454話 そして救世主よ、救われし者よ
空は晴れ渡り雲征く標はいずれも青く。雨による寒暖差の激しい大陸もようでこんな晴天は久方ぶりだった。
湿り気が少なく澄み渡った大気に香が乗って鼻腔をくすぐる。この時期特有の濃い苔やらカビやらの匂いでさえ自然のあるべき姿といえる。
混み合いを避けた辺りに移動し、こちらもその時をうやむやな感情で待っていた。
「へえ、生き返ったんだあ! 棺の間っていうのはよくわかんないけど、よかったじゃない!」
ひと仕事を切り上げ合流したサナは、ミリミを見つけるなり疾風の如くまとわりつく。
ちょいと飛びだすような横結いの髪を上下させる。
「う……あ、ありがとう……」
しかしミリミの反応は傍から見ても控えめ気味。返答はしどろもどろもいいところ。
サナの視線から逃げるみたいにして前髪の影に隠れてしまっている。
か細く「あ、あのぅ……」とまごつきながらもじもじ太ももをこすり合わせた。
「あれ? もしかして私たちのこと覚えてない?」
「ご、ごめんなさいぃ……」
どうやら図星だったらしい。
僅かに冷ややかなサナの視線を浴び、ミリミは申し訳なさそうに首を縮めて肩を寄せた。
「良くしてくれたかたがたとお兄ちゃんから聞いてはいたんだけど……。あまり、というか全然記憶が残ってなくって……」
「ふぅん……? あれだけ一緒にいたのに忘れちゃったのねぇ……?」
「ほ、本当にごめんなさいぃ……」
サナはツンと跳ねた眉を尖らし、幾度も頭を下げて謝罪を繰り返すミリミを見下げる。
再会を祝うどころか相手の記憶にすら残っていない。思うところも多いはず。
すると別のところからちらちらと彼女たちの肉感的な目が数え切れぬほど配られていた。
なにせうら若き少女たちが身にまとうのは欲情を求めるが如き狙いすました制服姿。つけ耳、つけ尻尾。もちろん装飾品があっても素肌を露出していない箇所のほうが少ない。
見るなというほうがどうかしている。そんなあられもない格好は見るからに男性を喜ばせるためのものにほかならない。
そんな欲望滾る最中。膠着状態を破ったのはミリミのほうからだった。
「かろうじて残っていた心を巫女様が回収してくださったから。だからどうしてもあのときの記憶はうろ覚えなの……」
長い前髪の隙間から自分よりも背の高いサナを下からしずしずと覗きこむ。
潤んだ瞳が揺れ、しかめた眉が悲壮さを感じさせる。心からの申し訳ないという気持ちが伝わってくる。
するとサナはおもむろにミリミの両肩に肩を置き、無理矢理に引き寄せた。
「そうなんだ! ならこれからまた新しい思い出を作っていきましょ!」
ニッ、と。歯を見せるほどに快活な笑み。
そんなモノを間近で見せられては、ぎょっと目を剥くしかない。
「い、いいの? とても大切なことさえ覚えていないのに?」
「良いに決まってるしアナタが深く考える必要なんてないわ! それに私たちは苦境を切り開いた仲間同士なのよ! ならこれからが大事ってわけ!」
相手の不安もなにもなんのそのだ。
さながら肝っ玉の据わった気風の良さ。サナはかっか、と男前に笑い飛ばしながらミリミの肩を豪快に叩いた。
「お姉ちゃん受け入れるの早すぎだし……。あと色々飛ばし過ぎだよ……」
「ルナは色々考えすぎ、いっそこれくらいが丁度いいのよ! 友達関係と恋路は深く考えれば考えるほど碌なことならないの!」
高笑いする姉と対になる妹の冷静さ。
そんあルナはサナの横をするりと抜け、唖然と固まってしまったミリミに会釈する。
「でも私も記憶とかどうでもいいじゃないの部分だけ抜かして、お姉ちゃんと気持ちは一緒だよ。こうしてまた会えて話せるなんてすごく嬉しいっ」
そう言って微笑みを傾け彼女の手をそっと両手で包み込んだ。
ふたりの生まれは奴隷街。そんじょそこらの女性より強い、というか勇ましくすらある。
閑散として悪辣だった環境に身を置いてなお強く生きた経験は、彼女たちの確かな武器となっていた。
「――あっ! あの時のことを覚えてないなら改めて紹介しなくっちゃだねっ!」
ルナは指で乾いた音を奏でてそちらへ振り返る。
「おーい! レヤックー!」
主に名を呼ばれた白毛玉は「わふ……?」長いマズルをこちらへむけた。
それから4つ足で尻尾を振りつつ舌を垂らして駆け寄ってくる。
そしてこちらにくる途中でようやく気づいたのか。一瞬のうちにレヤックの体毛ぶわわと逆だつ。
「お、お化けェ!? 輪廻にむかったはずのミリミ殿がなぜここにいるんですぞォッ!?」
なんまんだぶなんまんだぶ。唱えるそれはワーウルフの風習だろうか。
ふっくらもこもこの両手をしきりにこすり、こすり。新品の毛筆の如き尾は恐怖のあまり萎れてしまっていた。
ルナはすかさずイタズラっぽい表情でミリミの背を軽く押す。
「ほらほら。せっかく会いにきてくれたミリミちゃんにご挨拶しなきゃ、メッだよ?」
「きゃいん!? ど、どうか安らかにお眠りくださいですぞぉ!?」
「レヤックは図体がデカイのに相変わらずの臆病よね。まあミリミちゃんも霊体だからある意味お化けっていうのは間違いじゃないけども」
そこからはもう追いかけっこだ。
腰砕けに逃げるレヤックを、双子がミリミを差しむけ追いかける。
ぐるぐる、ぐるぐる。同じところ回っていると、間もなく似た色の黄色い声に混ざって、もう1輪ほど花が咲く。
すっかりミリミもサナルナという双子にとりこまれてしまった。
そうなると類の異なる3匹の女性に気高き狼が追いたてられるという構図が完成する。
姦しい双子が可憐な少女を仲間外れなんて。そんな器用なマネできるはずがないのだ。
「あはは……あっという間に仲良くなっちゃった。もしミリミちゃんがサナルナに毒されちゃったらごめんなさい……」
はじめからクロトはなにも心配なんてしていない。
ハンケチの上に両足をハの字にしながら座り、ハリムとともにその賑やかな追いかけっこを傍観している。
「ミリミは生きていたころの記憶が前後しているみたいなんです。だから肉体的にはそこそこなお姉さんですけど、中身はかなり幼いんですよね」
「さっきも言ってましたけどそれも巫女様のお力なんですか?」
「ええ。妹の心を治す代わりに僕らも棺の間に入れという条件でしたからね。だったら断る理由なんてありませんよ」
捕縛される白狼をよそに、こちらではゆっくりとした時間が流れていた。
世間に疎いクロトとて、その名くらいは聞いたことがある。
優秀なれど法を犯した魂をもちかえるという棺の間の主。奴隷街でも語られるほどに有名だった。
「ひと目でもいいからお姿を見てみたいとは思ってるんですけどね。僕のようにしがない魔法鍛冶師なんかと会ってもしょうがないですよねぇ」
「はは、まるでひとごとのような言いかたですね。もしかするとクロ子さんの魂も棺に誘われるかもしれませんよ?」
「ははっ、それはさすがにないですよ。僕にはそんなすごい才能なんてなにひとつないですから」
クロトは、わちゃくちゃに揉み合う双子を遠い眼差しで眺めながらふふと頬を緩めた。
自然な動作で太ももと一緒に裾を巻き込み膝を三角に曲げる。
そんな彼の隣へハリムも静かに尻を落とした。
「表の舞台に顔をださないので会うことは難しいでしょうね。ですけど……傲慢で凶暴ですが芯はわりとお優しいかたでしたよ」
後半部分は耳打ちだった。
クロトが露骨に距離をとると、堪えきれず吹きだすようくつくつと肩を上下させる。
「それに意外と乙女だったりして面白いおかたなんです。なんていうかこう、とにかく見ていて飽きないんですよ」
どれほど押されてもクロトは眉をひそめて愛想笑いを返すだけ。
「あはは。それを知ったところで僕が会うことはないでしょうね。鍛冶に双子に大忙しですから」
目を反らし舞台を眺め回すと、ハリムもしつこくは引き下がってこず。
やけに巫女を称賛する彼に微かな違和感を覚えつつ、話は早々に切り上げられた。
種族たちは様々な様子で決闘場を見つめている。
浮かれ半分緊張半分といったところか。なにせ対面の半円側にはとりどりの粒がいる。今もなお上空から次々と飛来しているのだから。
――なるほど。だから僕たちはあっち側から離されたのか。
長首に鱗をまといし巨躯がずらり。しかもどれも見た目は統一感がなく、まるで複合種の様相に似ている。
遠方でも細部までくっきりと確認できる大きさたるや、だ。
距離が遠いためそれほどの威圧感はない。だが、近くだったなら平常心を保つことは困難だっただろう。
なかには種の格好をした者さえいる。それでも両の手をわぁと広げるような鳥ではない翼と毛束ではない尾っぽが確認できた。
「……最強の敵……龍族……」
胡乱げにクロトは思い描いた言葉を口の端から漏らす。
龍族は、大陸最強種族。それは冥府の巫女以上に有名な話であり、子供だって知っていること。
なぜ隔絶された種族をそれほどまでに語りつづけるのか。
回答はクロトにとっても容易であり、さらには複数存在する。
怒らせてはならないからだ、無謀にも挑戦してはいけないからだ、東へ踏み込んでならないからだ。
生まれながらにして西側では本能と同様に学ばされる。ようは道理、あるいは道徳のようなもの。
くるべき時を待ちながら、クロトは背を丸くし膝に顔をうずめる。
「この決闘……勝てると思いますか?」
鼻先に触れる肌や風に冷やされやけに冷たい。
くぐもった声が触れて暖かく、それもすぐに冷めていく。
あえてこの話題は避けていた。しかもおそらくそれはクロトだけではない。
耳に触れるのは心地の良い音ばかり。この見せしめの場に群れた種族たちすら全員が結末を口にすることはない。
指が震え、拳を握る。おぞましいとさえ感じる寒気に膝を抱く。
龍に友が挑もうとしている。そんな現実を直視すれば凍えそうになった。
「クロ子さんは僕がなぜここにいるのかわからないのですか?」
ハリムのひとことが心の臓にズンッと不快な重みとなってのしかかる。
全身を跳ねさせたクロトは動機を覚えて手を胸に埋めた。
それほど暑いわけではないのに額に汗が浮かぶ頬を流れる。むしろ背筋を這うような寒気すら感じている。
「そ、それは……つまり冥府の巫女様が魂を求めているということなんですか?」
「そういうことになります。主はラグシャモナの謀略を2度も退けた彼の魂に興味をもたれたようです」
考えるまでもなく、ひらめくまでもない。
クロトは唐突な終わりを脳裏に描いてしまう。
死の淵に立つ者を迎えにくる神がいると本で読んだことがある。
「まあ無理もありませんよ。彼はそれだけのことをやってのけたのですから、むしろ誇るべきなのかもしれません」
彼の者の名は死神。神とは名ばかりの霊魂を刈るおぞましい存在の総称だ。
そしていまやこの死霊もまた今か今かと酒の死を待つ役目を担っているのだ。
「客観的に見れば彼にまず勝ち目なんてありません。約200年前に開かれたという最後の決闘を1度は耳にしたことはあるでしょう?」
ハリムの変わらぬいつもの笑みがむけられた。
クロトはびくりと全身を慄かせる。
「あ、ありますけど……だってあの戦いはこちら側の勝利だったじゃないですか!」
意図せず語気が荒くってしまうのもしかたのないこと。
友である彼は今、別の友の死を待ち望んでいる。
それは今か今かと種の死を待つまるで朽ちかけ生者の上空を飛ぶ黒い鳥のように。
知りたくなかった。しかしクロトの目に映るハリムの横顔は、ほのかな微笑を浮かべたまま。
「現剣聖である白龍は特筆する点もない一介の龍だったんです。そんな龍を相手にLクラスたちは命を賭して戦った。その結果が勝利どころか限りなく敗北ともいえる苦い勝利だったんです」
いっそ耳を塞ぎたくなるような現実である。
しかもそれをハリムは淡々と抑揚なく事実を容赦なく並べていく。
「そして彼が挑むのは頂点の君臨者である女帝、焔龍。龍族の頂点に立ちながら幾度の決闘にさえ不敗と言われるほどの実力者。つまり正真正銘の最強存在なんです」
救世主だかなんだか知らないが、自分を救った者の末路をだ。
「どうあっても勝ち目はないんです。これと比べればグラーグン王との戦いですら生ぬるいとすら形容できる。それ故になぜあの彼がこれほど無謀なことをしたのか理解に苦しむんですよね」
なぜそうまで軽薄に語れるのか。
クロトは理解に苦しんでいる。抱えた膝に隠した口元から奥歯を噛みしめる音が漏れた。
ハリムは彼によって彼も救われたのだ。彼だけではない、もっと多くの――自分でさえも救われた。
なのにそんなクロトが微かな希望に縋るよう友に投げた問いの答えは、確実なる死。
「ハリムさんアナタは変わってしまったんですね……。以前のアナタならそんな残酷なことは言わなかったはずです……」
「そうでしょうか? きっと血潮が巡っていたころの僕でも同じことを口にしたと思いますよ?」
「……っ!」
悔しさに身を震わす。
腰で1対2振りの双剣がカチャリと鋭利な音を奏でた。
それから瞬きすら忘れ乾いた眼が剣身の如く鋭く光って軽佻浮薄な霊魂を睨みつける。
「とまあ、色々と悪い予測を立てましたがどうやらそうでもないかもしれません」
しかしハリムに動じた様子はない。
「え……?」クロトは上ずりそうな声と一緒に息を呑む。
丸めた背を伸ばして「つまりどういうことなんです?」希望の光を見つめるよう目を見開く。
「あくまでこれは主様の予測です。もしかすると――もう彼は勝利しているのではないかと睨んでいるようです」
そう言ってハリムは決闘場へ目をむけた。
座った姿勢のまま片膝を立て、その上で腕を休める。
「勝ってる? それっていったい……」
「簡単な話ですよ。彼は自分が助かるという可能性は0という苛烈な作戦に挑もうとしている。そう、レティレシア様は仰っておられました」
クロトの頭は漂白されたように空っぽだ。
ハリムがなにを言っているのかまったくもって理解できないからだ。
もう勝っている。勝っているのに助からない。つまりそれは――
「勝ち目が1ですらなく助かることすら0だってアナタは言うんですか? だったらそれってフニーキさん自身が死を望んでいるってことじゃないんですか?」
「そうとも言えますしそうでないのかもしれません。とはいえ、これは客観的に見た者たちの予測ですけどね」
「――ふざけないでくださいッ!!」
曖昧な返答に膝を叩いて立ち上がり猛り散らす。
距離の空いたところ場所からもなにごとかと訝しげな視線がむけられる。
そんなことはもはや知ったことではない。ハリムを怒りにまかせて捲し立てた。
「見損ないましたよ!! アナタがそれほど誰かに対して心血を注げず非情なかただったとは思いませんでした!!」
しかしいっぽうで彼は風を吸ったような涼しい顔のまま怒れるクロトのほうすら見ず、決闘場を眺めている。
それはまるで晴天と霹靂。望まざると望む者。相反する思想。
「ハリムさんだって救われたんでしょう!? それなのになんでそんな残酷なことを簡単に言えるんですか!?」
ハリムを失望し見限るには充分すぎた。
あの運命の夜明けを共に迎えたからといっても、しょせんは浅い関係でしかない。
よくよく辺りを見渡せば双子たちもこちらを心配そうに見つめている。
クロトは鞘へ怒りをおさめるようにして敷いたハンケチの上に腰を据え直した。
「ははは。ずいぶんご不安そうにしているかと思えば、どうやらクロ子さんは心が揺らいでしょうがないみたいだ」
「……もうアナタと交わす言葉はありません。……今日以降2度と僕の前に現れないで下さい」
言いながらクロトは膝を抱え顔を埋め、ハリムから完全に隠して拒絶した。
決別だった。もう声なんて聞きたくもなければ近くにいてほしくもない。
ただ押し込められた悔しさと、不安を見透かされたということだけが苦く残っている。
勝ち目なんてない。なにせ龍への挑戦者はマナももたなければ、奇跡の道具すらもたないのだ。
あの運命の夜明けは言ってみれば奇跡。神の奇跡によって導かれた結果の勝利。
――でもだからといって受け入れられるわけがないじゃないか……。
クロトは信じることをやめたくなかった。
まるで弟――あるいは妹――のように良くしてくれた兄貴分は、彼にとってのヒーローだった。
出口のない闇ばかりの迷路に突如としてズケズケと現れた、より凶悪な闇。
『オレは……コードネーム、ダークプリズンブレイカーだッ!』
それはクロトの網膜に焼きついて忘れられない光景だった。
諦めるという感情と隔絶された苦境。
それらなにもかもをぶち壊し修理し、生きる理由を与えてくれた者がいる。
黒地の裾の上にぽたぽたと滴がこぼれていく。
「……フニーキさん……」
声を殺して涙を流す。
運が良いことに顔を埋めているため泣き顔を誰かに見られることはない。
クロトは幸せだった。
それらすべてを作ってくれたのは誰でもない彼だった。
大切な宝物を守れたのも彼のおかげ、魔法鍛冶の師に出会えたのも彼のおかげ、今こうして生きていることも。
つまりすべてだ。今のクロトを形作っているのはすべて彼が修理してくれたから。
「……しんじゃやだよぉ……」
かすれた喉から噴出しかかった思いが漏れでてしまう。
影のなかで愛らしい顔をうんと歪め、化粧が落ちることもいとわず鼻をすすりながら丸めた背が震わす。
「なんやかんや言いましたけど、たぶんあの人なら大丈夫だと思いますよ」
突如悲しみに割って入ってきた悠長な語りにクロトは反射的に頭を上げる。
「……へっ?」
濡れたまつ毛がキラキラと日の光に輝く。すすってもすすっても奥から奥からしょっぱい液体が止まらない。
光の下に戻ってきたというのにそれはもうひどい顔だった。
「だからさっき言ったじゃないですか。あくまで主様の予想で客観的にみた予測だと。――ね?」
腫れた瞼をぐしぐしとこするクロトへ、ハリムはウィンクを飛ばす。
「あの人はきっと――この世界を舞台にまた勇敢で優しい歌を奏でてくれるはず」
黒い瞳に映ったのは、なにかを疑う余地もない「これが僕の予想です」ニンマリとした笑顔だった。
笑顔をむけられたクロトはぽっと頬が熱くなる。
そのあまりに信頼しきった目に敗北を知った。
「たとえ主がなんと言おうとも僕の心は決して揺らがない。僕はあの夜明けを共に戦い抜いてここにいるんです。それこそが存在の証明という真実なんです」
ここまでずっとハリムがあのころとなにも変わらなかった理由を知る。
彼もまたこの決闘にかける思いは並ではないということ。
「クロ子さんはこの決闘にかなりのご不安をおもちのようですが、僕は彼が必ず勝つと信じていますので。だってどれだけ願っても叶わなかった夢を叶えてくれた大切な恩人なんですから」
そう言って彼は、ぐっと空に両拳を伸ばして伸びをした。
誰よりも救われたのはクロトではなくハリムだったのだ。
望み焦がれた死を迎え、妹と再会した兄がここにいる。
クロトは恥じた。それもまた後悔と呼べるほどに。
勘違いをしていた。自分が誰よりも彼に感謝していると思い違いをしていた。
「あ、ほらっ! そろそろくるみたいですよ! ずんずん地面が揺れるんでわかりやすいですね!」
ハリムのウキウキとした声が聞こえた言った直後。いっぺんにかき消される。
種族たちの奏でるわぁっ、という歓声が衝撃となって360度から全身を叩く。
恐怖すら覚えかねない喝采のなか、クロトも薙ぎ払うようにして涙を袖で拭い去る。
「あのハリムさん! 酷いこと言っちゃってごめんなさい!」
「はい!? なにか言いましたか!? 歓声が大きくて聞こえませんでした!?」
今度は自身もって真っ直ぐに問う。
「フニーキさんは誰が相手でも勝ちますよね!?」
彼の者はときにこう伝えられる。
マナすらもたぬ弱者、と。
それなのにこう讃えられることもある。
世界を救った働き者、と。
「――――」
あまりの雑音にハリムがなにを言ったのかはわからない。
しかしクロトの目にはしっかり映っている。
目尻にシワをくしゃりと集めた最高の笑顔と。
はじまりを予感し慌てて駆け寄ってくる大切な者たちと。
勇敢な戦士を囲う、とりどりの色合いをした7つの種族たち。
ズズズン、ズズズン。
割れんばかりに大地は揺れる。
ズズズン、ズズズン。
裂けんばかりに世界が震える。
「きたぞ! 英雄が王を引き連れての入場だあ!」
酔っ払いの胴間声が着火剤となって爆発するように歓声がより大きく沸いた。
この大陸の種族たちがまた手と手をとり合うきっかけとなった、彼がやってくる。
6種族の対面側に降り立った龍たちも、食い入るようにして長首を伸ばしていた。
騙し足元をすくう。掬い上げられた者たちは誰であろうと救われてしまう。そんな嘘と嘘で固められた伝説級。
円卓の如き決闘場に颯爽と入場する姿を期待し、みなが喝采で迎え入れる。
そんな彼を世界は声を揃えてこう呼ぶ。
身の丈知らずの偉大な大バカ者、と。
「あれ……?」
高揚感に頬染めていたクロトはふと気づく。
これだけの歓声を浴びながら入場しているにも関わらず、なにやら様子がオカシイのだ。
「な、なんか……?」
どうやらハリムも気づいたらしい。
ふたりは目を合わせて同時に首を横にひねった。
☆☆☆☆☆
☆☆☆☆☆




