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424話 そして暗雲のなかに灯る銀色の、友だち

挿絵(By みてみん)

小粋な歌に

つづく談笑


出会うことのなかった

縁と縁


龍たちを照らす

蒼の光


きっと必ず

もっと良くなる

 粘りつくような闇のなかで歩を踏むたび鎧の擦れる音が反響する。

 手をついて壁越しに進むほど狭い洞窟ではないが。しかしそれでも足元は岩が凹凸を作っており慎重さを求められている。

 この洞窟の岩は普通の丸い岩と違って気泡のあとのような穴が多く、それゆえ小さな尖りも鋭い。転倒したらことであろう。

 やはり彼女の脚線美を覆う白の鎧をまとっていては些か歩きずらいというもの。


「やっぱりこういう荒れた地面だと鎧は歩きずらいわね……」


 イヤンなっちゃう、なんて。ボヤきながらもフィナセスは足元に注意して器用に歩を進めていく。

 手首可動域が縛られるガントレットも、足裏の柔軟さを活かせぬサバトンも彼女にとっては体の一部。要するに慣れだ。

 それに城を守る壁――重装の兵と比べれば彼女の軽装鎧なんて羽のように軽いほうだ。文句ばかり言っては怒られてしまう。

 魔法の光球に導かれるよう奥へ奥へ。如実に湿気と気温が上昇していくのがわかった。

 フィナセスは整った輪郭を滑り落ちる汗に不快感を覚えて、首筋を手甲で拭う。

 そうやって四苦八苦する彼女の耳には先ほどからうきうきと弾むような歌声が聞こえている。


「おっふろ♪ おっふろ♪」


 幾重にも層を作っているスカートをベルのように揺らしながら先頭をいくのはムルルだった。

 いつも羽織っているマントは今だけ籠代わり。ぺたっと成長の余地しかない胸いっぱいに布で覆った柑橘物を抱えている。


「ゆっずゆっずおっふろ♪ たっぷ~りおっふろ♪」


 足どりも機嫌も、いつもの低血圧さを飛び越えて非常に軽やか。

 後方のスカートが上機嫌にもちあがるたび、丸い白い尻こぶたがリズミカルに、ちらり、ちらり。

 あまりに足まわりが無防備なのでフィナセスが不安になって声をかける。


「ムルちゃん転ばないように注意なさーい。治癒魔法で治せるけど痛いの嫌でしょー」


 するとムルルは振り返りもしない。


「あうっ! ムルこういうところ慣れてるから大丈夫だよ!」


 つば広の帽子の先に垂れた星を左右に揺らし、非常に良い返事が返ってきた。

 それからも後方すら見ず、ブーツでずんずん前へ行進していってしまう。

 よほど風呂に入りたかったのだろう。こんなに嬉しそうなムルルをフィナセスは見たことがなかった。


「ふふ、まったくしょうがないんだから」


 旅先で見られた彼女の新しい顔に頬がニンマリと緩んでしまう。

 もしかしたら今回の旅をきっかけに少しずつ心を開いてくれているのかもしれない。そう考えるとフィナセスはとても温かい心地を覚えた。

 そんな貴重な経験をさせてくれた彼は、魔法とは別の光源を手にのっしのっしと踵をすって歩く。


「なあ龍ってお風呂好きなわけじゃないのか? 寝起きに体を温めたりするのが普通じゃないの?」


「ああん? 体を温めるんだったら別の龍と肌を重ねるのが1番だろ」


「オレにはわからない世界ダナー……さすが異世界」


 すっかり意気投合したのかタグマフと彼は友のような距離感で隣り合っていた。

 ふたりの関係性に戦ったという血生臭さは感じられず。ただ同年代の同性と語らうような気さくさがある。


「それに日中は光を浴びてれば体は温まるしな。寒い時期は火にあたったり色々だぜ」


「普通の龍はじっくりコトコトタイプで、リリティアはさっと湯通しするタイプだったのか。……どうなんだそれ?」


 揺らぐ炎に顔の陰影を強めた彼はコクコクと頷いた。

 黒の薄地に覆われた手には松明が灯っている。

 手頃な棒の尖端に麻ひもで布を巻きつけ脂を染み込ませただけ。なんら珍しくもないただの照明道具だ。

 そんな面倒なモノを用意するのは魔法を使えぬ者くらいなもの。主にヒュームなどの魔法が下手な種族たちが好んで使用する消耗品だ。


「しっかしオメーらはホント色んな物を作れんだな。なんでこの炎が消えねぇんだかオレっちにはさっぱしだぜ」


 それでも未開の地に住まう龍にとっては目を輝かせるほど珍しい品らしい。

 先ほどからタグマフは彼のもつ松明の炎に触れながら嬉々として尾を揺らがしている。

 魔法より文明の利器か。フィナセスの使用した光魔法なんかよりもずっと注目を浴びていた。


「それにこれから入るっていう風呂ってやつもスゲーよな。煮だったお湯に浸かって体を温めるってんだから面白ぇや」


「炎を吐けて空を飛べる龍のほうが面白いと思うけどなぁ。……あと超かっこいい」


 褒められたタグマフはまんざらでもなさそうに「ヘンッ」と、鼻を高くする。


「こりゃないもんねだりってやつだな、兄弟。ぶっちゃけオレっちには雑魚でもヒュームのほうが生きてて楽しそうに見えるぜ」


 ニッ、と。きかん坊な笑みに僅かな照れを浮かた。

 そして照れ隠しか。隣を歩く彼の背を岩のような尾っぽの細い部分で優しくぺしぺし。

 男同士の語らいは傍から見て清々しい。滅多にない機会――異文化交流を踵を鳴らしながらともに楽しんでいるかのよう。

 そうやって賑やかにどこへむかっているのか。


 決まっている。一党は現在、洞窟の奥にあるという温泉を目指していた。


 旅の疲れを落とす絶好の機会。長旅ゆえゆっくりと足を伸ばしてリラックスできる状況はそうそうありはしない。

 これにはムルルだけでなく、フィナセスもいつも以上に胸が弾むというもの。


「おっふろー♪ おっふろー♪ まよまよまよー♪」


「ムルちゃーん。温泉にマヨは入ってないわよー」


 わくわくと足を高く上げる。銀の頭につけた赤いリボンも合わせて小躍りしてしまう。

 まるでこの闇の奥には天界が待っているかのよう。さっさと重苦しい鎧を脱ぎ捨て一糸まとわぬ姿になって湯という天使に抱かれてしまいたい。

 さらにこの周辺には魔物はいない。いたとしてこちらには最強種族の龍がいる。

 そしてなによりも美しくちょっぴりおませな聖騎士パラディンもいるため危険は皆無といえよう。


 むわっ、とした熱気のなかに強くなってくる鉄さびに酷似した金気の香り。天然の温泉ならではの良い香り。

 足元ではすでに岩の隙間をちょろちょろと湯の小川ができている。

 そうなってくるとひとり欠けていることが気がかりで仕方がない。


「スードラさんも一緒なら良かったのになぁ……」


 フィナセスはボツリと、慌てた様子ででていってしまった彼の名を漏らす。

 スードラのでていった状態を正しく表現するならば、とり繕いながら慌ててでていった、だ。

 まずフィナセスが今朝方、邪龍と接触したと伝えたところ。彼は血の気の引いた表情をしていた。

 そして尋ねる間もなく約束がある、なんて。すたこらと逃げるように洞窟から飛び去ってしまった。


「約束ってなにかしら? あんなにわたわた慌てるなんてスードラさんらしくないと思うんだけどな?」


「そりゃ巨龍の気配が近づいてきたからだろ。夜の儀式に使うつもりなんじゃねーの」


 とくに回答を期待せず虚空に投げた問いにぶっきらぼうな回答が返ってくる。

 見れば前をいくふたりの青年が会話を止め、肩越しにこちらを覗いていた。

 邪魔をしたことをちょっと申し訳なく思いつつ、フィナセスはつづける。


「夜の儀式って?」


「儀式は儀式だ。オレっちらは日に3度まぐあわなけりゃならねー決まりなんだよ。ま、強制ってわけじゃねーんだけど」


 タグマフは臆面もなくすごいことを言ってのけた。

 東と西の倫理観が合致することはないのかもしれない。少なくともフィナセスには恥じらいがある。

 言葉に詰まっていると、別の質問がタグマフへむけられる。


「強制じゃないってことは……無視をつづけるっていうこともできるってことかい?」


 その幾ばくか空いた箇所には、きっと名前が入るはずだったのだろう。

 なんとなくフィナセスは彼の横顔を見てそう思った。リリティアのように、と。

 タグマフはそのことに気づいた様子もなく。骨の浮いた薄く大きな手を水を払うみたいに振った。


「できっけどやるやつはいねぇよ。なんせどこでアイツの目が光ってるかもわかんねぇ。知らぬ間に不良って判断されて生贄とか冗談じゃねーぜ」


 悪ガキの顔をムッ、としかめ、腰からだらり折れ曲がる。

 大げさな感じでにがっくりと両腕を垂らし、苦虫を噛み潰すように奥歯を噛み慣らす。

 この海龍でさえ手を焼く奔放な龍でさえ恐れ従う者がいた。


「それがさっき言ってた子供の世話係を任されている邪龍ってやつか。たしか……」


 そう言って彼はおもむろに腰に帯びている不思議な見た目をした雑嚢をまさぐりはじめた。

 横に長い四角形。表面は革のようでいてそうではないなにか。ぼろぼろと剥がれた箇所は布のようになっている。

 それからとりだした丸めた紙束を広げ、ぺらぺらとめくる。


「邪龍ミルマ・ジュリナ・ハルクレート。焔龍の補佐役で、性欲お化けの、おじフェチ。……最後のほうの情報がいらないんだよなぁ」


 剣聖から託されたという紙を読み上げ、また丁寧に丸めて雑嚢に押し込む。

 湿気が多いためだしたままだとヨレヨレになってしまう。なんだかんだと貰った情報を大切にしているようだ。

 タグマフはだらしなく項垂れたまま「それでだいたい間違ってねぇよ……」と唾を吐き捨てる。あまり触れたくない話題のようだ。


 そのまま会話の切れ間に入る。彼はなにやら考え込んでいるし、タグマフもあくびをしたりと呑気なもの。

 そんな背の高い彼らの後ろでフィナセスもじんわり浮いてくる汗を拭い、拭い。つかず離れず最後尾を着いていく。


 龍には龍で色々と制約がある。西で言うところの法のようなもの。

 法を破れば監視者によって縛られ、統率者である女帝に裁かれる。とても単純なお話。

 ならば外からやってきた者はなにができるのだろう。


――スードラさんは私たちにいったいなにをしてもらいたいのかしらね……。


 フィナセスは長いまつげの影を落とし微かな憂いを滲ませた。

 思考に入ると普段のおちゃらけから一変してすっかり騎士の顔立ち。

 近ごろは旅ばかりでこうして考える時間はあまりとれなかった。だが気になることは山ほどある。

 これからいったいどうするのか。聖都では王たちが集って聖戦ラグナロク対策を練り終えているかもしれない。

 それに聖都に現れた種族を恐れぬ異形の瞳も懸念事項のひとつである。

 さらには知り合った龍たちが自分たちになにをさせようとしているのかも不明瞭。

 フィナセスは手近なところからひとつづつ疑問を解消していくことにする。


「ねえ、ダープリ! なんで私の足を舐めてまでドラゴンクレーターにきたかったの!?」


「あのさ……唐突に声かけてくるのはいいけど、いきなり現実を捻じ曲げるのやめてくれない?」


 ぽん、と。気安く肩に置かれた手甲を、彼は塵を払うみたいにはたき落とす。

 しかし今のフィナセスにとってそんなことはどうでも良い。友との間に隠し事はなしである。

 その黒い生地に覆われたたくましい腕にしなだれかかって絡めとった。


「ねえったらーダープリぃ! 友だちなんだから教えてよぉん!」


「鎧が尖ってるからすっごい腕痛い……あと猫なで声なのに力が本気なんだけど……」


 美とは才である。使うときにこそ使わないのは宝のもち腐れだ。

 胸甲に包まれた胸をぐいぐいと積極的かつ甘える――ような演出をする。


「私が背中流してあげるからぁん! こんな美女にいたれりつくせりな奉仕をさせるんだぞー、本当はすっごく嬉しいでしょー?」


「なんで混浴が前提なんだよぉ……それが嫌だからスードラのいないタイミングで風呂にいこうって提案したのにさぁ……」


 これほど美女に言い寄られても彼はなかなか口を割ろうとしない。

 しかし嫌よ嫌よも好きのうち。フィナセスの寄せは苛烈に色めく。


「……オメーら黒龍をココから連れだしにきたんだろ? いまさらになってなに言ってんだ?」


 すると逃げるみたいにやや距離をおいたタグマフが怪訝そうに眉をしかめた。

 フィナセスはぱちくりと銀の瞳を瞬かせる。


「ええええッ!? ダープリがクレーターにきたかった理由って助けたい龍の子がいたからだったの!?」


「…………」


 しかし彼はあちらに顔を伏せたまま答えない。

 この粗暴そうに見える青年はいつだってそうだ。つっけんどんで相手に心を開かないよう見えて、いつだって優しい。

 フィナセスはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。


「ほーん。ソウダッタンダーナルホドネー」


「なんだよその腹立つ顔は……」


 苦々しい彼の腕を「べっつにー?」ぐっ、と自分のほうに引きよせた。

 誰 か の た め に――フィナセスのなかでは――足を舐め、頭を垂らした。そんな恥を忍んで行動できる者がどれほどいるだろうか。

 聖都を救ったときだって、そう。聖女から聞き及んだ話では危険を顧みず、みずから進言して聖都に乗り込んだのだとか。

 今回も彼はあの手この手でやり遂げるのだろう。そして世界を修理してくれるのだろう。


――ダープリったら照れ屋さんなんだからまったくもうっ! それならそうと早く言ってくれればいいのにっ!


「いーだだだだだだっ!? オレ、折れる!? オレの腕が折れる!?」


 なぜだかフィナセスは不思議と、このどうしようもなく弱い友だちを聖都の皆に自慢したいくらい誇らしかった。

 すると突如。黄色い悲鳴が反響して彼女の鼓膜を揺らがす。


「おふろあったー! フィナ、ふにー、マフー! 温泉あったよぉ!」


 どこまで先にいってしまったのか。ムルルの声が洞窟の奥のほうからうわんうわんと尾を引いて聞こえてくる。

 だからフィナセスは弾かれるような勢いでふたりの手を掴み、走りだす。


「ほらほら! 色々考えるのはお風呂のあとよ! 汗を流して全部さっぱりするに決まってるわ!」


「スニーカーの底が減ってて滑るから!? 地面が濡れてて危ないから!?」


「……マフーってオレっちのことか?」


 一党は立ち込める湯気のむこうへと先を急いだ。



……………

挿絵(By みてみん)


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