445話 そして『おかえり』
明人は大いなる王の墓へ語りかける。
「なんともまあ。ずいぶんとえれぇ墓こさえてもらったじゃないのさ」
目を細めながら眺める先には数え切れぬほどの花たち。
運命の夜明けを迎えた広場で、1人とひとりは再会する。
断頭台が置かれていたはずの場所には、大きな大きな丸い花壇が作られていた。
百合に似た白い花畑のちょうど中央にはふたりの英雄を讃える墓。そして偉大なる王を尊ぶ墓。
前の者が祈りを終え、明人はすれ違うように墓への道を踏む。
「ようやく還れたそっちの居心地はどうだい?」
手むけとばかりにラウス銅貨を親指で弾く。
回転しながら弧を描いて飛んだ銅貨は、およそ50円くらいの贈り物。キーンという鉄を打つ長い高音を奏でて落ちた贈り物は、供え物のひとつになった。
墓誌に描かれているのは異世界の文字。翻訳の道理を通して読めば、なんとも涙を誘う文章である。
「死してなお王は我らを見守りつづけ、民もまた王とともにあり、偉大なる王グラーグン・フォアウト・ティール、ここに眠る」
明人は、光沢がでるほどに磨かれた白い墓石の文章を淡々と音読した。
王は民たちによって惜しまれつつ送られた。それはもう盛大な葬儀だったのだとか。
彼は葬儀に参加していない。だからあの運命の夜明け以降、グラーグンとは初めての再会だった。
「オレもいちおうエーテル領住まいだし見守ってくれてるのかい? だとしたら――」
……心強いよ。思わず吹きだしそうになりつつ、好敵手の墓へ微笑んだ。
墓参りなんてしょせんは生き残った者たちが藁に縋るようなもの。幾度も通おうが届かないし聞こえない。
そうひねくれつつも、だ。豪語している彼でさえも慎むときは膝を折って手を合わす。
「…………」
1度だけ拍を打つ。
毎回のことだがこういうときはなにを考えて良いのかわからないでいる。
初詣ならば昨年の健康やら祈願成就の感謝でもしようもの。しかし故人へは、なにを願うべきだろうか。
相手はただの拡散する覇道の意思だ。
神どころか現象。あるいは災害の類。真としては神より賜りし宝物である。
明人は折った膝を伸ばして姿勢を正す。結局なにを伝えれば良いのかわからぬまま。
「こんどは線香でも作ってこようか。花を送るような間柄でもないしな」
お参りもそこそこに、サッと身を翻す。次の墓参り客が列を作って待っている。
フィナセスたちは厩舎があるという都の西側のほうへ荷車と馬を預けにむかっている。
ムルルも限界が近いらしく、一端家にも戻るのだという。
あまり待たされるわけではないが、それでも時間あく。
ようやく訪れた1人の時間を宿敵の墓の前で消費するのも普段ではやらぬ時間の使いかただった。つまり一興である。
「おっと――」
去りぎわの1歩を踏んだところで、ふと明人は立ち止まった。
黒い前髪を流し肩越しに振り返る。英雄たちとの別れが済んでいない。
「ハリムもミリミと兄弟仲良くやれよな。兄として妹を最後まで見送ったんだ。だったら幸せになってくれないとさ……報われないだろう?」
そう告げながら肩をくすませ花畑からでていく。
墓と言えば荘厳で潔癖な空気こそありがちだが、ここはフラワーガーデン以上に賑やかだ。
それもそのはず。この場所こそ聖都の心臓とも言える箇所だ。そして大立ち回りの大舞台だった決戦の地でもあった。
望まぬ永遠を乗り越えて成仏したハリム・フォルセト・ジャールとミリミ・フォルセト・ジャール。ともに彼と夜明けを迎えた兄妹も、英雄としてこの場に眠っている。
「さて……そのへんにでも座ってフィナ子たちのことを待つとしようかな」
墓参りが終わってしまえばやることはない。
早々に目的を終えてまった明人は慣れぬ雑踏を掻い潜って、共用の長イスへ腰を下ろした。
たとえ賑わう聖都であろうともやることを定めなければやれることは少ない。
なので都を行き交う種族たちを観察することにした。
「……」
あちらでは歩くワーキャット種の女性にエルフ族の青年が手を引かれている。
つき合いたてであろうか。エルフの青年が僅かにたどたどしい。
そんな彼を三角耳の女性がぐいぐい引いて連れ歩いている。
「…………」
あちらでもドワーフ族の少女と妖精族の少年が仲睦まじそうにしている。
通りで仕入れた食事を共有しながら満面の笑みを作っていた。
成長を忘れるドワーフ族のメスと、同じく育たぬ妖精族のオス。背丈も並んでいてよくマッチしているふたりだ。
――なんでか心が荒んでくるぅ……。
こちらとあちらでの温度差たるや、だ。
恋路を楽しむ者たちがいる反面。こちらは貧相な格好の冒険者風が1人だけ。
まさに枠外、疎外感。カーストの底辺を這いずるような劣等感に見舞われて仕方がなかった。
しかしてこれは創造主の望む姿であることに違いはないはず。
別種たちが垣根を越え、理解を深め、恋を育む。
そうなれば混血や雑種が希少種でなくなる日も――いずれは――やってくるのだろう。
「ふぁぁあ……」
そんな未来の現想を目からほろりとこぼす。大あくび。
左の作業手袋を外し、流れた大粒の涙を拭う。
聖櫃を外した薬指には、律儀にも銀を基調としたブルーラインの指輪がキラリと光る。
この場所でこの指輪もまた宿敵とともに翻ることを止めたのだ。
「――ああっ!? あれ見てっ!!」
すると突然。波を打つような混雑のなかからキンキンとした声が聞こえてくる。
なにごとか、と。思うのはなにもここにいる孤独な青年だけではない。
聖都を往来する種族たちも足を止めた。次の行き先を相談しあっていたカップルたちも、丸くした目を声のした方角へと彷徨わせる。
「引ったくりかなぁ? 都会は物騒でおっかないねぇ……」
しかし彼にとっては他人事だ。座った姿勢で微動だにしない。
なにかしらの事件が起こったところで下手に関われば命に関わることを知っている。
なにせ人間には魔法が使えない。未熟なれど使えるヒュームと比べて劣っているのだ。
だから長イスに深く体を沈め、ぼんやりと割れぬ空を仰ぐ。
「……?」
しかし思わず首をかしげる。
汗やら癖やらで軋む前髪がはらりと眉の辺りを撫でた。
節々に視線を感じて目線を下げれば、視線が群がる。どこを見ても誰かしらと目が合う。
種々が諸々、明人を囲うように足を止めている。巡礼者風のいち団も、冒険者たちも、棒立ちのままこちらをじぃ、と見つめている。
そのなかでたったひとりだけ、彼を、指差したまま静止した少女がいた。
巡礼者でもなければ冒険者でもない。どれとも異なる服装。そしてエーテル族。要するに聖都の民かなにかであろう。
そんな少女は、彼のいる方角を真っ直ぐ指差したまま。
「わ、わわっ!? め……目が合っちゃった!」
目が合うと慌てた様子で目が逸らされてしまう。
――……。
そして人知れず、明人は心のなかで深い傷を負う。
あれだけ騒々しかった広場は水を打つように静まり返っている。
明らかな異常。とても良くない気配だった。
すると天を目指すかのよう甲高い声が木霊する。
「あ、蒼様だッ! ねえみんな蒼様がいるッ!」
うわんうわん、広場の端から端へ。
まるで滴が水面に落ちるかのよう、波紋の如く聖都へ甲高い声が広がっていった。
そこからは早かった。静寂、どよめき、ざわめき。きっちりと順を追い、やがて喝采へとシフトする。
「え、なになに? これ……どういう、状況だい?」
いっぽうで明人は置いてきぼりだった。
しどろもどろもいいところ。蒼と呼ばれただけあってか顔色も限りなく蒼に近い。
それでも辺り一帯から発される拍手と感激の音が体と鼓膜を余すことなく叩いてくる。
「見ろ本物だぞ! 本物の蒼様だ!」
「きっと決戦を前にしてグラーグン様へ会いにきたのだわ!」
「たとえ相手が過去の宿敵であろうとも敬意をもって接する! まるで騎士の如き気高な精神だ!」
腐ってもLクラス。蒼という2つ名はさすがに知れ渡っているらしい。
だが基本的にここにいる青年がもてはやされる機会は限りなくゼロに近い。なにせ大抵は話題の者が隣りにいることが多いのだ。
日常ならば剣聖と自然女王がいる。
鍛冶の腕ならば屈強かつ雄々しい双腕に目が惹かれるというもの。
エルフ女王である語らずが横にいるならば彼女を見ずして誰を見る。
しかし今はどうだろう。広場は明人を中心にして祭り囃子の如し。
たった1人のヒュームと見紛うほどに甲斐のない青年で盛り上がっている。
「ああ、あのっ! あ、握手とかお願いしてもいいですか!?」
「えっ? あ、はい。こちらこそ……喜んで?」
最初に声を上げた少女の手をとり、求められるがまま握手を交わす。
それはもう奇々怪々だった。青天の霹靂とでも言うべきか。
次も、また次も。ひっきりなしに握手を求められ、求められるがまま明人は対応していく。
――あれ……? オレって意外と人気者だったのかな?
褒め称えられることに慣れてないが悪い気はしないのも事実だ。
称賛を送られるたび、明人もまた気を良くしていく。
――そういえばオレも結構がんばったもんな。どれもこれも命懸けでがむしゃらだったけど、なんだかんだ成功させてきたし。
贈られる尊敬の眼差しに手を振って応じながら、脳裏に過去を巡らす。
あるときは重機ごと空を飛び、またあるときは獣たちに追われながら全力で駆けずり回った。
ワーウルフ領では幸福と絶望の夢を見させられ、結局辛い現実に帰ってきた。
ピクシー領ではカルト集団を討伐もしたし、近日ではスカラヘッジドラグコアも相手にした。
エーテル領では単身で聖都に乗り込んで内側から瓦解させ、大本である覇道の意思すらも浄化した。
その恵まれぬ身でありながらだ。やれることはぜんぶやり遂げてきたのだ。
「理想郷への神槍を通って天使様にあったという噂は本当なのですか!?」
「あ、ああ……まあ、本当と言えば本当かな?」
そうぎこちなく答えるだけでわぁ、と声が上がる。
「じゃあやっぱりこの左手につけてる指輪って翻る道理なんです!?」
「そうだよ。今はなんの効果もないただの指輪だけど」
指輪を見せてやると、乙女たちの甲高い声と男たちの雄叫びが2重奏のように響き渡った。
絶え間ない称賛と絶賛。成し遂げたという感覚が、濃密になっていく。
達成感の希薄だった明人もようやく自分の立場を理解しはじめる。
――オレなんかがこんなに大勢の命を救ったのか? 妹を守るためだけに生きていたはずの……オレがか?
地球にいたころのとり柄といったら目と反射神経が良く、操縦士であるということくらい。
臆病で、卑屈な、ひねくれ者。妹である舟生夕を移民船に乗せたことくらいしか胸を張れることなかった。
だからかこのもてはやされる状況に困惑してしまう。
思わず回りに合わせるように頬を緩め、目を細めてしまった。
「――――」
そして群がる雑踏の奥で――……紅が咲く。
たとえ浮かれていても親しい者がいたとしたらすぐに見つけられる。まるでそこだけに光の輪が降りたかのよう鮮やかに色づくものだ。
そんな彼女を、明人が目撃した刹那のことだ。
「――う、ッ!?」
明人は求められる握手に応じられなくなった。
伸ばしかけた手がピタリと硬直する。喉が萎縮し餅を詰まらせたように酸素の供給を止める。
まるで心の臓に杭を打たれたかの如き酷い感覚を覚えた。
それほどまでに明確な怒りが彼を射止めている。
「…………」
ペタリ、ペタリ。紐で固定するタイプのストラップサンダルが石畳の上を移動している。
歩むたび質素なれど清楚なドレスの裾がひらひらと揺れる。それと同じでブロンドの頭部からひょっこり生えた青いリボンがアゲハ蝶の如く羽ばたいている。
肌をあまり表に晒さぬ油断のない白いドレスは混雑の中でもよく目立つ。
瞳の色が燃える紅であればなおのことだろう。いつしか種族たちも、まるでそれが本能であるかのように道を譲っていた。
さながら海が割れるようだ。彼女の行く先を阻むものは何者もいやしない。
「り、りりてぃ……」
明人は辛うじて彼女の名を呼べるだけの勇気があった。
しかし最後まで名を呼ぶことは叶わなかった。
「ダメぇッ!!! 明人逃げてえええ!!!」
終わりの直前に聞いた、聞き馴染みのある声だった。
竹色の長髪をした少女がスカートを蹴るように走ってくる様子を、黒い瞳がとらえる。
そして彼を射程に入れた直後、金色の三つ編みが大きく揺れる。
「あ――ブふッ!?」
蒼に沿われた瞳は確かにその瞬間を見ていた。
パチン、なんて擬音は生ぬるい。本人の耳からすれば岩石を捻り潰すようなバゴォッ、だ。
強烈な破裂音によって頭蓋のなかで脳が暴れる。
攻撃された頬は焼きごてを当てられたかの如く熱い。そして勢いのままに体が宙を舞う。
理解する間すらなく、意識は彼方へと霧散する。
「リリティア!? 帰ってきたばっかりの明人がどっか飛んでいっちゃったじゃないのよ!?」
コントロールを失った彼の体は、もんどり打って、容易に十数メートルの距離をぶっ飛んでいく。
それでもなお近づく足音は風が吹くよりも穏やかだ。
「ここでの言い争いは騒ぎになります。それに全員集まっていますから、城のなかでゆっくりとアナタの弁明を聞かせてください」
「《ヒール》、《ヒール》、《ヒール》っ! ああっ、まだ連れてっちゃダメだってばぁ!?」
引き攣った表情で凍りつく種族たちすら構わず。
細腕によってずるずると。明人は引きづられていく。
白目をむいたまま聖城の中へと消えていく。
彼の帰りに待っていたのはおかえりなどという、砂糖のように甘い出迎えではない。
強烈な平手打ちだった。
しかもそれは平手打ちというにはあまりに強すぎる、超平手打ちであった。
……………




