452話 そして決戦の日に吹く、回顧の念
その一報は世界を震え上がらせた。
なにせ龍族に決闘を挑んだ無謀な挑戦者がいるのだという。
そそり立つ絶壁のそのまたむこう側に住まう龍族。大陸最強種族と名高い全身鱗の巨躯。
古の物語となれば必ず登場し大仰に語られる種族だ。
ときには種とともに肩を並べて共闘し、鉄にも勝る鱗と雷よりも鋭い牙で巨悪を討つ。
また別の場合であれば敵だ。神に選ばれし種族たちが力をひとつに身も魂もを燼滅させる火炎を切り裂き、生命を燃やして討伐する。
どちらもワクワクが止まらない英雄譚だ。伝説と龍はともにあり、なんて。
だが、実際に出会うものは世界でもごく僅かとさえ言われてる。
「……うう。聖都をひとりで歩くのはやっぱりまだ抵抗があるなぁ……」
そしてここにいる彼――または彼女――もそんな仮想英雄に憧れることだってあるのだ。
光沢のある硬い素材の靴がコツリ、コツリ。小気味よい音を奏でるたび細白い足が詰めすぎず長すぎずな裾を蹴って開かせる。
女性であればショートな前髪の端っこで愛らしいハートのヘアピンがキラリと光った。
そんな彼女――または彼――が風に黒い髪を乗せて通り過ぎれば、すれ違うものがふとした感じで振り返る。
「ねねっ、前にいるヒュームの子ものすごく可愛くない?」
「わかるわかる。なんかさ、月夜とかに映えそうな感じの子よね」
「そうそう! しかも髪まで黒1色だから白いお花畑とかにいたらもう絵になりそう!」
黄色い声が聞こえてくるのはこれで幾度目であろうか。
腰には剣を身に鎧を。冒険者の女性たちがひそひそと声を潜めて銀燭の瞳を輝かす。
まるで繊細な装飾品の如き整った顔立ちは若干の化粧によって彩られている。しなやかなれど弦を爪弾けば傷ついてしまいそうな白い指先は白魚の如く美しい。
さらには世にも珍しい甘く香る純正の黒髪が――否。あまりの愛らしさが華美な女性エーテルでさえも魅了する。
意識せずとも放たれてしまう蠱惑な美貌が、聖都のエーテル族たちを次々に射止めていく。
――世界規模の催し物だと至るところに転移魔法陣が置かれるんだねぇ。山颪の街イェレスタムと聖都エーデレフェウス間の移動がこんなに早いなんて……。
そんな周囲の喧騒なんぞ彼の耳には届かない。
むっちりと重量感のある大房の下に腕をくぐらせ、物思いに耽っていた。
イェレスタムから聖都へ飛べるという偉業の素晴らしさたるや、商売を志すものには財宝よりも価値あるもの。
長距離を文字通り一瞬で移動する転移魔法陣。もしそれで物流がおこなえればどれほどの利益を上げられるのか。
――もちろんこれだけの魔法を使うには偉い魔法使いさんが魔法陣に常駐しなきゃだし……。やっぱり日に数回の納品のためだけに宮廷レベルの魔法使いさんを雇うのは現実的じゃないよね……。
そして考えた結果、現実的ではないというところに落ち着いた。
往復するなら時間はかかっても商隊のほうが安上がりだろうと結論づけられる。
「やっぱり小さくセコくいくのが安定! 物作りバンザイ!」
クロトはんぅ、と伸びをしながら聖城を目指し花道を征く。
花道の流れはほぼ聖城へとむかっているため雑踏だがいくぶんか歩きやすい。おそらくは大抵が彼と同じ場所を目指しているのだ。
どこに繋がるのか。そんな浅いことをいまさら語る者はいない。大陸ではここ3日3晩、龍との決闘という話題でもちきりなのだから。
聖城前の大広場。そこに本日限りの大転移魔法陣が描かれるのだとか。
「それにしても……」
雑踏に呑まれながらクロトはしょんぼり眉を曇らす。
兄弟子からの招待状を片手に、決闘の場へ直通する転移魔法陣へむかう足は、やや重たげ。
「せっかくお呼ばれしたんだしオシャレしようと思ってたら……一張羅がまさかこれしかないとは……」
重たげというのはなにも足ばかりではない。
ヒュームひとりきりという羞恥的な心もちはもちろんある。
しかし胸部の布を張り詰めさせる大房が実際に重たい。
「仕事ばっかりじゃなくて余所いきの服くらい買うべきだった……」
クロトは目を細めながら薬の成果を見下ろした。
そして自然に襟を指で開くと、ツンと突きでた男性にないはずの部分がゆさゆさと大波を打って揺らいでいる。
それから手にもった招待状をすらりと深い谷に押し込んで黒いドレスワンピースの襟を正した。
――なんとなく服装に合わせて薬も飲んできちゃったけど……変じゃないよね?
これで幾度目の女装か。そして若干だが姿でいることに抵抗がなくなりつつあった。
だがクロトは両頬を叩いて、強引かつ男らしく自分を納得させる。
「そういえば確か広場にはハリムさんとミリミちゃんのお墓もあるだった! なら悲しい顔なんてしてられないよね!」
なにせこれからむかう大広場は、彼にとって思い出深い場所である。
記憶に刻み込まれていると言っても過言ではない。なにせあの運命の夜明けを迎えたとき、彼もまたあの場で蒼の奇跡を垣間見た。
しみったれたまま顔をして踏み入れば安息を迎えた仲間に笑われてしまう。
愛らしい少女が舞踏会で履くような靴で、勇み足に広場へと踏み込んでいく。
「ご観覧のかたは1列に並んでくださーい! 第2陣の転送終了後はなるべく詰めて魔法陣に入ってくださいねー!」
すると意図せず聞こえてきたのは、やけに明るく、聞き覚えある声だった。
右へ左へいったりきたり。尾を揺らすよう銀の長い束がそのあとを追っている。
「ん? なんか……やけにうろちょろ動く白い影が。しかもかなり目立つというか……周囲の邪魔をしているというか……」
ふとクロトがそちらを見れば、やはり見覚えのある鎧。
清潔な白い鎧はなにより目立つ。品の良い銀の三つ編みと赤いリボンが忙しそうに揺れている。
「それと私があまりに究極の美貌を秘めているやわむちボディの女性だからって色目使っちゃダメよっ! ――ダメだからねっ!?」
やはりクロトもヒュームだ。聖都でたったのひとりきりというのも心細い。
その影が知り合いであることに気づいた彼は、体が自然とそちらへ駆けだしていた。
「おーい! フィナ子さーん!」
「ははーん? どうやら私の美しさに耐えられなくなった飢えた野獣が解き放たれたらしいわ……」
聖騎士フィナセスはさも満足とばかりにふんぞり返る。
そこへクロトは子犬のようにコロコロと駆け寄っていく。
「あらん? よく見たらクロ子ちゃんじゃないの?」
「いえ、今はじめてこっちを見ましたよね? よく見るっていうか一見で僕だって気づきましたよね?」
この広い世界で運命的な出会いだ。
なにせ彼女もまたあの夜明けをともに踊り明かしたひとりである。
「まったく飢えた男たちの目線に晒されるのも楽じゃないってもんよね! まあ謹慎が解けたばかりの初仕事だから文句は言っていられないけれどっ!」
「あの……とりあえずでいいんで僕の話を聞いてくれません? ひとり孤独なのにも関わらずはしゃいでなにをやってるんですか?」
問うてみたもののだ。クロトはそんな些細なことを尋ねるまでもないことに気づく。
大広場の石畳には転々と円が描かれており、そのなかには様々な種族が押し込められていた。
白い石畳に描かれた光の線の外側に立つ者たちは礼装を帯びている。
「ではこれよりドラゴンクレーターへの転移を開始致します。あちらに到着したら勝手に動かず誘導に従って下さい」
あちらでもこちらでも似たような文言で二言三言の注意喚起。
こくり、と頷く者たちの顔にも僅かな緊張が滲んでいた。
「……。――では参ります!」
礼装の者たちは互いの目で合図を送り、大きく杖を掲げ上げた。
ひらひらと涼し気に開いた袖を振ると、描かれた円から強い光があふれていく。
「《ハイテレポート!》」
その光がおさまるころには、円の中はもう空っぽだ。
あらかじめ決闘の場でも転移魔法陣を描いているのだろう。気づいたときには龍の巣に立っているということ。
今、この聖都に集まっている者たちの大半は東のドラゴンクレーターへとむかう。本日おこなわれるという前代未聞の決闘を観戦するためにだ。
通常龍の巣への立ち入りは厳禁。龍族によって決闘者以外の侵入は固く禁じられている。
――決闘者同士の制約と、それを公正に判断する天界の介入ね……。まったく……いつもながら無茶苦茶だ……。
しかし今日だけは西側の種族が東側に立ち入ることが、とり決めとして許可されていた。
つまりこれは大陸に住まう7つの種族が集うということ。
今日は特別な日。それもおそらくはこの世界で永遠に語られるであろう新たな歴史の頁が書き記される日。
「私の使命はなんと誉れ高き交通誘導よ! なにせ大陸中から性欲にまみれた男たちがうじゃうじゃとドラゴンクレーターへむかうのだから私のように優秀な聖騎士がいなきゃ聖都は混乱の渦ってとこね!」
――転移魔法陣か……懐かしいなー。そういえば僕も、ハリムさんと一緒に使ったのがはじめてだったっけなぁ……。
「聖女様直々に仰せつかったこの使命は私だからこそ適任なの! 謹慎明けのお仕事でこれほどの大役を任されるなんて私への絶対的信頼がひしひしと感じられちゃうわん!」
フィナセスの放つ絶え間ない雑音を聞き流し、クロトはぐるりと大広場を見渡した。
するとこちらだと言わんばかりに昼を告げる鐘がうわんうわんと鳴り渡る。
広場の中央に建てられた3つの墓。そして群れなす腐肉が飛びでた教会。
クロトは頬を撫でる暖かな風を感じながら、しっとりと目を細めた。
――昨日のことのように覚えているのに……今日は遠い過去のように思えてくる。
「もっしもーし! クロ子ちゃん聞いてるー? もっしもーし!」
――あの戦争で唯一冥に送られた兄妹。願いが叶ったとはいえ、もうふたりに会えないと思うとやっぱりちょっとだけ切ないかな。
あの時たまたま生きる道が交差しただけ。ただの偶然。
朽ちることを求めた兄妹と、希望を求めた少年。そして現れた1滴の毒。
あの濃密な戦争の記憶を辿っていると、石畳へ流れるようにして膝が吸われていく。
「…………」
跪いたクロトは、英雄たちの墓にむかって両手を結ぶ。
ぎゅっと胸に結んだ手を引き寄せ、目を閉じ――……声を聞く。
「……あれれ? そこのふたり……」
こちらが追悼の祈りを捧げているというのに雑音が耳に入ってくる。
思わず眉尻をひくひくさせながらクロトは表情を苦く歪めた。
「フィナ子さん……。ちょっと僕ハリムさんへの祈りを捧げてるんで静かにしていてくれませんか……?」
「あっ、やっぱりそうだ! お元気そうでなによりですよ!」
なおも祈りを捧げているというのに、あちらからの軽口が止まらない。
「…………っ」
クロトはわりかしイラッとした。
こんな神聖な場であるにも関わらず空気を読まない暴挙ぶり。
ここは輪廻に還った友の眠る安住の地。であればともに巨悪を討った仲間としてとるべき態度というものがあるだろう。
「フィナ子さんちょっと静かにして下れません!? アナタの明るさが美点であることは認めてます! だけどやっぱりここは僕たちにとっても特別な場所でしょ!?」
さしもの聖騎士とてあまりに過ぎるのではないのだろうか。
怒り心頭といった様子でクロトはたまらず祈りを解く。あのころと変わらぬ少女の如き肌を火照らし、不届き者を叱りつける。
「ハリムさんとミリミさんが命懸けで戦ってようやく安らかな眠りにつけた、いわば英雄の眠る――……ねむ、る?」
彼はあのころとなにも変わらない。格好もなにもまったくあのときと同じである。
変わったことといえば、すごく幸せになってモノ作りと剣が上達し、少し化粧が上手くなったくらいだ。
「そうそう今はとっても安らかなんですよ! まさか冥府の巫女が僕なんかのことを覚えていてくれるなんて思いませんからね!」
この辺りでいよいよクロトもなんらかの異変が起きていることを察する。
膝を叩きながら勢いよく立ち上がり、冠を曲げて怒りを発してみたもののだ。
――え~っとぉ、これってけっこうマズイ? もし絡んでくるなら場合によっては逃げようか?
ふむん、なんて。淡い桃色に濡れた唇へ指を添えつつ、よくよく思い返してみる。
先ほどから祈りの邪魔をしてきたのはどう考えて男性のものとしか聞こえぬ声色であった。
思考を閉じ、ちらりと横を見れば叱っているはずのフィナセスがいる。
「あわ、あわわ! く、クロ子ちゃん隣を見て!」
鎧よりも白い顔をしながら何度も何度もこちらの横を指差す。
明らかな異常を示していた。
「あ、あはは……ごめんなさいちょっとうっかり早とちりしちゃったみたいで……」
後悔とともに謝罪する。もちろん恐る恐るだ。
蛇がでるか蛇がでるか。これが祭り騒ぎに乗じる群れた無法者相手なら目も当てられない。
愛らしい顔立ちをうんと曇らせながらクロトがそちらをとらえれば――なにも変わっていない。
「いやぁ、クロ子さんも僕のことを覚えててくれたようでなによりです」
白い清潔な袖長のシャツと黒のベストは喫茶店で働く制服も、そう。
頬を緩めた好青年の如き笑みも、そう。
「そうだそうだ。おふたりもあの人の決闘を見にいくんですね。ならちょっとしたお願いを聞いてもらえませんか?」
そう、あのころとまったく変わらないままだった。
安らかに眠っているはずの者が、自分の墓を背おうみたいに立っていた。
「そ、そんなあのとき確かに死んだはずなのに!? な、なんでハリムさんがまだ生きてるんですか!?」
フィナセスと同様に口をまぐまぐさせながらクロトも目を白黒させる。
それをよそに、紳士的な笑みを浮かべた彼は、貴女を誘うよううやうやしく礼をくれた。
「僕の依代になってくれません? 終焉なき腐肉食い改め悪意の統治者となった僕の依代に……ね?」
しかも本来ならば己の安息の地である墓標を背景にしてだ。
運命の地で数奇な再会を果たす。そんなときあの、彼ならばなんと言うだろう。
もしかしたら涙もろいため感動に咽ぶかもしれない。微笑みながら軽い挨拶でもするのかもしれない。
ただクロトは蒼白しながらこう思う。きっとあの彼ならばこう口にするはず。
「望み通りにちゃんと終焉を迎えたはず!? それなのにこんなのって――クソ喰らえじゃないですか!?」
ハリム・フォルセト・ジャールは敵を作らない飄々とした顔で薄ら寒く笑うだけだった。
……………




