461話 【操縦士VS.】制約決闘 焔帝ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート 6
龍、それは伝説上の生き物。いつの時代でも、どこの国でも言い伝えられる聖獣。
むかいくる雨風を押しのけ雷をものともせず空をたゆたう。時として大災害を生みだすとも言われ人々に忌諱されることもある。しかし時として祈るものに幸運を授けるとも謳われる。
つまり、科学的になんの根拠もない。いわゆる空想上の生き物である。
そんな現実的ではない生き物が現実にいる。
「うそ……だろ……! そんなことがあってたまるか……!」
しかしその在りかたを見せられた時、明人は体の芯から強烈な震えを覚えた。
後頭部を丸頭ハンマーで撃ち抜かれたような衝撃が稲妻の如く全身に巡って指1本すら動かせない。
敵がいるというのにも関わらず、操舵することすら頭からすっぽり抜けていた。策を描いていた画用紙が白によって塗りつぶされていく。
『妾がなにゆえ汝の提案を受けたかこれにて理解できたであろう。無知蒙昧から導きだされた制定如きでこの身は縛れぬとな』
鋼鉄に閉じこもった明人がどれほど震え慄こうとも、ディナヴィアは徐々に形態を変えていく。
きっとそれは彼女にとってさほど大したことでもないのだろう。なにせ人間にだって当てはまることなのだから。
『そういえば狭く生きる汝を称したあつらえむきの言葉が存在していたな』
浮いた前足。凶悪な爪の生えた指を折り数えるよう畳んでいく。
地を抉るような鱗の足も、肩の幅を弁えて広げる。両翼の細かな羽ばたきで重心を捉え、大蛇の如き尾で3振りの足とする。
堅牢なる鱗の鎧、屈強なる体幹から生える鱗腕。雄大豪壮なる龍が人と同じよう大地に根ざすように立つ。
立ち上がる。しかしそれが問題なのではない。
彼女はもっと現実的で恐ろしいことをやろうとしている。
『そうだ。確か――井の中の蛙大海を知らず、だったか?』
ディナヴィアは構えた。
重機と同格、あるいはそれ以上の質量をもつ龍が戦う姿勢をとっている。
両の拳を握り込んで戦いの意思を示している。
「……ッ!」
明人は画面から目を背けた。
すると彼の行動がまるで見えているかのようディナヴィアは低い位置から睨みつけた。
『口を閉ざして動かぬときたか。先ほどまでの威勢の良さは何処へいったのやら』
長首をゆらり揺らがし重く低く喉を唸る。
まるでここからが本番だ、とでも言うようにだ。
横腹に握り添えた逆さの拳はぎりりと弓引かれた鏃の如く。
誰もが夢想させられただろう。解き放たれた刹那に小さな灯火が吹き消される光景を。
さらにもう1本の腕は伸ばし並行をとりつつも捌きに使えるよう鉤爪の型をとる。
油断なく意味ある構え、人それを戦う姿勢と呼ぶ。
『これは幾度の死線を越えて身につけた戦いの作法だ。とはいえ必ずしも決闘で用いるものではない。これで妾が汝を好敵手と認めた証明になるだろう』
そして驚愕しているのはなにも彼だけではない。
客席側すら狐につままれたような様子で怖怖と身をすくませていた。
『あ、あの巨体で構えるのか!?』
『あれだけの攻撃を物ともしない強靭な鱗に鋼すらも砕くという精強な龍の血脈! それに加えて技すらもちあわせているなんて信じられない!?』
『あんなの……打つ手どころじゃないよ……! どうあがいたところで勝ち目なんてない……!』
三者三様に。種族たちは、ディナヴィアという最強が最強たる由縁を噛みしめている。
『か、神の……傑作……!』
『その領域に届きうる超常的な存在者……! 選定を約束された伝説の龍……!』
その頂点に君臨せし女帝焔龍の存在感に頬を紅潮させ、ひれ伏す。
伝承ではなく見てわかる龍の凄まじさ。口々に彼女を讃え敬う。
『はじめから……わかっていたことなんだ。焔龍に勝利するなんてはじめから……』
『どれほどの同種たちが命を賭してむかっていったか……彼らの勇士を忘れてたはずじゃないのに……』
まだ決闘が終わってもいない。なのに、龍たちは黙り込んで沈黙の帳を降ろしている。
ここからさきの未来を予測しているのだろう。悲痛な表情でうつむきながら拳を握るも、尾すら揺らがず。
『……軟弱者共が』
背後の龍たちへ一瞥をくれ、ディナヴィアはツマラナさそうに鼻をフンと鳴らした。
それから天空で裾をはためかせるエルエルを見上げる。
『どうやら手合いを申し込んだ側の戦意が失われてしまったようだ。これ以上戦う理由があるとは思えぬのだが?』
相手の完全降伏を進言した。
『心折れた者を嬲ること好まず。もう嘆き悲しみの遠吠えを聞きたく……聞き飽きたのだ。見物の場さえ沈んだとなれば幕の降ろしどころはここいらではなかろうか』
その提案に客側からはどよめきすら覚えた様子もない。
あたかもまかり通って然るべしといった情景だった。白ばんでいる。
これ以上戦う意味がない。これ以上相手が醜態を晒す必要はない。そんな彼女なりの優しささえ感じられた。
するとエルエルは澄んだ瞳でじっと見つめ返す。
『ディナヴィアさまの心労も理解しております。ですが、ワタクシは両者の中立かつ完全な公平の立場でもあります。なのでアナタさまの一存を行使する権限をもち合わせてはおりません』
それに、と。天空の監視者は背の翼で青空を撫でるみたいに優しく羽ばたく。
白い裾が空気を孕んでふわり踊って見せた。
『あのおかたはそのていどで屈するほど弱き存在ではありません。なにせ彼の者は冥界の祖母による策を2度も看破したのですから』
実直な天使の威光に、ディナヴィアは『……さようか』首を翻す。
それと浅く長めの吐息をふぅ、とこぼした。
「はぁはぁ、はぁ……はぁ……」
いっぽうで明人は蒼に抱かれた操縦室で敵から目をそらし、虚空を見る。
どれだけ息を切らせどもだ、湧き上がる感情におさまりはつかず。
心地の良い動機と熱い吐息がマイクに乗らぬよう押さえていた。
しどと濡れた額を通じて流れる汗が顎先から滴り膝を濡らす。焔龍の姿を目にした瞬間より内側にくすぶる感情が留めきれないでいる。
そして視界の外。画面むこうにたたずむディナヴィアはおもむろに構えを解いた。
『同種に請われたか英雄にでも憧れたか、はたまた覇道を制し図に乗ったか。どれにせよ身のほどを知る良いきっかけとなったろう』
ゆっくりと2足で硬い砂岩層の斑を跨ぐ。
あの上位エーテルたちを支配したグラーグン・フォアウト・ティールでさえ、龍には挑まなかった。
西側に下った白龍と望まれぬ契りを交わし混血の体を手に入れようともしていた。完全な形でなければ決して勝機はないと悟っていたからだろう。
西側を掌握し懸念事項である他種族を打ち消す。そこまでやってようやく好敵手は龍を討伐できるとしたのだ。
重機の4つ足を通じて伝わってくる響きが徐々に大きくなっていく。
燐光をまぶした鱗を躍動させ、秒針よりもゆっくりとワーカーへ接近している。
『勇気意気は壮としよう。汝は大陸でもっとも勇敢な戦士なのだろうな』
自らで上がった舞台の幕引きをするというのは物悲しいもの。
心を通す声に微かな潮どきが入り混じっていた。
そして間合いまで辿り着いたディナヴィアは再度拳を握り、引き、構える。
『汝もまた捧げられし同種たちと同じく妾の記憶に深く刻むと誓――……語り、か?』
彼女の足が止まると、揺れがおさまった。歓声も喝采も消え、場の空気は霧のように静黙とした。
いつからそうであったのだろう誰もわかりはしない。彼にだってわかっていないのだからわかりようがないこと。
「……える……る救える……進……」
蒼白の奥。さらに鉄鋼の奥の中央。
蒼が熱く迸り、弾ける。
アームリンカーを握る革手に力が籠められ擦れて絞られた。
明人は、怒涛の喜びを離すまいと膝上でも握りしめる。
「超え……てる救え……進め……!」
『なにをブツブツ言っているのだ? よもや死に直面し気でも触れたというのか?』
ディナヴィアは見るからに不愉快そうに眉間のシワを深めた。
それでもなお念仏のような言霊が止むことはない。
「超える、勝てる救える、進める……! 超える勝てる救える進める……! これでオレもようやく前に進めるんだ!」
明人は呑まれかけていた。
目が血走るほどに興奮を浮かせ、漲る歓喜に溺れながら笑っている。
人は弱い。
龍のような鱗もなければ、鳥のもつ羽毛もなく、身を覆う毛皮すらもちあわせない。
しかしなにゆえ人が頂点に君臨する世界があったのか。それはどちらも磨くことのできる心と技をもっていたから。
ワーカーだって叡智を結集し人の生みだした業なのだ。しかしそれすら軽々と凌駕する人の範疇を越えた存在者がいる。
真なる心技体――精神、技術、そして体格を兼ね備えて。
「アンタが欲しい! だけじゃなくて龍族そのものを手に入れる! その最高の力があればきっと――新しい世界に繋がる!」
その瞬間、明人は滅多に押さぬとあるボタンに手を触れる。
指を押し込む。合わせてワーカーが間の抜けて不愉快な音をファァァンと、轟かせた。
強烈な音の波を見舞われたディナヴィアはたじろぐ。
『グゥッ!? 音による攻撃だと!?』
構えは強制的に解かれる。両の手はあたかも耳を塞ぐように頭の側面へ。
なにせ明人は警告音を力いっぱい押した。
そしてそれはいつか使った猫騙しの応用でもある。
強制的にディナヴィアの巨体は驚愕という伝達によって固められる。
「オレたちじゃ叶わなかったんだ! 奴らの得意性を前に人間は作り上げたすべてを根こそぎ奪われたんだ!」
機体の回転を生かした打撃が弾丸のように放たれた。
それをディナヴィアは姿勢を低くして振り抜かせる。
『なにをごちゃごちゃとわけのわからぬことを! あいも変わらず小賢しい!』
回避で身を沈め、その反動を利用し打ち上げた。
が、ワーカーも後方に体重を逃して鼻先をかすらせる。
「しかも奴らは歴史の教科書を指でなぞるように追いついてきた! 生みだしたものも作りだしたものもすべて掻っ攫っていったんだよ!」
『汝はいったいなんの話をして――バカ、な!?』
鉄の悲鳴が響く。ディナヴィアから舞うものとは違う火花が散る。
彼女が構えから繰りだした技の1撃が、ワーカーによる蒼の1閃が横殴りが、両者の頬面を同時に撃ち抜いた。その後。
ディナヴィアの腕という武器を、ワーカーは2爪で挟み、鹵獲した。
『受け止めただと!? なんという反応速度だ!?』
「だからその力が欲しい! 記憶された人間の上をいくその力が欲しい!!」
明人が悔やんだのは龍を軽んじていたから。
予測できる最大の敵と読んでいながら、彼女はそのさらに上をいった。
来たるべき闇に備える彼にとって龍は最高の戦力を有している。
そうなればもう止まる理由は何処にもあらず。採算度外視で思うがままに、強欲に求めるだけ。
「ここで勝てば志半ばで死んだアイツらへのたむけになる! それにアイツら殲滅できれば妹のいる世界も救える!」
もはや操縦士は獲物を見つけた獣だった。
鉄の軋みとともにディナヴィアの腕を絞り、引き上げる。
『は、なせ……! なぜ、なぜ振りほどくことができぬのだ……!』
どれほど彼女が抵抗したところで2本の爪は万力のように食い込んで離しはしない。
そして開いた腹部にむかってもう片側の爪が突き刺さる。
あまりの威力に龍の巨体が浮く。
『ガッ――ァ!?』
しかも片腕を完全に固定されているため後方へ勢いを逃がすことは許されていない。
決定的な被弾をし深く長い口の喉奥から飛沫が散った。
『ッ、GRRRRRA!!』
転じて咆哮とともに岩石をも破砕する強靭な尾が降られる。
流石の機転と言えよう。窮地でもなおディナヴィアは思考の合間すらなくカウンターを放った。
3本目の刃がワーカー目掛けて襲いかかる。
『これにてッ!!』
「やっぱりそうくるよな。だってオレだったらそうする」
しかし明人もまた読み通りの行動に迅速対応した。
ひねるような動きでワーカーはぐるん、とディナヴィアを横倒しに地面へ叩きつける。
『Giッ――GRURッ!?』
巨大な質量によって大地はズウンッ、埃をあげて沈む。
さらに背へむかってワーカーの鋼鉄の両爪が追い打ちとして振り下ろされる。断頭の1撃。
それをディナヴィアは片翼と解放された腕で転がり、躱す。
直後、彼女の影を爪が穿つ。刺された大地がぐらぐらと揺れスナック菓子のようにひしゃげる。
『なんだこの鋭ささえ感じ入る流れるような動きはッ!! 先ほどまでは手を抜いていたとでもいうのか!?』
ディナヴィアはすぐさま態勢を立て直し、殴りかかった。
しかし彼女の拳が貫いたのは蒼の残滓だけ。
『消失しただと!?』
「こっちだ。さっき振り下ろす途中でワーカーの脚の正面を横に変えてたんだよ。あれはサイドステップするためにやったただの目くらましだよ」
『横だとッ!? いつの間にッ!?』
慌てて目視しようと長首がむけられる。
そのむかってくる頬面へ、ワーカーの爪が大振りで突き立てられた。
風圧で大気が荒れる、水面の如く砂塵が弾ける。
吹き飛ばされた風船の如くだ。薙がれたディナヴィアの首が体を置いて仰け反らされる。
『こ、このッ――』
紅の瞳が忌々しそうに剥かれた。
しかし今の明人の思考を支配しているのは本能的な欲望のみ。恐怖を感じる暇すらない。
彼女を絶対に手に入れたいという貪欲な野望のみ。たったそれだけ。
余分な思考は介さぬ。ただ本能で大胆かつ我儘に立ち回る。
「GRRRRRRA!!」
厚い鉄鋼すら越えて龍の疾呼が体を叩く。
振りかざされる拳が空を裂く音は恐怖をくすぐるにたるものであった。
「これは躱す。次は振り抜き後の尾に注意しつつ翻っての裏当てか? もし逆らうなら隙をついてもう1発……」
対して臆病者は涼やかな風抜ける河川のように澄みきっていた。
揺らぐ蒼に沿われた革手でシフトレバー、操舵、転回、打撃あらゆる位置にある操作を視認せずに行っていく。
蒼に沿われた瞳は画面を見つめたまま。ディナヴィアの一挙手一投足どころか、呼吸の拍すら見逃さない。
あるときに尾が高め横切れば、ワーカーを沈ませ、前のめる。
歯ぎしりとともに裏当ての振り下ろしが振ってくれば、後ろに体重をかける。
それ以外にも丸頭での額受けで威力を流し、アームリンカーでは攻撃を跳ね払う。
――不思議だ。心臓の鼓動がワーカーの鼓動と重なる。まるで機体と肉体を共有しているような気分だ。
まるで枷が外されたかのようだった。明人の指示をワーカーが寸分違わずこなしていく。
操縦士と重機の蒼と蒼が混ざり合う。
鈍色の爪先に触れる砂粒でさえ指に伝わってくるかのよう。アクセルを踏むとまるで自分の足が前へ進んでいるのかとさえ思えてくる。
人馬一体どころか一心同体になるような錯覚さえ覚えた。地球にいたころより鮮烈に磨かれていく。
『GRRRRR!!』
矢嵐の如く降り注ぐ攻撃の雨霰。どれも致命打になりうる龍の剛だ。
それを鈍重な重機はまるで目の前で息を荒げる龍のように、迅速な作業で捌いていく。
――それに全然怖くない。いつもだったら体の自由が効かなくなるほど、怖くて怖くてしょうがない状況のはずなのに。
高速転回される矢継ぎ早の攻防はさながら舞いの如し。
巨躯と巨躯。1発1発が大気を響かせ、躱されるたび蒼と紅が交差する。
文字通り身を削る決闘へ自然と観衆たちの目も惹かれてる。
しかし誰もが口を半開きにして呆然と、手は胸の前で祈りを結ぶ。
まるで起きながらにして夢でも見させられているかのような。言葉なんて余計なものは排他して網膜に光景を刻みつけている。
『なぜ当たらんなぜ未だ立っていられる!? マナの気配は感じぬというのに、なんのだこの膂力は!?』
そしてついにディナヴィアの両腕が爪によって拘束された。
全身を揺すって剥がそうとするが、ワーカーは猛るよう吠えて龍の巨躯を押し返す。
感情の爆発、そして発破する蒼の発生。まるで明人の願いを受け止めて呼応し感応するようにワーカーが蒼く応えていた。
「いま大陸に求められているのは停滞ではなく前進することなんだ。止まってしまった長針を動かし文明を発展させながら1枚の盾になるしかないんだよ」
『黙れ黙れェ! 世界はとうに手遅れに陥ったのだ! あの日、同胞の叫びが世界を覆ってからすでに決定づけられた運命を歩むしか道はない!』
「だったらもう1度1から始めればいいじゃないか。手遅れなんて言って逃げるな。どうしようもなくなっても生きている限りは死ぬまで生きていかなきゃならないんだよ」
『黙れと言っているのがわからんのか!! アチラ側の手ぬるい世界に生きる種族風情がッ!! コチラ側の抱えた苦悩の日々のなにを知るというのだ!!』
互いの意見を主張して引くことすらしない。
踏みしめられた白い斑色の大地がミシミシと音を立てて裂けていく。
自分の思想こそが正しいと豪語するように、両者とも真っ向から押し合う。
「だったら手ぬるい世界で生きればいいじゃないか。アンタを縛ってるのはどう見てもアンタ自身だ」
『黙れ……! 黙れ黙れ黙れ黙れィ……!』
両手を拘束し、耳は塞がせない。
ディナヴィアが目を伏せ頭をイヤイヤと回しても、明人は決して離さない。
どれほど彼女が現実との対面を拒絶したところで仲間の死から目をそむけることは出来ない。
「はじめは邪龍の作った逃げ道という誘惑に負けてたのかもしれない。だけど……途中から龍玉を率先して使ってたのはアンタの意思じゃないのか?」
『うるさい……! うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい……!』
「アンタが辛さから逃げるために女帝の皮を被って非道を貫いてたんじゃないのか?」
目を背けられない理由を明人はよく知っていた。
なぜなら薄汚れた過去とは瞼の裏に映るものだから。毎夜夢のなかで……見るのだ。
『黙れェ……! もう、黙れと言っているのだァ……!』
「手ぬるく生きてたのはアンタのほうじゃないのか? 過去に立ちむかうより思考を停止させたほうが楽だったんじゃないのか? 気づいたときには積み重ねた後悔の数がどうしようもなく膨大に膨れ上がって直視できなくなったんだろう?」
気を見て明人はいっせいに畳みかけた。
自分がそうだったように。彼女が同じ道を辿らぬように。
ディナヴィアが龍の絶滅を望んでいないことは明白だった。
白龍リリティアをはじめとし、黄龍ムルガルもそう。さらには岩龍タグマフすらも少しずつ外の世界にむかうようしむけていた。
恐らくは黒龍セリナもこの地へ戻らなければ連れ戻されることはなかったかもしれない。
とにかく彼女は女帝という名を冠しつつもあの手この手で策を練っていた。1匹でも多くの龍を死の運命を決定づけられる檻から逃がそうとしていたのだ。
そしてそれを龍族全体が察している。だからこそ彼女のいたいけな姿に心を痛めている。
「失ったものは帰ってこない。死んだものは絶対に生き返らない。これだけはどこの世界でも道理なんだ。だったらアンタがやるべきことは……」
だから明人が代わって代弁する。
たとえ怒りの矛先が こ ち ら へ むこうとも、だ。
『断じて違う……! これはすべて神からの啓示にしたがったまでのこと……!』
すると次第にディナヴィアの押し返す力が弱まっていく。
尾は寝かされ、首もだらりと頭を垂らした。
――これで……どうなるか、だな。オレの予想が外れてればいいんだがね。
明人が静かに2爪を開く。
支えを失った両腕もだらり。まるで全身から力が消失したように彼女はうつむいたまま沈黙する。
これはかなりの荒療治ではある。だが、現実を理解することこそ前に進む大いなる1歩だ。
だからこそ誰かがやらねばならない。これ以上彼女が悔いを重ねてしまわぬように。
『rrr……』
『また……なのか? またそうやって……妾の心に入り込んでくるのか?』
『RRRR……』
『そうやって……この忌まわしき奇跡のみを求め……くるのか……?』
まるで魂の抜けた振り子。
背を丸く、垂らした長首がぶらり、ぶらり。呼吸するたび大柄な肩がもち上がり、喉がガラガラと唸りを奏でた。
美しい音色を紡ぐ無声会話からもとっくに色が抜けきっている。
「…………」
そんなディナヴィアの異変を無言のまま、察す。
明人は心のなかで予測が当たっていたことを確信した。
――やっぱりダメか。そりゃあ手は打ってるだろうな。
画面のむこうでの変化が著しい。
ディナヴィアは敵を前にしているというのに構えもせず。意気消沈するかのようにして全身を萎えさせている。
のだが、身を形成する頑強なる鱗片たちは、そう語っていないのだ。
『わら、わは……女帝である。御身は創造神のためにありて……神へ血を捧ぐために生を受けし者……』
さながら1枚1枚が蛍光灯のよう。
紅の連鎖がびかびかと白く発光を繰り返している。
『教え……オシ、エ? 教エニ従ウ、従ワヌコトハ……罪ト……教エラレ、テ……』
怒りの予兆。溢れんばかりの閃光が満ちていく。
それとは別。発光と閃光の鱗へ、幾何学模様の線が浮かんでいく。
『神ノ願イニ背クコト……ソレ、ハ万死ニ値スル罪ニ他ナラヌ……妾ハ女帝、ナリ……』
日輪の如き輝きにおどろおどろしい血色が横切る。
世界を抱くようにバサリと広げられた翼にも隙間なく描かれていた。
それらは幾度も自傷し刻んだ傷痕のよう。見る者へ精神的に不快な感情と、どこか部族的な神秘性すら彷彿とさせる。
天龍エスナとの決闘のときにも見せた激昂の合図か。
少なくとも明人の見解は異なっている。
「なるほど……耐えきれず贖罪すると洗脳が始まる仕掛けか。それがミルマのかけた魅了魔法の正体だったわけだ」
……クソ食らえが。吐きかけたツバを飲み下す。
ディナヴィアへの同情をあらわすセリフにしては彼らしからぬ。粗末で暴力的な言い回しだった。
◎◎◎◎◎




