427話 そして井の底で笑えたとするなら
「オマエらでかけるぞォ! 今日はやることが目白押しだから覚悟しておけェ!」
気だるい朝に雄渾な叫びが響き渡った。
昨晩をともにした者たちが何事かと。とりとめのない起床の合図に目をこすりながら、もぞもぞ起き上がりだす。
ぎらぎらの日光が金色になって洞窟ないへと差し込む。外では昨晩の大雨が嘘のように晴れ渡りっている。濃ゆい朝靄もさながらレースのカーテンのよう。
寝起きのトロけた頭に優しくない声と光が目やら耳やらに刺さってなかなか厳しい目覚めとなった。
フィナセスもまだ脳が暖まりきっていない。
「なんなのぉ……? もうごはんのじかんなのぉ……?」
目をしぱしぱさせテントからのっそりと顔を覗かせる。
起き上がるのが億劫すぎるため腕の力と腰を捻って半身ほど這いだす。
「うひぇ~……ねむいさむい……」
朝の新鮮な風に白い肩が撫でられぷるりと震える。
己の体重に潰された自前のクッションも豊かにたわむ。これにはたまらずテントのなかへすごすごと撤退した。
「朝だぞおきろフィナ子! 今日は1日楽しいことずくめでいくんだからとっとと顔洗って目を覚ませ!」
そんな不甲斐ない彼女のもとへ、颯爽と彼は勇み足で飛んでくる。
もはやなりふりかまわず。フィナセスが包まった寝袋を強引に引き剥がしにかかった。
「夜遅くまで起きてると朝が辛いっていつも口を酸っぱくして言ってるでしょ!」
これにはたまらずフィナセスも応戦するしかない。
別に肌の大切な場所を見られることに抵抗はないが寒いのは勘弁だった。
あっちへこっちへ。早朝からオシツオサレツな攻防戦がはじまってしまう。
「――ちょおっ!? なかなにも着てないから!? 生まれたままのフィナ子ちゃんだから寒いのよお!?」
「タグマフもいつまでも寝てないで起きなさい! とにかく全員強制起床なさいな!」
「わかった起きる! 起きるからちょっと1回外にでてってよお! っていうかなんでさっきからダープリはお母さん口調なの!?」
いつになくテンションの方向性が迷子な彼によって、一党の1日は――強引に――幕を開けることになった。
焔龍はもちろんのこと、なぜか邪龍もこちらを見逃している。つまりもうこの穴ぐらのなかで身を潜めなくても良い。
自由を得た彼は魚族でもないのに水を得た魚の如し。生命力に満ちあふれ大嵐のように周囲をいっぺんに巻きこんでいく。
開放された猛獣に連れられ飛ぶ鳥を落とす勢いで一党はそぞろに龍の巣へ飛びだす。
「全員起きたならとっとと準備だ! 今日は忙しくなるからまずは食料調達いくぞッ!」
そうしてまずやってきたのは東西南北のどこでもない。
なのに誰のものでもなくて誰もが共有する場所。種はそれを天を仰ぎながらこう呼ぶ、大空と。
巨躯が空を叩くように翼で大気を舞い上げ飛翔する。
『ネ、むい……』
起床から片づけ、そして出立までの時間はおよそ半刻にも満たない。
移動手段役を押しつけられた巨龍だってまだ虚ろ。飛行ですらふらふらと安定しない。
だがさすが龍族随一の巨大さを誇る龍。その鱗に覆われた手の上には荷馬車ごと全員を乗せても幾らか余裕がある。
「寝ちゃダメだかんねー! わたしらは飛べるからいいけど、そとの子たちが落っこちたら大変なことになっちゃうんだからー!」
エスナの呼びかけに巨龍は『わ、かタ……』と、たどたどしい無声会話を返す。
暴風によって前髪がバタバタとめくれ上がっている。焼けただれた傷跡が剥きだしになってしまっている。
それにしても朝焼けの空は酷く寒々しい。速度や翼やらから吹きすさぶ風が肌を凍てつかせ嫌でも目が冴えてしまう。
身支度を整えたフィナセスは身を抱いてガタガタと歯を鳴らしていた。
「よ、鎧を女性用に作り変えるとき冷気耐性の付与魔法も追加発注しておくべきだったわ……!」
伝説級の付与魔法なんて贅沢は言わない。
とはいえ後悔したところで過去が変わるような奇跡が起こらないのも世界の理というもの。
フィナセスはとりあえず首に三つ編みを巻いてマフラー代わりにする。
「ね、ねぇったらダープリ! こんな朝っぱらからいったいどこにむかってるのよ!」
寝起きの記憶が正しければ、彼は先ほど唐突に食料調達と言っていた。
なにをしようとしているのかは彼の手にしている物でだいたいフィナセスも理解している。だが直接聞かねばやってられない。
「食料調達の朝釣りだ! オレの大好物な新鮮な魚を現地で焼いて食べる!」
やる気やら男気の籠もったガッツポーズが決まった。
風の音に混じって想像通りの答えが彼から返ってくる。
なにしろ手にしているのは糸のついたちょうどよい長さの棒切れ。さらに糸の先を辿っていくとフック状の銀色がキラリと輝いている。
わざわざ積み込んだ荷台にも幾本かの竿が用意されているではないか。きっとこの暴挙は夜のうちに組み上げた計画的犯行なのだ。
寒さに耐えきれずフィナセスは魔法を唱える。
「うぉ、《ウォームエンチャント》!」
鎧と皮膚の表面を沿うように暖色系の光が体を包みこんだ。
それから他で震えて縮こまっている連中にもまんべんなく魔法をかけてやる。
ガタガタ震えていたタグマフとエスナも魔法の発光に包まれ、ほふっと肩を落とす。
「ふぃぃ……助かったぜぇ。なんでこう種族の体ってのは寒さ暑さに弱えんだかなぁ……」
「ほんとほんとぉ。それにしてもこの魔法あったかいわねぇ、毎朝かけて欲しいくらい便利かもぉ」
ほっこりした様子のふたりを眺めて、フィナセスも胸を撫で下ろした。
いきなり叩き起こされての珍道中。迷惑極まりない彼に変わって謝罪する。
「なんかいきなり変なことに巻き込んじゃってごめんなさい。ダープリってたまに……良く暴走するのよ」
「いいよいいよ、こっちも助けて貰うんだし気にしないで。それになんか楽しそうだしっ」
ニカッ、と。朝日に白い歯がよく栄える。
くつろぐように脚を流して座るエスナの横で、タグマフも決して不機嫌というわけではない。
「普段はわりと怠惰に暮らしてっからなんかこういうのも新鮮で面白えぜ!」
「ねー」なんて。引っ張りだされたわりにふたりしながら意気投合といった様子で微笑んでいる。
そして間もなく初日に野営した湖の畔へと降り立つ。
まさにひとっ飛びという表現がよく合う。巨龍でなくとも龍の移動ではさもありなん、空の覇者という冠は彼らにこそ相応しい。
真横から差す光を反射して湖面がキラキラと輝いている。
青いドレスの裾に服飾資材の金属片をまぶしたかのように優雅な煌めき。
釣りをしにきたというのだからやることは当然魚を釣ることだ。
「ようし! 餌はとりあえずパンをちぎって練り餌のように捏ねたやつでいくぞ!」
朝から颯爽としっぱなしの彼をマネて、エスナとタグマフも湖へ針を放る。
「なあ兄弟。これって手づかみとか電撃魔法でとればいいんじゃねーの?」
言う通り。糸を垂らして魚を釣るなんてことをするのはヒュームくらいなもの。
今の時代、魔法を使えば食料調達なんてお手の物だ、まさに朝飯前。
だから釣りなんて時代逆行を楽しむための趣味のような生産性のない手段だった。
だが彼はコミカルな感じで「タグマフはわかってないなぁ」両手を広げて肩をすくませる。
「――それじゃ楽しくないでしょうが!」
「す、スゴイこじつけで強引な説得力ね……」
なんだかんだと気が良い2匹は彼と並んで釣りにつき合うようだ。
プカプカと水面に浮かぶのは1枚の葉。説明によると葉の揺らぐ波紋で当たりの気配を探るらしい。
それから横一列に並んでようやくひと呼吸。糸の行方を追いながら水のせせらぎを耳に安らかな情緒に浸ることができた。
ここまでのあまりの忙しなさに荷馬車の馬まで面食らっている。
前足で夜露に濡れた草を掻きながらブルルと、不満そうに鼻ラッパを奏でた。
怒涛の起床から釣りをはじめるまでまさに破竹の勢い。目が回るなんて生易しいものですらない。
するとふいに、竿を立てつつフィナセスは周囲に意識を巡らせる。
「ありゃ? そういえば朝からスードラさんとグルコさんの姿を見ていないわね?」
ようやく頭に血が巡りだしたおかげでようやく気づく。
ムルルと巨龍も釣りをしているし、一党から欠けているのは名を上げた2名のみ。
あまりの騒々しさに置いてきてしまったということもないだろう。
「あのふたりには別の仕事を頼んでおいた。湖で釣りしながら待ってるってことで話はまとまってるから、フィナ子は気にしなくていいよ」
そう言って彼は1度針を水から上げ、とれた餌をつけ直す。
ボロい手製の竿の扱いも経験豊富なのか手慣れたものだ。
餌がとれぬよう振り子のように振って下から優しく水面に投げ入れる。
正面から照りつける日光が眩しいのかいつもより目がしょぼしょぼだ。さらにクマも一段と厚い。
「いつの間にこんな計画を……」と。動きかけたフィナセスの唇が閉ざされる。
十中八九こちらが暖かいテントのなかでヨダレを垂らしている間だろう。つまり本日の予定はこちらの知らぬ間に決まっていたということだ。
「んもう……ちょっとくらい相談とかしてよね」
「悪い悪い。あんまり気持ちよさそうに寝てたから起こすのが可愛そうでさ」
「それ……絶対ウソでしょ? そんな気づかいができるならあんなハードな起こしかたができるはずないわよ……」
フィナセスが目で不満を訴えても、彼はこちらを見やしない。
早速1匹目の獲物を釣り上げている。しかも場所がいいのかなかなかの大きさだ。
この時期になってくると日が昇るのも早い。とうに星々は空に隠れ、2つの月も融和な光によって薄らいでいる。
あいの風にまったりと流される雲の峰。徐々に目覚める鳥や虫たちの音を聞きながらせせらぎに身を委ねる。
素朴なれども平穏なひととき。昨晩の濃密な会議がまるで寝て見た夢のようにすら思えてくる。
「なあ、そういやあの無関心野郎って聖都にいんだろ? 他種族に囲まれて元気にやってんのかよ?」
まるで小石を水に投げるかのような問いかけ。それでいてぶっきらぼう。
タグマフは釣り糸を垂らしながら一瞥のみをくれた。
無関心野郎とやらをを引きとったフィナセスと、同居しているムルルは互いにむき合い目を丸くする。
「うーん? あれっていちおう元気にやってるのかな?」
「たぶん……ぁぅ、元気だと思う? ……たぶん」
どちらもむにゃにゃと自信なさげに言葉を濁した。
あの表情をヒクリとも変えない彼が元気かだなんて皆目見当もつかない。
たとえムルガルと一つ屋根の下に集うふたりとて心までは読めない。
「でもご飯は悪くないって言ってくれるわ。それといつの間にかお友だちも増えてるわよね?」
「あう、ガルはルリリルちゃんともレミちゃんとも仲良しさん。会ったら挨拶とかしてるし尻尾も触らせてあげてる」
楽しんでいるかは別としても、どちらかといえば上手くはやっている。
覚えた家事は率先してこなす。お陰で家のなかはフィナセスひとりだったころより清潔で過ごしやすい。
外で主婦たちに挨拶をされれば2秒ほど間を開けて挨拶を返す。やんちゃな子供が飛びついてきても決してぞんざいに扱ったりはしない。
「ガルちゃんのあれって無関心だからなのかな? 私的には触れ合いを楽しんでるようにぃ……うーん、見えなくもないかも?」
「ムルもわかんない。でもガルはなにをしても怒らないし優しいから、みんな大好きだよ」
ふたりはしばし、あの唐変木の私生活を語り合う。
それが果たして求められた答えなのかはわからない。
だけどタグマフは立膝に腕を乗せた態勢で、ときおり小さく頷いている。
「ふぅん、へぇ。あの無関心野郎がねぇ」
見下すような顎のむきは普段どおり。しかし糸の先を見つめながらやや伏せがちにまつ毛の影が伸びていた。
憂いているような、退屈そうな。どちらともとれる複雑そうな表情をしていた。
「じゃあさじゃあさ、淡白――じゃなくって白龍はどうなの!? 聞いた話だと女の子になったらしいじゃない!」
どうやら次はエスナが質問する番らしい。
あぐらのなかに竿をもってないほうの手をつきながらワクワク、上下に肩を揺らす。
「しかも黒龍が言うには虫も殺しませーんみたいな感じでニッコニコしてたってさ! 昔、わたしも何度か話しかけたことあったんだけど全部無視されてたのに信じられなくない!?」
前のめり気味に目がキラキラと燐光をまぶしたような感じで輝いている。
いつの世も、住まう環境が異なっても、女性とは噂話が大好物のようだ。
白龍の話題。そして剣聖の話となれば自分と言いたいフィナセスだった。
「うー……」
だがこちらもこちらで複雑な心境で眉をしかめ、ぷっくり白い頬を掻く。
なにせ相手はあの誘いの森に隠れ住むミステリアスな剣聖だ。目標としていてなお尊敬しているフィナセスでさえあまり良く知らないのが辛いところ。
代わりにアンタが話しなさい、そして私にも剣聖様のあれやこれを教えなさい。目で訴えかけるが願い届かず。
「さあて、そこそこ釣れたから3枚にでもおろすか。塩焼き食べたいなら作るけどどうする?」
竿を置いた彼が水に沈めた蔦の網を引いた。
するとなかには大なり小なりの魚がぎっしり詰まっていた。
いつの間にそれほど釣ったのか。腕まくりするような仕草をしながら立ち上がり、その後にタグマフがつづく。
「食う食う! 塩焼きってのがなんなのか良くわかんねぇけど、兄弟の作るメシならなんだって貰うぜ!」
「内蔵だして臭み抜いて塩振って焼くだけだから期待されても困るよ」
そうやって男ふたりで荷馬車のほうへ去っていってしまう。
リリティアの話題に転じた瞬間の露骨な逃走――もとい回避だった。
タグマフもまた白龍にそれほど興味がないらしい。料理の様子に尾を振りながらかかりきり。
「あらら、地龍は白龍がでていった後に生まれたから興味がないみたい。でも白龍に喧嘩を売りにいった辺り思うことはあるんでしょうなぁ」
そう言ってエスナは素朴な胸の前で腕を組んで上下に首を振る。
そしてつづけて「わたしのぶんもよろー!」と。あちら側で彼の手が上がるのを確認して満足そうに釣りへ戻った。
「でさでさっ! エーテル族の賜った神より賜りし宝物って龍玉とはまた全然違うんでしょ!? できれば他の神より賜りし宝物とかなんか色々聞かせてよ~!」
自然だった。
少なくともフィナセスはエスナと話しながらそう感じてしょうがなかった。
そうして残された者同士。ムルルと巨龍も交えて姦しく互いの知る情報を共有する。
「ルスラウス様のもたらした宝物ってそんな効果なんだ! やっぱり夢見る大樹っておっきいの!? 巨龍よりもおっきいの!?」
あれだけ西側で恐れられていた龍と一緒にぼんやり釣りをしている。
そんなことを聖都の皆に伝えて信じてくれるだろうか。
「ねらぐぁよりも大っきかったのに消えちゃったんだぁ。ちょっと見てみたかったかもぉ、残念無念だねぇ」
神の考えることなんて、いくら聖女のお膝元である聖騎士とはいえど、鮮明に理解できるわけがない。
「それ違う。ヒュームが賜ったのが拡散する覇道の意思。エーテルが賜ったのは翻る道理って言う蒼い指輪」
「ええっ!? そうだったの!? わたしてっきりエーテル族が2つ賜ったもんだと思ってた!?」
「わ~っ! ムルちゃんとっても物知りぃ、博識ぃ。なでなでなで~」
ムルルが得意げに西側の知識をひけらかし、龍が2匹して彼女をもてはやす。
おこがましいことだけど。フィナセスには、こう思えてしまって仕方がない。
――これがきっと……創造神様の本当に望んだ大陸の形。……だと嬉しいかな?
彼女たちの浮かれた笑みへ笑みを返しながら、神の夢見た絵を脳裏に描く。
ヒューム、エルフ、ドワーフ、ワーウルフ、ピクシー、エーテル、そして龍。
7つの種族がとりどりの色で織りなす鮮やかな色。すべてが混ざることによってはじめてルスラウス大陸のはずなのだ。
願わくば、この時間が永遠であればと祈ることは罪なのだろうか?
しばらく竿が引かれることすら忘れて、同性同士――?――の交流を楽しむ。
そう、まだ紅の月に穢された偽りの平和でいられた。
誰かが、この歪な世界を翻そうとしてしまうまでは。
☆★☆☆☆




