460話 【操縦士VS.】制約決闘 焔帝ディナヴィア・ルノヴァ・ハルクレート 5
もてる力のありったけを籠めた連撃だった。
明人は目眩を覚えて片側の目を革手で覆う。
「酷いな、これが種族差ってやつか……」
忌むべき薬液――着火剤のおかげかそれほど恐怖はない。
あるのは無味無臭の絶望だけ。だからといって明け暮れているわけにもいかない。
カーテンが開かれるようにして大翼が広げられる。
『そう卑下するな。同族が相手でも無痛のまま終えることのほうが多いのだ』
翼によって押された大気が砂の渦を作って散っていく。
『……うむむ』
龍のような大翼ではなく実態のない光翼が羽ばたいた。
しかし審判の天使は眉をしかめるだけで動かない。
天界の輪を背負うように飛行しながらひたむきな眼差しで地上をじっと見据えている。
手にした天秤も微動だにせず。制定上、名目上翼の使用を禁止とはいえ飛行さえしなければ違反とはならない。
するとディナヴィアは小さく細い息で喉を鳴らした。
『よもや刹那の間とはいえ僅かながらに呼気を止められるとは……。同族でさえ妾に疼きすら与えられぬ者がいるのだから汝は誇るべきであろう』
鎌首もたげる両の手でなければ拍手くらいしていただろう。圧倒的な強者の余裕である。
明人自身もこれで決着がつくのでは、なんて。特濃に甘い想定すらしてたほど。
それほどまで渾身だったはずなのに女帝の貫禄すら穢せていない。これを悪夢と呼ばずしてなんと呼ぶ。
「さすがだよ。こっちの全力を蚊に刺されたくらいにしか思わないなんてな」
明人は敬意と畏怖を籠めて拍手の音をマイクに聞かせた。
こういう状況で画面越しというのは非常に有効である。引きつった顔を見られる心配はないのだから。
『次はどのようにくる。あのていどで手打ちということもあるまい』
「そう、だな。言ってることはわかるんだけど、こっちにも複雑な手順っていうものがあるんだよね」
ディナヴィアの尾を振りながらの問いへ、明人は曖昧な回答で応じる。
保険を幾重にかけていたとしてもだ。手札は使ったぶんだけ減るし、尽きれば死が伴う。
――これでもまだ足りないのか……強情なヤツめ。
睨むように画面を見つめながら明人は策を巡らす。
ワーカーごと空を扇いでも雨の降る予兆はない。どころかさんさんとした日が1つに、月が2つほど。あとは綿菓子のような雲がちらほら。
平和な空、未だ割れぬ空。
――雨季だっていうのに運がないな。あの熱に当てる雨が使えないとなれば……手札が1つ減ったと考えるしかなさそうだ。
画面を対戦相手に戻しながらふっ、と。ため息をつく。
若干の諦めを帯びた吐息。重くはないが決して軽くもない。
あれだけ生き生きとしていた会場は、とうに静寂に包まれてしまっている。
種族たちはここから先の展開をどのように予測し、見守るのか。
胸に手を当てながら深刻そうな表情で剣呑な空気に口を結んでいた。
『そちらからはこぬというのは怖じ気か? それすら汝の策か?』
観衆の視線にしびれを切らしたか。ディナヴィアがのっそりと巨体を揺らがし蹴爪を踏む。
『先の連撃にて汝への認識が著しく変化した。少しばかり興味が湧いたといえなくもない』
ズシン、ズシン。重機にも負けぬ重量の籠もった音。
こちらと同様に。彼女が踏みだすだけでビリビリと体と鼓膜が震える。
『次はこちらからでむいてやろう。光栄に思え』
歩むというより這い寄る。
長首を低く降ろし獲物をとらえる獰猛な体勢で確実に詰めていく。
そしてこちらも気迫と重量だけは負けていない。
――とにかく今は仕掛けるしかないな。
初撃は不発だったが明人の心、未だ折れておらず。
「語らいは不要だとか言ってたわりにずいぶんと口が軽くなってきたじゃないか」
ズズズン、ズズズン。ワーカーも相手の速度に合わせて前に詰める。
会場中が呼吸を止めて固唾を飲んで見守るなか、焔と蒼が互いに接近していく。
すでに先の1撃で決闘は始まっているのだ。
あとはどちらかが終わりを認めるまで止まらない。
「……」
『……』
そして大きな1歩で幾ばくもせぬうち、間合いがやってくる。
間合いということは手が届きうる距離ということ。
「……」
『……』
互いの奏でる音を交差させつつ、睨み合う。
紅玉の如き凶猛な瞳と、蒼く点灯するつぶらな5つの瞳、そして画面越しの蒼に沿われた黒の瞳。
『…………』
しかしディナヴィアは四つん這いのまま微塵も動こうとしていない。
ただ一介の弱者と見なしていた者を少なからず認めた。なにをもたらしてくれるのかを楽しんでいるように見える。
だから今度も彼女の期待に答えるため、明人は仕掛けた。
「ずいぶんと綺麗なんだな」
『……世辞か?』
種族差に開きがあるのならば差を埋めるのも策のひとつ。
足りない箇所は頭を使って埋める。
「お世辞じゃないさ。心の底からべっぴんさんだなと思っただけだよ」
『なにをいまさら……。戯れとて……度し難い』
ディナヴィアは面白くなさそうに鼻を鳴らした。
吹かれた空気がワーカーの丸いボディを撫で、操縦室に轟々と雑音が響き渡る。
それとは別の後ろのほう。龍の尾先がしきりに大地を叩く。
しかし明人はつづける。安い、相手によっては冒涜ともとれる殺し文句を。
「戯れなんかじゃないさ。ただ――」
この場において嘘はない。
ディナヴィアは美しい。燃えるような髪も、情熱色に濡れた唇も、抑揚のある肢体も。すべてが財産と呼べるほどに完成されていた。
その美しさは種族たちが老若男女問わず見惚れてしまうほど。誰もがうっとりと蕩けながら彼女の姿を羨む。
そこへつけ入る隙がある。
「なんで種族の姿をとったら2度と変えられないのに……あんなに綺麗な女性の姿を選んだんだい? もっと男らしいドワーフ族みたいな屈強な体でも良かったんじゃないか?」
『……っ』
その瞬間。ディナヴィアに微かにだが動揺が見てとれた。
心の隙間。突くのであれば弱点でなくてはならない。
龍は種の姿を選ぶと再び選択することはできない。つまりそこになにかしらの理由があって然るべし。
リリティアが聖女に憧れたように、スードラが強要されたように、タグマフが瞼の裏に英雄像を描いたように。
運命にも等しい性別の選択。そこに女帝としてではない個としての性格が必ず存在していなくてはならない。
だから明人は淡々と敏感な箇所を突く。
「ずいぶん母性的な姿を選んだみたいだ。女帝なんて仰々しい名前が似合わないほどにさ」
『……つまらぬことに触れるものだ。妾が汝の些末な問いに答える義理はないぞ」
言いながらもディナヴィアは露骨に5つの点から目を背く。
微かな隙。見逃さず。
彼女が生みだした――あるいは相手によって生みだされた刹那の狭間。
その微かな隙を明人は見逃さぬ。
操縦士の振り抜きに合わせて重機の爪が、びょうと風を切る。
「チッ、外した!?」
直撃まであと数センチ。すんでのところでディナヴィアは首先が天を仰いで躱す。
『話術で揺さぶるのは悪くない手段だ、攻撃も鋭く狙いも良い。が、少々粗かったようだ』
回避を終え、仰け反るに弓なりになった首がのんびりと下りてくる。
千枚の鱗に覆われた顔つきはどうあっても厳しい。しかしあいも変わらず無声の声に熱はない。
「だったら――」
転回レバーとアームリンカーを同時に、勢いの乗った腰入りの横殴りを繰りだす。
1撃を終えた鉄の腕を通じて操縦室そのものがビリビリと震える。
さらに、と。明人は逆側からの猛攻に転じた。
「卑怯とは言わないだろうな!? もうやりとりはとっくに始まってるんだろう!?」
左から右へ、右から左へ、時には貫手連打。
開始に撃った3連撃は剛とするなら、これは息をつく間すら与えぬ連の五月雨。
鋼鉄の殴打に次ぐ殴打に温情や慈悲はない。彼女の隙以降の間をワーカーは乱打よって塗りつぶす。
『……理解できん』
だが、打ち込めども打ち込めども、だ。
これほどバカにされてるという状況も滅多に味わえないだろう。
一方的かつ圧倒的に舐められていると言い変えても良い。
『それほどの叡智を秘めておきながら汝はなにゆえ妾に挑む?』
どれもこれも直撃を狙う全身全霊の1撃だった。
明人とて若くとも熟練した操縦士である。ことワーカーの操縦技術に関しては決死隊の先輩たちにも引けをとったことはない。
それがどうだ。決闘の幕が開いた途端、1発も当たらなければかすりすらしない。
ディナヴィアはこちらの行動を読みとっているかのように躱し、ときに捌いてく。
――なんだ!? この場馴れした動きは!?
しだいに明人の額へ汗が浮いてくる。疲弊と焦燥の生ぬるい汗。
だからといって攻撃の手は休めない。連撃だけではなく、ときおり騙しを入れて隙を誘う。
『良く踊る上に小細工まで仕込むとはこの期に及んで冷静さを保っている証拠。相手としては実に愉快で飽きさせぬ』
最低限の動作で振られた腕がするりとディナヴィアの横を抜けていく。
もう、1撃も当たろうとしてはくれない。
初撃が如何に甘やかされていたかを明人は打ち込みながらに痛感する。
そして認識もまた甘かったことを知る。
ワーカーによる、もう幾度目かの打ち込みが、捌かれ、すかされた。
振り抜きの威力を相殺できずワーカーの軸が崩れる。
『このていどで終わってくれるなよ』
冷然、と。しかも美しく。
それなのに背筋を上る強烈な寒気が明人を襲った。
鞭のしなるような音を聞いたときにはもう遅い。
なんらかの凶暴な強打によって重機が弾き飛ばされる。
気づいたときには硬い地面を滑るように、横滑りさせられてた。
ワーカーそのものがガリガリと大地を削る。風景が猛烈な速度で横へと流れていく。
「とま――れェ!!」
揺れ動く操縦席で明人は、反射的に重心を下げた。
4つ足を開いて踏ん張りを利かす。そうすることによって転倒という最悪の事態を避ける。
そのかいあってか雨脚が弱まる感じで徐々に速度が落ち、スリップ状態から停止した。
「はぁ……! はぁ……!」
全身に被弾の衝撃が残るなか。明人は息を乱しながら即座に操作し、態勢を立て直す。
するとほぼ同時に聞きたくもないアナウンスが流れる。
『フレックス残量85パーセント。繰り返します、フレックス残量85パーセントまで減少』
「わかってるよ……。筋肉の塊であの鱗だ……。そりゃあ痛かっただろうさ……」
チラつく画面を見れば辿ってきた道が真っ直ぐ、目測で50メートルほど。
当てられる前は気づけなかったが、それでも当てられればイヤでも気づく。
ディナヴィアの使った攻撃は腕でもなければ首でもない。
「まさか……尾っぽのひと薙ぎだけでここまでとは……」
硬い鱗に覆われた肉肉しい尾っぽによるたったの1撃。
それなのにワーカーの巨体ですら指で算盤を弾くみたいに容易に飛んでしまう。
なにもかも当てが外れていた。明人の想定を遥かに上回る桁違いの強さ。
『耐えるか。良い頑強さと丈夫な足腰をしているな』
「そりゃあ……どうもさん」
強がりにすら荒い吐息が交ざった。
『フム……。同種でさえ骨砕け血を吐くものなのだが……やはり面白い』
ディナヴィアが悠然とこちらへ歩み寄ってくる。
むかってきても、こちらから前にでられるだけの余裕はない。
「そろそろオレのことをただの雑魚じゃないって認めてくれたかい?」
『そうさな。汝を認めねば龍族の尊厳すら危ぶまれることになり得るかもしれん』
どれだけ明人がディナヴィアに余裕ぶたして、しょせんはフリだけ。ハッタリだ。
ジャブを打つような軽めの1撃でこの威力なのだ。勇気がぼっきり挫ける音が聞こえてくる。
外から観察していた者たちにとってはさぞ恐ろしい光景だっただろう。
『な、なんだよ今のは!? 遠くから見てるのになにをしたのかすらわからなかったぞ!?』
『すごい音……! なにかが破裂したのかと思ったわ……!』
ざらざら、と。やがては喧々囂々へ。
巨躯と巨躯のぶつかり合いはさぞかし見ごたえがあるはずだ。
うねるように尾を振り王の凱旋の如く歩む焔龍へ、みなが一心に釘づけとなっている。
『あれが伝説の龍、創造神の最高傑作……』
『重なった2つの属性によってもたらされる万物の次なる形……! 2重属性の秘めたる力……!』
女帝による初撃によって種族たちは青ざめ、目を皿のように丸くしたまま一斉に血の気を失くしていた。
頂点の強さを知った種族たちにとってこの決闘は良い機会になることだろう。安直に龍へ手をだしてはイケないという教訓だ。
ざわめき立つ観衆。対してこちらは顔色も悪ければ旗色も悪い。
「はぁ……はっ、キツイな……」
明人は呼吸を整えつつ、無意識にちらと画面端へ目を流す。
しかしそこに目的の姿も影も見当たらない。
『はわわ……! ふにゅうちゃんが、ふにゅうちゃんがぁん!!』
『お、おいドワーフ王!? 我を揺らすな!? どさくさで抱きつくなァ!!』
周囲から距離を置かれたドギナとカラムが絡み合っているのみ。
そしてコンソールへ伸ばしかけた明人の手が止まった。
「……そうか。ワーカーのリモコンはユエラじゃなくてオレがもってるんだった……」
腰のポーチに手を添え感触を確かめれば、そこにある。
せめてブザマと笑っている姿を探知できればどれだけ良かったか。
それなのに明人にはユエラたちを探しだせないでいた。
『汝を認めた上で改めて問おう。平和な世界で安穏と暮らすこともできただろうに、なにゆえ汝は戦う?』
ディナヴィアはむかう足をはたと止める。
見せびらかすように広げていた翼を畳んで、のっそりと巨体を起した。
『覇道亡き今、求めた平穏は叶ったはずだ。にも関わらずなにゆえわざわざ灼熱の滾る火口へ身を投じるような愚行を犯す?』
ヘルメリル相手でさえあれだけ対話の扉を閉ざしていた女帝からの問いかけだった。
ひとときの休戦の予兆。安堵した明人は背もたれに体重を預けて深く息を吐く。
「こっちは生まれてこのかた平和と無縁に生きてるんだよ。だから走りかたしかわからないんだ」
『フム、安息を知らぬのか。難儀なことだな』
そう伝えて、ディナヴィアは厳しくもどこか優しげな音色で喉を鳴らした。
問いかけも純粋な興味からくるものだろう。その証拠に立ち振る舞いからもはじめと違ってどこか棘が抜けている。
彼女もまた他の龍と同じく、知らぬ世界への興味が尽きないようだ。
『神より賜りし宝物が大陸へ降り立ち長き時が流れたものだ。短き生を条件づけられた汝らヒュームにとっては長く辛い時であっただろう』
「はは、そうでもないさ。悪いことももちろん山のようにあったけど、良いことだってあったからね」
『……存外、強きものだな。己の意思で生を歩むことに羨みの感情すら覚える……』
気だるそうに尾を滑らしたディナヴィアは、飛ぶことの許されぬ遠い空へ目を細めた。
姿形は違えども、哀愁に似た情緒が彼女の周囲をとり巻いているようにも見える。
明人は、とある情報を得るために龍の巣に忍び込み奔走した。ディナヴィアも含めた龍族が望まぬ状態であることも把握している。
――だからこそきっちり負かしてやらないとな。大陸に生きる龍族の 全 員 が報われるように。
そして古ぼけた胸甲のうちに秘める。
それは己のためでもあって、大切な者のためでもあった。
『心惜しいが……この辺りで幕を引くとしよう』
普段の疑り深い彼なら気づけていたのかもしれない。
それも先ほどからずっとだ。
ディナヴィアの異変を察せなかったのは、きっと人間だったから。
人間だからこそなんの違和感もなかった。
微かな希望すら砕く光景が画面のむこうに広がっている。
龍に挑んだことが真に愚かだったと後悔する。
『久かたぶりに楽しめた今日という日を幾百の日々で思い馳せよう。そして女帝として、勇敢なる汝の苦痛なき旅路を願う』




