をキラキラに輝かせた。
「龍玉をもってる邪龍に買っちゃうなんてハンパないよね!? 危うくわたしが捧げられちゃうところだったからすっごい感動だよお!?」
丸い腰から伸ばした尾っぽが振り千切れんばかりに左右する。
するとスードラは何気なく、いつもどおりに視線を下げて「……ん?」ふと気づく。
間もなくしてムルガルも彼女の異変に気づいたようだ。
「……なぜお前は下を剥いていない? あの白いひらひらはどうした?」
低く尋ねられると、エスナは「あわわっ!?」慌てて下を隠す。
手で隠された場所には薄布が1枚きり。遮るもののない細く長い足が上から下から丸見えになっている。
「あ、あははっ……あれ黒龍から拝借したスカートだったんだよね。だから今……乾かしてるところなんだぁ」
エスナはバツが悪そうにムルガルの薄い目から顔を逸らした。
つづけて「なにがあったのかは……聞かないで」なんて。内ももを擦りながら微かに頬を桃色に染める。
「なにかあったのか?」
「聞かないでって言ってるじゃん! 黄龍は相変わらず乙女心がわからないんだから、もおう!」
まだ戦闘が終わったとは限らないのに無邪気で能天気なものだ。
それでもきっとエスナは、戦闘中にビクビクしながら傍観を決めこんでいたのだろう。
――生贄……生贄? ああ、そっか。この場には黄龍と天龍……そして僕がいるんだったっけ。
2匹の他愛もない雑談をよそに、スードラのなかでなにかが繋がった。
ことここに至って生贄となるべく龍が3匹ほど固まっている。
――しかも周囲からの視線がすべて決闘にむいている。なんだろうこの絶妙なタイミングは……偶然とは思えないな。
さらに熟考した。なにか大切なことを見落としている気がしたから。
恐らく今日という日は、ミルマが龍玉をもちだすかっこうの機会というやつだ。
それに部外者である風見鶏の土龍と、若くして融通の聞く岩龍は、言いくるめが効く。どうとでもなろう。
――つまり……今は邪龍にとって絶好の暴虐日和なわけだ。
中性的で愛らしい顔立ちを歪めながらかたむける。
――そして2つ目の龍玉に僕らを捧げて……それからどうするつもりだったんだろ?
小玉な頭のなかでは、次々に――かなり良くない――形が組み上がっていく。
なにか、圧倒的にとてつもなく、どうしようもないもの。
誰かの言葉を借りるならば――クソ喰らえな事態というやつ。
「まさか……いやっ!? そんな馬鹿なことを企んでるなんてさすがにありえない!!」
行き着いた瞬間。ゾワッ、と悪寒が背を駆け上るのがわかった。
スードラの覚えた感情は恐怖だった。
肌が総毛立つ。とり乱す心を写すよう額の宝玉がまたしても赤く点滅を始める。
「なにぃ? 海龍ったらどしたのさおっきい声なんてだしてぇ?」
どうしようもなく脳天気なエスナの声すら彼には届かない。
ただムルガルだけはその意図を察したらしい。
「なんだ? 邪龍はいったいなにを企んでいる?」
生白い顔に険を籠めて睨むように横目をくれる。
スードラの思い至ったのは、禁忌にも等しいほどに神への冒涜的行為だった。
「あ、あああっ……! ということはつまり……アイツッ!」
それはきっと口にすることすらはばかられなければならぬもの。
龍族だからこそ手をだしてはいけないもの。禁忌。
世界すらも崩壊させるほどの大惨劇の発端となりうるもの。禁忌。
禁忌。
「邪龍は僕らを生贄に捧げて――龍玉を自身に使用するつもりなんだッ!!」
スードラは推測を怒鳴り散らした。
きっとムルガルとエスナは聞こえていたに違いない。
しかしそれでも理解するほどの猶予はなかっただろう。
「《龍玉》」
時は止まった。
否、止まっているように感じているだけ。いわゆる走馬灯というやつだ。
眼下に広がる森が燃えている。
否、それらは紅であって炎ではない。
赤くうねる無数の腕が森の絨毯を押しのけるほどに満ちている。
――これじゃあ舟生くんが勝っても意味がなくなるじゃないか……。
スードラの視界はまるでコマ送りの様相だ。
1枚、また1枚、と。めくられていくたび復路なき死への旅路を映している。
――このままだと確実に龍族は滅ぶ……焔龍ですらアレには太刀打ちできない……。
腐敗した血色の光が真っ直ぐにエスナを狙って横切った。
辛うじて回避は間に合ったが、バランスを崩してしまっている。
「――ッ!! ――ッッ!?」
エスナは、目に涙を浮かべてなにかを訴えかけている。
だがその悲鳴は止まってしまった彼に聞こえない。
「――ッ!!!」
ムルガルは、バランスを崩した彼女へ手を伸ばす。
反射的だったのだろう、なにせ無意味な行為だ。狙われているのはどちらもなのだから。
それでも彼は我が身を犠牲にしてでも消えゆく命を救おうとしている。
「~~ッ!! ~~ッ!!」
ダメだよッ!! 逃げてッ!!
「――ッ!! ――――ッ!!」
ふざけるなッ!! もう誰かを置いて逃げるなんてゴメンだッ!!
「…………」
スードラは2匹の言葉を感じていた。
その身は凍ってしまったかのように動かない。
まるで金縛りにあったまま見ず知らずの世界の記憶を見るているかのよう。
共有した記憶にあったあれは、確か映画と言うものらしい。アレに現在の光景はとてもよく似ている。
そして2匹のいる場面に移り変わる。
今まさに呑まれてしまうところ。絶体絶命の危機というやつ。
きっとこの後、2つの魂が龍玉に呑まれるだろう。
きっと次には、その2つの生命を糧とし1箇所に群がった龍族たちを血の1滴まで喰らう。
それまできっと彼女はもう止まらない。
そう、これははじめからミルマ・ジュリナ・ハルクレートによって仕組まれていた終わりの形なのだ。
愛する者を2つ失ってしまった、2つの心。
4つ失って生まれた、1つの魂。
彼女たちによる世界への復讐――粛清が、このときより始まろうとしている。
残る龍族の魂を貪り食う史上最悪の怪物が生まれようとしている。
「クソッタレがァッ!! どいつもこいつもガキだからって見下しやがってェッ!!」
ムルガルとエスナが光のなかへ吸われる直前だった。
時すら飛ばしかねぬ暴風とともに、若き龍の咆哮が轟く。
「オレっちだって仲間のためなら命張るくらいの覚悟はあんだよォッ!!」




