442話 そして大切な宝物に包まれて生きてる
山裾の街に
今日が昇る
辿り着いた
日々
戻らないと誓う
過去
とあるヒュームの日常に
さようなら
……………
唐突な3部のあらすじ(400話越えて初めての試み(Twitterの流用
『リリティアが獅子は我が子を千尋の谷に落とすの如く彼を龍の巣へ送ったはずなのに
……大陸中に無慈悲な天の啓示が響き渡る
とんでも時限爆弾抱えて帰ってきた操縦士の運命やいかに』
……………
夜明け前の静寂に佇む剣士がひとり。両手で振るうには短い剣を片手と片手に1対をもつ。
身なりはお世辞にも小綺麗とはいい難い。汚れやすい破れにくいで親しまれている農夫御用達の品である。
腰骨のあたりを紐でぐるりと括った合わせの羽織物。7部丈の袖はノリをつけていないのに丸い形を保つほど厚手。
単に耐久性のみに特化させただけの安くて大衆的な農夫の服装だ。着飾るとは対角線上に位置するとさえ嘲笑する者もいる。
「ふぅ……よしっ!」
少年は丹精を上げ、睨むように目尻を絞らせた。
ここ山颪の街イェレスタムでの昼は、技師たちのものだ。さらに夜は昼に乾いた五臓六腑を潤すためにある。
だからこの唯一、街が眠る時間だけは彼のものであった。
朝靄に包まれる街外れの家の裏手で鍛錬に打ち込む。
「昨日の反省は的を狙うあまり体捌きが疎かになったこと。それとまだ利き腕じゃないほうの動きがぎこちないこと」
反省点を数えだしたらきりがない。未だこの道に足をかけて日が浅いのだから。
線の細い体から力を追いだすようにして幾度も呼吸を整える。
「今日はその2点を意識すること。それ以外のことは今日が完璧じゃなければ意識するだけ無駄」
地面に突き建てられてたのは4本の材木。さらにそれら支柱の先端には辺と辺で材木が組み上げられていた。
簡易的に組まれた骨組みはさながらグレープ農園の蔦が這う天蓋の如し。ただしこの場において垂れているのは果肉ではなく、野生動物と魔物の革だ。
「いよっしゃあ! ほんじゃちゃきちゃき朝の仕上げいっとけなぁ!」
舌っ足らずが研ぎ澄まされた静寂をかき乱す。
朝の香に包まれつつある空へ茶褐色の大きな革手がグーのまま突き上げられた。
「ッ――はああああ!」
それを合図にクロト・ロガーは逆手と順手にした双剣を構え、見舞う。
包囲する10にも及ぶ仮想敵を恐ろしい速さで凪いでいく。
「フッ――やぁっ!」
叩くのではない、縦に切断する。
それは偉そうに腕組みをして様子をうかがう小さな師から教わった技術である。
「つっ、へぁ! ふぅ、たっ、せぇやあ!」
切るのではない、狙ったように撫で斬るのだ。
力を籠めるのは握る指だけ。手首に力を入れては柔軟さは活かせない。
さらに斬るのに使うのは腕ではない、背骨と腰である。
柔らかくひねり、柔らかく反発させ、当たる瞬間を見極めて硬く滑らす。
「ほうら! 打たれた革が揺れてんだーッ! 強引に斬られて苦しい苦しいって不満漏らしてんだーッ!」
どれほど理不尽な要求を求められても聞き入れる。
「くのっ――てぇいっ!」
クロトは刻んでいたリズムをより――疲れるけど――小刻みに、より精密に意識する。
切り詰めた剣身が風を切断する。幾重にも斬るという音が絶え間なくひょうと鳴りつづける。額にはしどと玉の汗が浮き、今は平らな胸板にだってつつ、と伝う。
いくら通常の剣よりも軽量化を施しているとはいえ鉄塊であることに変わりはない。しかも彼の腕はその銀よりも細く華奢だ。
「やめだー! ほれほれ終わったら息するよりも早く残心をとるんだぁー!」
止めが入って初めて止まることを許される。
だが突然の急停止に勢いを抑えきれず、クロトは足を絡ませてしまう。
「ふぅぅ……おっとと」
それだけでもう叱責の対象だ。
「グオラァッ!! 実践じゃ見えてる敵がすべてと思うじゃねーかんな!! 技を決め終わっても油断せず周囲への注意を払いつづけんだーな!!」
ボケカス死にてぇのか!? その語気の強さと状況から彼女が険しい顔をしていると思うだろう。
しかし実のところはエスっ気と茶目っ気を足して2で割った様な笑顔をしている。
ギザギザに良く尖った歯を、これでもかと見せびらかす。見るからに指導役を楽しんでいた。
「キヒャヒャヒャ! 鍛冶の才能はある癖に剣の才能はとんちきちんでどんくさいったらねーんだなァ!?」
げたげた煩わしいなかでも、クロトは言いつけ通りにしっかり残心をとる。
そして双剣を慣れた感じで腰帯に通した鞘にすらり。キチンとおさめてから、ひょっこり頭をひねる。
「ねぇ、アクセナ。その……とん、ち、きちんってなに?」
「とーんちきちんはとんちきちんだーな! とんちきでちきんなクロ坊にぴったしの称号ってやつだーあ!」
そう言ってドワーフの女性は、小さな身の丈の倍はあるであろう斧を担ぎあげた。
それからゲラゲラと腹を抱えるようにして爆笑しはじめる。
なにが面白いのか。いまさらクロトがそんなことを彼女に尋ねるようなマネはしない。
「あ、うんわかったよ。とくに深い意味はないってことだね」
「ゲシャシャシャ! 朝飯はとんちきな鶏肉が食いたくなってきたんだーなあ!」
「まったくもう適当なことばっかり言うんだからさぁ……」
心の赴くままにじっとりと目を細めるだけ。弟子が師を見る目つきではないことだけは確か。
たとえどれほどの理不尽が降りかかろうともクロトは決して文句を言わない。
どうせ言ったところで都合の悪いことは彼女の耳に届かないと知っているからだ。
「あちしは腹減ったんだーな! ちなみに別に痩せてるってわけじゃねぇんだーな!」
「言わなくてもわかってるよ。っていうか……もともとそんなに太ってもいないでしょ」
「照れるなッ!!」
カラッとした快活な性格といえば聞こえは良いだろう。
だが実のところ、この師をただのバカだと弟子は決めつけていた。
そして以上がクロトによる朝の日課である。
「さーてとっ。革なめしも終わったし湿気ちゃう前に回収ちゃおー」
手慣れた様子でひょいひょい、と。洗濯物をしまうように荒紐で固定した革を外し、回収していく。
革の内側にひっついた肉と脂が地べたに散らばり、キレイに削ぎ落とさている。これによってようやく死骸から剥いだ革が素材になるのだ。
これは剣の鍛錬であり素材の精製。効率とは仕事をする上で大部分をしめるといえるくらいに重要なファクターである。
「12枚くらいなら同時になめせるようになってきたかな~♪ ナイフでこそいでいたころと比べれば段違いの速さだね~♪」
鼻歌を奏でながら本日の下ごしらえを済ませていく。
彼が、斧動明迅アクセナ・L・ブラスト・ロガーに剣を教わるようになって幾数日が経った。
とはいえクロト自身あまり強くなっているという実感はない。
なにせ村で鍛冶をするのが彼の本業だ。
くる日もくる日も顧客からの依頼をこなし、鉄を打ち、また鉄を打つ。
毎夜毎夜腕が棒になったのかと思うほど鉄を叩く毎日がとにかくつづいている。
「はふぅ……今日はいい天気になりそうだなー」
それがクロトにとってはなによりも楽しい。
楽しくて楽しくてしょうがない。額の汗を拭いながらニンマリと空に微笑んでしまうほど愉快で仕方がないのだ。
エーテル族にコキ使われ、奴隷街で怠惰を極めた。そんな奴隷としていたころよりも遥かに充実した幸福な毎日を送っている。
この笑い上戸でちんまりとした居候の面倒を見ることも、そろそろ慣れてもいた。
「いい天気だなーってか!? あちしの喋りかたをマネすんじゃねーんだなー! ウシャシャシャ!」
クロトの作業する一方で、アクセナは山を下ろす風で乾燥した砂の上をとめどなく笑い転げた。
こんな雑な性格でも見た目だけはうら若き少女。スカートがめくれ上がるたび、むちむちと肉の肥えた太ももがちらり、ちらり。
なのだが、この少女は体裁なんて食えないものは気にしやしない。
「女の子なんだからあんまり足広げちゃダメってば。あとその服を洗うのサナルナなんだからもう少し気をつけてよね」
「あちしは別にどうだっていいんだー! なんなら暑い日はパンいちくらいが粋ってもんだな! オマエらがぴーひゃらうっせーから服着てやってるだけありがたく思えなー!」
「……あぁもうこのぉ……!」
クロトが少女のように愛らしい顔をやりきれぬ怒りで歪めるも、アクセナは基本無視だ。
駄々っ子のように短い手足を開いて地べたの上で大の字に広がってじたばたする。
「まーったく穴蔵の奥よりも生きづらい世の中になったもんだー! あのころは窮屈だったけど今もそこそこ窮屈だーなあ!」
とはいえクロトも本気では怒らない。
これは彼女なりにカマッて欲しいときのポーズなのだ。
要するに暇なだけ。だからとりえあえず暴れている。
「あーもうまた外でごろごろするー……。昔のお皿洗いじゃないんだから体中に砂をかけるの止めてよー……」
毎朝、イヤイヤしながらも双子によって問答無用に括られる両端の房。買い与えられた女の子らしい服も着るたび汚して帰ってくる。
同居する者たちがどれほど彼女の女らしさに心血を注ごうとも、豪気な気質は変わらない。
――きっとこの子は生まれてくる性別を間違えたんだろうなぁ……。
回収を終えたクロトは、腕に重ねたなめし革をそそくさと運ぶ。
家の裏手から表へぱたぱた。
「んん……やっぱりスカートじゃないとひらひらしなくていいけど少しだけ動きづらいなぁ」
それから玄関口の横に設えられた納品箱の辺りに素材の革を置いておく。
こうしておくことでうちでは革が余っているから革装備の補修ができるという広告にもなる。商売の知恵。
現在ここドワーフ国では工房を満足に動かせる技師が足りず。さらに依頼を十分にこなせるだけの素材も足りていない。
その癖、ドワーフの技術を求めてやってくる客は多いため、毎日が大忙しだ。駆けだしのクロトですら駆りだされるほどに忙しい。
そうやって毎朝の日課をひとつずつ消化していれば、地平線から朝日がひょっこり顔をだす。
「クロトー! アクセナー! 裏にいるのー!?」
「ふたりともそろそろ朝ごはん作るからお家に入ってねー!」
すると眩しい朝日よりももっとずっと明るいふたりの声が、作業をしているクロトの元へ届く。
どちらも似ているがどこか違うサナ・ロガーとルナ・ロガー。姉妹揃ってのお迎えだった。
勝ち気なサナに、弱気なルナ。どちらも野に咲く花のように美しいが、やはり少しタイプが異なっている。
横結いと後結いの似て非なる髪型をぴこぴこさせながら、クロトのいる裏手へ駆け寄ってくる。
「聞いて聞いてクロト! ついさっき、お店の同僚の子がわざわざ訪ねてきてくれたのよ!」
「そうそう! 今日は久しぶりにマスターがお店にでるんだって! きっと街中が忙しくなるよー!」
どちらも目をキラキラに輝かせ、足どりも顔色も快調そのもの。
似た顔で似たように微笑ましく、同じ顔で笑う。
あの凄 惨 だったころの面影はない。彼女らにとってもこのイェレスタムでの生活はさながら天国であろう。
働いた分だけ収入を得る。得た収入で好きなだけ好きなものを食べる。たまに太った太ってないと口論する。
そんな今の大陸でありふれた日常のなかで、きっと心の底からふたりは笑えている。
「どうしたのよ? な~んかニコニコにちゃってぇ、今日はずいぶんとゴキゲンじゃない?」
「なにかいいことでもあったのかな? ――って、あぁ……アクセナちゃんまた泥んこまみれになってるぅ」
「うげっ!? 次やったらフリフリのゴスロリファッションにしてやるって言ったわよね!?」
「いけっ、我が家の番犬!」と。サナが号令をかけた。
それに従い、もう1匹の居候――白狼レヤック・ロガーが「お呼びですぞぉぉ!?」どこぞから暑く、現れた。
「ンギャー!? もふもふめェ、飼い主のあちしに逆らうんだーなあ!?」
「逆らってはおりませぬ! ですがお世話になっている身ゆえ、サナ殿とルナ殿の命令は絶対ですぞォ!」
白い毛玉の巨漢に飛びつかれたアクセナは短い手足で抵抗するも、ひょいと抱えられてしまう。
この白狼はエーテル国の戦争でも突飛な戦闘力で生き抜いている。実力は申し分ない。
掴まってしまったアクセナはまさに手も足もでない。とはいえLクラスと呼ばれる彼女もまた本気で抵抗してはいない。
「それを逆らってるっていうんだー! やめれー! これ以上あちしを可愛くするのはやめれー!」
そのまま元飼い主は元飼い犬によって強制連行されていく。
ソレを双子はくすくすと堪えきれないような微笑みで見送る。
「ふふっ、いつもいつも朝から賑やかったらないわ」
「だねっ。そうなると今日も素敵な1日になるってことだよね」
みなが幸福の中に生きていた。
そう勝手に願うことのなにが悪いのか。
こんな風にして、クロトは心でつながった本当の家族とともに――大切な宝物たちに囲まれて生きている。
「さあて! 今日もいちに、ち――……はえっ?」
まばゆい朝日が影に隠れ、晴天のもと彼の回りだけ影が落ちた。
否、それは自然的な現象にあらず。雲ひとつない空に遮るものはなにもない。
いつしか横にいる大柄かつ筋骨隆々な巨体によって日差しが遮られている。
「お天道様の下は久しぶりじゃてなあ。朝だというに、ちくと夜空の星が飛びよるわい」
しわがれた声に、樹皮のような年輪を刻む肌。
そしてキュラ、キュラ。肩から先が揺れるたび、鉄と鉄が擦れて軋む。
クロトも――別にマネているわけじゃないが――ぎぎ、と。首の関節を鳴らして直上を仰ぐ。
「クロ助はあいも変わらずひょろっちぃのう。ちゃあんと飯ぃ食っとるんか?」
「よ、よりいっそう……大きく育とうとは思ってます……」
久しぶりに魔法鍛冶師として、師の銅色めいた音を聞く。
「……んなことよりもじゃ。ワシの長い長ぁい愚痴ぃ聞いてくれんかのう?」
鋼鉄の腕をした老父は蓄えた白いひげをしごいた。
そしてなぜだか年相応に老いている。
傍から見ても心配になるくらい、げんなりとしていた。
「ワシなぁ……どうやらこの世界に存在しちゃならんモンを作らされっちまったらしいんじゃよ……」
おぞましい単語を聞いたクロトはごくりと喉を鳴らす。
差しだされた手はヒュームの頭くらいすっぽり容易に包んでしまえるくらい大きな鉄塊だ。
なにもかもが巨大過ぎる。種としても、伝説級の存在としても、年の功としても。すべてを比べてこの老父は彼を上回っている。
そしてクロトはかの者の差しだしたそれを、目を細めながら覗き込む。
「こ、この世界に存在しちゃいけないもの? って……なんです、これ?」
血潮の巡らぬ鋼鉄の手には、赤く細長い小さな小さな筒が載せられていた。
……………




