467話 【蒼VS.】日輪の大帝 焔龍ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート
円形の闘技場が震撼する。ぶつかり合うたびに空は揺れ、地は裂ける。
相対を阻む物もなければ拒む者もいない。
正面きっての衝突で巨躯と巨躯が互いにしのぎを削る。まるで己の魂すらぶち当てるかのような熱戦が繰り広げられていた。
白く輝く鱗をもつ龍と、蒼をまといし球体の鋼鉄が、力と力で主張し合う。
「フッ!」
鉄の軋みを奏でて重機からフックが繰りだされる。
だが龍はなんなく片腕で止めた。それのみでも、ズゥン、と決闘場の大地がひっくり返ってひび割れる。
さらに重機から間髪入れずに振られる左からの大振りが放たれた。
『甘いぞ! 次はこちらからいかせてもらおうか!』
その隙を縫ってデイナヴィアは炎をまとった灼熱のストレートで返す。
明人は、カメラ越しにむかってくる頬を抉るような拳を、睨みつけながら視認する。
「っ、後ろ脚部降下と転回で受け流す!」
操作は迅速である。コンソールで出力を切り替えつつアクセルを吹かしてエンジンの回転数を維持する。
それからワーカーを仰け反らせるよう後ろに沈ませた。
撃ち手と逆側へ上半身部分をぐるり。敵の攻撃に逆らわぬよう合わせて機体を回す。
『ぬッ――こちらの攻撃を逆手にとるか!?』
直後に攻撃が重機の鼻先あたりをかする。
しかし強烈な1撃の勢いは転回によって横へ逃された。
そしてその回避行動すら明人にとって次の攻撃への布石である。嘘。
「この1撃を避けられるか!」
対してディナヴィアはグルルと喉を鳴らした。
獰猛な足の爪を地面に食い込ませ次の動作へ移行する。
『汝であればそうくるであろう! こちらもそのつもりで誘いに乗ったのだからな!』
どちらも次の手は奇しくも同じだった。
互い互いの拳が交差し、ほぼ同時に互いの身体を打ち抜く。クロスカウンター。
さらに決闘者たちを中心に弾ける音の波が炸裂する。
威力を物語るよう巨躯同士は相手の攻撃に後退させられ、削られた足元から砂塵を舞わす。
しかしてどちらの闘志も萎えることはない。どころかより滾っているようにすら思えてくる。
「体がデカイのに素早いって卑怯じゃないか!? しかも頭までキレるときたもんだ!」
『無礼だがこの場に至っては称賛としておこう! よくもまあ次から次へと小細工を思いつくものだ!』
そりゃどうも。明人は、嫌味をマイクに漏らしながら奥歯を噛みしめた。
熱気と躍起。鉄と油の臭いが籠もった操縦室は蒸すほどに暑苦しい。頭からシャワーでも被ったかのように汗まみれもいいところ。
膝上へ雫がぼたぼた絶え間なくこぼれ落ちる。アームリンカーを振るう動作で飛んだ汗がモニターまで濡らしている。
――こりゃ最悪に気分の悪いサウナだな……。
明人はパイロットスーツに包まれた腕で強引にモニターを拭い去った。
死闘を演じるような一進一退の攻防である。
決闘の模様はさながらストリートダンスだ。もちうる技と技を競い合わせ覇権を争う闘技の舞い。
『操縦士。機体フレックス残量38%です。フレックスの残量にご注意を』
淡白な声が幾度目かの警告を伝えてきた。
操縦士が竹筒から水を呑んでる間にも、ワーカーは無慈悲な刻限を告げてくる。
「わかってるさ。でもここで引くならはじめから立ち上がらなかったほうがマシなんだよ。だから、やられたらやられたぶんだけやり返すだけだ」
明人は空になった水筒から最後の1滴を舐めて、足元へ放り投げた。
『ご武運を』なんて。お決まりの機械的な常套句へ「あいよ」軽く伸びをしながら返す。
無愛想な相棒はどこまでも冷静沈着だ。なにせ分解すればただの鉄の塊で心なんてありはしない。
しかし孤独な戦いのなかで話し相手がいるというのは、彼にとっても多少の救いではあった。
そしてどちらともなく、ディナヴィアと明人は戦火の渦へみずからの意思で再度身を投じる。
「さっきから殴りの威力が落ちてきてる。やけに攻撃の振りが小ぢんまりとしてるのはなんでだろうね」
ズズズン、ズズズン。円形の鋼鉄に沿う蒼は未だ根強く揺らぐ。
ズシン、ズシン。光鱗は日輪の如き白光が神々しい。
『そういう汝こそ強がっているわりには手が尽きてきたと見える。似たような芸だけでは興ざめも良いところよ』
売り言葉に買い言葉。ディナヴィアは明人の強がりを洞の如き面長の鼻先で笑ってみせた。
魂を賭ける制約と女帝という縛り。両者ともに撤退という選択肢はない。
とはいえそれらを差し引いても負けを認めることはないはず。
この2匹はよく似ていた。人も龍も吐いたツバを飲むことを知らないから見栄だけは同等なのだ。
だからこうして対等を模してむかい合う。種族たちの見守る最中で威風堂々とありつづける。
『誰だよ……あんな下らないほら話を広めたヤツは……』
どこからか微細な震えを孕んだ声がスピーカーを通して聞こえてきた。
周囲円状、様々な角度から降り注ぐ緊張の視線がカメラ越しでもうかがえる。
観客たちも大忙しだ。決闘者の動きに合わせてぱたぱたと移動して無秩序もいいところ。
誰もが緊張と興奮をまぜこぜにしたような氷上で決闘の行く末を食い入るよう眺めている。
『相手は龍族なのよ? しかも龍族の頂点に立つ女帝と相対して戦えているなんて……ありえないわ』
『蒼様が剣聖様の腰巾着なんて嘘っぱちじゃねぇか! やっぱりLクラスは伊達じゃねぇってことかぁ!?』
誰もが異常さに気づきはじめている。
あちらの高慢そうな目立ちをしたエルフも、半裸で頬に酔いを浮かべているドワーフも、毛並みの良い獣魚昆虫たちも、そう。
さらには龍族でさえいつしか垂らした尾を揺らがし、身を竦ませている。
『蒼……! 大陸の修理屋……!』
誰かが口にすれば、またどこからか『グランドウォーカー!』誰かが口にした。
そんな彼彼女らの目には決まって蒼が揺らぐ。
伝染するかのように興奮と熱狂が再び燃え上がっていく。
『い、け……――いけエエエ!! 俺らを救ったみたいに龍族も救いだしてあげてェェ!!』
目を潤ませた勇気ある少年が声を裏返して叫んだ。
するとどうだろう。背を押されるようにして――7つの――種族たちが途端に声を張り上げる。
これ以上の見世物はないと言わんばかりの大歓声と反響で渦を巻く。
『ひぅっ!? な、なにがどうなっているんですのよ!?』
そのあまりの激しさに上空の天使すら身を強張らせるほど。
胸に抱いた天秤へ縋るようにしながらぐるりと会場を見渡し唖然としている。
会場のすべてが一体となった。数多くの種族が唄う。
この場でたった1人の勝利を願い、龍を救えと口にした。
「…………」
『…………』
そして決闘者たちは世界の中心で睨み合う。
四方八方から降りかかる声援に脇目も振らず対峙する。
「もうこんな下らないことは終わりにしたいんだろ!? 自分が1番わかってることじゃないのか!?」
張り詰めた緊張の糸を先に切ったのは、血の巡らぬ鋼鉄のほうだった。
愚直、それも大振りの右ストレートが龍の顎を横から砕かんばかりに放たれる。
すると相手からもこちらの興奮が伝わったか。打って響くが如き気迫が返ってくる。
『GRRRRRRRRW!!』
轟々とした激流の如き殺気を秘めた咆哮だ。
さらにはディナヴィアもまた明人とほぼ同時に右ストレートで対する。
『黙れェ!! 汝の如き短命を定められた者に妾のなにがわかるというのだ!?』
「だったらアンタ自身の考えを聞かせてみろよ!! そこまでして生に執着するほどの夢ってのいうのはいったいなんだァ!!」
互いの猛りを乗せた1撃が交差し、もたげた長首に爪が刺さり吹き飛ばされ、重機の4つ足がガリガリと横滑りした。
またも相打ち。しかも先ほどより尋常ではない衝撃波が爆心地の如く周囲に円を作った。
観客たちが衝撃に耐えている間にも、決闘者たちは次の展開を望む。
『先ほどからぐずぐずぐずぐずと鬱陶しい! 女帝である妾の掴む野望とは龍玉の完成と大陸の存続のみなのだ!』
「そんなのは上っ面の嘘っぱちだ! 献身的を装って逃げてれば楽なんだろ!?」
言葉の応酬をつづけながらも、ただひたすらに殴り合う。
『汝に嘘という単語を口にする権利はない! なにがあろうとも女帝として君臨しつづける! 妾は生まれながらにして運命を定められているのだ!』
これでは決闘という様式を借りた喧嘩だ。
暴力と暴力。殴り合いぶつけ合いに喧々諤々とした口論までもが付随する。
「この世界はまだやり直せるんだよ! アンタに龍族への関心とほんの少しの勇気があればそれでぜんぶ丸く収まるんだッ!」
明人は普段の口調すら忘れて怒鳴りつけた。
そしてあちらも似たようなものだ。
『うつけ如きが無責任なことをぬかしてくれるッ!! もはやこの手を染めた同種たちの血は拭えん!! 捧げられた魂たちへ報いるには龍玉を完成させることのみ!!』
ディナヴィアも気品も上品もかなぐり捨て、がなりたてる。
女帝という仮面が剥がれていく。
怒りの幅に揺さぶられるたび漏れでていることに彼女は気づていない。それほどの激怒だ。
純粋な殴り合い。そう見せかけつつの頃合い。
アームリンカーを大きく引き絞った明人は、次の手に打ってでる。
「いいやそんなことはないね! 断じて違うと重ねて否定してやるさ! だってまだ……アンタらには帰る場所が残されているだろうがァ!!」
ディナヴィアの真っ正直な拳を受け止めた。
2爪を限界まで開ききって丁度手首のあたりを挟み込む。
捕縛されたことを知ったディナヴィアは『小癪な……!』もう片側の腕で引き剥がしにかかる。
しかし引き剥がす腕すらもワーカーの爪は逃さない。硬い鉄と鱗がこすれて火花を散らした。
観客たちからはわっ、と盛り上がる声もすれば、ひっ、と悲鳴も上がる。
巨躯と巨躯が間合いどころか額をぶつけ合うほどの距離で唸りを上げる。両腕を使い切った両者がとっ組み合う。
「自分には嘘をつくな……! その使命はミルマに押しつけられただけの仮初でしかないんだ……!」
明人の握るアームリンカーにずしりとした重さが乗った。
少しでも力を抜けば操縦士すら押し返されてしまう。さらにモニターからは網膜を焼くような光鱗の光があふれる。
そしてワーカーもエンジンの回転数を上げ、獣の咆哮するが如き騒音で吠えた。
『汝がなにをのたまおうとも――……ウグッ!? あ、頭が……ッ!?』
すると伝わってくる重みが僅かに軽くなった。
画面いっぱいに広がる龍の顔が苦痛で歪んでいく。
白光に満ちる鱗、そこに描かれた異様な幾何学模様が点滅をはじめた。
『ガアアアア!! グ、ナゼ……コンナ……!?』
そしてそれこそが明人の望むディナヴィアの心の発露だ。
ミルマに蓋をされた奥底に眠る彼女自身の感情。今、ディナヴィアは女帝という壁にせき止められた心を呼び覚まそうとしている。
だからこそ明人は躊躇なく揺さぶりにかかる。隙を見せるほうが悪い、つまり慈悲はない。
彼女の心に聞く、感情の蓋を無理矢理でもこじ開けにかかった。
「オレはアンタの夢を知ってる! そしてその夢は今よりもっと世界に未来を育む素晴らしいものだってこともだ!」
『ヤ、メロ……! ワラ、ワ……ユメ、ナンゾヲ……!』
4つ足がズンズン進むたびディナヴィアの巨躯が後退していく。
しかしいくらF.L.E.Xの蒼をまとっているとはいえワーカーも無事ではない。
『操縦士。機体フレックス残量25%です。フレックスの残量の残り僅か』
変わらず抑揚のない機械音声が操縦室へ響き渡った。
さらには先ほどからエンジンの鼓動に別の異音が混ざっている。鉄の割れるような高い軋み。
『操縦士。機体脚部に異変を検知しました。高負荷による亀裂の発生を確認』
……チッ! 明人は舌打ちで機械音声へ不満を教える。
突貫により改装されたせいで脚部の作りは甘い。それは重機が重機であったころの名残でもあった。
もしその脚部の1本でも折れてしまえば、巧みな技術をもつ操縦士ですら重機を操ることは至難だ。
それゆえにこの土壇場で破損は生死を分けるほどのもの。
『ウ、ガガ、ガァ……・! ラグ……の……へ、ササゲる……ためニッ! ササゲ、捧げ、創造神へ……!』
しかしディナヴィアの心はいっこうに開こうとはしない。
抗うような苦悶の表情も見受けられる。だが、魅了魔法によって堰き止められていた。
説得しようにもこれでは耳を塞がれているようなもの。どれほど明人が言葉をかけても彼女の芯には届かない。
そしてさらに状況は悪化の一途を辿る。
『操縦士。機体フレックス残量23%です。ご注意を』
ミシミシと機体が悲鳴を上げた。
両腕を拘束されたディナヴィアが苦しみ喘ぐたび、重機の腕部全体から嫌な音が聞こえてくる。
「目を逸らさず周りを見てみろ! これだけ大勢の種族が龍との共存を願ってるのになんで気づかない!? 気づいてやらない!? 気づこうとしないんだ!?」
それでも明人は熱心に説得をつづけた。
だがディナヴィアも徐々に正気をとり戻しつつあった。
『はっ、はぁっ、はッ! 神、ガ望ンだ結末ニ、従うだけ――だァァァ!』
絶え絶えに整列した牙の隙間から吐息を漏らしながら抵抗する。
すると力で及ばぬ重機はズリズリと押し負けてしまう。
「それすらただの言い訳だろう――がァァァ!」
しかし明人もここが踏ん張りどころとばかりに押し返した。
10メートル幾ばくかはあるヘビィ級の1台と1匹が円形の中央でせめぎ合う。
のっぺりと平たく無骨な重機を前に、ディナヴィアも雅やかさすらかなぐり捨てた。
泥臭く、それでいて熱き血潮の巡る攻めと攻め。
周囲の観客たちに西も東もありはしない。相対的な色をまとった巨獣たちの戦いにただ息を潜め、祈りを結び、見入っている。
『――脚部破損』
そして終幕は唐突に訪れた。
予期できていたこと。されどどうしようもなかったこと。
まるで骨がミシミシと砕けるような異音が操縦席へ伝わってくる。
本来であれば重機はむかっていって発破するだけの爆弾だ。このような戦闘に駆りだされること自体が異例であって規格外である。
そのうえこの世界に落ちてきたさいに発生した亀裂は日に日に深まっていた。
1足ぶんの力を失ったワーカーがぐらりとかたむき、モニターの世界が斜めに流されていく。
『GRRRRRRAAAAAAW!!!』
さらに咆哮とともにディナヴィアが反抗した。
すると、もう――鉄の軋む音は聞こえない。
「…………っ!」
代わりに明人は、すぅと軽くなったアームリンカーの感覚で事実を瞬時に理解する。
ワーカーは、操縦士の対応の速さもあってかかろうじて転倒を防いでいた。
だが、かたむいた世界に映しだされた光景をおよそ絶望と呼ばずしてなんと呼ぼう。
『……脆いものだな』
ディナヴィアはさも糸くずを払うように腕に組みつくソレを払い除けた。
伽藍、と。重く硬い者が地面の上へ転がった。




