448話 そして懐かしいと思えたなら
それはもう最悪だった。
リリティアは顔を真っ赤にして捲し立てる。
「もう1回言えるもんなら言ってみろってものです! アナタ如きが私よりも誰に詳しいってどの口がのたまってるんですかあ!?」
混沌に侵食された会議室は、なりふり構うどころではなくなっていた。
彼女によって胸ぐらを捕まれたスードラはぐったりとしている。
「明人さんは私と目が合うとちょっと照れた感じで視線を反らしたりして超かわいいんですーっ! それと未だに私に触れようとするときにいちいち1度戸惑ちゃったりして尊い存在なんですーっ!」
ずっとこの調子なのだ。
リリティアは怒鳴るようにしながら同居人の良いところを話だして止まらない。
しかもすべて色眼鏡で見た主観的な評価だ。聞かされる側が思わず頬を熱くしてしまうような甘い日常の断片ばかりをは惜しげもなく発散している。
「ちょ、ちょっと……待って……! ぐ、ぐるじいぃ……!」
「まだまだあるんですっ! これから1000の言葉でもっともっと明人さんについて語ってやろうじゃないですか!」
あれだけ挑発的だったスードラも、これにはたまらないはずだ。
両足が床から離れてどれほどか。身長差もあって両足が浮き振り子のようにぶらりぶらりと揺れている。
「ご、ごめん……本気でやめて……! 意識が……意識が遠くなって……!」
抵抗すらもうやていた。
顔色は見事な海色、額の宝玉も危険を察してか、ストロボのように危険信号を繰り返している。
胸を覆う布地は、そう簡単に外れぬようしっかりと捻り上げられている。彼が最強種族の龍であっても逃げるのは容易でない。
「私が明人さんの帰りをどれだけ胸を痛めながら待っていたと思うんですか!? それを突然やってきたアナタのようなサハギンのフンがかすめとろうなんて百億万年早いんです!!」
攻め立てるのもまた龍なのだ。
しかもスードラはおそらくリリティアの逆鱗に触れてしまっている。
「じゃあまずは私の番です! 朝の時間帯に限って見られる明人さんの素敵な部分を教えてあげます!」
「え……これ、交互なの……? どういうルールなのかわかんないし……できれば早く降ろしてほしいよ……?」
しかも会議室には屍が積み重なっていた。
彼女を止めようとした勇敢な者たちがそこらじゅうに転げ回っている。
「こ、これが……龍の……力だというのか……? これ、では……もはや天災ではな、いか……――ぐふっ!」
「あぁん……ごめんねミニマムちゃんたちぃん。……今日、お店に帰れそうにないわぁん……――あひぃんっ!」
倒れ伏したカラムとドギナの両王が力なく頭を垂らした。
まだ意識のある者たちが慌てて治療に回る。
偉大な王を攻めるものはいない。彼らはやりきって深い眠りについたのだから。
「ちょっとの間一緒にいたくらいで理解者気どりですか!? ええ、ええ、明人さんは誰に対しても優しいかたなので海龍が勘違いしてしまうことくらい――絶対に許すわけないじゃないですかあ!!」
もう止まってはくれない。走りだした新幹線が駅以外で止まらないようなものだ。
そんな暴走超特急快速状態に陥ったリリティアはもう止まらない。スードラを前後に揺らしながら鬱憤を浴びせる。
「やややや!? 首ぃ、そんなに揺らされると頭があ!? 頭がもげちゃうよお!?」
さながら首すわりの済んでいない赤子のよう。
しかもあまりの激しさに1つの頭が複数に見えるほど。声だってだぶついて聞こえてくる。
「ごめんって! わかったわかったから謝るからぼくの鱗を引っ張らないでよぉ! それをとると胸がみんなに見えちゃうよお!」
「私がねんごろになるまでいったいどれだけの時間を要したかわかってるんです!? 出会って半年以上かかったんですからあああ!?」
戦況は一方的だ。リリティアの白裾からにょっきりと生えた尾が怒りに任せて地面をびしびしと叩ている。
白龍の名に恥じぬ純一無雑な白妙。もっとも黒に遠い、光すらも弾く純白の両翼もはためく。
種の姿を模しているからか鱗はむちむちとしたナチュラルスキン。うねる尾は、さながらつきたての白餅の如き魅惑の質感である。
「ねね、明人。リリティアの言ってるねんごろってどういう意味……なに丸くなってるの?」
ユエラはきょとんと彩色異なる目を瞬かせた。
床で丸くなった屈強な背がふるふる震えている。斜めに背負うようベルトで巻かれた散弾銃がカタカタ重厚な音を奏でている。
「やめてくれぇ……! それ以上オレの私生活をバラさないでくれぇ……!」
耳まで真っ赤にした明人がどれだけ懇願しても、リリティアは止まってくれない。
どころか薪を焚べたかのように怒りがますいっぽうだ。
「明人さんは毎回私の料理を必ず美味しいって言ってくれるんです、それも律儀にッ! それに私が明人さんのお仕事中にイタズラで抱きつくと気にしてない風を装いながら物凄い手元が覚束なくなってたりするんです! 私が無防備になるお風呂上がりなんかもっとすごいんですからね!?」
明人は黒い髪を掻きむしりながら幾度も床に叩きつける。
「き、気づかれてないと思ってたことが全部バレてたあああ!!」
隠し通せていたと考えていたものが筒抜けもいいところ。こうなるともう居ても立っても居られない。
だからと言って止める手立てはない。彼女を理解している1人とひとりならば止めに入ることの無意味さ――無力さを知っていて当然。だてに1つ屋根の下で共同生活を送ってはいない。
「私が狸寝入りをしていると決まって私のほっぺに恐る恐る自分の手の甲をですねェ――」
それからも歯止めが効かなくなったリリティアは次々に彼のプライベートを晒し上げていく。
それと比例して羞恥の叫びが増していく。
「ああああああ!! こんなに大勢の前でオレを因数分解しないでくれぇ!!」
明人とて男なのだ。しかも自分を好いくれる女性がいるなんて生まれてはじめての経験である。
こんなキレイな女性が、こんな自分なんかに、嘘ではないだろうか。もち前の懐疑心はいつまでも払拭できず。
さらには告白の返事を先延ばしにして幾数日。そんななかリリティアへの思いを何度か確認してみたこともあった。
その指に吸いついてくる柔らかな頬の感触を堪能したこともある。ふわりと香るミルクのような甘い香りに心揺さぶられることもある。まるで聖母の如き笑顔にほだされかけたこともある。
――なんでバレてるんだッ!? お、オレの磨き抜かれた観察眼を駆使して細心の注意を払つつ慎重に行動していたはずなのにッ!?
しかもそれらがすべて白日の元へ晒されていく。
つまり明人がリリティアを覗いているとき、リリティアも――より詳細に――また明人を見ていたのだ。
会議室に集う面々はほんのり頬を朱色に染め、どこかやるせない感で1人とひとりから目を背けている。
「ちなみに私も気づいてたわよ?」
恥辱に耐える耳に、ふと聞き慣れた声が聞こえてきた。
恐怖を覚えながら明人は首を軋ませ、上を仰ぐ。
するとそこにはユエラがさもありなんといった感じで佇んでいる。
「ま……マジで?」という震えた問いかけに、間を開けず「マジよ」と大真面目に返ってきた。
そのままユエラは後ろでを組みながらブーツの踵でとんとん。リズミカルに床を叩くと前髪の端で結われた小さな三つ編みがゆらゆら揺れる。
「明人って基本床の上で仕事とかしてるじゃない? それで私が高いところの物をとろうとしてるときとか身を低くして――」
確信に触れる直前。明人の身体は自然と行動にでていた。
両膝を折り、背筋ピンと伸ばし、会議室の床に頭を深く沈める。
「それ以上は本当に勘弁してしてください。なんでもするんで許してください」
それはもう日本人だけに許された見事な土下座だった。
衆目のなかでも忍ばぬほど、額を床にこすりつけて謝罪する。
「許すもなにも私は気にしてないわよ? アンタも男の子だなぁって感じだし、それに見られて困るようなもんでもないし」
ユエラはくるりと外套を翻し、屈んで歯を見せた。
まるで穢のない子供のような微笑み。
本当に気にしていないようだ。
「ん、なに? 私の顔になにかついてる?」
「……いえ、なにも?」
しかしユエラのそういうところが明人としても心配の種である。
あれだけ厳粛だった語らいの場は2匹の龍によって混沌へと陥った。
リリティアの脳が茹だりそうな痴話、もとい自慢話は終わらず。スードラも胸ぐらを掴まれたまま開放されず。
彼女が冷静さを欠くことはないわけではない。しかしここまでひどくこじれているのは明人にとってもはじめのことだった。
彼の帰還に合わせての平手打ち。つかずはなれずといった中途半端な態度。そして暴走。
焚きつけたスードラも悪いが、リリティア自身まるでグラグラと揺れ動く船のように情緒不安定である。
「リリティアってばずいぶんと荒れてるわね。いきなり叩いたからびっくりしたけど……アレがスイッチになっちゃったのかしら?」
満を持して切り札が動く。流麗に艶めく竹色の髪が深い川のように流れた。
絶望的な会議室で面々、がおもむろに彼女の背に注目する。
そんなことしったものかと、ユエラは腰の袋から焼き菓子をとりだし頬張る。
彼女もLクラスだ。それも龍と同居する、ヒュームとエルフの混血。その実力は未だ未知数である。
「じゃあちょっと私止めてくるから。アンタがくるとたぶんもっとややこしくなるからそこで待ってて」
「お、おう……わかった。でも……アレ止められるの? スードラがメレンゲみたいになってるんだけどさ……」
「ま、大丈夫でしょ。いざとなったら魔法でぐるぐる巻きにしてお持ち帰りするわ」
リリティアを止めにいくとは思えぬほどの気楽さ。
まるで散歩にでもでかけるかのような。ユエラは短尺のスカートから伸びる水鳥の如き麗しいおみ足を繰りだす。
「ちょっといってくるわー」
そのままこちらを見ようともせず、後ろ手を振ってむかっていく。
いっぽうで明人も燃え尽きた灰の如く地べたで力なく横たわっている。
するとどうやっても無視できぬ。そんな鼓膜を突く茨のような存在感が耳を打つ。
「ん……親方?」
きゅら、きゅら。鉄と鉄が表面をこする甲高い音。それと地を揺るがす巨躯の歩み。
劣化した床なら焼き菓子のように抜け落ちていただろう。そんなスチームパンク風の老父は彼にとっての師匠である。
ゼトはどっか、とぶっきらぼうに岩盤の如き尻を床に降ろす。
「リリーに聞いていおった通りじゃな。近ごろオマンの様子がオカシイオカシイと言っておったが……なんちゅう錆びた眼ぇしてやがるんじゃ」
バカ弟子が。つっけんどんな言いかただった。
深く吸った大気を低く震えるしゃがれた音とともにとっぷりと吐く。コブだった背を丸め、鉄腕で白髪の頭を抱えるようにがりがり掻き乱す。
明らかになにか込み入った話をしにきたような感じだ。
察して明人も起き上がってあぐらをかく。対面する。
「親方、無茶を言ってごめん」
まずは謝罪からだった。
しかし頭は下げない。ゼトの白く霞んだ瞳を真っ直ぐ見据えたままだ。
「一報を聞かされてオマンがなにを企ててるのかをようやっと理解できたわい。ったく……天使との約束すらすっぽかしよってからに」
双腕であれば ア レ がなにか気づいていてもなんらオカシクはないこと。
明人は前もって膨大な資産を投じて師にとある制作を依頼をしていた。それもドラゴンクレータへ踏み入るずっとずっと前から。
「……ありゃあ悪魔の兵器じゃぞ? あんな道理を踏み外したもんを秘密裏に作らせよって……寿命が縮んだらどうしてくれよる」
「知ってるさ、だから親方に依頼したんだよ。発展しか見てない盲目が生みだした発明をこっちの世界に広めないためにね」
師と弟子は自然と前屈みになって面を突き合わせていた。
語られる内容は物騒そのもの。
なにせ明人の依頼した品は、この世に存在してはならない物の種である。それも1流の物作り、双腕のゼトでなければ作れないような特別なもの。
「天使との約束はどうした? オマンの世界の技術は広められんよう蓋がされとるんじゃったろうに?」
ゼトは明人を睨むよう目尻へ険を集めた。
樹皮の如きシワだらけの顔にうんとシワを深める。
しかし明人も師の威圧に負けじと目を逸らさない。
「あの約束はしょせん約束の範疇から逸脱しない。契約のように対価を求められるものじゃないから問題はないはずさ」
「……天界の機嫌を損ねるかもしれんのだぞ?」
「はじめっから天使たちのご機嫌とりなんざしようとも思ってないよ。むこうが縛りを緩めてくれてるんだしこっちも好きにさせてもらう」
明人が「そういうこと」気さくに肩をすくめる。
するとゼトは「ハッ、肝が太ぇ」膝を叩いてあげた口角の端からため息と笑みを同時に漏らした。
足りぬ文明に過ぎたるものは毒である。道徳と倫理なき文明は使いかたを誤る。
しかして彼の依頼の品は発展させてはいけない品だった。ゆくゆく世界の毒となる発明品。
それでもこの師弟間には不思議な信頼があった。戦場で助け助けられ、駆け抜けた日々の賜ともいえる。
「で、完成は? 知っての通りもうすぐ必要になると思んだけど……」
「そう急くでないわい。こっちも達者じゃ。調整すっからもうちょいと待て」
するとゼトは鉄色の腕を大雑把な大胸筋の前で交差させた。
しばし互いに理由なく口を閉ざす。どこか居心地の悪い沈黙が訪れる。
「フム……あいも変わらず求められぬか……」
むっつりと口をつぐんだまま目を閉じてしまう。
丸太のような身体を前後に揺らし、なにかを待っているかのような。
「……求める?」
明人はゼトの様子に首を傾げつつ、ふと視線を横に反らす。
逞しい膝の横には紅の大槌。白の欠けた双腕の担う武器の片方。不完全な状態の証明。
そこに鎮座しているのは度が過ぎて巨大な武器――生贄の赤槌である。
翻る道理によって浄化されたはずの槌が1本のみ残されている。不思議でないはずがない。
「あのさ親方――」
たまには普通に聞いてみよう。
そう考えた矢先に、明人の声がより低いものに遮られる。
「オマンほどのキレもんがなにを恐れ、それほどに酷い顔をしちょる? ……なにをそんな怯えちょる?」
「――っ!?」
そのあまりにも正面切っての疑問に、明人は息を呑まされた。
そして白眼に心の奥そこまで見透かされるような気分だった。
しかしゼトは返事すら待たずにつづけた。
「工房に送られてきた報酬も過剰すぎじゃ。しかも工具農具武器防具の製品やら金品や上等な素材ばかりじゃったの。運ばれてきた木わくに金目のもんがしこたま詰まっておったわい」
天井を眺めつつ、鉄擦れを奏でて指折り数える。
「もしやとは思うがオマンこの依頼に全財産を投げたのではないのか? まるで……死にゆく前の身辺整理をしちょるように見えとるのは、ワシだけかいのう?」
最後あたりはあまりに厳かに太く、静かな問いだった。
僅かに怒りが滲んでいる。まるで親が子を叱るような、師が弟子を咎めるような。
明人は思わず目をそらす。
「……答えんか」
だからといって、そう安々と逃してくれるような雰囲気ではなかった。
するとここで横から割って入ってくるのは、おそらく援護ではない。
「貴様は私の前で生きると言ったはずだ。前に進むと決心してなぜこちらを見ない――見ようとしない?」
こつり、こつり。踵の音が強めに床を打つ。
影をまといて歩むたび揺らぐ黒のドレスフリル。
座る明人のすぐ横までやってきたヘルメリルは、まつげの影を微かに伸ばす。
「私らは貴様に前をむけと言ったはずだ。貴様も前をむくと口にしたよな。なのになぜ私たちと同じ場所を見ていないのだ? なにゆえこちらから目を背く?」
こちらもまた怒っているような。
それなのに覇気がない。ゼトと同じように。
「…………」
明人は黙った――黙るしかなかった。
それがともに対するどれほどの裏切りであっても、遂行せねばならない案件だったから。
だから膝の上で拳が硬く結ばれる。下唇を噛み締める。己の身勝手さに痛みという罪の杭を打って償いとする。
「答えぬか、あるいは答えられぬか。まあそんな詮無いことはどちらでも良い」
ヘルメリルはおもむろに漆黒の髪を手ですくい上げると、横に流す。
先の細い線が芸術品のようにはらはらと流れ、まとまっていく。
控えめな香水の香りが風に煽られ、近くでうつむく彼の鼻腔をくすぐった。
「ただこれだけは答えてもらう。私とて……聞く権利くらいあるだろう?」
そう微かに濁し、ヘルメリルは両膝をついて横に並ぶ。
鍛えられた彼の球状の肩には、なんらかの柔らかな感触が当たるほどの距離だ。
彼女は頬へと雪のように白い頬を寄せる。
「誰がためか答えてくれ。明人」
甘い囁きが耳から脳を溶かし、重なったぬるい感触が惑わす。
普段の居丈高さはんて微塵もない。肌と肌の熱が伝わる場所で、名を呼ぶ。
逃げようにもヘルメリルの手が彼の手を連れ去ってしまう。腕を抱きしめるように巻かれ、抑え込まれる。
そして蒼が沿う。
「誰でもないオレ自身のためだ」
明人は友の肩を軽く押す。適正な距離をとる。
押されたヘルメリルは一瞬だけ長耳をひくりと動す。
「んっ、そうか。それならば……良い」
蒼に沿われた瞳のむこうで、くつくつと白細い喉を鳴らした。
それから彼女はもういつもどおりだ。大毬を揺らがしながら勢いよく立ち上がる。
「ならば良い! なにやら裏でゴチャゴチャやっているのは気に障るが己のためだと言うのであれば結構なことだ!」
先ほどまでのしおらしさどこへやらか。
そうでなくとも細いウェストに巻かれたコルセットに手を添え、高笑う。
当然のように視線は見下しだ。座っている明人が下から見上げていると、なお主張の激しい箇所の迫力が増して見えた。
「おいジジイ! 貴様が辛気臭いせいで空気が生ぬるいぞ! どうしてくれる!」
「すがすがしいほどの飛び火じゃぁ……」
変なテンションで絡まれたゼトも渋々といった感じで膝を立てる。
ふたりからはひしひしと伝わってくる優しさのようなものが感じられた。
だからこれほどまでに辛いのだ。リリティアに張られたときと同じ場所に痛みを覚えてならない。
どれほどヘルメリルが声を抑えたところで、操縦士の耳は聞き逃しはしない。
――友として……か。
明人は胸当て越しに手を当てる。
それなのに、どうにも重く響くような痛みがおさまってくれない。
防衛戦争のときもそうだった。
無謀にも単身で潜り込み、助けを乞うようなマネが最後まで出来なかった。
祈らぬものは、願うということすら、出来ない。
だって大切だからこそ――もう傷つくところを見たくないから、失いたくないから。
今度は世界から逃げたことで不器用になってしまっているのだ。
あの惨劇を繰り返さぬよう。Breve Prtocolによっておった傷がまだ癒えていない。
「あと誰なんですかアナタは!?」
あちら側ではまだひと悶着がずっとつづいている。
さすがに見かねたのかエスナまで参戦しているようだ。
「天龍だようっ!? なんでわたしのことは覚えてないのよう!?」
「……。知りません」
「種族間での呼び名すら覚えてないってどういうこと!? 狭い世間なのにそれでも忘れてるってひどくない!? わたしらの生きてる世界って結構隔絶されたコミュニティだよ!?」
リリティアは真顔でバッサリと斬り結んだ。
誘いの森の孤独暮らし。もしかするとドラゴンクレーター内でもあまり誰かと接するような性格ではないのかもしれない。
「リリティアって興味ないことにはとことん興味ないのよねぇ……」
止めに入ったはずのユエラもどうやらすでに諦めているらしい。
どうしようもないといった感じでやれやれと頭を抱えている。
遠巻きに見れば本当にいつもどおりだった。
いつの間にか繋がった連中が喧々諤々と賑わいつつ縁を繋ぐ。
それを困ったように、しょうがなさそうに見守る者までいる。関わりとはとても美しく、儚いもの。
「1人ぼっち……か」
そんな賑やかな連中の外で、明人は乾いた笑みで見守るだけ。
疲弊した身体にムチを打ち、軋ませ、いつもの倍は重い身体に力を入れてもち上げる。
――だからあの誓いは呪いだ……オレにとってはな。
ずっと停滞していた。立ち止まったままだった。
口では幾らでも嘘がつけた。だけど心が嘘で覆い隠せなくなっていた。
どれだけ鍛えても重くて重くて押しつぶされそうで。どれほど力を籠めても身体は沈んでいくばかり。
空が遠くて、底に足がとられてしまったから逃げだせない。
「……ん?」
ふと肩が暖かく――軽くなった気がした。
明人は呼ばれた気がしてそちらを見る。
「自分の意志ならそれで良い。それと、これは私からの助言だ」
肩に、女性の者と思わしき手が添えられた。
見ればそこには友がいつもの気丈な微笑みで立っている。
ヒールでかさ増ししているとはいえだ。成人男性の平均的な身長の明人のほうがだいぶ背が高い。
常に高圧的なヘルメリルだが、こうして並ぶときちんと男女の身長差があった。
「貴様が旅立ってから半日もせず私を呼びだすほどに気を揉んでいた者がいた。少しは心情くらい汲んでやれ」
血の色をした瞳が胡乱げに騒ぎの中心を見つめている。
だから明人もやかましいほうを一緒になって眺めることにした。
「まったく帰ってきたばっかりだってのに騒がしいったらないな。それなのにちょっと離れてただけで懐かしさすら感じるよ」
「ならば、そここそが貴様の帰る場所ということなのだ。見知らぬ地で懐かしむという感情は芽生えん」
解放されたスードラは尻を天井に突きだし伸びている。
今度はエスナがリリティアに詰め寄っているがまったく相手にされていない。
ユエラはもう飽きたらしく壁に寄りかかって読書をはじめてしまっている。
彩り豊かになんとも自分勝手で自由気ままなものだ。
「とりあえず決闘前に仲直りできるようがんばってみるよ」
「白銀の舞踏も初めての感情に戸惑っているのだろう。あと……貴様をとりまく周囲の感情を理解するということを忘れるな」
この喧嘩でもヘルメリルなりに気を使ってくれていたのだろう。
態度は大きく、口ではなんだかんだといいながら、結局は彼女が場を治めてくれる。
なので明人はなんとなく、その起きやすい位置にある頭に手を乗せる。
「おいこら気安く触れるな。触れるならまず媚びへつらってから許しを得て感涙を流しつつ触れろ」
するとヘルメリルはむぅ、と片頬を膨らませながら彼を見上げた。
怒っているような。それでいて普段よりも口数が多く、若干照れているようなだ。
「ははッ。こうやって近くで見ると、ヘルメリルって意外とちっちゃくて可愛いよなっ」
「――んなあッッ!?」
明人が鼻を鳴らしながらそう言うと、間もなくして荒れ狂う嵐の目が2つに増えた。
後に会議室を訪れたエルフ女王の側近曰く。
最後は、絶対防御で守られた聖女のみが立っていたのだとか。
修理された世界はゆっくりとだがつつがなく巡っている。
たった1人だけが静かに這い寄る滅びの影に気づいていた。
◎◎◎◎◎




