469話 【蒼VS.】日輪の大帝 焔龍ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート 3
一陣の風となって疾走する。
能力で意識するべきは、早く走ることよりもどれだけ体力を温存できるかだ。
汗巻いた前髪はざんばらに乱れはだけ風のスカートを割って潜り込む。
1歩1歩で鋭く飛ぶようにそれでも最低限の歩数を刻む。
「……っくしょう……!」
胸甲や脛当て、背負った銃が奏でる鉄擦れに、混ざる。
「壊しやがって……ちっくしょう……ッ!」
殴れるものなら壁でも殴ってやりたい気分だった。
明人を苛む感情は後悔ではなく正真正銘の怒り。ワーカーを破壊されたという事実を脳裏へ描くたびあふれんばかりにこみ上げてくる。
心にポッカリと空いた穴、虚空の溝。まるで己の腕すらもがれたかのような膨大な喪失。
さらに一瞬でも虚脱状態に貶められた屈辱を忘れられようものか。
されど無理くり切り替えるしかなかった。明人は黒い髪を乱し怒りを汗ごと振り払う。
「はっ、はっ……冷静になれ……! 思考を曇らせるな……! 今だけは目の前の敵に集中しろ……!」
それでも熱くなるだけ自然と歩調が早くなっていく。
明人は自制して歩幅の調整をしつつ、荒げた呼吸を冷静に整える。
「女帝……ディナヴィア!」
それでも滾る感情を結んだ拳は固く重く握られたまま。
命なき兵器とはいえ共に苦楽を歩んだ大切な宝である。しかも彼の故郷は日本。物に魂が宿るとする八百万を良しとしているなら尚の事だ。
まだ彼はこみ上げる感情を押さえられるほど大人ではない。
だがしかし相棒を破壊され平然を装えるほど、彼は大人になるつもりもない。
「ワーカーが犠牲になったからこそ見つけだせたんだッ! アイツの綻び……必ずぶち抜いてやるさッ!」
チラ、と。険しい横目でそちらを睨む。
背負った銃の口越しに見るのは、真っすぐ伸びた1本の村道だった。
明人がいるこここそが円卓の決闘場の丁度外にあたる。つまり龍たちとともに作り上げた家々が立ち並ぶ村。
そしてさらにそのむこう側ではのしのしと2足で歩む巨躯が1匹ほど。
「GRRR――GRAAAAAAAAッ!!!」
視界が揺らぐほど鮮烈な唸り声が村中へと響き渡った。
山が動くような轟然たる歩み。通り道に人がいたとして結末は容易に想像できる。
しかし光鱗の龍は口惜しやといった表情だ。そうでなくても龍の厳しい顔立ちだというのにより際立っている。
彼女とて、まさか場外で鬼ごっこをさせられる羽目になるとは予想すらしなかったはず。
『どこまで妾をコケにすれば気が済むというのかァァ!!』
もはや怒り心頭といった具合、華美の欠片もありはしない。
ディナヴィアは大翼を広げて暴風を巻き上げる。
が、飛翔まではしない。なにせその翼を使えば自動的に彼女の負けが決定すると理解しているからだ。
「だから言っただろう引きずり落とすってさ。それに吹っかけたのはオレでも条件を呑んだのはそっちじゃないか」
『このような屈辱を浴びせられる羽目になろうとはなァ! 汝の処遇は万の死ですら生温いわッ!』
「GWRRRRRRRRRRRRRRRRRッ!!!」
どれだけディナヴィアが雄々しき憎しみに吠えたところで、龍の翼はすでにもがれた。
卑怯者の差しだした条件を遅効性の毒を知らずに呑んでしまった。そのせいで大空の覇者は地を這う爬虫類と化した。
『さらに魔法すら禁じ手とするとは、ッ――そこまで図ったというのか?! ならばはじめから仕組んでいたということか!? このブザマな戦いへ妾を引き込むためにッ!?』
自身が罠にかけられたとい事実がここで浮き彫りになる。
語るのは驚愕。それを上回る怒り。より一層ディナヴィアのの表情が険しさを増していく。
だからといって明人に答えてやる義理なんてない。
「はぁ、はぁ――企業秘密だッ!」
豪快に息巻くも、遠吠え。
追われているという焦燥で呼吸が乱れている。
視認できる死という緊縛感が凄まじいなか、時折後ろを振り返って距離を測ることに専念した。
こちらのペースに引き込めたとはいえだ。相手は巨躯で、龍の1歩は容易に大地を穿つ。
人如きの1歩より歩幅も大きいため移動が遅いというわけではない。
『脱せられると思うな! これほどの屈辱を味わわせた罪、地の果てでも精算してもらう!』
気を抜けば追いつかれる。さらに追いつかれれば否応なしに待つのは死のみ。
明人にとって重機に乗っていたときよりも苦境である。地獄もとい炎獄へ直行の戦局だった。
――切り札は2と2……いや、3と1発ってとこか。これを切るタイミングが生死を分けるだろうな。
明人は背から回した散弾銃の弾倉を確認する。
弾倉は丸く、銃身にバームクーヘンがついたような見た目。しかしこのRDIストライカー12は少々特殊な作りをしていた。
特殊なのはドラムマガジンではないということ。長物の銃でありながらリボルバーと同じシステムを採用している。
旧式であるから薬莢は弾倉内に残る、さらに次弾へ移行するのにあらかじめスプリングを巻かねばならない。
それらの情報を総括すると、この銃が特殊でないはずがない。なにしろ本体が重くて、装填が遅くて、デカイ銃なのだから。
――旭が、別名ストリートスイーパーとか言ってたっけ? あと名前の12は12発入るからじゃなくて12ケージ弾だからとか?
しかめっ面の明人は、銃のむこう側に懐かしい顔を見た。
非常用としてストライカーを手渡してくれた戦友の悪しき笑み。
彼にはなんらかの企みはあったはずだ。操縦士が使用する目的からして散弾銃というのは、あまりに余分すぎる。
それでも明人が命を救われた数は12発あった弾数から減ったぶんだけ。幾度もこの銃に救われていた。
――暴徒鎮圧用、ひいては操縦士の自殺用。そんなもので荒れ狂う龍を相手することになるなんてな。
明人はフッ、と頬を緩ませた。
しかし大きな弾倉を優しく2回叩き終わるころには、すでに意識が周囲をくまなく注視している。
なおも決闘中だがここは決闘場の外。観客もおらず、天高く丸白い臀部を突きだした天使もいない。
どこからか部外者が妨害を仕掛けてくるかもわかったものではない。
――巧遅は拙速に如かず、兵は拙速を尊ぶ。為せば成る為さねば成らぬ何事も。
横目に見える範囲で 厄 介 者 の影は無し。
確認を終しえた明人は、先人の教えに習って行動にうつすとする。
「このままじゃ平行線だがアンタはどうする!? オレはこのまま 3 日 くらい駆けずり回っても全然構わないんだぞ!?」
意気揚々と――した演技で――嘘をついた。
どこぞの龍が聞いたら微笑みつつも眉を曇らせそうなセリフを、ディナヴィアへ投げかける。
この大陸に住んでいる者ならその意味くらい楽に理解するだろう。
出来ないとすればこの世界に着いたばかりの人間くらいなもの。
『……良いだろう。品位は損なうが仕方あるまい。その誘いに乗ってやる』
低く伝え、ディナヴィアは追っていた足を止める。
足裏に押しつぶされた下生えが地面の一部となって根と顔合わせした。
そして巨大な手爪で村道をまるごと、くり抜く。
「――嘘だろッ!?」
その動作を振り見た明人の直感がけたたましい警笛を鳴らす。
ディナヴィアは村道だったものを山のような土塊に変えて握り込む。
『存分に味わうが良いッ!』
間髪入れず上手投げで握り固めた土の玉をぶん投げた。
さながら大砲の弾だ。しかも散ったものも1発2発ではない。土による砲撃の散弾。
「やばっ!?」
すかさず明人は横に飛んで転げる。
すんでのところで横にある建物の影に身を隠す。
土の砲弾が彼のいた場所をゴォォという唸りとともに通過していった。
『躱すか……フンッ! 泥をかぶるのが好きそうに見えたのだがな。もし注文があるならば老木か巨岩か好きなものを選ばせてやるぞ』
ディナヴィアは鬱陶しそうに尾をゆらし鼻を鳴らす。
汚れた手をぱっぱと払って爪の隙間に挟まった土を豪快に払った。
いっぽう建物の影では生きた心地がしない。
「はぁ……魔法が使えなくても飛び道具ならいくらでもあるってことね。……嫌になるな」
明人はヒヤリとした胸をほっと、なで下ろした。
投げられた土塊はそのまま風に洗われるようにしながら破砕し、両側に建てられた家々の白木の壁に細かな粒が当たって汚していく。
「そんなことしたら同種の仲間ががんばって作った村を壊すことになるぞ?」
明人は恐る恐るの体でそちらを覗き込みながら低く問うた。
すると『……村?』なんて。ディナヴィアは目を丸く、周囲をきょろきょろしはじめる。
『なんぞ……これらは? このような物を作れと指示した覚えはないが……?』
よほどの怒りで周りが見えていなかったのか、はじめて目に入ったと言わんばかりの反応だ。
自分よりも僅かに小さな建造物たちへ長首うねらせ、喉を鳴らす。
『それにしてもずいぶんと粗末なものだ。聖都で見かけた岩のアレを模したもののようではあるが……似ても似つかぬ』
とは言うものの割りと興味はあるようだ。
木の幹にも負けぬ尾を左右に擦りびかせながらじっくりと建造物を観察している。
「これは龍族たちが丹精込めて作った家、そして村だ。その名も……おうち村だってさ」
建造物の影から明人がそう教えてやった。
するとディナヴィアは『ふむ……?』不思議そうにかしげた。
『なんだその珍妙で阿呆な名は?』
子供のように澄み切った実直な疑問だった。
現場に携わっていない者からの客観的な疑問。それでいて至極まっとうなもの。
――うーわ、オレですら思ってても口にださなかったことを……。同種の龍、しかも頂点が言っちゃったよ……。
慣れぬ種の体に慣れぬ仕事。そんな無茶を嬉々として受け入れる龍たちの純粋さ。
そんな龍たちを焚きつけた明人はもちろんのこと。口が裂けても吐けないセリフだった。
『あらかた汝が作らせたのだろう。どのような口車で同種たちは乗せたられたのだろうな』
ひとしきり値踏みを終えたディナヴィアは足元の土をくり抜いて握り込む。
『いつまで隠れているつもりだ? だからといっても逃げるのであれば埋葬してやるだけなのだがな』
次弾の装填をすませたということだ。
明人が背を預けるのは突貫工事で仕上げた脆い木造の家である。
だからといって時間をかけて作った家だから彼女の砲弾に耐えられるということはない。
せいぜい城壁くらいの厚みがなくては役に立たないだろう。
「……たぶんここが分岐点になるな……」
明人の体に芯からピリピリ冷えるような緊張が走った。
ポツリと漏らすのは、もう幾度と固めたかわからない決死の覚悟である。
息を潜め、音を立てぬよう畳んでいた銃床を伸ばし肩に当てた。
いつ戦闘に入っても良いように散弾銃を1度構える。
右手の人差し指をトリガーへ添え、構えを解く。一連の動作を体に染み込ませる。
――後悔はやってみてからしよう。後悔できなくなってからじゃ遅いもんな。
そして明人は意を決して物陰から颯爽と飛びだす。
銃を片手にぶらさげ腰へ手を当てる。龍の行く手を阻むよう堂々と正面にたたずむ。
『着の身着のままのこのこでてくるか。次はいったいどのような小細工を企んでいるのだか』
ディナヴィアは声を弾ませ、姿勢を低く、土塊を構えた。
さらには油断なく目端を絞りつつ、明人を視界におさめたまま外そうとしない。
もう簡単には騙せないだろう。すでに十分警戒するべき相手であると認識されていた。
だから明人は数あるうちの1枚をここにて決断する。
「責任はぜんぶオレが背負う」
そうやって堂々と言ってのけた。
その丁度後に、横だ。
彼の身長より巨大な土塊が風を貫くような猛スピードで通り抜けていった。
握り固められた土の塊は真っ直ぐの軌道で村の出口から外にでていく。
しかし明人は決して彼女から目を逸らさない。どころか顔に土の欠片を被りながら瞬きすらせず。
当たらないというのは軌道で察していた。だから避けなかった。
『なぜ汝がソレを――ッ!!』
それよりもっと悲惨な者がズンズンとむかってきている。
龍は慌てふためくような駆け足で駆け寄り、鱗の豪腕を奮う。
『なぜあのとき邪龍が妾にかけた言葉を知っているのだァァ!!?』
ディナヴィアはあろうことか明人の捕獲を試みようとしていた。
よほどほじくられたくない過去を聞いたのだろう。冷静さを忘れなりふり構わずというがむしゃらな突撃をする。
まるで淑女ではない優雅さを欠く動作。乙女を散らした初夜の暴露でもされようとしているのか。そう思うほど荒ぶっているようにすら思える。
――やっぱりか……。どおりで……。
彼女のあからさまな反応に、明人は心底乾いた目で見下す。
それから流れるような動きで足元に蒼をしぶかせ、後方上空に大きく飛ぶ。
刹那。両サイドから挟み込む龍の腕がなにもないを掴んだ。
さらに明人は空中でひねりを加え、散弾銃を構える。
「GRRRR……!」
ディナヴィアは前に倒れるような姿勢のまま彼を見上げた。
だが、睨みつけながら歯を軋ませ唸るだけ。
一瞬の出来事とはいえどもこちらは攻撃の態勢を整えている。なのに彼女は防御の姿勢をとろうとしていない。
それはなぜか。彼女にとって明人のそれは構えでもなんでもないからだ。
なぜ構えではないのか。相手が武器をもっていると知り得ないからだ。
「その質問の答えだけどさ、簡単だよ」
トリガーに指をかけ照準越しに狙いをつける。
「利用できるヤツが罪を背負い弱ってる。そのうえ相手のほうから魅了をかけてくれなんてしずしずと頼み込んできてくれたんだからさ」
『それは違うッ!! 妾は……――そうではないのだッ!!!』
ディナヴィアは悲鳴のような無声会話で否定した。
同時に煌めく紅玉の如き大粒の瞳が空に舞う蒼を映す。
「同じ状況ならオレでもミルマと同じことをする。……それだけだよ」
強く否定するとき、あるいはなにかを訴えたいとき、大抵のものは総じて同じ行動をする。
人であっても、龍であってもだ。心が震えるならば反射的にやってしまう。
それは相手と目で訴えかけるという自然な動作である。
「ワーカーの腕分は貰っていく。これで――2と1」
明人は、焔なる龍の瞳へ狙いさだめ、トリガーを引く。




