453話 そしてクロに満ちた空が晴れ渡った日
ぞろぞろと種の入り乱れた列が流れ、さほど時間をかけずに出番が回ってくる。
おしつおされつよろよろよたよた。混み合う方角に逆らわぬことが足をとられぬ秘訣。
「第5陣目の転送を開始します」
やや緊迫した空気に事務的な声が響き渡った。
どうやらこれが今回最後の転移らしい。次を待たずにすむのは幸運だろう。
「むう……ちょっとキツイかな……」
あくせくしながらもクロトはぎゅう詰めの輪のなかで身をよじった。
すると手前に立っていたエルフ族の女性の背に胸が当たってしまう。
「あっ! ご、ごめんさい!」
女性エルフは一瞬だけひくんっ、と長耳を跳ねさせる。も、すぐにぱたぱたと手を振って許してくれる。
やはり聖都というか都会というか密度が大きく異なっている。大きな催し物ということもあって大賑わいの様相だった。
居心地の悪い混雑に揉まれつつ、クロトが物珍しい聖都の景色に周囲へ目を泳がす。
そうやって気が削がれていると。突如、立った円の縁側が徐々に光を帯びて光沢に濡れていった。
「《ハイテレポート》!」
そして上級神官たちは杖掲げ、声を揃えて長距離転移を発現させる。
刹那。映る視界が移ろい滲んで揺らぎだす。
「――ッ!?」
気をよそにむけていたクロトは唐突な変化に虚を突かれた。
反射的に線の細い肩を硬く強張らせ、ぎょっと目を瞑ってしまう。
転移魔法とは一瞬で己を移送するもの。立つ場所が変われば景色空気気温湿度なにもかもがガラリと変わる。
なかには転移酔いなる病を引き起こす者がいるのだとか。さらにそれを嫌って転移嫌いという精神疾患にまで派生するらしい。
――僕も転移魔法はちょっと嫌いかも……。
浮き沈む感覚に目眩を覚えながらも、クロトは自分にがんばるよう心で言い聞かせた。
穴ぐらから地上に飛びだすときにも類似した魔法を使用したことがある。
しかしあれは闇から夜への転移だ。だから受ける衝撃も小さくてすんだ。
――早くつかないかなぁ……。
祈りながら待つこと片手の指ほど。
瞼を透かす光量が変わっただけではない。感じる風も、風に乗った香も、香とともに肺を満たす質感も、なにもかもだ。
勇気をだして黒い瞳が転移先の世界を映す。
「うわぁ……!」
クロトは思わず蕩けるような感嘆の息をこぼした。
転移陣の同乗者たちも似たような感じ。笑むものもいればあんぐり口を開く者もいる。驚きかたは同種異種問わずさまざま。
しかし誰しもが吸い込まれそうなほど雄大かつ広大な自然の驚異を前に剛直する。
「これがあの……! 前、聖戦で創造神が作ったと言われる聖槍の傷跡!?」
「いえこれは違う! ここはきっとドラゴンクレーターじゃなくて決闘の舞台よ! おそらくこの外にさらなる巨大なクレーターが広がっているんだわ!」
「し、信じられない!? この広さでまだ礫、さらに外があるというのか!?」
やや上ずりながら怒るように、現状確認と情報交換を同時にこなす。
きっと同乗者たちも未踏の地へ降り立ったのははじめてなのだろう。
混乱しても仕方がない。転移先に広がった光景はさながら神の杯の如し。
巨大な窪みを形作るのはくしゃくしゃに丸めてから広げた紙のよう。白い土で形成されたクレーターが頂点の光を照り返し、より明るく純白に染め上げていた。
なにをどうすればこんな奇跡を賜われるのだろうか。世界の皮を1枚剥がすだけでかくも妙ちきりん。
いてもたってもいられずに、クロトは豊満な胸を弾ませ急斜面の手前へと駆けだす。
「すごいすごい! 閉ざされていた東側にはこんな未知の世界が広がっているんだ!」
まるで鳥籠という檻から飛び立った黒い小鳥である。
わくわくという感情がスカートを小さな羽のようにひらめかせた。
すると感激に塗られた脳内に別の声が響き渡っていくる。
『はは、あんまりはしゃぐと落っこちちゃいますよ? しかし、こんな素晴らしい景色なら僕も生きてるうちに見ておきたかったですね』
情緒もへったくれもない、さながら霊魂ジョークだ。
耳を介さない言葉なら獣たちの無声会話などなどがある。
しかしこれは脳へ語りかけるというより脳が勝手に発している感じ。気味悪いことこのうえない。
「あの……感動にちゃちゃ入れるのやめてくれませんか? しかもこれ感情とかも伝わってくるんですよ……」
『これは失敬。しかしクロ子さんが依代になってくれて本当に助かっちゃってます。危うく僕の体内マナが切れで棺に戻されてしまうところでした』
そしてまたも軽薄そうに「あぶないあぶない」と頭のうちから声が鳴り渡る。
「微妙に消えながらお願いされたら協力するしかないじゃないです……」
ふてくされているがクロトとてハリムとの再会は胸躍るほどの吉報だった。
だがどうだろう。死ねぬ妹を成仏させた彼ときたら、今度は自分が死なぬ魂で還ってきたではないか。
とりあえずクロトは眉で困惑を描きながら、透明な彼と独り言のような雑談を交わす。
「ゾンビ時代に龍族の巣を目指したりしなかったんです? 輪廻にむかう方法を探るなら未踏の地ほど可能性が埋まっていそうですけど?」
『いちおう僕も考えたことはあるんですよ?』
「……? 考えたことがあるのになんでやらなかったんですか?」
『ここを目指すなら誘いの森近辺を通過しなきゃいけないじゃないですか……。そうなっちゃうと道半ばで肉片になるじゃないですか……。そうなると辿り着けないんですよね……』
暇を会話で潰していると、いそいそとやってきた誘導がやってくる。
「こちらへお急ぎ下さい。ここは龍族の観戦場所が近いためもう少し離れた場所にとのご命令なのです」
逆らうことの恐ろしさたるや。龍の逆鱗にでも触れたらただではすまない。
腰の低い誘導のあとに団体が文句も言わずつき従う。
どうやら目的地はもう少し先らしい。地層のように斑な段となっている外周に沿うように列を作る。
クロトも反抗する理由がないのでぽくぽく呑気についていく。
こと、この場に至ってはどの種族も平等に、全員が物見客、そしてお上りさんである。
彼の独り言なんて耳にすら入らないようだ。
いっぽうで饒舌なハリムの姿はやはりどこへやらか。壁に語りかけて返事があるというのはなかなかに奇々怪々である。
「話の途中でしたけど、やっぱり生き返るとはいえ痛いのはイヤってことなんですか?」
するとハリムは「……いやぁ、あはは……」と、申し訳なく頭を掻く――ような声を漏らす。
それと同時に強い恐怖と緊張やら、とにかく悪いものがクロトの内側に流れ込んでくるのがわかった。
『不死状態でも男の僕が魔物に掴まったら食べ放題がはじまっちゃうんですよ……。倒されて……復活したらまた……もぐもぐもぐ』
「も、もういいです……。ほんとにお腹いっぱいなんでそれ以上は言わないで下さい、お願いします」
白い額を青ざめさせたクロトはこみ上げてくる酸い液体を耐えた。
これは俗に言う、とり憑かれちゃったというやつだろう。メリットは空いた時間が潰れること、デメリットは言わずもがな。
ハリムは今や救世主なのだ。冥府の巫女によって選定された無法者。棺の間の従者。
「それでハリムさんは冥の巫女様の御使いでやってきたんですよね 聞くところによれば目的地は僕らと同くココらしいですけど……」
クロトは目を丸くしながら長細い指を顎に添えて小首をかしげた。
いまや花を愛で蝶を踊らす乙女の姿。格好が変われば仕草のひとつひとつに女性が光る。
するとしばし間を開け咳払いひとつ。
「それはそれとして――スカラヘッジドラグコア討伐の瞬間見させてもらいましたよ」
ぬぅ、といきなりハリムの生白い顔がクロトの肩の辺りに出現した。
肉声を低く、潜めながらひそひそ。
耳を撫でるような感触にぷるり。クロトは身を強張らせながら「ひゃぅっ」と驚いた子猫のような悲鳴を上げる。
「いきなり耳元でこしょこしょするのやめて下さいよ!? なんですかその性癖をこじらせたかたが手に入れたら悪用し放題な特殊すぎる特技は!?」
唐突な悲鳴に前を歩く一団が怪訝そうに振り返った。
クロトは慌てて両手をぱたぱたと振って視線を散らす。
恥じ入る気もちに頬に火照らせながら「な、なんでもないです……」スカートの裾をきゅっと掴んで頭を垂れる。
それから全員の視線が逸れたことを確認し、「ハリムさぁん……!」桃色の唇をツンと尖らす。
「あはは、ごめんねっ。つい」
「ついじゃないですよぉ……びっくりしたなあもう……」
鼓動の伝わりにくい胸を押さえてほふ、安堵した。
そんな彼の横をニンマリと快い笑みが浮遊している。
「こうしてフリーで外にでられるなんてスカラヘッジドラグコアのとき以来なんです。だからついつい自由なのを満喫しちゃいました」
言っている間にもハリムの体が少しづつ質感を現す。
透明なパレットに絵を描くみたいだ。首から肩胸腹、生きていたころと変わらぬ姿形で顕現していく。
見慣れぬ現象にクロトの目は釘づけ。
――なんかコーヒーにミルクを溶かしたみたいな出方をするんだなぁ。
ぱちぱち。拍手代わりに無垢な瞳を瞬かせていると、すっかりハリムの体は元通りだ。
霊体であるがゆえ意識的に存在をだしたり消したりできるのだとか。先ほどの混み合う聖都でも友の姿を見つけるまでは透明になっていたらしい。
便利ではあるが不便な点もある。とくに現在、依代を求めていることなんてまさにだ。
そしてクロトははたと思いだす。
脅かされて聞き逃しそうになったが、さすがに流すわけにはいかぬ。
「ハリムさんも見ていたんですか? あの冥界から召喚された神より賜りし宝物との死闘の場に」
横で歩幅を合わせるすっきり背の高い青年を見上げつつ、問う。
「見させてもらいましたよ。すごい勇敢な戦いぶりだったじゃないですか。あれだけの戦力のなかヒュームとして参加するクロ子さんに嫉妬の感情すら覚えてしまうほどでしたからね」
ハリムはわぁ、と両手で大きな円を描いた。
屈託のない笑み。話す口調も息を弾ませるかのよう。
「あのときは勝ち目なんてないと思っていたんです。だから僕は主様の命によって輪廻に惑うピクシー族たちの魂を回収するためにみなさんを監視をしていたんです。それをまさか逆に守護して討伐だなんて未だに信じられませんよ」
「そうだったんですか……。でも確かにあの骨の魔物たちが紅の地平線を埋め尽くしていたときは生きた心地がしませんでしたもん……」
「謙遜なんてしなくてもいいんですよ、なにせ僕はこの目で見たましたからね! クロ子さんも腰の双剣で一騎当千の働きぶりだったじゃないですか!」
剣の腕を褒められるとむず痒いのはなぜだろうか。鍛冶の腕を褒められるよりも照れてしまう。
クロトは頬が熱くなるのを感じ、ひらひら揺れるスカートの裾をきゅっと握った。
「あ、あれはがむしゃらだっただけです……。未だにうちのチビ助には剣の才能がないクラスって怒鳴られてますし……」
やや物騒な世間話をしながら並び歩く。
かたや夜に咲く花の如き美少女がスカートを揺らめかせ、横にはやや足が透けた紳士が立つ。丁度よいバランス。
「ヒュームとしてあれほど痛快なことはないです。迫る骨の軍勢を風をまとうような身のこなしで次々に倒す姿は目を奪われてしまうほどでした」
「ハリムさんは大袈裟ですよぉ……。そっちだって冥府の巫女に選ばれるなんて凄すぎじゃないですか」
「いやいや僕なんてしょせんお茶くみか棺の重していど。僕の眠る両隣の棺どころか棺の間の全体が選定の天使に誘われてもオカシクない逸材ばかりですし」
「それ……ハリムさんも同格ってことじゃ……」
積もる話がありすぎて舌の根が乾くほどだ。
周囲から見ればふたりは血縁関係に見えることだろう。しかし彼らに視線すらくれず龍の巣へ心をもっていかれてしまっている。
そしてクロトは見知らぬ空間でも不思議と不安はない。友がいるというのは心の拠り所のもなっている。
むしろ勇気すら湧いてくる。時間ですらゆっくりと流れるような気さえした。
しかしそれも風前の灯に等しい。クロトはたまらずしゅんとうつむいてしまう。
「あれ? 暗い顔をしてどうかしたんですか?」
異変に気づいたハリムは歩きながら彼を覗き込むように腰を曲げた。
「ハリムさん……なんでここにいるんですか?」
「ああ、言ってませんでしたね。僕がここにいる理由は主様、つまるところ冥府の巫女による直々のご依頼を受け馳せ参じたって感じです」
「……そう、ですか……」
誇らしげに胸を張るハリムを、クロトは直視することがままならなかった。
そのひょろっと細長い足は半透明。交互に繰りだしてはいるが革靴を踏む音は軽いどころか無音。
まるで影、そして亡霊。この世の道理から外れたこの世のものでないなにか。
――やっぱりもうハリムさんは生きてない……なのにどうして……。
クロトは霊体となって彷徨うハリムをちらと見て、途端にたまらなくなってしまう。
それからばつが悪そうに両のまつ毛の影を伸ばした。
自分は幸せだった。
あの奴隷街で欲を覚え、反抗するという2本の牙を手に入れた。
今も腰に帯びた双剣は守るべき者を守ると決めた、あのころの愚かな自分との決別を意味している。
「……ハリムさん」
「先ほどからどうかしたんですか? クロ子さんに暗い顔は似合いませんよ?」
やはりあの頃のままだ。
それほど馴染み深いというわけではないのに、こちらにむけられる笑みは暖かい。
それなのにこちらはまったく笑えない。
「どうかしたなんて……僕が聞きたいですよ……」
幸せなクロトに比べて彼はどうなのだろう。
魂の抜け殻となった妹の不死の肉体を、この世界から滅すために世界と戦った。
あれだけ肉体の死を求めていたというのに、今度は魂の束縛なんて。あんまりではないのか。
この再会に付随するものはなにも喜びばかりではない。
「……っ」
クロトは胸のあたりの布を震える手で握りしめる。
シワができるくらいにぎゅうっ、と。痛いのはソコではなくもっともっと奥のらへん。
内でくすぶるのはやはり――クソ喰らえ。
これからも、これまでも。すべては神の与えたもうた反吐の如き試練なのだ。
死なずの兄妹が生まれた理由も、あの運命の夜も、この龍族を交えた決闘も。全部が種族に負担させた運命の失態。
「アナタは……今、幸せなんですか……」
クロトは、飄々と横に並んで歩く兄の霊体へ、たまらず問う。
信仰の低い彼には我慢ができなかった。それは冒涜と呼ばれるものであることにも気づいていた。
しかし運命の両翼に踊らされた者たちが不幸な結末を迎えることがなにより悔しくて仕方がなかった。
――じゃなきゃ……! サナとルナもだってあんなことにはっ……!
ハリムに問うたことすら意識の外へ。
網膜に映るのはなにより大切な宝物たちの、あのときの濡れた頬だったから。
奥のほうで渦巻くモノが黒いなにかとなって渦を巻く。
滴を垂らしながら底で溜まり、まるで汚水の如く臭い立ち、徐々に大きく膨張していく。
「うん、とっても幸せだよ。こんな僕にこんな幸せは分不相応とさえ思えるほどさ」
歯の根を押さえていた黒い力がふぅ、と白い羽のように軽くなる。
そよいできた暖かな声に、クロトは虚を突かれてしまう。
「……え? 今、なんて……?」
「今の僕は生涯最高ともいえるくらいに大きな幸せに包まれて生きて――いないですけどねっ!」
ハリムは優しく包み込むような微笑のまま冗談じみて両肩をすくませた。
そうやって問答をしているうちに、いつしか彼らの周囲には種族が満ちている。
これからはじめる決闘に期待を滾らす者や、祈りを捧げるもの、酒を煽り野次を飛ばす者まで。
西側の種がごちゃまぜになって窪みの縁から遠くの中央を覗き込んで賑わっていた。
するとクロトの背後からも、より一層やかましいガチャガチャと鉄をこするような音が近づいてくる。
「ふへぇ……やっと追いついたあ! なんで観戦する場所に直通の陣を描いてないのよお!?」
騒音の正体は純白鎧だった。
フィナセスは両膝を膝を押さえながらぜぇぜぇ、と息を整える。
よほど急いできたのだろう。額には珠のような汗が浮かんでいる。荒い呼吸に合わせてたらりと肩から下がった三つ編みもふらふらと踊った。
「なにか急用を思いだしたと駆けていきましたが、どちらへいっていたのですか?」
労をねぎらうようハリムは近寄りながら、ふふと微笑む。
「だっ、てハリムくんがいるなら……げほ、連れてこなきゃじゃない……」
喘ぎ喘ぎ、上下するその背にはなにやら黒く尖ったもの。
ぶらりぶらり。天辺で星が自然ではない動きかたで左右に振れている。
「やっぱりハリムくんがいるならムルちゃんも一緒じゃないとでしょ! これで防衛戦争のレジスタンスが集合よ!」
鼻高々に宣言するフィナセスの頬の横らへんから、ひょっこり。
「……あう?」
『オレちャんのことも忘れてもらッちャあマイッチングダゼィ!』
眠そうな目の幼子が顔を覗かせ、がれ場を転げるような帽子の声が響き渡った。
しかもどうやらムルルは寝起きらしい。つぶらな目をぐしぐしとこすながらあくびをする。
『あーッたくよォ。いきなりワタシちャんさんの道連れ喰らッちまッたゼ。男なんザ要はねェッてのによォ』
チャムチャムも不満げに星を揺らしながらぶちぶちと文句を漏らした。
誘導そっちのけで飛びだしていったフィナセスによって寝ているところを強引な形で連れてこられたと見るべきだろう。
「ムルルちゃんじゃないですか。おやおや、少し背が伸びましたか?」
「……ぁぅ、実のところそうでもないよ……」
ハリムは愉快な面々の到着に嫌なひとつしない。
まんべんなくにこにこ顔を振る舞っていく。
「それにキミも懐かしいですね。えっとキミは確か……ジャムジャムさん?」
『おう、テメェスカシた面デ喧嘩売ッてんのか? そんなに甘くてオイシイ酸味の効いたゲル状のものにオレちャんガ見えるッてのか?』
本当にあのころままだった。少なくともクロトにとってはだが。
あの光の届かぬドブ穴の底で出会い、夜明けとともに揃わなくなった顔ぶれが、なんでか揃っていく。
しかもそれだけではない。
「冷たい飲み物は如何ですかー! 氷魔法でキリリっと冷やした麦酒もたんとありますよー!」
「出張版癒やしのヴァルハラでーす! 片手で食べられる軽食もご用意してますからお気軽にどうぞー!」
とても聞き覚えのあるフィレッシュな声が、クロトのことを無理やりに振りむかせる。
座って決闘の開始を待ちわびる種族たちに金銭を対価として弾ける笑顔と飲み物を――あられもない格好で――配る者たちがいた。
「おおいネェちゃんがた! 脳まで響きそうなキッツイ酒をしこたまくれい!」
「はいはーい! 一気に飲んだらヴァルハラに吹っ飛ぶドワーフ特性の火酒でーす!」
あちらでごろをまくドワーフに呼ばれたサナは、ワーキャットのつけ尾を引いて駆けていく。
酔っ払いの相手も慣れているのだろう。調子に乗ってくる男を華麗に退けつつ、決して営業スマイルを崩さない。
腰に巻いた薄布は肉のこぼれた臀部を隠そうともしない。上着も着ても着なくてもあまり変わらないと思えるほど小さいビキニだ。
「こっちには甘い果汁とわたしたちにも食べれるサイズの食べ物くださいなー!」
あちらで妖精の小さな客が手を振って店員を呼ぶ。
後結いの髪が、ぴこん。即座に反応し、すぐさまもうひとりが駆けつける。
「ピクシーのかたでも食べられる焼き菓子とフレッシュピーチカクテルなんて如何です?」
「じゃあそれをくださいな!」
注文をとったルナも、サナも、まるで野兎が跳ねるように客らを捌いていく。
そうなると別の店員たちも黙ってはいない。ドワーフ女性特有の小柄な体躯で種たちの色気と食い気を満たす。
「のじゃあ!? なんでまたワシまで手伝わされねばならんのじゃあ!?」
あちらではクロトの姉弟子であるラキラキ・スミス・ロガーまで。
褐色肌を臆面もなく晒しながらぷんすか頭から湯気を立てつつ、いそいそ。
簡易キッチンで文句を言いながらもきちんと仕事をこなす辺り達者である。
「ら、ラキラキさぁん! 次は照り焼きとエンペラークラーケンの耳の唐揚げお願いします!」
「うがー! キューティーももっとワシをいたわらんか! こちとら火事場よりも忙しいのじゃあ!」
踊り咲き、乱れる店員ののなかでももっとも仕事を手早くこなす者がいた。
足どりはまるでダンス。キューティー・ロガーは誰よりもはつらつとしていた。
「あと釜の修理と穴の空いた鍋の修理と、あそこの冒険者さんの剣の修理もお願いとのことです!」
「おいちょっと待つのじゃあ!? 物作りと料理作りを兼任させるということかなのじゃ!? おヌシさては鬼畜じゃな!?」
青空に上がる悲鳴をよそに店員たちは凄まじい勢いで散っていった。
ここにはすべてが集っている。
平和の礎を築いたエルフ国の長耳たちもいる。
甚大な被害に晒されたドワーフ国の猛者と幼子たちもいる。
ワーウルフ国の狼も魚も、蜘蛛も、獅子も、鷹も、馬も。数え切れぬほどの複合種たちがいる。
ピクシー国の透明な羽をはやした妖精たちもいる。
そして神より賜りし宝物によって意思を侵食されていたエーテル族までいる。
そんな彼らを、彼女らを。大陸種族をひとつの視界におさめる自分が、ここにいる。
「今度は逆にこちらから尋ねさせてもらいますよ。今、アナタは幸せですか?」
ハリムからの、ほがらかなでそのままな問いかけだった。
あり得なかったはずの光景を前に、黒い感情は日の満ちる空より青く、晴れていく。
なにかが決定的に変わっている、誰かのせいでちぐはぐに捻じ曲げられている。
そして今なおなにかをしでかそうとしていのだ、と。
それらすべてを籠めてクロトはハートの髪飾りをするり、外す。
「――はいっ! もちろん幸せです! あのときに夢を見た形よりもずっともっとこれ以上ないほどに幸せです!」
解けた黒い髪が額を撫で、握った拳は力強く。
問いかけに威風堂々と言ってのけることができた。
それをハリムは歯を見せつつ満面の笑みで受けとる。
「それはなによりです。だったらちょっと紹介したい子がいるんですよね」
受けとった上で、受けて立つ。
そんな意味深な笑みを深める彼の横。
すぅ、と。もうひとつの影が顕現する。
「僕の名前は悪意の統治者ハリム・E・フォルセト・ジャール」
そしてクロトはその存在を認識した途端に言葉を発することを忘れた。
「そして彼女が僕の自慢の妹――悪意の指揮者ミリミ・E・フォルセト・ジャールだよ」
兄、によって背を押された少女は、透明な足をよろよろと覚束ない足どりで前へと躍りでた。
長い兎のつけ耳がぴょこんと跳ねる。さらには店員たちほどではないにしろ官能的な佇まい。
「そ、その……は、は……2度目ましてかな? いちおう……そんな感じですよね?」
ミリミと呼ばれた少女は、おずおずと戸惑いながらも小首をかしげた。
あろうことか魂の抜け殻とまったく同じ顔立ちの少女が真っ直ぐこちらの目を見ている。
あの穴ぐらのなかで唯一笑わなかった少女が、そこにいる。
そこにいて濁り淀みのない澄んだ瞳で立っている。
「ハリムさんごめんなさい。僕は嘘をつきました」
「どうしたんです? 唐突に謝ることなんてなにも……」
風に吹かれる吐息のような呟きにハリムはためらいがちに眉をひそめた。
ミリミもクロトの異変を察したか兄と彼を、きょどきょど。交互に見やっている。
世界が変わっていく。少なくともすべてがあのころのままではない。
そう、気づいたとき。空が余分に晴れ渡った。
「僕は世界で1番最高の幸せ者だったようです!」
その頬に伝う1滴へ、過去の辛さを籠めて精算とする。
クロトはどうあっても今が最高に幸せと思えてしょうがなかった。
そんな彼を包む世界もまた数多くの宝石が詰まった宝箱の如き笑顔に満ちあふれている。
たった1つの種族を除いて。
……………




